第40話 今日も 6
タイちゃんの態度がよくわからなくて、子供みたいに拗ねた顔をした私はリビングの壁によりかかる。拗ねて膨れて壁に寄りかかったまま俯いていたら、そんな私を見かねたのか。タイちゃんが突然椅子から立ち上がり、お箸をたんっと音を立ててテーブルに置いた。その音がやけに響いて、私は思わずはっとする。はっとしている私を見ながら、タイちゃんはツカツカと音でもしそうな勢いでそばに来た。
実際は、家の中だし。靴をはいてるわけじゃないし。そもそも靴下だし。ツカツカなんていう音が鳴ることはないのだけれど、なんていうか、そのくらい威圧感のある態度なんだ。ダラダラ、ウジウジといつまでも返事を先延ばしにしているしまりのない私の態度に、さすがのタイちゃんもいい加減イラッとしたのかもしれない。
そうか。だから能面なんだ。
目の前に立たれ、無表情なのに威圧的な能面顔でジッと見られると、今にも雷が落っこちてきそうで胃の辺りが冷えていく。
「じゃあさ」
私よりも身長の高いタイちゃんが目の前に立つと、まるで壁みたいだ。本物の壁とタイちゃん壁にはさまれて、頭の上から降ってきた声に、雷が落ちてくるとばかりに私は首をすくめた。
「誰だったら、想像できんの?」
雷は落っこちてこなかったけれど、そおっと上目遣いに目の前のタイちゃんを見上げればとても真面目な顔していた。
「……え」
誰って……。
問われた質問に恐怖なのかなんなのか、心臓がドクドクと大きな音を立て始める。
「さっきの篠田とかいう先輩とか?」
相変わらず無表情のまま抑揚なく訊ねられると、今度は顔が引き攣ってくる。
今までタイちゃんに怒られた事なんかないし。考えてみたら、私が一方的に文句を言う事はあっても、喧嘩だってしたことなんかない。タイちゃんが怒っているのを見たことがないから、未知の領域に余計タジタジだ。
「し、篠田先輩は、確かに想像し易いけど……」
しどろもどろで応えると、更に質問をぶつけてくる。
「じゃあ。会議室に連れ込んだ、瀬戸とかいうやつならどうなの?」
訊ねる声が低くて、親に叱られた小さな子供みたいに私はビクビクとしてしまう。
答えられずにいると、壁によりかかる私の背後に向かってタイちゃんがダンッと手をついた。
ひっ! か、壁ドン?!
う、うそ……でしょ。
予期せぬシチュエーションに、私の体はカチンコチンに固まる。
「こんな風にされたら、ドキドキすんの?」
タイちゃんらしからぬ片方の口角を少し上げた意地悪な顔が、私の顔の至近距離に来た。
「な……」
何言ってんのよ。という言葉が声にならない。いつものような突っ込みが出来なくて、調子が狂う。というよりも、体が固まって銅像のようだ。頭が真っ白になっていく。
「葵さん」
タイちゃんが囁くように私の名前を呼んだ。
「俺と想像してみてよ」
そんな風に言う目の前のタイちゃんが、さっきとは全く違う顔つきになった。恍惚とした目が私を見つめ、囁く声が吐息と共に降りかかる。怒った顔も見たことないけど、こんな顔だって見たことない。なんだか別の人みたいに見えてきた。
そうか、この人はタイちゃんじゃないんだ。今目の前にいるのは、きっとタイちゃんじゃない。
私の知っているタイちゃんじゃ……。
これを現実逃避というのだろう。けれど、現実逃避したところで現状は変わらない。というよりも、タイちゃんの顔が刻一刻と近づいてきている。少し首をかしげて距離を縮めてくるこのしぐさは、どう考えてもキス以外にありえない。
ああ、ご無沙汰だ。
って、そうじゃなくて。
タイちゃんと、キス?! 私が?!
どんなに驚いても。どんなにありえなくても。タイちゃんの唇は容赦なく近づいてくる。
長い睫と切れ長の目が僅かに震えている。通った鼻筋とシュッとした顎。けして不細工じゃない。いや、寧ろ整っているほうだと思う。
顔の横につかれたタイちゃんの大きな手は、私を逃がさないように囲っている。そんなタイちゃんが距離を縮めてくることに、私は白旗を揚げた。
もう無理だ。吐息が近い。近すぎる。うまい冗談も浮んでこないし、大きなタイちゃんの体を押しのけて逃げることも出来ない。
俯き加減でぎゅっと目を瞑っていると、耳元に囁かれた。
「好きだよ……葵さん」
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