第22話 ドキドキが再び 2
「どうぞ」
静かな店内のテーブルに、淹れたてのコーヒーが置かれて香りが広がる。懐かしい思い出に浸りながら一口飲めば、美味しさに自然と息がもれた。
「今日も美味しいですね」
「ありがとうございます」
お礼を言う木山さんは、あの時と同じように嬉しそうだ。
「木山さんが笑うと、ほっとして。なんだか幸せな気持ちになります」
向かい側に座って同じようにコーヒーを口にした木山さんが、少し驚いた顔をしている。
「忙しない日常に、安らぎをもらえるっていうか」
そう付け加えると、「なんだか照れくさいですね」と笑った。
「私が木山さんにドレッシングのこと、美味しいです。って言った時のこと、憶えてますか?」
「もちろんです。西崎さん、力一杯褒めてくれて、サラダのお代わりしましたよね」
あ、そうだった。あんまり美味しくて、ついもっと食べたいと思ったんだよね。お代わりしたことをすっかり忘れていて、言い出したのは自分なのに恥ずかしい。
「あんな風に美味しい、と言ってもらえるのは本当に嬉しいので、忘れられるわけがないです」
憶えてくれていてよかった。木山さんじゃないけれど、誰かからありがとうといわれるのは嬉しい。
「あれからですよね。少しずつ話すようになったの」
「そうですね。西崎さんがとても気さくな方なので、僕の方がつい話しこんでしまうくらいです」
「だって、木山さん。とても話しかけ易くて。営業中に迷惑かな、とも思うんですけど、これまたつい」
てへへ。という具合に笑って肩を竦めると、嬉しいです。とコーヒーのカップに手を添えて私を見る。それから一呼吸置くように息を吸って吐き出し、一度カップを見たあと木山さんは顔を上げて私を見た。
「さっき、西崎さんが妹ならっていいましたけれど。……あれ、嘘です」
「え?」
話が突然かわって、私は首をかしげた。どうやら和食のお店でした、兄弟の話にまで戻ったみたいだ。
「西崎さんのような妹がいたらいい、とは本当に思うんです。だけど僕は、いつもそばで笑ってくれて、僕の作る料理をいつだって美味しいって食べてくれて、寄り添うようにそばにいて欲しい。だから、妹じゃ困るんです」
いつになく力説する木山さんの、見つめる視線が熱い。さっき食事をしながら感じた時と同じ、あの甘く熱い眼差しだ。
木山さんの言ってる意味が、理解できないわけじゃない。私が相当に鈍感じゃなければ、これってそういう意味だよね?
さっき妄想したアニメに出てくるような妖精たちが、頬を染めながら騒ぎ、興味津々のこびとたちが、はやし立てるようにしながらもこっそり物陰から見ている気がする。もしも不意をつくように背後を振り向いたなら、逃げ出す妖精やこびとがキラキラの光を置き忘れて、そこら中仄かに輝いているんじゃないだろうか。
「……えっと」
解っていても、どう返したらいいのかわからず言葉に詰まる。口の中がカラッカラに渇いていくけど、この雰囲気の中でコーヒーを口へと運ぶことが出来ない。和食の個室で鳴り響いた心臓がまた騒ぎ出していることに動揺するばかりで、言葉は何一つ出てこなかった。
何も言えずに固まってしまった私を見て、木山さんが困ったような顔をした。けれど、動揺している私には、気のきいた言葉なんて一つも浮かんでこない。寧ろ、私がパニックなのだから。
止まった時間を動かすように、木山さんがさっきとは違う感じで少しだけ息をつき、力を抜いたように言葉にした。
「西崎さん。僕とお付き合いしてくれませんか?」
伝えられた言葉に、心臓が一瞬止まった気がした。
そんな気はしていた。多分。いや、きっとそうなんじゃないかとは思っていた。けれど、実際言葉に出して伝えられてしまうと、慌てふためくばかりでパニック状態は益々加速していく。しまいには、まさかの営業トーク……じゃ……ないよね? なんて、どう考えてもありえないことを思いついたりした。
カラッカラに乾いた口の中はいい加減引っ付きそうになり、何か言葉を思いついたとしても容易に口から出てきそうにない。
何をどうしたらいいのか解らなかった。真剣な眼差しで気持ちを伝えてくれた目の前にいる木山さんが、いつもとは別人みたいに見えてきちゃった。
木山さんの料理は、確かにいつも美味しい。ドレッシングには、絶賛だってした。ランチには、忙しいのを解っていてくだらないことを話しかけたりもした。癒しの塊りみたいで、近くに居たらきっとほっとする。
だけど、えっと……そのぉ。
どうしたらいいの、タイちゃん?!
この場面で、なぜだかタイちゃんに助けを求めてしまう。けれど、あの飄々としていて、何も気に止めていないような態度や顔つきを思い出すと、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「急すぎて、わけが解らないですよね」
混乱している私の心情を察するように、木山さんがこめかみの辺りに触れるような、ぽりぽりとかく仕草をした。
「いつもと違う雰囲気に、ちょっと舞い上がりすぎました」
自分で口にしたことに照れてしまったのか、木山さんが俯き加減で口角を上げた。
「西崎さんが一緒に食事をしてくれたことで、少し気が大きくなっていたみたいです。すみません」
「いえいえっ。とんでもないっ」
謝られて、慌ててしまった。返した言葉はカサカサで、恥ずかしいし申し訳ない。
自分の不甲斐なさに肩を落としていると、木山さんが顔を上げて笑みを浮かべてくれる。
「時間。遅くなってしまって、すみません。お送りしますね」
「いえいえ、そんな。まだ電車が動いてますから、大丈夫ですっ」
慌てすぎて、思わずきっぱり断ってしまった。
「そうですか……」
そう返された表情が、なんだか淋しげに見える。
女子力が高い人なら、ここで送ってもらったりするのだろうか。いや、でも。こんな雰囲気で送ってもらっても、会話がうまく出来そうにないし。沈黙が辛くなりそうだから、今日はやっぱり一人で帰るのが正解だよね。
「今日は、その。色々とありがとうございました」
お店の前で、未だどういっていいものか解らずに頭を下げると、こちらこそ。なんて、気を遣ったように返される始末。
もう、私ダメダメじゃん。
「明日も、お仕事早いんですよね? 頑張ってください」
ランチの仕込みがあるだろうと、そんなことしか思いつかない私。なんて気が利かないんだ。
「ランチ、またきてくださいね」
「はい。もちろんです」
「それから、さっきのことですが……」
木山さんが躊躇いを見せる。
「考えて、いただけますか?」
「は……はいっ」
区切るようにして問われた言葉に、声が裏返る。喉の渇きはまだ癒えていない。
「よかった」
ほっとしたようにニコリと表情を崩す木山さんへ向けた私の表情は、対照的にカチンコチンだった。余りの衝撃に、うまく笑顔を作れない。
「では、また」
ぺこぺこと頭を下げて、後ずさりするみたいに去って行くそんな私を、木山さんはいつまでも見送っていた。
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