12月 年末狂詩曲(4)

「乾杯!」

 水道局営業課の忘年会は、収納係にとっては停水期間最終日の夜八時から、局の傍にある宴会場の和室の大広間にて、行平課長の乾杯の音頭で始まった。

 この忘年会を境に年末の後半戦が始まる。収納係に限って言えば、怒涛の停水期間が終わり、明日からは開栓に追われるとわかっているものの、一区切りはついたと、皆、それなりに晴れやかな顔をしていた。が、そのなかで田実は少し浮かない、というよりは若干困惑の面持ちでそこにいた。

 職場の飲み会と聞いて脳裏に浮かぶのは五月の悪夢。もっとも、説明不能なヤル気に満ちあふれていた五月の飲み会の数々とは異なり、今は和やかな雰囲気だった。が、それでも何かあるのではという疑念を捨てきれずにいる。

 その原因は――

「田実君、起きていますか」

 声を掛けられ田実は顔を上げる。

 どうやら真剣に思い悩むうちビールが半分より少し少ないくらいに入ったグラスを手にしたまま俯いた格好になっていたらしい。

「お、起きています、すみません」

「咎めるつもりもありませんし、謝らなくてもいいですよ」

 声を掛けてきた山木は、無表情にそう言ってテーブルのグラスを手に取り、

「ひょっとして佃さんと組まされたことが、まだ引っかかっているのですか」

 と、疑念の元凶を淡々と貫いてきた。

 ほぼ佃と二人で過ごした停水期間。

 佃は「ほとんど休暇みたいなもんだぞ」と言っていたが、実際はやはり停水期間が短かった分、格段にいそがしかった。昼食時も庁舎に戻るひまがなかったくらいだ。

 けれども、その一方で田実は、「休暇」の意味をおぼろげに察していた。

 この三日間、田実は一度も未確認生物と出遭わなかった――「休暇」というのはそのことなのではないか。

 毎月の停水リストには確実に三世帯以上のマルキ世帯が存在し、停水期間中に一度も未確認生物に出遭わないということはまずあり得ない。

 まして特殊型止水栓キーの使用者と認定されてしまった以上、相方が誰であろうと宛がわれるのは確実だと、そう思っていた。そうでなければ他の停水班の面々に迷惑をかけることになる。

 とはいえ、「佃と田実」という組み合わせにマルキ世帯を任せるのは、やはりあまりに無謀。終わってしまえば回ってこなかったのも当然と言える。

 だが、そもそもどうして田実と佃という組み合わせになったのか。

 ――きっと何かある。

「山木さん……、この忘年会、本当に普通の忘年会なんですか……?」

 かすかに眉をひそめた山木が訝しげに頷く。

「普通だと思いますが」

「実は罠とか――」

 忘年会。忘年会といえば一発芸。

 世の中には色々な一発芸があるが、特殊型止水栓キーを使用してあり得ない力を引き出すのもまた一発芸なのではないか。

 特に田実の引き出した力は、未確認生物を文字通り処理してしまう市川や浦崎の力とは違い、限りなく人畜無害な膜。

 とにかくまだ一度しか使ったことがなく、肝心の発動ポイントが田実自身にもわからない能力だ。

 たとえば「どんな衝撃を与えたら田実はその能力を発動させるのか」と試して賭けさせるというゲームなどもやろうと思えばきっとできる。

 今回の停水期間中、田実と佃のコンビに未確認生物が割り振られなかったのも、今日この忘年会のための布石だったとしたらどうか。

 今回の停水期間中に使うようなことになったら発動条件が固定される可能性がある。そうならないように、総務課労務係の指導すら逆手にとり、あえて佃と組ませて未確認生物に遭わないように計画を立てて着々と準備を――

「――いや、田実君、どうしてそれほどまでに激しい被害妄想に囚われているのですか」

 不安をぼそぼそと口にすると、山木は銀縁眼鏡のブリッジを左手の中指でなぞるように押し上げながらそう言った。無表情さは変わらず、淡々と。だが、そのあとに続いたのは溜息とわかる息遣い。たぶん、呆れている。

「ち、違うんですか? 本当に?」

 おそらく違うのだろうが、しかし、よくよく思い出すまでもなく山木は結構な策士だ。

 そんな問いに対し、山木は不機嫌になるでもなく頷いた。

「今、貴方の話を聞いて、なるほどそういうゲームもできたのだなと思ったくらいです。忘年会幹事の夏秋君の前でそれを話していたらおそらく採用されていましたよ――むしろ今からでも提案してみますか」

「わ! いや、結構です」

 膝を立てて立ち上がる素振りを見せた山木の腕を慌てて掴んで引き留める。

「そうですか、面白そうだと思ったのですけれども」

 冗談なのか本気なのか、ポーカーフェイスもはなはだしい顔からはうかがえないので怖い。

 話題が忘年会から離れない限り、身の危険を払拭できなそうな気がして切り出す。

「ぼ、ぼくの不安が丸っきり杞憂だったというのはわかりました。わかりましたけど……、どうしてぼくは佃さんと組むことになったのですか」

 実は昨日も一度訊いた。

 その時は、何かありましたか? と眉をひそめられ、とはいえ特に何もなかったため、もごもごと言葉を濁し、退散した。

「……佃さんと組ませた理由ですか」

 山木はそう呟くように言って座りなおし、田実から視線を外した。

 飛び切り面倒なのか、それとも恐ろしく下らない内容なのか、しばらく黙ったまま三分の二ほど残っていたビールを飲み干し、なめらかな所作でグラスを置く。

 そうして田実が傍にあったビール瓶の首を掴んで、グラスを液体で満たすのを眺め、再びグラスを握ったものの、今度はそれを口に運ぶことなく、――まず一つ言っておきたいのですが、と、こちらに届くか届かないかの小さな声で言った。

「貴方と佃さんを組ませるというのは私の発案ではありません。私は宮本さんにするつもりでいました」

 視線はグラスに向けられている。傍から見たら話をしているようには見えないだろう。どうやら聴かれたくない話らしい。

 とりあえず田実も山木から視線をそらし、それとなく目の前のキャベツのざく切りを箸でつまんで口に運び、耳を傾ける。

「――貴方と宮本さんでならば労務係の出してきた条件に当てはまる上、仕事の効率も損ないません。誰が考えてもそういう結論に達すると思うのですが、そこで佃さんから待ったがかかりました」

 ――ボーヤと組ませろ。あ? マルキ? そんなんこっちに回さなきゃいいだけじゃあねえか。

「マルキが回ってこないように仕向けたのはもしかして佃さん本人なんですか?」

「ええ」

「どうしてなんでしょう……?」

「単なるわがままですよ」

「……わがまま」

「ええ」

 さり気ない仕草で田実を一瞥した山木は、グラスの半分ほどを一気に空かせ、息をついて言う。

「――まず、冬の未確認生物は外気温と体温の関係から、ほ乳類を元にしたようなものが多いというのは承知していることと思いますが、佃さんはそれらを宮本さんが処理するのを見るのが好きではありません。正直に言いますと私も好きではないので気持ちはわかります」

 その気持ちは田実にもよくわかった。というより、たとえ相撲や格闘技の類が好きだとしても、生物と呼ぶのもためらわれるほどのおぞましい“もの”と、“それ”に爛々と目を輝かせて挑みかかっていく男の取っ組み合いを見たいと思う人間などそうはいないだろう。好奇心に駆られて見ても、ほぼ間違いなく後悔すること請け合いだ。

 だが、

「でも、それなら市川さんでいいんじゃあないですか……?」

 市川なら未確認生物と四つに組むことはない。

 山木は小さく首を横に振った。

「佃さんがおっしゃるには、動物に近い身体を持っている未確認生物が火炎放射を浴びて焼死するところを目の当たりにするのはそれ以上に嫌だそうです」

「……なるほど」

 その気持ちもよくわかった。

 実際、田実は何度もそれを目の当たりにしてきて、仕方のないことだと受け入れてはきたが、慣れたとは言えない。見た目もそうだが、その臭いも。

 蛋白質の焼ける臭いもたいがいだが、ものによってはそれに加えてしゃれにならない刺激臭を発することがある。

 それでも田実たちは停水すれば終わりだが、“飼い主”たちは死骸や臭いをどうしているのだろう、と時々――見るに堪えない焼死体や、とてもではない激臭が残っている時などは思う。

 特に先月、田実が特殊型のキーを使えるようになってからは、このまま使わないならその方がいいと、ある種の思いやりを発揮してか、積極的に未確認生物を焼き殺していたため、ほぼ毎日焼死体を見、激臭を嗅ぐ破目になった。

 そんな臭いの一つを、その時の惨状と併せて思い出し、キャベツに伸ばしかけていた箸を引っ込め、逆の手で皿を押しやった。別にキャベツに連想されることは何もなく、キャベツに罪はないのだが。

「……じゃあ浦崎さんと組んでもらったらよかったのではないですか?」

 代わりにビールを口にしながらそっと訊く。

 浦崎が使うのは水。

 特別悪臭が拡散されるというわけでもなければ、見た目もそこまでひどくはなく、もちろん浦崎自身が化物と四つに組むということもない。

 胃は悪いが人柄は悪くなく、仕事も普通に、むしろそつなくできるタイプだ。

 ――が、

「夏だったらまだしも冬に冷水や氷を飛ばす同僚の傍にはいたくないということでした」

 ああ、わがままだな……、と田実はぬるく笑んだ。

 宮本も、市川も、浦崎もいや――どれも少しずつ気持ちはわからないでもないが、どれか一つくらい我慢してもいいのではないかと思う。

「……大体、ぼくだっていざという時にキーを上手く使えるかどうかわからないのに……」

 あの膜が発動すれば必ず田実自身も相方も守られるだろう。けれどもそれが発動するまでにどれほどの危難を“生贄”にしなければならないのか。

 あの日、倒れた市川を思い出して、完全に視線を落としきった耳に、ほんの少しだけ柔らかな抑揚を持った囁きのような声がするりと入り込んできた。

「心配は無用です」

 ふと見た横顔は先ほどと少しも変わらず無表情だったが、ボリュームは控えめな声が告げたのはやさしい言葉だった。

「今回のことでわかったとは思いますが、私は特殊型が使えるとは言いがたい貴方に難しい仕事を振り分けるようなことはしません。安全第一ですし、そのように配慮するのが私の仕事です。失敗してもよほどのことがない限り何もないのが公務員ですが、かといって後味が悪くない失敗なんてありませんから、これでも相当気を遣っています。勝算がないことは絶対にしませんから」

 そう言ってグラスを傾け、こくりと喉を一度だけ鳴らした山木は、ゆっくりとグラスから口を離し、……でも、と呟いて眉をひそめた。

「その気遣いを逆手に取られてしまったらどうしようもありません」

 ――佃は山木のことを理解した上で、田実を相方に選んだ。

 だが、

「……どうして佃さんのわがままを許したんですか?」

 第一、山木はまだ電算係のサポートをしていて、ほとんど余裕らしい余裕などないはずだ。

 こちらに向き直った山木は、眼鏡の奥のすっと目を細め、田実君、とくいっと口角を笑みの形に吊り上げた。

「仕事をする上で一番大切なことは何か、知っていますか?」

「……え?」

「公私の区別をきちんとつけることですよ」

 明らかに不自然な笑顔でそう言って、再び前に向き直り、何事もなかったかのように、大皿のオードブルを小皿に取り分け食べ始める。

 すっかり元通りの無表情な横顔。

 それをしばらく呆けたように眺めていた田実だったが、ふと見られているような気がしてそちらに目を向けた。

 机を挟んで向かいの列、正面から四人ほど右、上座の方向にいた視線の主は――佃。

 意外と近いところにいたらしい。山木が終始声を潜めていたのは、だからだったのだろう。

 話の内容を知ってか知らずか、目が合うと佃はちらっと肩を竦めて見せるような素振りをして、底意地の悪い笑みを強面に乗せた。

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