2――病棟へ(後)



 お母さんが、私の顔を見て呆れ半分、安堵半分で腰に手を当てる。


「……上の階で事件発生と聞いて覗いてみれば……まさかわたしの子が第一発見者だなんてね……」


「あうぅ。ごめんなさ~い」


『母さん。ルイは殺人を未然に防いだ功労者だよ。責めたら可哀相だ』


 お兄ちゃんが弁護してる。神よ神。


 今回は殺人を阻止できたんだし、そのおかげで芋づる式に点滴の調査や過去の不審死も洗い出せるんだし、浜里さんも褒めてたけどお手柄なのよね、実は。胸を張って良いのかな? あんまり胸ないけど。


「……『死の天使』型殺人は……看護師や介護士と言った、女性が多い職業によく見られるわ……昨今は男性看護師も増えているから一概には言えないけれど……」


「湯島さん、ついでだから参考までに訊いて良いですか?」


 三船さんがボールペンをくるくる回してる。


 メモしたくて仕方ないって感じだわ。


「……何でしょう……?」


「いえ、点滴に異物を注入できそうな人物を捜しているんですけどねぇ。異物……筋弛緩剤だっけ、それを入れた注射器もゴミ箱から見付かっています。でも、指紋は綺麗に拭かれていました。で、点滴の在庫管理者から洗おうと思っているんですが――」


「……わたしに犯人当ての協力をしろと……?」


「お忙しいのは重々承知ですが、ほんのちょっとお願いできませんか?」


「……わたしはすぐ下の階へ戻らないといけないんです……仕事が残っているので……」


 今だけ合間を縫って、私の様子を見に来てくれたのね。嬉しいけど。


 私もおいとましたいんだけどな~。ケータイ小説を読んでただけなのに、他人事へ首を突っ込んだらこのザマよ。とほほ。


 お母さんは私に手を振って「……あまり遅くならないようにね……」とだけ言い残したわ。はう~、本当に戻っちゃうのね。


「……それと……四〇四号室を担当する新任看護師は……元『被験者』よ……」


「ふぁっ!?」


「……父さん殺害に直接関与した…………」


『!』


 お兄ちゃんがスマホの向こうで息を呑んでる。


「……今は更正して、看護師に就職したようだけど……気を付けなさい……」


 いやいやお母さん待ってよ!


 聞き捨てならないんだけど~……って、あ~あ、行っちゃった。


 新任看護師って、点滴を交換しに来た、スラリと背の高い看護師よね?


 ふと見回すと、ナースステーションで刑事さんに聞き込みを受けてる。点滴に毒薬を入れるとしたら、それを持ち運ぶ看護師が一番怪しいわよね。


『患者の子は今、どうしてるんですか?』


 お兄ちゃんがスマホから三船さんに問いかけたわ。


 む。お兄ちゃんってば、また私以外の女のことを気にかけてるっ。超ジェラシー。


「別室で安静にしてもらっているねぇ」メモ帳をめくる三船さん。「安全を確認できた点滴と医療機器に囲まれているはずだ。事情聴取もしたよ」


『彼女の母親は会いに来ましたか?』


 母親? お兄ちゃんってば具体的に指名したわね。


 三船さんも眉を吊り上げてから、神妙に返答する。


「ああ、それがだねぇ。一応、来るには来たよ」


『やはり。でも、あまり彼女には歓迎されなかったのでは?』


「よく判ったねぇ」


 三船さん、目を見張ってる。そりゃ~お兄ちゃんは全知全能の完璧超人だから、何でもお見通しに決まってるじゃない。


 けど、私もびっくりしちゃった。お兄ちゃんの頭の中では何が展開されてるの?


『ケータイ小説に大体書いてあるからね。あるある』


「小説に?」


『あの小説は、内部告発です』三船さんに告げるお兄ちゃん。『患者は身の危険を訴えてました。作中の母は、娘を取り押さえたり、虚偽の病気で無理やり検査入院させたりと、憎悪と恐怖の対象でしたから』


 素人の小説からそこまで読み取るなんて、お兄ちゃんってば神がかり過ぎてない? お兄ちゃんの天才的発想に身悶えしちゃう~。


『アマチュア作品にしては、母親の精神障害について詳しく筆を割き過ぎてます。代理によるミュンヒハウゼン症候群……あれは恐らく、現実の母親がモデルです。実際に見知ってるからこそ、その説明だけ妙に饒舌な描写なんですよ。あるある』


「じゃ~お兄ちゃん、作中の新任看護師や師長さんも、現実の……?」


『そうだね。その二人が、点滴に異物を混入できる最有力候補だと思うよ』


「!」


「こいつは驚いた!」


 浜里さんが通話を立ち聞きして、頓狂に叫んだわ。


 諸手を挙げてあとずさってる。いちいち大袈裟だな~この人。


「四〇四号室を担当している新任看護師と、点滴袋など医療器具を管理している師長が、今のところ重要参考人としてマークしているよ!」


『今はどこに? 新任看護師はさっきチラリと見えましたけど』


「いったん調書を取りに実ヶ丘署まで行ってもらったけど、今頃は戻って来ているよ! まだ勤務時間中だし、捜査現場にも顔を出してもらいたいしね!」


『なるほど……』


 お兄ちゃん、口をつぐんで考え込んじゃった。


 やっぱりその二人が怪しいのかな。小説と同じポジションだもんね。とても偶然とは思えない。


 点滴に異物混入できる容疑者候補として、作者が暗に告発してたってことになるのかな……?


「さらに! 去年まで同室に入院していた患者が、連続で不審死を遂げていたことも発覚しました!」


「本当かい、浜里巡査部長」


「当然ですよ三船主任! 四〇代の中年女性と、二〇代の若年女性なんですけどね! 驚くべきことに、突然の心不全と呼吸困難で亡くなっているんです! 病院のデータを漁ればすぐ出て来ましたよ!」


 心不全と呼吸困難って……。


 確か、筋弛緩剤なんたらを注入されたら引き起こす症状よね?


 しかも中年女性と若年女性……ケータイ小説の冒頭で「点滴に気を付けて」って訴えて死んだキャラと同一じゃない?


 これはほぼ確定だわ。異物混入で殺された暗示――。


「当時は、ただの急な発作として処理されているのが悔やまれますね!」


「今回で三件目というわけだねぇ」ボールペンでこめかみを掻く三船さん。「過去の悪行も露見した以上、病院は記者会見で叩かれるだろうねぇ。可哀相に」


 病院は、一連の事件だと気付かずに放置してたんだし、糾弾は避けられないわね。


 お母さんの勤務先だから重宝してた病院なのに、すごく残念……。


『僕、話がしたいな』


「え、誰と?」


 お兄ちゃんがますます好奇心――ていうか野次馬根性?――を誘発されてる。


『新任看護師と、師長と、患者の母親さ。あとは患者本人も。どんな心理状態なのかな』


「え~。余計な茶々入れするの、やめようよ~。私以外の女に興味を持たないで~」


 必死に抵抗する私だけど、現場の流れを止めることは不可能だったわ。


 お兄ちゃんはスマホ越しに三船さんへ懇願してる。難色を示す三船さんだけど、お兄ちゃんは引き下がらない。


『科捜研の津波つなみさんも呼んだ方が良いですよ。死の天使について、有益な見解が聴けそうですし、僕も精神科医の息子として関心があります。あるある』


「君が最初に今回の事件を察知したんだっけ? なら、一考の余地はありそうだねぇ」


 三船さん、いつの間にかお兄ちゃんに丸め込まれてる……。


 私の反感も虚しく、さらなる事件の渦中へ深入りする羽目になっちゃったわ。嫌~っ。




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