06 花見に行きたい?
「そういえば花見、ないの?」
妻にそう訊かれてぼくは首を傾げた。
妻の言葉の意味や意図がわからなかった訳ではない。わかった上で、だ。
今の今まで職場の話をぽつりぽつりとしていたから、唐突だったけれどもぼくの職場での花見の有無についてだろうというのは容易に知れた。けれど、
「……そういえば、知らない」
怪訝そうな妻の顔を見つめてそう応えてから、ぼくはふと上を見る。
――ぼくは今、近所の桜並木の下を妻と二人で散歩している。
頭上の枝々はまだまだ硬いピンク色。三分咲きから五分咲きといったところか。次の週末には甘い桜色になって目を楽しませてくれそうだ。
「ないってことはないでしょ?」
妻の問いにぼくは視線を下ろす。
「うん……たぶん、ね」
ぼくの職場の人たちはそういうのが好きだった。
近所の神社のお祭りにまで繰り出して騒ぐくらいだから、まさか花見を放置しておくとは思えない。
突然週末花見が入ったなんていうのはいやだからね、と口調ばかり厳しく、一方でするっと腕を絡ませながら言う妻にぼくは笑顔でうなずいた。
しかし、本当に花見の「は」の字も聞かないな、と内心ではもしかして自分だけ知らされていないのではなどと不安に思いながら。
それが杞憂だったと知ったのは翌日のことだった。
係内で一番そういうことに通じていそうな小寺さんにそれとなく花見のことを訊くと、小寺さんは、花見ね、と形の良い眉をハの字にして言った。
「うん、五年か六年か前まではどこの課も総力を挙げて花見をやっていたんだけどね、今はなくなったんだ」
「なくなった?」
時流というかなんというか職場でイベントをするなんていうのははやらないのだろうかなどと、去年の秋にみんなで秋祭りに繰り出したことも忘れて自然消滅説を思い浮かべたけれども、すぐに打ち消された。
「ていうか自粛ってヤツ」
「自粛?」
頷いた小寺さんは、なぜか少し意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「ある年を境に内々ではあるけれど局長命令で花見禁止令が出されたという辺りでいろいろ察して? って話だよ」
と言われても想像力が豊かでないぼくの脳内は、局長命令ばかりが上滑りしていく。
それを見て取ったのか、小寺さんは苦笑いと呼ぶにふさわしい笑みを浮かべた。
「田実君、カタギではないけれども人間と四つに組む宮本を見た局長の気持ち、想像つく?」
刹那、脳裏をよぎるのは想像を絶するギリギリのラインの光景。
「つかないけれど、つきます」
即答する。というか即答するより他にない。
「ちなみにね、課内旅行も似たような理由でなくなっちゃってるから」
続けてそう言った小寺さんの顔は最早笑っていなくて――ぼくは少しばかり本庁が恋しくなった。
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