第10話「パンデミックですか?」
まだまだ寒い2月の中旬のある日。
また、おなじみの連絡が来たのです。
しかし、それはサーバーからではなく、ユーザーから訪れました。
――プルルルル……
「はい、ヘルプデスクです」
〈――ウィルスにやられた!〉
電話を取ったとたん、夢子の耳を断末魔のような声がつんざきました。
思わず受話器を一度離してから、夢子は応対を続けます。
「ええっと。まず、どちらさまですか?」
画面にサポートコードは表示されていますが、本人確認は必要です。
〈オレだよ、オレオレ!〉
「ああ、詐欺ですか?」
〈ちげーよ! ほら、北村だよ、配送管理部の! わかるだろう!〉
「……話したこと、ありましたっけ?」
〈え? ないと思うけど。ってか、あんた誰だよ?〉
「…………」
電話を切りそうになるのをぐっと我慢の夢子です。
ここで電話を切ると、皆藤にまた頭をはたかれます。
別に痛くなるほどはたかれるわけではないし、むしろ親愛の情まで感じる気がするので、それ自体は構わないのです。
が、そのあとに悠がうらやましそうに、にらんでくるのがうっとうしいのです。
「それでウィルスについてですが……」
その夢子の言葉を聞いていた皆藤が、すばやくヘッドセットを耳に当ててモニターし始めます。
マルウェア関係のトラブルは、リスクが高いので対処のプライオリティが高いのです。
なにかあれば、みんなで急いで動かなければなりません。
皆藤がうなずくのが見えたので、夢子も続きを話し始めます。
「えーっと、こちらに通知は来ていないのですが、ネットワークはつながったままですか?」
〈おう!〉
「……おかしいですね。こちらでは警告が確認できません。そちらになにかメッセージが書かれたダイアログボックスでもでましたか?」
〈ダイ○ブロックなんてでねーよ!〉
「……まあ、そうでしょうね」
でたら、メーカーの【カ○ダ】からクレームがくるかもしれません。
〈でも、まちがいなくウィルスだ! 朝から調子がおかしかったんだが、今はほら……なんだっけ? ……ああ、そうだ! 熱暴走ってやつだ。やばいぐらい熱い!〉
「それはウィルスではなく、なにか重い処理とか動かしているのではないのですか?」
〈なんもやってなくても熱くなってんだよ! それに、これはまちがいなくウィルスだと思うぜ!〉
「……その根拠は?」
〈昨日の帰り、商品開発部の塚本からのメールを開いたんだ。あいつウィルス持ちのくせに、エロサイトのアドレスを送ってきやがって……。それを開いてから調子がおかしいんだから!〉
「開いたんですか、エロサイト……」
〈ああ! もちろん、開い…………ゴホンッ! とにかくあいつのメールのせいだ!〉
仕事に関係ないサイトを見るなと怒りたいところですが、今はまずウィルス対策です。
夢子はパソコンのステータスをモニターで確認します。
「……うーん。塚本さんのパソコンからもウィルス告知は出ていませんね。それに、北村さんのパソコンもステータス見る限りは正常に見えますが……」
〈ぜってー、感染したんだって! だって、41度もあるんだぜ!〉
微妙な温度を言われて、夢子ははたと止まります。
例えばCPU温度だとすれば、決して高い温度ではありません。
「……41度?」
〈おお!〉
「……なにが?」
〈熱!〉
「……誰の?」
〈オレだよ、オレオレ!〉
「……えーっと、オレオレ詐欺さん」
〈北村だろうが!〉
「……元気ですね?」
〈高熱だと言ってるだろうが!〉
でも、元気です。
「もしかして……塚本さんは病気だった?」
〈そう言ってるだろうが!〉
言っていませんね。
〈あいつは、インフルエンザだよ、インフル。パソコンからネットを通じて、コンピュータウィルスになって、その菌がオレに感染したに違いないんだ!〉
「…………」
確かに昔はそういう勘違いをしている人がいましたが、未だにいるとは夢子も驚きを隠せません。
驚き過ぎて、少し頭がクラクラしてしまいます。
「……北村さんは塚本さんと最近、直接会ったりしましたか?」
〈……おお。三日前ぐらいに一緒に飯を食ったぞ〉
「そうですか。ならば、ヘルプデスクから言える人はひとつです」
〈なんだ? なんでも言ってくれ!〉
「わかりました。では…………とっとと医者に行かんかああぁぁ、バッカモーン!!!!」
――ガシャン!
夢子は電話をたたき切りました。
「…………」
ついつい、やってしまってから、夢子は恐る恐る皆藤の顔をうかがい見ます。
するといつもの無表情で、皆藤が口を開きました。
「……電話越しに、バカが感染しませんでしたか?」
「……皆藤さんも、けっこうきついですね……」
すわマルウェアかと構えていた皆藤も、少々苛立っていたようでした。
――翌日。
なんと、夢子は高熱を出して会社を休みました。
しばらくしたら、インフルエンザと診断されました。
その後、ヘルプデスクに「コンピューターウィルス」に関する新説が、しばらくの間、まことしやかに噂されたそうです。
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■用語説明
●「オレだよ、オレオレ!」
最近はもう少し巧妙ですね。
●ダイアログボックス
パソコン操作中に、メッセージを表示したり、選択肢を表示したりする、ボックス上の表示です。
たまに最前面を占拠して後ろを隠す独占欲の強いのがいたり、表示されたのに最背面に隠れる照れ屋なのがいたりします。
●ダイ○ブロック
今の子はレゴなんでしょうか。
●熱暴走
「熱望想」と書くとかっこいいので、歌詞に使ったことがあります。
●「開いたんですか、エロサイト……」
会社のパソコンで開くのはやめましょう。
●「41度もあるんだぜ」
パソコンの脳みそはもっと熱くなれます。
●「パソコンからネットを通じて、コンピュータウィルスになって、その菌がオレに感染」
冗談ではなく、Windows95/98などの時代には本気で信じている人がいました。
ニュースにもなったぐらいです。
私もお客様に、「コンピューターウィルスって人間にうつるんでしょう?」と真顔で質問されたことがあります。
それも何人かに……。
●少し頭がクラクラ
すでに病状が?
●新説がしばらく噂
もちろん、コンピュータウィルスは人間に感染しませんが、それよりも恐ろしいのは、デマ等の困った情報がネット経由で感染することかもしれません。
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