第12話 清音のコトタマ



 霊子庭園が解ける。

 生身に戻ったプレイヤーたちには、明確な格付けがされていた。

 勝者は両足を地につけ悠然と立ち、敗者は地に膝をついて力なくうなだれている。


 ノキアのそばには、トゥルクの姿はない。

 受けたダメージが甚大だったのか、完全に霊体化して姿を消していた。対するノリト側は、満身創痍のホウキが半透明の状態で付き従っている。傷の多くはふさがっているようだが、それでもダメージの大きさは伝わってくる。


 勝負は均衡していたように見えるが、後半だけを見ると天知側の圧勝だった。

 一矢報いようとしたトゥルクの攻撃も、あっさりと凌いでみせたその実力は、誰も疑わないだろう。


「勝負ありましたね。ノキアお姉さん」


 わかりきっていることを、敢えて口にする。

 ノキアは膝をついたまま、力なくノリトを睨む。彼女は、感覚のない右腕を庇うように左手で支えていた。ゲームが終わって生身に戻ったにも関わらず、その右腕には未だ感覚が戻らない。


 霊子庭園内において、霊子体が負った傷は、基本的には生身に影響を及ぼさない。例外として、精神に刻まれるほどの大きな傷は、生身に戻った際に多少の麻痺や擬似的な鬱血として現れることはあるが、すぐに治る軽傷程度だ。


 しかし、ノキアの右腕は、そんな軽いもののようには見えない。

 その症状と似たものを、久能シオンは知っている。

 霊子体で負った傷が生身にも影響を及ぼす例。大地のマナを利用し、魂魄そのものに刻みつける、現代魔法と一線を画す古き手法。


 自然魔法カニングフォーク

 二ヶ月前、インハイ予選にて、明星タイガとの決戦でカニングフォークを使用したシオンは、全治一ヶ月半の怪我を負うことになった。


 天知ノリトが何をしたかはわからない。

 ただ、彼が【】を発した瞬間、覚えのある力の流れを感じたのだった。


「ああ、そっか。ごめんなさい。お姉さんの右手、潰したままでしたね」

「………」

「そんなに睨まないでくださいよ。だって、勝負だったんですから。手加減なんて出来ませんよ。今直してあげますから、そんな顔しないでください」


 ノリトはゆっくりとノキアに近づきながら、一言言葉を紡ぐ。


「【】」


 その言葉とともに、ノキアは右腕を動かした。

 本当に動くようになったことに驚きながら、膝をついたまま、感覚を確かめるように何度かグーパーを繰り返す。


「まあ、せっかく勝ったのに、そんな右腕一つ貰っても仕方ないですからね。忘れていませんよね? 勝負に勝った方は、負けた方に一つ、言い分を聞かせることが出来る」

「……ああ、わかってるさ」


 苦々しそうに、ノキアはノリトを睨みつけながら言う。


「二言はない。許嫁にでもなんでもなってやる。――けれど、忘れるんじゃないよ。私は君を認めない。立場上は君を立ててやるが、五年のうちに、こんな縁談、絶対に破談にして――」

「何を言っているんですか? ノキアお姉さん」


 恨み言じみたことを言うノキアに対して、きょとんとした顔で、ノリトが言った。


「別に、許嫁になってもらうことが、僕の望みじゃないですよ」

「え? でも」

「それは決定事項です。あなたが勝った時にそれを破談にするのは勝手ですが、僕が勝ったからって、それを認めてもらう必要がどこにあるんです?」

「じゃ、じゃあ、君は一体何を」

「そうですね。何を、しましょうか」


 跪いているノキアの真正面に、ノリトは立つ。

 小柄な少年は、上から威圧感とともに見下ろしてくる。

 そこでようやく、ノキアの表情に、敵愾心以外の感情が浮かんだ。得体のしれないものを前に、心が萎縮してしまう。


 天知ノリトという人間に、不気味さを覚えて見がすくむ。


 くすくす、と。嘲るような笑いが漏れる。


「ノキアお姉さんは、僕のことを嫌っているようですしね。今更、好感度をあげようとしても、仕方ありません。それよりも、あなたには、僕のことを認めさせないと」


 滔々と語るノリトの表情は、絵見こそ浮かんでいるが、その裏にある真意が読めない。


「今はいいですが、五年後、本当に結婚するときに、あなたが反抗的では示しがつきませんからね。だから、今のうちに『教育』しておくべきだと思うんですよ。僕とあなたの間で、きちんと上下関係を作っておく必要がある。そう、思いませんか?」

「……き、君は。一体、私に何をさせるつもりだ」

「簡単な事ですよ」


 にこりと、ノリトは歳相応の、無邪気な笑みを浮かべた。


「あなたはお昼寝が好きでしたよね」

「――え?」

「だから、睡眠の自由を奪います」


 不意のことに、ノキアはぽかんとマヌケな表情を晒す。

 そこに、無邪気な悪魔は、絶望を叩き込む。



「【】」



「なっ!?」


 驚愕を口にしようとした途端、ノキアの全身に、謎の圧力がかかった。

 次元の違う存在からの強制力が襲いかかる。彼女は自分の身に、先ほどノリトが口にした通りのことが起きたのだと悟った。


 ことここに至れば、部外者であるシオンにも事情は察しがついた。


 アレは言霊ことだまだ。

 言霊使い。


 最古のオーバークラフト。

 そして現在において、最も身近なカニングフォーク。

 口にしたことを現実とするおまじない。もとより呪術とは人の認識に作用するものであり、呪文はそれをわかりやすくしたものにほかならない。


 しかし、現代において、大地のマナすらも作用させる言霊の使い手など、ありえない!


「おっと、【】」


 目の前の出来事に、思わず身体が動きそうになったシオンは、その【】で停止を余儀なくされた。


 見ると、この場にいるすべての人間に、その言霊はかけられたらしい。


 飛び出しかけていたミラが、顔を歪ませてノリトを睨みつけている。

 どうやら、ノキアへの命令があった直後に、激高して飛び出そうとしたらしい。


「う、ぐ、ぐぅうう」


 この場にいる誰よりも、ミラは怒りを抱いていた。

 しかし、為す術もなく言葉の圧力に拘束され、悔しさに顔を歪めていた。せめて視線だけでもと、相手を射殺さんばかりに睨みつけている。


「せっかくいいところなんですから、邪魔しないでくださいよ。無粋ですね」


 そんなミラを冷めた目で見たノリトは、興味を失ったように、ノキアへと視線を戻す。


「そうですね。まったく眠らない、と言うと虐待になりますし、『二十三時から五時までの六時間』だけは、睡眠を認めましょう。それ以外は、一切の睡眠を認めません」

「……あ、……え」

「何をぼうっとしているんです? ノキアお姉さん。びっくりして我を忘れましたか? そんなに、お昼寝を禁じられたのがショックだったですか?」


 呆然としているノキアは、ノリトに話しかけられて、ようやく状況を理解した。

 ノキアの表情に、悔しさと、怒りがふつふつと湧いてくる。

 ギリギリと歯を食いしばりながら、彼女はノリトを見上げる。本当は立ち上がって胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いだが、ノリトが全体にかけた言霊の影響があり、体が動かない。


 唯一自由になる頭を動かして、視線だけでも負けないようにと、敵愾心を向ける。


 それを、ノリトはせせら笑いながら受ける。


「ふふ、いい目ですね、お姉さん。そういう勝ち気な所、すごく好みですよ。いつも冷めた風でいながら、実は自尊心を守るので精一杯。そんないじらしいところが、僕は大好きなんです。だからこそ――まだ余裕があるのは、気に食わない」


 ノリトはノキアの頬に手を触れて撫でる。

 その肌の感触を味わうかのような手つきに、ノキアは不快感を露わにする。

 構わず、ノリトは続ける。


「怒った顔も素敵だけど、でも僕としては、笑ってほしいですね。ねえ、ノキアお姉さん。笑ってくださいよ。ニッコリと優しく笑いかけてくださいよ。ねえ」

「そん、なの」


「【】」


 唐突に、言霊が掛けられる。


 ノキアの敵意に満ちた顔から、表情が落ちた。

 そして、すぐにその顔面には、笑みが浮かぶ。無理やり笑おうとするためか、それは苦笑いに近い。

 本当は怒鳴り散らしたいのに、無理に笑い顔を浮かべた姿は、どこか媚びたふうにも見える。

 そんなノキアの様子がお気に召したのか、ノリトは大きな笑い声を上げた。


「あは、あはは! 笑った! いい笑顔ですよ、お姉さん。媚びたみたいで素敵です。ねえ、嫌な相手に笑いかけるのって、どんな気分ですか?」

「……っ、く、ぅ」


 ノリトの嘲笑に、ノキアはうめき声をあげる。表情は相変わらず歪んだ笑みであるが、そこには言葉にならない悔しさが滲んでいる。

 彼女の目尻に、かすかに光るものがあった。

 それでも笑みを消すことが出来ず、泣き笑いの表情になってしまう。

 それを隠すように、とうとうノキアは顔を伏せてしまった。


「く、はは。あはは!」


 そんなノキアの様子が可笑しいのか、ノリトの嘲笑は続く。

 癇に障る嘲笑い声が、延々と響くかと、そう思われた時だった。



「ノキちゃんに――酷いこと、するなぁっ!!」



 バキンッ、と。

 ガラスが割れるような音がした。


 七塚ミラが、憤然とした様子で七つの鏡を召喚していた。その内の一枚は、すでにヒビが入り、砕け散るところだ。

 それを代償として、ミラは言霊の拘束を解いた。


 残る六枚の鏡が周囲を円環する。

 怒りに我を忘れて立ったミラは、六枚の鏡を従えて、ノリトに襲いかかる。


 笑うのを止めたノリトは、そちらに目を向けて、【】。


「【】」


 ミラは、その場で強大な重力でも受けたかのように、地面に身体をたたきつけられた。


「が、はっ」


 突然のことに目を白黒させながらも、ミラは憤死しかねないほどの形相でノリトを睨む。

 その時、六枚の鏡に微かにヒビが入り、ミラの身体の拘束がわずかに弱まった。

 七塚ミラの『鏡』の因子のパッシブスキル。『鏡に映った貴方は私いたいのいたいのおすそわけ』が発動したのだろう。

 自身に影響する物理、魔法攻撃を、七割減し、三割を相手に返すというものだ。


「ん?」


 ノリトは、かすかに自身の身体に強制力がかかるのを感じて驚く。


 その隙を逃さずに、ミラは噛み付かんばかりの勢いで身体を跳ねさせた。


 ――そこを、二体の鬼に阻まれた。


 今度は、物理的に地面へと押さえつけられる。

 赤鬼に刃物を突きつけられ、青鬼に腕力で押さえつけられる。

 離れでは、石鎚ホウキが刀印を結んで鬼たちを制御していた。満身創痍のホウキは、術を使うのもしんどそうだが、しっかりと主人を守る使命を全うしていた。


 このままでは、ミラはやられてしまうだろう。


 その時だった。

 肉が爆ぜる嫌な音が、あたりに響いた。


「ぐ、ぅあ」


 抑えきれないうめき声を、シオンはあげる。

 彼の右の小指が、まるで爆発にでも巻き込まれたかのように、粉々に砕け散っていた。


 一瞬だけ、龍脈に接続してマナを取り込み、カニングフォークを使った。


 全身を拘束する力を払うには、同系統のカニングフォークで浄化するしかない。

 大地の魔力であるマナを取り込むことは、毒物を身体に入れることに等しい。その制御をギリギリまで成功させ、溢れた力を全て右小指の破壊という形で成し遂げていた。


 破壊された小指から、だらだらと血が流れる。

 左手でそれをおさえ、痛みを必死でこらえながら、シオンは叫ぶ。


「ミラ! 一旦消えろ」

「え……でも、シオン!」

「いいから手を出すな。そのままじゃ、お前がやられる。霊子庭園ならともかく、現実界でそれはまずい」

「待って! ダメ、だって、こんなの絶対おかし――」


 バディ権限を使ってデバイスから命令を送り、ミラを強制的に霊体化させる。


 後に残ったシオンは、やり場のない怒りを覚えながら、ノリトを見据える。

 その姿に、ノリトは意外なものを見る目を向ける。


「驚きました。シオン先輩って、こういう時、怒るタイプだったんですね」

「……何度も言うが、僕はお前の先輩じゃない。先輩なんて呼ばれる筋合いはないし、それに、別にお前に対して怒る立場じゃない。だがな、天知」


 シオンは敢えて、ノキアのことを見ないようにしながら、淡々と言う。


「言い分を聞かせるのは一つだけのはずだ」

「……はい?」

「ゲームが始まる前に、八重さんがそう言っていた。お前の言葉にどんな力があるかは知らないが、ここで強権を振るうなら、ルールには従え」

「へえ。そう来ますか。なるほど」


 興味深そうに、ノリトはニヤニヤと笑ってみせる。


「確かに、シオン先輩の言う通りです。僕としたことが、うっかりでした。そのために右腕を戻してあげたというのに。いや、これは一本取られました。いいでしょう」


 殊勝な態度を取るノリトは、ノキアを見下ろして【】。


「【】」


 ヘラヘラと笑いながら、ノキアに対して『笑え』という命令を取り消させる。


「これでいいでしょう?」


 シオンに対してアピールするように手を広げてみせる。その姿を見ながら、シオンは緊張を保ったまま血が流れる右手を押さえる。


 この場を支配するノリトは、小さく嘆息を漏らして、不思議そうにノキアを見る。

 ノキアは、せっかく命令が解かれたというのに、顔を伏せたまま微動だにしない。


 ノリトは「ああ」と頷いた。


「そっか。ごめんなさい。【】ですよ。いやあ、全体に掛けるときはもう少し気をつけなきゃとは思っているんですが、忘れがちですね」


 身体にかけられた拘束が解かれる。

 その瞬間、ノキアは勢い良く立ち上がると、脇目もふらずにその場から逃げ出した。懸命に顔を隠し、この場から一刻も早く立ち去りたいと言うのが見える。そのまま、彼女は屋敷の中へと入っていった。


 追いかける者は一人も居ない。

 その姿を見送った後、ノリトはマイペースに草上秀星の方を向く。


「それでは夕ごはんにしたいんですけれど、どうします? みんなで食べますか?」

「いや。ノキアがあの調子だ。悪いけれど、部屋を用意させるから、そこで摂ってくれ」

「分かりました。それじゃあ、先にお風呂いただきますね」


 いい汗をかいた、と呟きながら、ノリトは歩き始める。

 そんな主に対して、血まみれの従者が、苦々しそうに口を挟む。


「どうでもいいが、そろそろ休んでもいいか? さすがにしんどいんだが」

「ああ、ホウキさん、まだ居たんですか。血だらけで汚いんで、早く消えてください」

「はっ。相変わらず辛辣だな、俺のご主人様は。男ってだけでも気に食わねぇのに、ドSとはたちが悪い。せめて可愛い小娘ならなぁ。……なあ、ノリトよ。提案なんだが、面だけは綺麗なんだし、いっそ股間のもん取りやがれ」

「その時は貴方のものも取りますがいいですか?」

「よかねーよ。マジで解脱しちまうわ」


 掛け合いを続けながら、ノリトとホウキは去っていく。


 あとに残されたのは、シオンと秀星、そして、八重コトヨだった。

 八重コトヨは、ニヤニヤと笑いながらシオンに声かける。


「右手、痛そうじゃのう、シオン坊」

「……いえ。別に」


 シオンは右手を隠すようにしてそっぽを向く。

 その姿が可笑しかったのか、ケラケラとコトヨは笑い声を上げた。


「やあ、しかし面白い力を使いおる。悪竜の類を取り込んでおるんじゃな。まあ、使いこなすには程遠いようじゃが」

「取り憑かれているだけですよ。僕の手柄じゃない」

「ほう。謙遜は殊勝なことじゃが、いささか過小評価じゃのう」


 ひとりごちるコトヨを無視して、シオンはちらりと秀星へと視線を向ける。

 草上ノキアの父親は、平然とした顔をしてその場に立っていた。


「なにか言いたげだね。シオンくん」

「……いいんですか。これで」

「良いか悪いかという話は、この際問題にならない。これが結果だよ」


 真意の読めない表情で、秀星はじっと、ノキアが去って行った方を見ている。


「覆せなかった時点で、あの子の負けだ」


 例えそこに、どんな思いがあろうとも、シオンが踏み込んで良い話ではない。そんな資格はないし、そもそも理由がない。


 やり場のない感情を持て余しながら、シオンは手の応急処置をするため、部屋に戻った。



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