第9話 アヤネちゃんは人気者


 昼休み。

 テクノ学園の高等部のみが利用できる学食は、他のカフェテリアや純喫茶と違って、機能性を重視した作りである。

 長机とパイプ椅子が並ぶだけの殺風景な景色に、食券形式でトレーを持って注文を集めていくセルフ方式。

 近代的で綺麗な建物が立ち並ぶテクノ学園の敷地内において、よく言えばレトロ、悪く言えば古臭い施設である。当然おしゃれという意味では終わっている。


 しかしその代わり、とにかくメニューが安い。

 金もなく、また持ち込み弁当もない学生にとって、まさにオアシスのような場所だ。


 さて、そんな学食であるが。


 土日を挟んで週明け。

 その学食において、トッピング込み390円のラーメンを食べていた久能シオンは、目を疑う光景を前にしていた。


「………」

「おいどうしたシオン。煮玉子が落ちたぞ」


 対面で190円の素うどん大盛りを食べている葉隠レオが、目の前で手を振ってみせる。それでもなお、シオンはその光景から目を離せないでいた。


 視線の先には、学食の一角。ちょっとした集団が集まって食事をとっている、わいわいと賑やかなコーナーがあった。


 その中心にいる人物が、意外なんて言葉で言い表すには、あまりにも場違い過ぎた。


「……夢でも見てるのか、僕は」


 思わずそうぼやいてしまう。

 あの久我アヤネが、学食でクラスメイトと談笑しながら食事をしていた。


「復学した研究科の久我だっけか。そういや、あいつも神童だったんだろ?」


 視線の先に気づいたのか、レオがそんな風に話を振ってくる。


「あいつが人気者なのが、そんなに不思議なのか?」

「………」


 無言の肯定を返す。

 付き合いで座っているくらいならまだわかるが、なんと話の中心にいるのだ。誰かに話しかけられたら笑い返し、そして彼女が何かを口にすると、それで集団が一斉に湧き上がる。そんな、まるで人気者の転校生のような姿が、そこにあった。


 シオンの知るアヤネは、無愛想、仏頂面、不機嫌といった言葉が似合う少女であり、決して集団の人気者といったポジションではない。小学校はまともに通っていなかったし、中学時代はほぼ病院で過ごしている。その病院にしても、入院生活中、シオンや飛燕以外と話をしているところは、ほとんど見たことがないくらいだ。


「あいつがまともなコミュニケーション能力を持っていたら、僕は今まで苦労してない。四年前、学会での発表や討議のまとめ役はいつも僕だった。遠征先でも、交渉事は毎回僕がやっていた。アヤは、論破はできても相手に合わせることなんてできっこない」

「そこまで言うか……」


 幼なじみとして、何より長年連れ添い、ほぼ依存のような関係を築いていたからこそ、シオンは断定的に彼女のことを語る。

 その確信に傲慢さが含まれていることにも気づかず、シオンはただ、睨むような視線をアヤネの方に向け続ける。


 やがて、その様子に気づいたのか、アヤネが顔を上げてこちらを見てきた。


 ――その表情には、これまでシオンが見たこともない、外面の笑顔が張り付いていた。


「ごめん、ちょっと彼と話したいことがあるから、先に抜けるね」


 そう、クラスメイトに言って、アヤネはテーブルから離れようとする。それを察したのか、すぐさま背後に飛燕が実体化し、彼女の車いすを押し始めた。

 食堂で食事中の生徒たちの間を縫うようにして、アヤネと飛燕が近づいてきた。

 彼女はまず、レオに向けて手を伸ばしながら挨拶をしてきた。


「こんにちは。シオンのお友達? 私は久我アヤネ。よろしく」

「お、おう。葉隠レオだ。シオンとは中学からのダチだよ」


 まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったのか、レオは戸惑いながらも差し出された手を握り返す。出鼻をくじかれた形ではあるが、すぐに調子を取り戻したレオは、持ち前の気の良さで会話を広げる。


「話には聞いてるが、週末はすごかったらしいな。あの叢雲先輩を倒したんだって? よく勝負しようだなんて思ったな」

「うちのクラスの子が絡まれてたから、割って入っただけよ。ずっと休学してたから、クラスメイトの前でいい顔がしたかったの。先輩が油断しててくれたから勝てたけど、おかげで、ちょっとした人気者気分よ」


 苦笑を漏らしながら、アヤネは緩やかに言う。

 言葉の内容こそ、謙遜の中に不遜なものが交じる、彼女らしい語り口であるが、その言い回しはとても柔らかい。対人相手へのコミュニケーションにおいて、嫌味でない範囲で愛着をもたせるような、うまい切り返しだった。


 そんな言葉遣いが出来るなんて、シオンは知らなかった。

 さて、と。アヤネは自然な流れで、シオンの方を向く。


「ここで会うのは初めてね、シオン」

「……何だよ。アヤ」

「別に。ただ、話がしたいと思っただけよ。昼休みはまだあるし、少しだけ付き合いなさいな」


 傲岸に言うアヤネの後ろで、飛燕がやれやれと言った様子で目を閉じて苦笑している。

 シオンは、手元のラーメンを見下ろす。三分の一ほど残っている中身には、さほど未練を感じなかった。

 トレーを持って立ち上がると、レオに向けて告げる。


「悪い、先に行く」

「おー。授業遅れないようにな。久我も、じゃあな」

「ええ。葉隠くんも、またね」


 挨拶を交わすレオとアヤネを見ながら、シオンは心のなかでごちる。

 まさか、彼女が君付けで人を呼ぶだなんてな……と。



※ ※ ※



 十一月ともなると肌寒さも強くなってきて、長時間を外で過ごすのは耐え難くなってきている。そのせいか、秋口には賑わっていたテラスは今、閑散としている。

 まばらにいる生徒たちを眺めながら、アヤネは飛燕に言う。


「少し消えてて。飛燕」

「了解した。デバイスに潜るとしよう。必要となれば呼び出すが良い」


 飛燕はうなずいた後、存在を電子化し、デバイスの中に電子情報となって入る。

 その様子を見たのか、背後で霊体化していたミラが、わずかに身体を実体化させると、シオンに耳打ちしてくる。


「ね、ねえ。わたしも消えたほうが良いかな?」


 珍しく気を使っているのか、チラチラとアヤネの方を見ながら言うミラ。

 それに対して、アヤネは面白いものでも見るように、クスクスと笑ってみせた。


「気にしないでいいわよ。あいつに消えてもらったのは、余計な茶々が入るのが嫌だっただけだから。私としては、その子とも話してみたかったしね」


 そのアヤネの言葉で、そういえば彼女にミラを紹介していなかったことを思い出す。

 これまでも、病院に連れて行けばいつでも紹介できたのだが、ズルズルと先延ばしにしていたのだ。それが、まさかこんな形でなされるとは思わなかった。

 気まずげな表情を浮かべるシオンを尻目に、アヤネは含みのある目をして言う。


「シオンの今の相棒に、興味が無いと言ったら嘘になるし、何より、あの『カール・セプトの鏡回廊』なんだから、否が応でも気にはなるわ」


 アヤネは物珍しい物でも観察するかのように、ミラを見つめる。言葉に反して不躾なその視線に、ミラはたじろぐようにしてシオンの影に隠れた。

 怯えたその様子を見て、アヤネは茶化したように言う。


「あらら。嫌われちゃった」

「あんまりいじめるなよ」

「別にいじめてなんか無いわよ。むしろ、いじめられたのは私達の方でしょ?」


 肩をすくめながら、アヤネは過去を思い返すようにして言う。


「迷宮攻略の時に本気で死にかけたのなんて、『インクブス・レースの呪中夢殺』を除けば、あとはこの子の時くらいじゃない。しかも、被害数で言えば、私達が調伏したレイスの中でもトップクラス」

「…………」

「あれだけ人を殺しておいて、どの面下げて発生したかとおもいきや、こんな姿だもの。びっくりだってするわ。あのA級災害がこんな小娘だなんて、今でも信じられない」

「……小娘って」


 アヤネの言葉にカチンと来たのか、ミラはシオンの肩から顔を出して文句をいう。


「アンタだって似たようなもんじゃない。ちんちくりん」


 ミラにしては珍しく、直接的な悪口をぶつけてきた。

 そんな彼女に、アヤネはクスクスと笑いながら返す。


「そうね。私は成長期もほとんど終わったし、何より病院生活だから、これ以上の成長は望めないって言われているわ。でも、『ここ』とかは、まだわからないわよ。現に、今の時点でも勝っているみたいだし?」

「は、破廉恥! お外でなんて所触ってんの!」


 制服の上から胸を揉んで見せるアヤネに、ミラが顔を真っ赤にしながら言い返す。

 その様子を見て、シオンは溜息をつく。


「あんまりからかってやるな。それと、ここは病院じゃないんだから、そういう行動はやめろ」

「うるさいわね。その子だけじゃなくて、アンタにも見せてんのよ。昔みたいに揉ませてやってもいいって、遠回しに言ってるつもりなんだけど?」

「昔は揉むほどなかっただろうが。今だって、同学年からすれば並だろ」

「ふん。言うじゃない。久しぶりね、シオンがそんなに、私を邪険に扱うの」


 言葉の割に、アヤネは気分が良さそうに微笑を浮かべる。ここまでの会話すべてが、まるで彼女の娯楽であるかのようであった。


 それは、四年前の事故以来、めったに見られなくなった彼女の本当の姿。

 ずっと塞ぎこんで、シオンに八つ当たりするだけだった彼女が、今はウソのようにイキイキしている。


 その変化に本来ならば喜ぶべきなのだが、あまりの急変についていけないというのが本音だった。


「何がしたいんだよお前。金曜に学校来たと思えば、土日は病院に居ないし。そうかと思えば今日も当たり前のように学校に来てるし」

「土日は実家に帰ってたのよ。復学の準備もあったからね。まあ、今日まで伝えられなかったのは悪かったわ。本当は木曜に言うつもりだったけど、あの日は論文のことで盛り上がっちゃったから」

「そうかよ」


 ため息を付きながら、シオンは一番の疑問を口にした。


「でも、復学自体は前から決まってたんだろ? 大丈夫なのか、身体の方は」

「問題無いわ。足に根付いた魔力炉の問題はほとんど解決しているし、体力的にも、リハビリのお陰で日常生活を送れるくらいには回復してる。ただ、毎日検査が必要だから、相変わらず病院住まいは変わらないけどね」


 アヤネは手のひらを広げて見せながら、物憂げな表情をする。

 病院にいるときの、殺伐とした様子がウソのように、今の彼女は柔らかい雰囲気を放っていた。相変わらず我は強そうだが、どこか晴れかな様子である。


 そこには、シオンの知らないアヤネが居た。

 身近な人間の違う側面を見ると、なんとなく落ち着かなくなる。


「……随分と、人気者じゃないか」

「クラスのこと?」


 何の気負いもない様子で、アヤネは事実だけを口にする。


「そうね。今までも保健室登校はしてたけど、クラスにははじめて顔を出したからね。気分的には転校生に近いかも。チヤホヤされて、とってもいい気分」

「今までは、あんなに人とのコミュニケーションを避けてたくせに、どういう心境の変化だ」

「煩わしかったから、してなかったのは確かよ。でも、やってみると案外簡単ね」


 なんてことないように、アヤネは言う。


「相手の望む言葉を聞き、望む言葉を返す。会話のキャッチボールだなんて、所詮は日常生活を円滑にするための手段にすぎない。まあ、『対話』は難しくても、日常的な『会話』くらいなら、理屈がわかれば直ぐにできたわ。幸い、病院にはたくさんの練習相手が居たことだし」

「……練習、したのか」

「そりゃね。自分の偏屈さは誰よりも知ってるつもりだから。学校に行くんなら、せめて外面くらいは整える必要があるって思っただけよ。今のところ順調で安心したわ」


 なんでもないことのように言っているが、その内容は冗談のようなものだ。

 そういえば、ここ数ヶ月のアヤネは、看護師や患者とよく話すようになったと担当の医師が言っていたが――たった数ヶ月の訓練で、十数年来の性格を矯正するとは思わなかった。


 シオンの驚愕をよそに、アヤネはあっけらかんとして言う。


「早い段階で信頼を勝ち取れたのも大きかったわ。本当なら、金曜日は事務手続きと顔見せだけのつもりだったんだけど、叢雲先輩との勝負のお陰で一目置かれるようになったし。ま、それを狙って、先輩に絡まれるクラスメイトをかばったところはあるんだけどね」

「そんな事情だったのか。てっきり、いつもの喧嘩っ早さでトラブったのかと思ってた」

「流石に復学初日にそんなことしないわよ。……そういえばシオン。アンタこそ、少し人付き合いのこと、考えたほうが良いんじゃない?」


 眉をひそめながら、アヤネは本当に心配しているように言う。


「クラスメイトから聞いたアンタの評価、あんまり良くなかったわよ。褒める人も居たけど、半分以上が怯えてたわ。無愛想、ぶっきらぼう、何考えてるかわからない、だってね」

「それはお前だろ」

「ええ、病院での私ね。けど、学園のアンタでもある」


 クスクス、と。アヤネは楽しげな様子を見せる。


 遊ばれているのが分かったシオンは、不機嫌を隠そうともせずにそっぽを向く。なんだか普段と立場が逆転したようで、面白くなかった。


 会話が止まる。

 いつもはアヤネが拒絶することで会話が止まるのだが、今日は、シオンが拒絶する側だった。

 そして、関係は逆転したまま、アヤネがシオンに向けて話を振ってくる。


「ねえ」

「なんだよ」

「アンタとカール・セプトは、ウィザードリィ・ゲームが目的なのよね?」

「……そう、だけど」

「なら、私もやってみるわ」


 あっさりと。

 まるで遊びにでも行くかのような気軽さで、彼女は宣言した。


「ゲームなんて正直興味なかったけど、アンタたちが目指してる、ってのには興味あるわ。だからやってみようと思うの。ちょうど、ユースカップの予選やってるんでしょ。まだ期間はあるし、手始めにそれを目指してみるわ」

「お前、今の順位分かって言ってるのか?」

「九十六位だけど、それがなにか問題?」


 こともなげに、現在の順位を言ってのける。

 どうやら、先週の叢雲ツルギとの試合に勝ったことで、大幅に順位を上げたらしい。復学時点では最下位だったはずなのに、もう真ん中くらいの順位になっている。

 しかし、そこからのし上がるとなると、かなり難しいはずだ。


「ユースカップ代表の枠は六人だ。代表になるには、レーティング戦を勝ち抜くだけじゃなくて、リーグ戦でも勝たないといけない。そもそも、今週末の時点で十五位以内に入ってなきゃ足切りだ。実力だけじゃなくて運も絡んでくるのに、そんなに簡単にできるわけ無いだろ」

「そうね。でも、だからこそ面白いといえる」


 最下位からのし上がるからこそ。

 凋落した状態から、見事返り咲くからこそ、価値がある。


 車いすに座った状態で、不敵に笑みを浮かべながら、かつて神童だった少女は、ギラついた視線をシオンに向ける。


「魔力総量は全盛期の半分。魔法への耐性は著しく低下。制御能力も三割くらい落ちてるかしら。あと、身体能力のことも考えると、はっきり言って一線で戦える身体じゃないわね。……でも、それはアンタだって同じでしょ、シオン」

「…………」

「アンタがやれるんなら、私だってやれるわ。それを、証明してあげる」


 胸を張って自信たっぷりに言う彼女には、圧倒的な実力と経験に基づく自負があった。

 必要以上に好戦的なアヤネの様子に、シオンは怪訝な顔で言う。


「急にどうしたんだよ、お前。なんでいきなり、そこまでやる気出してんだ」

「さあね。ただ、ちょっと気に食わないだけよ。だから、見せつけてやるの」


 どこか含みのある言い方をしたところで、予鈴が鳴り始めた。

 それを聞きながら、アヤネは飛燕を呼び出す。


「それじゃ。私はこれから忙しくなるから。とにかく、試合数を稼がないとね。私の魔力量だと、一日三試合が限度だから、最低その分は試合を組まないと」

「あてはあるのか」

「幸い、クラスメイトが協力してくれるの。先輩に絡まれてた子を助けたのがきっかけだったけど、お陰で色々と手助けをしてくれてるわ。対戦してくれたり、相手を探してくれたり。あとは、上位陣への挑戦ね。時間はないから、とにかくやるしか無いわ」


 そう言い合い、アヤネはシオンに背を向けた。

 すぐに、飛燕が実体化する。


「飛燕。行くわよ」

「しばし待て、アヤネ。少しこちらも、彼らに言いたいことがある」


 意外なことに、飛燕の方からアヤネに口を出してきた。


「何よ。アンタは黙ってなさいって言ったでしょ」

「ほんの些細なことだ。すぐに済む」


 飛燕が体ごとこちらを向いてくる。

 その武人然とした男は、いつもの様に泰然とした態度で相対してくる。


「少年とは、まあいつも話をしているからな。これといってこちらから用はない。問題は、そこのファントムだ。そうさな。カール・セプトと言ったか」

「……違うんだけど」


 ずっとシオンの影に隠れていたミラが、ジト目で飛燕の方を見る。


「カール・セプトじゃなくて、今は七塚ミラだよ。……わたし、あなたたち苦手。わたしの方には、話すことなんてなにもないんだけど」

「ふん。愛想のない娘だ」


 肩をすくめつつ、飛燕は苦笑を見せる。


「まあ、歓迎を期待しているわけではないがね。敵意とまでは行かずとも、そうした悪感情を持たれるのならば、こちらも対応が容易い」

「ごちゃごちゃうるさいよ。わたし、あんまり頭良くないから、はっきり言ってもらわないとわからないんだけど」

「ならばはっきり言おうとも。なあ、カール・セプトよ」


 腕組みしたまま、目を閉じてみせた飛燕は、とんでもない一言を放った。



「貴様は、『』のことを覚えているか?」



「………っ!」


 その一言に、ミラは顔をこわばらせた。

 彼女だけではない。それと同時に、シオンやアヤネからも、飛燕に向けて厳しい叱責が飛ぶ。


「飛燕! 何のつもりだ」

「どういうつもり、飛燕。波風立てるのは嫌よ」


 二人から責め立てられた飛燕は、両手を上げてポーズを取りながら、とぼけたように言う。


「なに、そこのファントムが、いかにも純真な顔をしていたものでね、少しからかいたくなっただけさ。まるでかつての悪行を忘れたような無垢さに、当てられたのだよ」


 ひらひらと手を振りながら、全く悪びれずに飛燕は続ける。


「先ほど、うちのご主人も言っただろう。『沢山の人を殺しておいて』と。その時、そのファントムの表情が僅かに変わったのでな。少しつついてみたまでだ」

「なにが、言いたいの……」


 それまで黙っていたミラが、わなわなと震えながら口を開く。


「わたしにそんなこと思い出させて、何がしたいの。……っ!」

「ふん。多少は意識しているものだと思ったが、案の定か」


 肩をすくめながら、皮肉げに彼は言う。


「しかし、言うに事欠いて、『思い出させて』と来たか。厚顔もここまで来ると見苦しいものだ。頭のなかでは意識していながら、その事実をなかったことにしようとしているのは、あまりにも虫が良いとは思わんかね?」

「だからどうしたっていうの!」


 煽るような飛燕の言葉に、ミラは敵意をむき出しにして噛みつく。


「過去なんて関係ない! 今のわたしには、あの頃の力なんて残ってないもの。そんな時のことなんて、覚えてたって仕方ない!」

「そう思うのならそれで良いさ。だが、かつての自身の記録から目をそらすのは、不義理というものではないかね?」

「……この、うるさい。うるさい……!」


 頭を抱えながら、ミラは飛燕を睨む。その目尻には微かに涙が浮かんでいる。まるで強い頭痛を抑えるかのように、ミラは呻きながら睨み続ける。

 さすがに見ていられなくなったシオンは、強引に割って入る。


「いい加減にしろ、飛燕。それ以上は許さない」

「ほう。君にしては真っ直ぐな敵意だな」


 珍しい物を見るように、飛燕が見返してくる。


「確かに、自らのバディが責め立てられれば、怒るのも仕方がないか。しかし、君たちにしても『彼女』の被害者だろう? 私はなんら間違ったことは言っていないつもりだがね」

「そのことで、お前がミラを責め立てる義理こそないだろう。それに、レイスとファントムは、起源が同じなだけで、存在としては別物だ」


 その一点は譲れないと、シオンは厳しい視線を飛燕へと向ける。


「生まれ変わった存在に、生まれる前の罪をつきつけるのは話が違う。たとえ起源が同じだとしても、そのパーソナリティは異なる。それは、世界的にも認められている事実だ」

「そこは否定せんよ。私にしても、かつての『災害レイス』としてあった時と、『飛燕ファントム』としての今では、思想もあり方も、全く異なる。あの時にあった衝動は、すべてが因子となって、理性のうちにしまい込まれているからな」


 あっさりとその点を認めながらも、飛燕は続けて言う。


「だがな、災害の時であろうと、はたまた人間であった頃であろうと、この『飛燕わたし』は――この手で握りつぶした肉の感触をはっきりと覚えているぞ? 少年」

「……ッ!」


 ぞわり、と背筋が凍る。

 飛燕という名のファントムとは、これまで二年間、何度も相対してきた。しかし――それには、相手の手心が加えられていたのだと、はっきりと分かった。


 この男は、殺してきたのだ。

 幾千、幾万の屍の上に立つ、その事実を真正面から受け止め、飲み下している。


「覚えておくがいい、カール・セプト」


 最後に、ミラに向かって忠告をする。


「たとえ存在が別だとしても、おのが内に記録された事実は、確かなものとして残り続ける。その過去は、少なからず現在の自己に影響を与えるものだ。自らの原始を否定する限り、ファントムに成長はない」


 飛燕は背を向けながら、言い捨てるように言葉を発する。


「私の主人は全力を希望しているのでね。ならば、半端者に発破でもかけてやろうと思ったのだよ。嫌味になって悪いがね」


 言いたいだけ言い切った飛燕は、声の調子を変えながらアヤネに向かい直る。


「さて、時間を取らせたな、アヤネ」

「……アンタ、あとで説教だから」

「おお、怖い。忠義心が試されるな」


 先程までの厳しさを解いた飛燕は、軽い調子でおどけたように言う。

 そんな彼を見て、機嫌悪そうに鼻を鳴らしたアヤネは、頭だけをシオン達に向ける。


「うちのファントムが悪いことをしたわ。その子のフォロー、よろしくね」

「……勝手を言いやがって」

「そうね。けど、勝手を言うのはいつもどおり、でしょ」


 そう、最後にいたずらっぽく笑うと、アヤネと飛燕は去っていった。

 あとには、シオン達だけが残される。


「ミラ、大丈夫か?」

「……うん」


 言いたい放題言われたミラは、顔を伏せてワナワナと震えている。その表情は蒼白で、襲い来る感情を制御できずに混乱しているように見える。


「大丈夫……だけど。でも、ちょっと一人にさせて」


 そう言って、彼女は霊体化し、デバイスの中へと潜りこむ。

 しばらく、彼女は顔を見せなかった。



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