第32話 黄昏てんの? 2

 冷静になった瀬戸君は一つ息を吐き、とても可愛そうな子を見るような目で私を見る。

 拾ってあげられない捨て猫でも見るみたいなその目、やめてよ~。

 瀬戸君からの可哀相な奴的な視線のせいで、心に隙間風が吹き始めようとしたところで、「ちょっと来い」と私はフロアから連れ出された。

 半ば強引に手をとられ、ズルズルと空いている小さな会議室へと連れてこられる。

 パタリと会議室の軽いドアが閉まり対峙すると、いいか、よく聞けよ。というように誰もいない室内で瀬戸君が私の肘辺りを掴む。

「西崎。篠田先輩のことは、やめておけ」

 こんなところまで連れ出して、何を話すのかと思えば。いきなり何を言ってるの?

 しかも、私が逃げ出したりしないように、腕を掴んでいるみたいじゃない。

 罵ることを突然やめた瀬戸君は、仕事とは無関係な篠田先輩とのことで忠告をする。

 なんなのよこの話の急変は。思わず呆れてしまった。

 諭すみたいな顔をしているけれど、瀬戸君じゃあブッタにはなれないよ。悟りを開くには、まだまだ修行が足りないでしょうよ。針山の上にでもしばらく胡坐をかいて精神統一してきたら?

 だいたい、どうして瀬戸君に篠田先輩とのことを口出しされなくちゃなんないのよ。

 掴まれたままの腕を気にしつつも、強気で言い返した。

「関係ないでしょ」

 憤慨した私に言い返えされると、僅かに動揺した瀬戸君だったけれど、それでも掴んだ手は解かれない。

「先輩。女関係でいい噂ないぞ」

 え? なにそれ。その噂、どこ情報?

 そんなこと、今まで聞いたことないし。それをなんで瀬戸君が知ってんのよ。

 噂になんて無頓着そうな顔をしている瀬戸君からの情報に、馬鹿らしいと思いつつも動揺は隠し切れない。だって、あのできすぎ君ばりのイケてる先輩に、よからぬ噂なんて信じられるはずがない。

 それでも僅かに疑念を抱いて驚き、思わず「嘘でしょ」と言う言葉が漏れ出た。

 そんな私に、瀬戸君は見たこともないような真面目腐った顔のままで「本当だ」と一度頷いた。

「西崎は、関らないほうがいい」

 短く言って黙り込む瀬戸君を見れば、満更嘘とは言い切れない噂なのだと思わざるを得ない。

 そんな……。

「西崎はいつもフラフラしすぎで、こっちがヒヤヒヤすんだよ」

 しばらく黙っていた瀬戸君は、ショックを受けて黙り込んでしまった私へいつも通りの口調で話しかける。ただ、いつもみたいに嫌味タラタラで攻撃的な口調とは少し違っていた。掴んでいた手を解くと、そっと私の左肩に手を置き、俯く私の顔を心配そうに覗き込んでくる。

「先輩がかっこいいのは、わかるよ。仕事だってできるし、営業の花形だからな。けどさ、傷つくのわかってて、見てらんないんだよ……」

 いつもとは違う、とても切ない瀬戸君の表情は、本気で私を心配してくれているのがよくわかる。けれど、私はその言葉に素直に頷くことができなかった。

 いつも優しいあの先輩と黒い噂は、どこをどう頑張って考えても、結びつかない。

「篠田先輩の事は、やめておけ。西崎の手には、負えないからな。西崎に、もしも何かあったら、俺は――――……」

 最後は尻切れ蜻蛉で何をいってるのか聞き取れなかったけれど、私の目をのぞき込んでいた瀬戸君の顔が離れていき、肩に置かれていた手は名残惜しそうに離れていった。

 篠田先輩の忠告を教えてくれた瀬戸君は、私に背を向け会議室を出て行く。

 ドアが閉まる間際、何か言いたげに一度立ち止まってこちらを見たけれど、結局それ以上何も言わないまま、会議室の軽いドアがまたパタリと閉まった。

 取り残された会議室で、瀬戸君が触れた肘や肩の感触に意識が向く。

 真剣な面持ちで、私に忠告してくれた瀬戸君。その彼が触れた肩に残る感触は、どこか幻みたいで現実味がない。いつもツンツンしているのに、急にあんな顔して心配してくるほうが、先輩の黒い噂よりも私には衝撃的だった。

 どうして急にあんな態度してくるのよ……。このあと、瀬戸君にどんな顔をすればいいのか判らなくなるよ。

 しばらく会議室で悩んでいたら、どんな時にも正直なお腹が鳴りはじめた。時間をみて見れば、ランチタイムじゃないの。考えてもわからない事は、しばらく棚置きで。

 お腹を満たせば、頭も働きだすだろう。


 財布片手にフロアを出ると、エレベーターに乗り込む先輩の後ろ姿を発見。

 瀬戸君から聞いた黒い噂のことは気になったけれど、いつも通りに声をかけようと一歩踏み出したら、壁バンの橋本さも一緒だった。

 慌てて踵を返し、二人がエレベーターに乗るのをこそこそと影から見送る。

 先にエレベーターに乗り込んだ篠田先輩の直ぐあとに続いて橋本さんが乗った。そして、ドアが閉まる直前、橋本さんの手が先輩の腕に絡みつくのを私は見逃さなかったんだ。

 わぁおっ。先輩が橋本さんに捕まった。もしかして、中で壁バンされてるんじゃ。大丈夫かな、先輩。

 心配をしたところで、助けられるはずもない。私なんかが行っても、返り討ちにあうのが落ちだろう。だって、橋本さんてば怖いもん。

 ブルブルと身震いをしてから、次のエレベーターを待つ。やってきたエレベーターで一階におりて外に出ると、二人の姿は既にどこにも見当たらなくて、ホッとしたようなそうじゃないような。なんて言うか、橋本さんには会いたくないけど、二人の行動は気になるみたいな。ワイドショーを観てるおばちゃんみたいなもんよね。アイドルの女性関係を知りたがる的な。好奇心旺盛というか、恐いもの見たさというか。

 だけど、二人を見失って好奇心は行方を見失う。それよりも、グーッと催促するお腹を満たしてやらなくては。

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