3――中庭へ(前)

   3.




 セルシウス先生の遺体は、中庭の植え込みから発見されたわ。冬だから緑葉もすっかり枯れてて、枝の隙間から遺体が垣間見えるの。


 そこは校舎裏から建物をぐるっと回り込んだ表側に面してるんだけど、普通に歩けば泉水さんとはぐれるような距離じゃないわ。


 なら、どうして見失ったのかって言うと――。


「トイレに行かせたら、そのまま姿をくらましたぁ?」


「しっ。大声出さないでよ」


 泉水さんが、三船さんの唇に人差し指をあてがう。


「どういうことだい、湯島警部補」


「セルシウスさん、寒くてトイレに行きたくなったらしくて、裏口の職員トイレへ向かったのよ。私は入口で待っていたんだけど、なかなかセルシウスさんが出て来なくて……」


「トイレの中を覗いたら、もぬけの殻だったと?」


「ええ。トイレの窓から抜け出したみたいで……なぜそんなことしたのかは不明だけど」


 泉水さんの説明を、三船さんは眉につば付けて聞いてる。


 ボールペンを苛立たしげに指で回してるわ。メモ帳は今にも握り潰しそう。


(あちゃ~、こりゃ泉水さんの失態になっちゃうかも?)


 私は、中庭を眺望できる校舎の渡り廊下から、必死に聞き耳立ててるとこ。


 セルシウス先生の訃報が入るや否や、私は真っ先に教室を飛び出したわ。背後から三輪先生の怒号が聞こえたけど、好奇心は抑えられなかったの。三輪先生もクラスを放置するわけに行かなくて、追いかけては来なかったし。


 辿り着いた中庭は、すでに警察が取り囲んでた。KEEP OUTの縄張りを張ってるわね。近寄れないけど、遠巻きに観察くらいは出来る。


 それに――。


「ちょっと湯島さん、急にどうしたの!」


 ――増場美憐さんが、私のあとを追跡してた。


 それだけじゃない。阿保渡くんまで、寒風吹きすさぶ中を同伴してる。


「ふん。死体発見場所へ一直線に向かうとは、良い趣味とは言えないぞ」


 ちゃっかり私の挙動を見張ってたのかしら。思わず体が動いちゃう私も私だけど、この二人もなかなかどうして、不思議なシンパシーを感じるわね。


 中庭では、泉水さんが肩を落としてるわ。三船さんからキツくしぼられたみたい。ダークスーツの色合いもあって、なおさら暗そう。うぅ~寒々しい……。


 びゅう、ってあつらえたように木枯らしが吹き抜ける。やだ、スカートめくれちゃう。


「うわ、寒いな」手をさする三船さん。「って、湯島警部補。背中にゴミが付いてるよ」


「え? 本当?」


「赤い糸みたいな……あ、これ赤いビニール紐の繊維じゃないか?」


「え、やだ。凶器に使われたビニール紐? 今の木枯らしで舞い上がったのかしら」


「俺の到着を待つ間、余計なものに触ったりしなかっただろうね?」


「もちろんよ。ビニール繊維って結構ほつれやすいのよね。ちょっとしたことでバラバラに千切れるから、現場周辺に散乱しているんだわ」


 泉水さんも三船さんも、煩わしそうに吐き捨ててる。


 きっと現場に居合わせたとき、繊維が飛んでたのね。手や袖にならまだしも、背中にくっ付くなんて、他に想像できないもん。


「しっかし、俺より経験豊富な湯島警部補が、第一発見者を見失うなんて失策だなぁ」


「嫌味はやめて」ぎろりと睨む泉水さん。「セルシウスさんが逃げるとしたら、トイレの窓しかないわ。窓の外は校舎裏と中庭を結ぶ小径だし、中庭の茂みにも近いもの」


「中庭にはベンチがあって、雨宮教頭と沢谷先生が、捜査班の到着を待っていたらしい。けど、職員トイレの窓から脱出するセルシウス先生なんて見なかったって話しているよ。今、屋内で個別に事情聴取している最中だ」


「そんなはずないわ! まさか……その二人が共犯で、嘘をついているとか? 校長が亡くなって忙しい中、悠長にベンチで待機なんて怪し過ぎるもの」


「それはまた、大胆な仮説ストーリーをぶち上げたねぇ」


「雨宮教頭と沢谷先生は『反校長派』よ。校長の賄賂わいろ現場に激怒して、殺したのよ」


「セルシウス先生も『反校長派』だよ? 彼も二人に殺されたって言うのか?」


「仲間割れよ。彼は事件を告げ口した第一発見者……二人を裏切ったのよ。反校長派といえども、教頭ほど過激ではなかった。そのせいで二人と口論になって、殺されたとか」


 泉水さん、懸命に食い下がってる。当然よね、下手すりゃ責任問題だもん。


「じゃあ教頭たちは、トイレの窓からセルシウス先生を呼び出して、殺したわけか」


「つじつまは合うでしょ。セルシウスさんも死因は、赤い紐の絞殺よね?」


「ああ。俺はまだ校舎裏の方は見てないけど、三人とも赤いビニール紐による絞殺だ。何重もぐるぐる巻きにして、さ」


 紐の強度がもろいから、たくさんくくり付けなきゃいけないのよね。


 なんでそんな、面倒な凶器を使ったんだろ……。


「同じ紐を使ったなら、同一犯の仕業ね。やはり、あの二人が怪しいわ」


「それは君の推測だろう? セルシウス先生殺害は、単に犯人が口封じしたとも考えられる。第一発見者セルシウスに決定的証拠を目撃されたから、とかさ」


「私、セルシウスさんからも聴取したけど、死体しか見ていなかった印象よ」


「なら、後者の線はないか……いや、本人が気付いてなかっただけかも知れないし」


 え、の線?


 三船さんの台詞、聞き間違えちゃった。


 あ~、ね……同音異義語って勘違いしやすいな~。


「中庭の茂みも、格闘したような痕跡があったぞ。セルシウス先生も抵抗したようだ。でも、あいにく人目に付かなかった」


「ベンチに人が居たんじゃなかったの?」


「ちょうど、俺たち捜査班が校門に到着したからなぁ。ベンチに座っていた教師たちも、パトカーの音を聞いて校門へ出迎えに向かったそうだ」


「すれ違いってことね。じゃあ、職員トイレから逃げ出すセルシウスさんの姿が目撃されなかったのも、実はそのせいじゃない?」


「その辺は微妙な時間差があるから、詳細は何とも言えないねぇ」


 この寒空の下で、よくそんな小難しい話が出来るな~。


 泉水さんがセルシウス先生を探し回った時間帯って、三船さんの到着よりもやや後だったから、時間的なつじつまは合いそう。


「三船警部、ビニール紐の出どころが判りました!」


 警官の一人が、校舎裏から馳せ参じたわ。


 犯行現場が二ヵ所あるから、末端の捜査官たちが行ったり来たりしてるのよね。


「どこにあった?」


「赤いビニール紐の束が、校舎裏の掃除用具置き場にありました。ゴミや資材を縛るために常備していたようです」

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