第25話 ノキアが隠す窮鼠の牙


 ■ ■ ■


 草上名冬は、天知ノリトのことを、毛嫌いしていた。


 さすがに彼の本性を知っていたわけではないだろうが、不気味なものを感じていたらしい。そもそも母は、親類に対して友好的に接しているとは言いがたかったが、ことノリトに対しては、嫌悪感を隠そうともしなかった。


 だからだろう。

 母が嫌っていたからこそ、ノキアはノリトに惹かれた。


 父との約束をこなすことで自我を得たノキアは、十二歳の時に情熱を失った。それを奪うきっかけとなった存在は、すでにその時にはいなくなっており、空虚な心を持て余すことしか出来なかった。習い事も片手間に済ませ、眠ることだけが唯一の趣味になっていた。


 そんな彼女にとって、多少なりとも興味を持つということは、珍しかった。


 ノキアにとって天知ノリトは、弟のようなものだった。

 年齢の割には随分と落ち着いた、大人びた少年だったが、ノキアに対してはいつも、慕ったような態度を取ってくる。そんな姿がノキアの心をくすぐった。


「ノキアお姉さんはすごいですね」


 どう考えてもお世辞混じりの他人行儀な言い方であるにもかかわらず、当時のノキアの心には、そんな自尊心をくすぐる言葉が響いたのだ。

 後から思えば、それは彼の【】のおかげなのだろうとも思うのだが。


 親類の集まりがあるときは、自然とノリトと一緒にいることが多くなった。

 他の従兄妹だと、少し歳が離れていたことも理由の一つだろう。

 それを、母が面白く思うはずがなかった。


 ノキアの反抗的とも見える習い事への姿勢も含めて、名冬はノキアに対してことさら厳しく接するようになっていた。

 当初は素直に従っていたノキアも、自由の味を知ってからは積極的に抵抗をするようになった。正攻法で、きっちりと文句を言わせないように仕上げて、成果を見せながら言うのだ。「これで文句はないでしょう?」と。


 しかし、ノリトに関してだけは、それが通用しなかった。

 普段は理屈が通じる母も、天知ノリトに関してだけは、感情的になるのだった。


「ノリトさんと深く関わるのをやめなさい。ノキアさん」

「どうしてですか、お母様。従兄弟に対して、その言い方はないでしょう」

「そんなことは関係ないのです。あの子だけは、貴女によくありません。即刻、交流を断ちなさい。これは命令です」


 命令、などという言葉を、初めて使われた。

 反抗することを覚えたノキアも、その強い言葉には、黙ることしか出来なかった。


 ノキアは、事あるごとに抵抗をするようにはなっていたが、しかしそれは別に、母が憎いわけではなく、自分の権利を得たいがための行動だった。だからこそ、条件が満たせない時は素直に従ったし、それを不満に思うことはなかった。


 そんな彼女は、この時に初めて、母への反抗心を抱いたのだった。


 その後のことを、彼女はずっと後悔することになる。

 あろうことか、彼女はそのことを、天知ノリトに相談をしてしまった。


「そうですか……名冬さんに嫌われているのは分かっていましたが、残念です」


 口では残念そうに言いながら、ノリトは平然とした顔で言った。

 しかし、節穴となっていたその時のノキアの目には、ノリトが謂れのない理不尽を受けているように見えて、悔しかった。


「君のせいじゃないよ。あれはお母様がおかしい。理由も言わずに、ただ感情だけで人格を否定するなんて、お母様らしくもない」

「いえ。僕の態度で、何か悪いところがあったのかもしれません」

「そんな、ノリトくんは何も」

「でも……」


 そこで、ノリトは冷めた瞳をしながら、底冷えするような声で言った。


「僕を嫌った人がいるのは、少し邪魔ですね」


 その表情は、子どもとは思えない冷たさだった。



 ※ ※ ※



「――あ、ぐ」


 左足の感覚を奪われた。

 右腕の感覚を奪われた。

 左耳の音を奪われた。

 声を奪われた。


 そして次に――


「【】」


 右目の視界が、閉ざされた。

 左足が動かないので、膝立ちでしか動けない。右腕の感覚がないために、うまく体を支えられない。左側は無音で、右目は暗い。叫びたいのに、声が出ない。


 なぶり殺しだ。

 明らかに、天知ノリトは遊んでいる。


「無様なものですね、ノキアお姉さん」


 ノリトは無防備に近づいて、膝をつくノキアを見下ろしている。その瞳には、つまらないものを眺めるように冷ややかだ。

 その瞳を、ノキアは強い意志で見返す。


「……何が気に食わないって、こんなになっても、まだ僕に敵意を向けることですよ」


 睨むノキアの視線に、ノリトは吐き捨てるように言う。


「昔みたいに、諦めて僕に任せてくれたら、もっとあなたの喜ぶようにしてあげますよ? こんなに苦しい思いじゃなくて、ノキアお姉さんが楽になるように、『命令』してあげます。なのに、それでもまだ、あなたは反抗するんですか?」

「…………」


 声は出ないので、視線だけで答える。

 当たり前だ、と。

 ノリトは嘆息を一つ漏らす。


「【】」


 言葉とともに、ノキアの心臓が暴れ始める。

 ドクッドクッと、短距離走でも走った後のように鼓動が高まり、釣られて呼吸も早くなる。


 気分が悪い。鼓動が増すごとに、酸素が足りなくなる。それを求めて、あえぐように空気を求める。体の機能を一つ自由にされただけで、気が狂うほどになりふり構わなくなる。


 そんなノキアの姿を眺めて、ノリトは言霊を打ち消す。


「【】」


 急に鼓動が戻ったノキアは、空気を吸いすぎてむせてしまう。唾液と涙をこぼしながら、ノキアは懸命に呼吸を整える。


 おもちゃのように扱われながらも、ノキアは息を整えながら、すぐに睨み返す。


「さすがに、そろそろ潮時ですかね」


 つまらなそうに、ノリトは言う。


「ここまでしても、心が折れないのは驚きました。これ以上、あなたをいじめても仕方ないですし、続きは今度にするとしましょうか」


 ふぅ、と。

 ノリトは息を吐きながら、最後の言葉を紡ごうと口を開く。





 その一瞬。



「それじゃあ、ノキアお姉さ、――ッ!?」



 ノリトが気を抜いた、ほんの一瞬。




 そこを見抜いて、


 ノキアは、足を踏み出す。


 動く右足で地面を蹴り、


 そして、動かないはずの左足は――




 ――、力強く地を蹴った。





「あ、あぁ、がああああああああああ!!」




 口からも、出ないはずの声とともに、血がこぼれ出す。

 その血しぶきには、魔力の残滓が乗っていた。


 血をまき散らしながら、ノキアは激痛に耐え、鬼の形相でその一歩を踏み出す。


 その勢いに、ノリトは思わず後退った。


「まさか、カニングフォーク!?」

「ノリト、くん!」


 草上ノキアは、つんのめりそうになりながらも、天知ノリトへと肉薄する。


 自然魔法カニングフォーク

 大地のマナを体内に取り込んで利用し、現象ではなく法則を書き換える、魔法の真髄。


 ノキアは今まで、その使用法など知りもしなかった。自身の魔力を使って大地のマナを活動させることはあっても、それを体内に取り込む方法など、知るはずもなかった。


『私に、カニングフォークを教えてくれないかい?』


 試合前に、ノキアはシオンにそうお願いをした。


 そうはいったものの、短時間で習得できるようなものならば、現代においてそれが特別視されるわけがない。せいぜい、できることと言ったらマナを取り込めるようになるまでである。


 だが、それができればよかった。


 シオンがすでに実践済みであるが、大地のマナを身体に流せば、その力によって、弱い【】ならば打ち消すことが出来る。


 天知ノリトの【】を一時でも無効にできるのなら――それ以上の武器はないのだから。


 マナの制御が出来ずに、体内の血管がいくつも破裂する。

 皮膚は裂け、血しぶきが舞うが、その激痛とともに、【】の拘束がマナによって浄化される。



 常々、草上ノキアは思っていた。

 面倒は嫌だし、きついのは論外だ。つらいことも、少し我慢すれば過ぎてくれる。


 ましてや、痛いのなんて御免こうむる。


 けれど――


 



「は、ぁああああああああ!!」


 そして、ノキアの右の拳は、ノリトの頬を力強く叩いた。



 ※ ※ ※



 七塚ミラは、ビルの屋上を足場に、跳び上がりながら鏡を利用して移動していた。

 高い位置にいれば、シオンを見つけることが出来るだろうと思っての行動だった。


 この最悪の状態において、ミラには一番臨機応変に動く役割を与えられていた。


 このゲームでは何よりもまず、シオンの敗北を避けなければいけない。彼の敗北はすなわち、チームの敗北なのだ。

 故に、最悪の状態に陥った場合、一刻も早く、ミラはシオンと合流しなければならない。


 ミラのアクティブスキルの一つ『鏡映具象・鏡映移動ミラークリエイト・パッセ・ル・ミロワール』は、創りだした鏡と鏡の間をつなぐ能力がある。これによって、攻撃を受け流したり、自身が鏡の間を移動したりすることが出来る。


 空中に展開した鏡の中を移り渡りながら、ミラは眼下の景色を注意深く観察する。しかし、すぐに見つかると思ったシオンの姿が、なかなか見つからない。


「もう、シオンどこ!? まさか負けてないよね!?」


 あまりにも見つからないので、涙目になりながらミラは長距離を駆け回る。


 実はこの時、シオンはすでに八重コトヨとの戦闘を終えた直後なのだが、ミラは丁度その反対方向に移動しているところだったので、間が悪いタイミングだった。

 そうとは知らずに、フィールドを端から端まで駆けるようにしながら、ミラは試合開始の時に居た位置にまで戻ってきてしまった。


 最悪、トゥルクの助勢という目的は達成しているので、ノキアの加勢をするべきなのかもしれないが、しかしシオンの相手はあの八重コトヨである。

 シオン自身が自分では絶対にかなわないと言っていた相手なので、助力は必須だろう。


 どうしよう、と頭を抱えながら、勢いのままに、ミラはノキアたちの上空に到達する。


 そして――


「え……」



 その顛末を見た。



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