解答編
5――どんでん返しは消えやしない
5.
次に私が目を覚ましたとき、白亜の天井が視界を満たしてた。
病室……?
私、寝かされてたの?
顔を動かそうとすると、頭に違和感。
恐る恐る手を持ち上げて、触ってみる。
……頭に包帯を巻かれてる。
流れるような黒髪ロングは無事よ。良かった~。髪は女の命だもんね。お兄ちゃん以外の人間にいじられたくないし。
「起きたようだね」
お医者さんと看護師さんが、笑顔で私を見下ろしてる。
私、ずっと看病されてたのかな。今、何時だろ。昼か夜かも判らないよ~。
「私、誰かに後頭部を殴られて、それで……」
「良かったルイ! よく目を覚ましてくれた!」
枕元にお兄ちゃんが肉迫したわ。
医者も看護師も押しのけるまっしぐらっぷりよ。
きゃ~、顔が近いっ。
お兄ちゃんは私の手を強く握って、歓喜の声を上げてる。そっか~、私のこと心配してくれてたんだ。嬉しいっ。
「あれからルイの帰りが遅いと思って、僕も通用口へ向かったんだ。そうしたらルイが廊下に昏倒してた。たまたま通りがかった看護師も居たから、応急処置とベッドを工面してもらったのさ。あるある」
めっちゃ早口でまくし立てるお兄ちゃん、目が赤く腫れてる。
泣いてくれたんだ、私のために。
「誰が私を襲ったんだろ~?」
ぼんやりと、私は首を傾げたわ。
前髪が目にかかる。
お兄ちゃんがそれを指でどかして、私のほっぺを優しく撫でた。きゃ~。
「目撃者は居ないらしい。ルイは犯人を見てないのか?」
「見てな~い……振り向きざま鈍器のようなもので一撃くらって、そのまま気を失っちゃったし~……」
「そうか。よくある手口だな。腹立つけど」
小さく舌打ちするお兄ちゃん、本気で激昂してる。顔をそらして歯ぎしりする先には、病室の入口付近で待機する三船さんや浜里さんも見受けられたわ。あ、居たんだ……。
「警察が居る中で第二の被害を出すとは、面目ないねぇ」
三船さんが
え、そんな、別に警察のせいじゃないし。それに今回は、屋内で殴打されたんだし、軒先の落雪被害とはまた別の気がする……。
それとも、私の思い違い?
実は関連があるの?
「思えば、とっくに手がかりはそろってたんだ」お兄ちゃんの歯噛み。「ルイの被害が出て、ようやく僕は気付いた。自分が情けないよ」
「どういうことだい、ナミダくん?」
三船さんが神妙な表情で、お兄ちゃんに問いかける。
お兄ちゃん、何か掴んでる? 警察も医者もぽかんと呆ける中、お兄ちゃんだけが
「氷柱や落雪は全て、フェイクです。犯人の偽装工作ですね、あるある」
「偽装?」
「よくある事故に見せかけることで、犯人は検挙を逃れようとしました。でもルイは外に出られず、屋内で襲撃されました……事故に偽装できなかったんです」
「同じ手口なのか。確かに患部は、溜衣子さんもルイさんもほぼ同一部位だが」
お医者さんがうなってる。
三船さんは苦言を呈したわ。
「第一の犯行と第二の犯行は、手段を変えたんじゃないのか?」
「僕はそうは思いません。また、ルイが昏倒した頃、沖渚は休憩スペースで三船さんたちの聞き込みを受けてました。沖波恵は病室で寝てますよね」
「ということは――」
「沖親子は、犯人ではない。ないない。ルイを襲いに行く時間なんて、ないんです」
こ、今度はないない言い出した……。
待ってよお兄ちゃん。沖親子が犯人じゃなかったら、誰がやったって言うの?
「なら、やっぱり事故ですか?」
浜里さんが持論を推したけど、すぐさまお兄ちゃんはかぶりを振るの。
「屋内で落雪は起きません。ルイが倒れた廊下には遺留物もありませんでした。装飾品が落下したわけでもなさそうです。では、何がルイに激突したのか?」
「ここでも『消える凶器』が話題になるんだねぇ」
三船さん、しきりにボールペンの芯を出したり引っ込めたりしてる。落ち着かないときの手癖なのね。
「そうです。『消える凶器』です」ずばり人差し指を立てるお兄ちゃん。「消える凶器には、氷の他にも種類があるんです、あるある。凍ったバナナで殴ったあと食べてしまうとか、砂袋で殴ったあと砂を捨てるとか」
「院内でバナナを食べていた人物を捜せ、と?」
「違いますよ」お兄ちゃんの苦笑。「砂袋の方です」
「砂袋ぉ?」
みんな意表を突かれて、言葉に詰まっちゃった。
お兄ちゃんは一同を順番に見回してから、最後は私の顔を見つめるの。
「砂ではなく、氷雪を袋に詰め込み、鈍器代わりにして背後から襲ったんだ。雪は山ほど積もってる……特に積もった重みで圧縮された雪は密度も高いし、一晩かけて凍った氷雪は相応の強度があるからね、あるある。フェイクのために折り取った氷柱を詰めてもいい。犯行後は外に捨ててもいいし、トイレに流してもいい」
「トイレ……?」
そう言えばトイレがどうのって話してた人が居たような~?
「では怪しい袋を持ち歩いていた人を捜せ、と?」
「それも違います。あからさまに凶器の痕跡が残るような袋なんて、誰も使いませんよ」
「となると一体――」
「袋なんて、筒状で物を詰め込めれば何でもいいんです。例えば、靴下に氷雪を詰めて振り回したって凶器になりますよね?」
「靴下!」
「人間なら誰もが身に付けてる、最も身近な『筒状の袋』ですね」
「あ!」
私、ピンと来て叫んじゃった。
みんな一斉に私を瞠目する。あう~、ごめんなさい。しかも今、自分で大声出したせいで頭の傷に響いたし。う~痛い~。
「四〇八号室のルームメイト、湊艫子!」
「ご名答だよ、ルイ」ほっぺを撫でてくれるお兄ちゃん。「あの人は寒がりで、頻繁にトイレへ寄ってたそうじゃないか。おまけにストーブを独り占めして、体を温めてた。雪に濡れた靴下もすぐ乾いて元通りだ」
「あのとき湊艫子が廊下から帰って来たのは、お母さんを襲撃しに行ってたから~?」
「恐らくね。同室の沖波恵は何日も前から入院してた。娘の渚もそのときからお見舞いに来てただろう。……ですよね、看護師さん?」
「ええ、そうね」
ギャラリーの看護師さんが頷いてる。
てことは、湊艫子も以前から沖親子を見知ってた。
「湊艫子は耳年増で、情が移りやすい性格らしいね。あるある、老人は噂好き。よくある」
「沖親子の苦労話を数日前から傍聴して、感情移入してたってこと~?」
「ああ。湊艫子は沖渚を気にかけてた。今日は沖渚が精神科の診察を受けることも事前に聞きかじったんだろう。ゆえに湊艫子は病室を出て、沖渚の動向を見守ってた。沖渚とルイが鉢合わせた様子も、遠巻きに目撃したはずだ」
「あ~! それでお母さんが精神科医で残業したことも知ったのね!」
ロビーの野次馬たちが、私たちのこと見てたもんね。そこに湊艫子も紛れてたんだわ。
「そう。沖渚に同情してる湊艫子は、逆恨みを代行したんだ」
「そっか~。話を聞いた湊艫子は急いで病室へ引き返し、沖波恵が寝てる隙に氷柱を折って偽装し、裏口へ先回りして、手近な靴下に雪を詰めて、お母さんを殴り倒して、トイレにこもってた振りして雪を捨て、何くわぬ顔で病室へ帰ったのね~?」
そのとき私と入口でぶつかったんだわ。あの人、ストーブで靴下を乾かしてたわね。
「お母さんが水浸しだったのは、単に雪の中で倒れてたせい~?」
「そういうことだ。さらに言えば、湊艫子は赤い靴下を履いてた。色彩心理的に、赤は冷え性に効果があるけど、もう一つ特徴があるよね。あるある」
「特徴~?」
「赤は『血の色』なんだよ」
「!」
「靴下に付着した返り血が目立たずに済む」
「あ~!」
「刑事さん、湊艫子の靴下を調べて下さい。母さんとルイを殴った血痕やルミノール反応があれば、物証です」
凶器は消せても、犯行の残滓は消滅しない。
犯人へ至るどんでん返しは、消えやしない。
「じ、情が深いだけで自発的に犯罪を代行するだろうかねぇ?」
でも三船さんは疑問を禁じ得なかったみたい。
む~。お兄ちゃんが間違ってるとでも言うの? 私のお兄ちゃんはいつだって正しいのよ。いくら警察でもケチ付けるのは許さないんだから!
「心理学では『普遍的無意識』を通じて、心の同調や共感が発生すると説いてます。同調による以心伝心、他人の心を汲み取る、感情移入することってありますよね? 普遍的な共通の概念なんですよ」
そのお話、前にも聞いたわね。ここの伏線だったのか~。まさかの回収にビックリよ。
「よく似た心理に『シンクロニシティ』があります。これは普遍的無意識で他人と同じ心情を共有し『言動が偶然にも一致する』現象ですね」
「確かに、行動や発想が他人とカブることは、ままあるけども」
「けど沖渚は、僕の母さんを逆恨みすれども、実際に襲いはしませんでした。殴りかかったのは湊艫子の独断です。つまり行動が一致しないので、シンクロニシティではなく『普遍的無意識を介した共感』が動機となります」
な、なるほど~……難しくてよく判んないけど。
心理学に根差した、犯人の
一見すると荒唐無稽だけど、お兄ちゃんが述べると説得力が増すのは私だけ? お兄ちゃんの至言は全て正しい。これは世界の摂理だわ。
(お兄ちゃんは心理学の本をたくさん読んでたし、精神科医のお母さんからも頻繁にお話を聞いてたもんね)
お兄ちゃんの活躍で、円満解決。
沖渚の『ブランケット症候群』による苛立ちが、湯島家への逆恨みを無意識にわだかまらせた。それを湊艫子が『共感』で感情移入し、共有したイライラを晴らすべく、お母さんを襲撃したんだわ。事前に氷柱を折って、事故を装って――。
そして、沖渚といがみ合う私もまた、裏口へ寄った際に襲われた。犯人の誤算は、私が軒先に出られなかったこと。犯人は仕方なく、屋内で殴りかかった――。
紛うことなき、人間心理に根差した特殊な犯罪劇。
足が付かないための『消える凶器』。
よくあるトリックを逆手に取った顛末。
その後、湊艫子の靴下からルミノール反応が検出されたのは言うまでもないわ。
氷柱の痕跡も、人為的に折られたものだと鑑識の結果も出たみたい。
*
「お母さん! あれから一週間経って二月に入るけど、怪我は平気~?」
「ええ……大事を取っての検査入院だったけど……そろそろ退院できるわよ……」
「良かった~ふええん」
「……こらこらルイ、泣かないの……ルイだってまだ頭に包帯を巻いているでしょ……」
「私の傷は浅かったから平気よ~。すぐに退院できたし、後遺症もないって! 今日も普通に高校へ行ったし! ほらほら、制服姿~」
「……そう……娘が無事で一安心だわ……」
「犯人もすぐに捕まったし、言うことなしよね~」
「……ナミダにお礼を言わないといけないわね……」
「うんっ。お兄ちゃんはやっぱり最高ね! 頭が良くて~、かっこよくて~、家族を思いやる優しさもあって~。私お兄ちゃんのお嫁さんになるっ」
「……無茶言わないの……まぁナミダにとっても、この事件は因縁があったから……放っておけなかったんでしょうね……」
「何せあの沖一家だからね~。結果的に沖親子は無実だったけど、犯行動機として機能してたのは否めないし~」
「……そのナミダは今どこに……?」
「今日もリハビリ受けてるよ~。あとでお見舞いに立ち寄るって」
「……足の回復が継続しているなら言うことないわ……ところで、病室の入口に人影が見えているわね……誰かしら?」
「え?」
「――失礼するわよ」
「ふぇっ? 沖渚!」
「――病室の前をたまたま通ったら、あたしの名前が噂されてたんでお邪魔するわ――」
「げ~、絶対嘘でしょ。私たちのことを探りに来たんでしょ!」
「――警戒しないでよ。あたしが悪かったからさ――」
「ふぁっ? そっちから謝るなんて珍しいわね」
「――今回の件で迷惑をかけたから、頭が冷えたのよ――逆恨みや怨恨がいかに不毛かを思い知った感じ――」
「……それは良いことね……そうやって人は成長して行くのよ……」
「ちょ、お母さんまで沖渚を許すの?」
「……わたしは渚ちゃんの担当医だもの……それに、人は互いを受け入れられる寛容な生き物よ……心の共有……気持ちが通じ合う……ユングの『無意識』論は本来、そう活用されるべきだと思うの……うふふ」
「――ありがとうございます。あたしは心を入れ替えて、ママと人生をやり直します」
「ふん。せ~ぜ~働いて借金を返しなさいよ」
「――いいえ――あたしは復学することにしたわ」
「へ?」
「――やっと行政の援助が出たのよ。あたしが復学する余裕は出来たわ――借金は必ず返すけど、あたし自身も人生を棒に振らず、歩み続ける――」
「ふ~ん。ご立派なことで」
「……その様子だと……ブランケット症候群は治りつつあるのかしら……?」
「――はい、湯島
「うわ~すっごい爽やかな顔してる」
「――これからは高校でよろしくね、湯島泪」
「高校で?」
「――あたしも私立朔間学園の生徒よ? クラスは違うけど」
「え~! し、知らなかった! 毎日こいつと顔を合わせる可能性があるのっ?」
「――親交の証に、ニックネームとか付けてもいいわよ」
「誰が付けるかっ! 沖渚なんてシンプルすぎる字面、あだ名の付けようがないわ!」
「――そうかな。さんずいの漢字が二つ並んでて特徴的だと自負してるけど――」
「うるさい、あっち行けシッシッ!」
「……シ、シ……うふふ。いいわねルイ……シシちゃんか……」
「お母さん、何言ってるの?」
「……沖渚……さんずい(氵)が二つ並んでいるから、シシちゃん……面白い愛称ね」
「――よし――あたしのことはシシちゃんって呼んでね、湯島泪――」
「そんなつもりじゃなかったのに~!」
「……あらあら……ナミダとルイにもお似合いよ……読み方を変えれば
「いや誰も死んでないから~! ちっとも死屍累々じゃないから~!」
かくして、私たちの新たな学校生活が幕を開ける。
古今東西の『よくある事件』になぞらえた、シシルイルイな毎日が。
第九幕/解決――迷宮回避
湯島涙は可能性を述べたにすぎません。真相は藪の中……人の心の数だけあります。あなただけの解答を考えてみて下さい。
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