7月 技能研の熱い一日(7)

 実技は一時中断のあと、呆気なく再開された。

 もちろん、まったく何事もなかったかのようにというわけではない。

 宮本と怪物が取っ組み合った結果、変に耕され、さらに血糊で汚されてしまった地面は、ならしても元通りにはならなかったし、あの縛鎖の能力を持つ協会職員は負傷のため応急処置を受け、その後の実技には随分と痛々しい姿で臨むことになった。

 けれどもそれくらいだった。

 死んでしまった未確認生物はどこからともなく現れた佐東が一瞬で消してしまった。縛鎖の職員よりも怪我をしていたであろう宮本は、こンくらい舐めとけば治る、と言って笑い飛ばしていた。そして、見学席にいた観客も、この結末を予定調和的に受け入れ、ただひたすらに未確認生物を仕留めた市川を讃えていたのだから。それも、次の第四組目が出てくるまでの間までで、開始を告げる雷管が鳴ると、それこそ何事もなかったような静寂が戻ってきた。

 そんななか田実は独り、四組目が出てくる直前に実技会場をあとにした。

 傍らにいた市川にも宮本にも咎められることなく、真っ直ぐに西部水道企業団の庁舎へと向かう。

 ――市川が声を張り上げたあの時、同じように庁舎に視線をやった田実は、庄野らしき人物を見て留めていた。

 ほんの一瞬。しかし、目が合った。

 庁舎三階の窓。その向こうに、きっと庄野はいる。

 吸い寄せられるように田実はそこを目指した。行ってどうするのかという自問には、あえて答えを出さないまま。

 庁舎のなかは外よりも幾分ひんやりとしていて、そこで初めて自分が汗をかいていることに気付いた。

 足を止め、上着のポケットを探って取り出したハンカチで顔を拭い見ると、土の混ざったような色をした汚れがべっとりと付着していて思わず顔をしかめる。見なかったことにしてハンカチをしまおうとしたが、結局、手にしたまま再び歩き出した。

 一度暑さに気付いてしまうと湧いてくるような汗が気になって仕方なくなる。そうして汚れたハンカチで度々顔を拭いながら、たぶん、あの三階の窓のある場所に一番近いだろう階段を昇っていく。

 その途中、二階と三階の踊り場の窓から外を眺めて確認し、残りを一段飛ばしで昇り、何の変哲もないドア――第二会議室というプレートの掛かった部屋の入口を開け放った。

 ノックくらいするべきだったか、と一瞬後悔したが、求めていた人物が思っていた通りの窓辺にたたずんでいて、こちらに目を向けるなりほんの少しだけ笑ったのを見、ひとまず胸を撫で下ろして呼びかける。

「庄野さん、あの――」

 しかし、何と続けたものか思いあぐねるうち、庄野が口を開いた。

「田実、だったか。すまんかったの。的にしてしもうて。怪我なかったか」

「え、あ、はい、おかげさまで……」

 労わるような声音と表情に完全にのまれてしまい、しどろもどろになって頭を下げる。

 ここは怒るところなのではないのか、とちらりと思ったが、何と言って怒ればいいのかがわからなかった。

 そんな田実に、庄野はただでさえぎょろりと大きな目を一層大きく見開いた。

「何だ? てっきり文句言いにきたとばっかし思ってたんだが」

「え、ええ……」

 そのつもりだったんですけど、と口のなかでもごもご言う。

 もちろん、何てことのないはずの実技で絶体絶命の危機に直面したその原因が庄野の能力にあるというのはわかっていた。だが、それに対して自分が率先して怒りを露にしてもよいのかわからなかった。

 庄野の嫌がらせの目標はあくまで市川だった。その肝心の市川が庄野に対して怒っていたようには思えなかったせいだ。

 実技が終わった直後、庄野に向かって怒鳴っていたものの、おそらく市川はそれ以上に自分自身に対して強く怒っていた。

 なぜならあのあと自分の手を睨み、畜生、と小さく繰り返していたからだ。

 もっとも、真に怒るべき市川が庄野に対して怒っていないから怒れない、というのもおかしな話だとは思う。

 現に田実は未確認生物のターゲットとされ、あと一歩でその餌食になるというところまで追い詰められたのだから、怒ったところで誰も咎めないだろう。むしろ、宮本辺りは怒らないことに怒りそうな気がした。

 それでも田実は、庄野に恨み言一つ言う気になれなかった。

「正直なところ……ですね、その、文句が言えるほど状況が理解できてなくて……。あの……、結局、何だったんですか?」

 しばしきょとんとしたようにこちらを見つめた庄野は、やがて小さく笑い、窓の外に目を向けた。

「何、と訊かれると、難しいんじゃが――」

 長くなるぞ、と言われ、構わないです、と頷く。

 庄野は静かな口調で切り出した。

「――市川とワシは竹馬の友というヤツでな。市川の方が二級上なんじゃが、他に年が近いのがおらなんだせいでいつも一緒におった。アイツはとにかく小器用で、ちょっとばかし年上相手の喧嘩にも勝つようなヤツで、ワシは――まぁ、照れ臭い話、アイツに憧れとった。案外そういうのは大きゅうなっても抜けんもんで、ワシは今でもアイツに憧れとる。じゃがな、いつの頃からか、単に憧れとるだけじゃあのうて――妬ましゅうなった」

 窓の外に向けた視線をこちらへ戻し、憧れとるというのの底にアイツのようになりたいというのがあったんじゃろな、と庄野は苦笑した。

「しかしなあ、どれだけ頑張っても市川のようにはなれん。年の差はあるが、たかが二つ。大人になればそんなの関係なくなる。高校を卒業して水道工事屋に入った市川を追い抜こうとしてワシはここに入ったんじゃが、市川の入った会社がいつの間にか水道局お抱えになって吸収され、市川もいつの間にか公務員になっとった。それがちょうど特殊型が導入された頃で、ワシは市川より早く使い始めよったんじゃが、すぐにアイツも使えるようになりよってな。おまけに、アイツはワシが何度やってもできんことをあっさりとやってのけたんじゃ」

 そこで言葉を切った庄野は、自らの腰に掛けていたキーを抜き、

「ワシはこれで化け物に命令することができる」

 と、その先をこちらに向けた。

「“支配”なんて大袈裟な名前が付けられとるが、できるのはあくまで命令だけ。それも、死ね、と命ずることはできん――別にそんなことできんでもええじゃろうがと思うたかもしれんが、しかしな、市川はできるんじゃ」

 田実は思い出していた。

 大きく開かれた口がほんの目の前まで迫り、食われると思ったその瞬間、怪物は倒れた。

 その直前、聞こえた気がする、何か重いものが弾けるような、それでいてくぐもった衝撃音。

 佐東が死んだ未確認生物を消し去る前、田実はちらりとその屍骸を見たが、そんな衝撃音に繋がるような痕跡は見当たらなかった。

 助かったことで頭が一杯だったその時は、それ以上気にすることもなかったのだが――

「――市川さんは未確認生物を簡単に死に至らしめる力を持っているのですか?」

「ああ、爆発の爆に殺傷の殺で“爆殺”――誰が付けたか知らんがな」

 庄野はキーを下ろした。

「化け物の心臓を――協会の人間が言うには“核”というらしいが、それを狙い澄まして爆破するそうじゃ。核を見つけるのに多少時間は掛かるが、核の見つけやすい単純な構造の化け物ならば瞬きする間に斃してしまう」

 縛鎖の青年も確かにそのようなことを言っていた。

 一瞬で片付けてくれる、と。

「でも、ぼくは見たことありませんでした。そんな力を持ってることすら知らなかったです」

 知っていれば、あんなに取り乱すこともなかったのにと今更ながらに思う。恐れおののきはしただろうが、柳の影に怯えるかのように無駄に縮こまることはなかったはずだ。

「いつもは単なる火炎放射なんですよ」

「それで片が付くからじゃろ。言っておくが火炎放射だって簡単じゃあないぞ」

 顔をしかめた庄野は、手にしたキーに視線を落とす。

「キーの力というのは大抵な、どうでもいい理由をつけて金を払わんばかりか、あんな化け物を宛がってくる滞納者共に対する怒りが形となって現れたもんだ。お前さんにも経験あると思うが“怒り”ってのは意外と力を消費する感情じゃろう? 力を覚えたての頃は怒りと力のせいで精気吸い取られるだけ吸い取られて仕事が億劫で億劫で仕方なくなる。まあ、慣れれば感情を殺した状態でも使えるようになるから、淡々と業務をこなせるようになるんじゃけえど――それでもな、たまにどうしようもなくなことがあるんじゃ。一日に何度も何度も化け物を見てるとな……」

 それからしばし無言でキーを見つめていた庄野は、やがて深く息を吐き出して、キーを腰に戻した。

「怒りというのは醜い。特に殺意にまでなってしもうたもんは、とてもじゃあないが直視できん。大体ワシは自分が“支配”した化け物ですら、よう直視せんのじゃ。だからワシは佐東を使い卑怯にも消しよる。そんなだから、たぶん、化け物を直接死に至らしめるような力は使えんのんじゃろう」

 庄野の目が真っ直ぐに田実を捉えた。

 それを言葉ごと受け止めて田実は訊ねる。

「ならばどうして市川さんにそんな力を使わせるような状況を作るんですか? あなたには使うことができない醜い力を使う市川さんがそんなにも妬ましいのですか?――矛盾、していませんか?」

 怒りから生じ相手を死に至らしめるほどに昇華された力が醜いというのならば、その使い手ではないことを誇り、使い手を蔑めばいい。

 大体、実際の業務において庄野の“支配”というのはかなり現実的で非の打ち所がない。どんな屈強な未確認生物でも“停まれ”と命令されたら最後動けなくなるのだから、あとはゆっくりと開栓できるはずだ。

「市川さんなんて放っておけばいいじゃないですか。普段きっとあなたは誰よりもつつがなく業務をこなしているはずです。市川さんなんか何度ぼくの尻を焼きそうになったことか……」

 もっとも、それは田実の行動の遅さに非があるのだが伏せて続ける。

「庄野さんは市川さんより上だとぼくは思うんですけど、それでも市川さんが妬ましいんですか?」

「妬ましい」

 庄野は半ば睨みつけるような強い眼差しで田実を見つめ、はっきりと言い切った。

「お前さんはまだ何もわかっとらんようじゃが、市川はな、強いんじゃ」

「それは――」

 知っている、と言いかけて、遮られる。

「言っておくが力の種類じゃあないぞ。力そのものでもない。アイツの強さはな、雑念のまったくない遂行力にある。明け透けな言い方をすれば、アイツは化け物を仕留める力を本気で道具としか思っとらん。特殊型の理屈は知っとるが、あくまで知っとるだけでそれを深く考えたりはせん。割り切っとんじゃ、そういうもんだと。だから、使える力は何でも使う。貪欲に。ワシは、それが妬ましかった。羨ましかったんじゃ」

 ――田実はようやく庄野の真意の一端を掴んだ気がした。

「庄野さんって、ホントは……」

「ホントはな、やっぱりアイツに憧れとるんじゃと思う」

 苦笑した庄野は、窓の外に視線をやる。

 どこに向けられているのか部屋の入口に立つ田実に確かめる術はないが、察することはできた。

「――最初は間違いなく嫌がらせだった。何の葛藤もなく強力な力を手に入れたのが妬ましゅうて。けど、アイツは状況が厳しゅうなればなるほど鮮やかに戦うんじゃ。同僚を質に取られたりするとそれはもう、な。その強さに惚れてしもうて……、いつの間にかただ純粋に必死に戦うアイツが見とうてやるようになっとった――」

 毎年毎年、水道協会に嫌がられながら、二十年近く。

 だが、五年前、市川は技能研に来なくなった。

「――誰に訊いても言葉を濁して答えてくれん。唯一はっきりモノを言うガリーのヤツは『坊主テメェが危険だからに決まってっだろうが』の一点張り。市川のおらん技能研なんて出とうなかったが、それでも今年こそはと思いながら出続けた――会えんかったがな」

 深く、長い溜息の末、ふふ、と庄野は吐息で笑った。

「今年はもう諦めとった。出まいと思って調整しとったんじゃけえど、そんな矢先に街でばったりインテリヤクザと会った」

「佃さん、ですか……?」

 思わぬ名前に思わず問い返す。

 こちらに向き直った庄野は笑顔で小さく頷いた。

「えらくかわいらしい奥さんと子ども連れてな。あまりにおかしゅうて思わず笑うたら、家族がおる手前、いつものように凄むことができんのかうろたえとった――まぁ、そん時に、ちょっと奥さんと子どもには余所へ行ってもらっとって、市川のことを聞き出そうとしたんじゃけえど、やっぱり言葉は濁すし、今年の技能研にも市川は出んと言った。何度訊いても繰り返しても同じ答えじゃったが、繰り返すうちにワシの方が何だか引っ込みつかなくなって、結局土下座して頼み込んだんじゃ。何とかして市川出してくれえと」

 さすがのヤクザも往来で土下座されると折れよった、と庄野は呵呵と笑ったが、田実はその光景を想像して戦慄した。よく警察沙汰にならなかったものだと思う。いや、もしかしたら通報くらいはされていたかもしれない。

「――ワシは上機嫌じゃった。久々に市川の力を見ることができるんじゃ。これほど楽しみなことはない」

 庄野の笑顔はそこまでだった。

 どこか遠くを見るようなまなざしで中空を見つめたあと、庄野はその視線をずるずると下へ落としていく。

「浮かれるワシにヤクザが言った。『おやっさんは他でもないお前のために技能研から遠ざかっていたのにその厚意を無にしていいのか』と。意味がわからなんだ。何アホなことを言っとんなくらいにしか思わなんだ――それが、今日、わかった」

 田実は口を開きかけ、しかし、上手く言葉にならず、結局口を噤んだ。

 市川はわかっていたのだろう。庄野の嫌がらせの根底にあるものを。

 どんな思うところがあったのかまでは分からないが、市川はそれを承知した上で英雄を演じ続けていた。きっと、庄野のために。

 そして、五年前、おそらく市川は自身の力の限界に気付いたのだ。

 “核”を探る力が弱まったのか、それとも、“核”を爆破させるほどの力を溜めづらくなったのか――とにかく“爆殺”を使うのが困難になったのは間違いない。

 だから、市川は技能研を避けるようになった。

 ひょっとすると、老いた自分を幼馴染みに見せないために。

「よくよく考えれば市川は今年度が定年で、これが最後の技能研、か」

 ああ、老けたな……そう思う、と庄野は力なく笑んだ。

「今年ワシが堪えていれば、ワシも市川も、も少し幸せだったのかもしれんなぁ」

 田実はぎこちない笑みを返す。

 ――昨日から今日この部屋に来るまでに溜め込んでいた疑問はこれで解決した。

 だが、それらは何一つとして心を晴れやかにはしなかった。


 あれだけ熱い戦いの末、引導を渡した方も渡された方も、傷ついただけ。


 開け放たれた窓から蒸し暑い風が流れ込んで来る。

 明日からまた雨かもしれない、と田実は思った。

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