第三章-5
重たい足取りで一行は生徒会室へと戻って来た。
その中でも特に疲労の色を露わにしているのは綾香だった。特別に何かをしていたわけではない。それにも関わらず、動かしている脚は楔を巻き付けたかのように重く、胸中には重たい何かが沈殿し、不快な感情が満ちていた。
綾香は心も身体も共に疲弊していた。
そんな綾香の姿を心配して愛美が声を掛けるが、おざなりな返事が返ってくるばかりで、疲労はかなりの物のようだった。
「篠宮さんも辛そうだし、時間も時間だから手短に終わらせようか」
刹にそう言われて、綾香は失われていた時間間隔を取り戻そうと、壁に掛けられている時計を確かめて、小さく驚いた。
時刻は十一時を過ぎていた。
長くても精々二十分程度の経過だと予想していたが、最後に生徒会室を出てから一時間も経っていた。
そんな一時の驚きも、心身を襲う疲労の前ではすぐさまどうでもよくなり、綾香は何よりも休息を求めていた。
「先ほどの出来事で憶測がある程度確証に変わったけれど、語りだすと長くなってしまうから明日に回すとしようか」
刹なりに気を使った提案。しかし、自ら巻き込まれることを選んだ綾香をこの境遇から逃すなどと言う選択肢はなく、端からそんなつもりもなかった。
「では、明日の放課後に生徒会室に集まって欲しいんだ。僕から伝えるべきことは以上だけれども、誰か何か言うことがあったりする人はいるかい? いないようなら解散だね」
そして、解散を促すかのような無言が続いた。
「それでは、今日の所はこれで終わりだね。みんなお疲れ様」
そう言って刹は今日の活動の終わりを告げた。
綾香はずっと張りつめていた緊張の糸がようやくほぐれたような気がした。
「帰ろうか、あやちん」
そして愛美に手を引かれ、重たい足取りで生徒会室を後にし、輪郭すらも闇の中へと混ざり溶け合ってしまいそうな廊下を進み、階段を下り、ようやく校舎の外へと出た。
身体を包んでいた空気は、停滞していた闇から乾いた夜気へと変化した。
肺に流れ込んで来る、心地よい冷たい空気。
狂わされた現実を、今の気持ちを振り払ってくれそうな気がして、綾香は一つ深呼吸をしてみたが、身体には何も変化は起こらなかった。むしろ、疲労の原因となった非常識の存在を思い返してしまい、より気持ちが重たくなった。
愛美は大丈夫なのだろうか、と思い綾香は手を繋いでいる愛美を見上げた。
丁度重なる二人の視線。
愛美はどう反応すればいいのかわからず、何とも言えない微笑みを浮かべる。
綾香は今まで見たことのない愛美の姿を思い出し、困惑から表情が硬かった。
今まで見たことのない綾香の表情を見てしまい、愛美はどうにか作っていた微笑みが剥がれそうになった。
それもこれも全ては自身の不甲斐なさによる所だ。
『私にもっと力があれば、〝万屋〟の規則を無視して、一人で対処できていたかもしれない。そうしていれば、あやちんにこんな思いをさせなくて済んだのに』
誰に聞かせるつもりもない、愛美の胸中での独り言。
愛美は自分一人でこの物語を片付けることは、土台無理だと理解していた。自分にできることは襲い来る敵を斬り伏せるだけで、刹のような思慮深さが無ければ、深琴のような手腕もない。
大切な友人を救うために、別の友人を苦しめる。
この現状は愛美の心を二重に傷つけた。
手の届く範囲に居た大切な人たちを、誰ひとりとして護れていない自身の無力さを呪った、恨んだ、悲しかった。そして何よりも情けなかった。
愛美は悔しさから歯噛みし、綾香と繋いでいる手にも自然と力が入ってしまう。
幾ら自責したところで、この現状は覆らない。それなら自分にできることは、これから先に起こる結果を少しでもいい方向へと導く為の努力をしよう、と愛美は決心する。
薄弱な希望の綱渡りを制し、絶望のるつぼである地の底を見下してやるんだ。どちらかではない、どちらも手に入れる。そうしなくちゃならないんだ。
愛美はそう自分に言い聞かせ、決意を強固な物へと変えて行く。何者にも打ち砕かれないような、絶対の意思とするために。
静かな夜、綾香の手を引きながら愛美は心に刻みつけた。
もう、何も失わない為に。
自分を殺す覚悟をする。
手の届く範囲でいい。
小さな世界でいい。
それだけは護る。
鋼の決意へと。
変化させる。
自分の為。
友の為。
一つ。
護。
。
…………
……………………
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