第84話『可憐の絆サッカー』

0-3から試合が再開しようとしている。

「天龍!絶対にラストパス出すから!」

呼ばれた彼女は小さく振り向いて右手を挙げた。

「可憐!失敗してもいい、どんどんパスを出せ!必ず拾ってみせる!!」

天龍の鬼迫は、周囲に伝染していく。


何が何でも1点取るんだ。

そこから全てが変わる、誰もがそう予感した。

仲間から次々に上がる声は、もう直ぐやってくるあの娘に向けられていた。

集中するんだ。

もっと、もっと集中しろ!

神様がくれた、この一瞬のチャンス、絶対ものにしろ!

私のこれまでの人生は、何となくポヤ~ンと生きてきた。

難しい事とか、辛い事から逃げ来てきた。

サッカーだって、自分が知らないうちに上がり症のせいにして、一歩引いていたかも知れない。

それが凄く悔しい。


だったら今からでも変わればいい!


自分の精一杯を全部吐き出せ!


サッカー部に入ってから、何度も見た百舌鳥校の公式戦のシーンが目まぐるしく脳内を駆け巡る。

そして、今日改めて間近で見た百舌鳥校の選手の動きが重なっていく…。

再開された試合。

ボールが回ってくると、ジェニーに戻し前線へあがっていく。


ボールは右へ展開し、いおりんがドリブルしながらサイドを抜けていく。

直ぐに敵のMFがマークに来ると、誰もいないライン際にパスを出した。

いつ確認したのか分からない。

だけど完璧なタイミングでリクが受け取り、オーバーラップしていく。

敵は無警戒だった。

慌ててリクを追いかけるMFと、迫るDF。

私もフォローに駆け寄る。後ろにはジェニーが来ているはず。


味方FW陣も敵DF陣と場所取り合戦を繰り広げている。

強引にクロスを入れる選択肢もあったけれど、リクは後ろのいおりんに一旦パスを出し、彼女は私にダイレクトでパスを回してきた。

やっぱり百舌鳥校の守備は凄い。針の穴を通すパスコースすら見つからないほど、まったく隙がない。

私には3人の敵が迫ってくるのが分かった。


キーンッと、つんざくような静けさ。

いえ、本当はスタンドからの声援とか、敵味方からの掛け声が飛び交っているはず。

私は極限の集中力によって、そういった音を聞く事すら忘れていた。

視界は背景が真っ黒だと思うほど近場しか見えていない。

空とスタンドは、塗りつぶしたような黒色に見えた。

敵と味方とボールとゴール、そしてフィールドしか見えていない。


コマ送りのように動くプレイヤーを、冷静に分析している自分がいた。

左から向かっている敵の7番、正面少し右から6番、正面奥から3番…。

ゴール前には天龍と、背番号2番をつけた百舌鳥校のCBで守備の要である高宮がいる。

本来なら天龍へパスを出す場面ではない。

敵の数が多いから出しても直ぐに取られてしまう事は明白。


だけど私は…。

だけど私は7番の選手がボールを取りにくる時、一瞬小さく跳ねる事を知っている。

そして6番は守備のフォローをする時に、必ず左右を見る癖を知っている。

3番はこぼれ球だけに集中しているのに気が付いた。


だから…、このコースで…、このタイミングなら…。





トンッ!




フワリと不意に蹴り出したボールに、小さく跳ねていた7番が対処出来ず、6番は左右を見ていて気が付くのが遅れ、まさかパスが来るとは思っていなかった3番の腰の高さ辺りをボールが通過していった。




!!




ドンッ!!



絶対に来るはずのないパスだったのに、天龍がベストポジションに出現し、この日初めての、いや、今大会初めてのダイレクトボレーシュートを放った!










ピピッィィィィィィィィィイイイイイイ!!!!







激しく吹かれた笛は、ゴールを意味していた。

あの天才キーパーとまで謳われる、百舌鳥校GK若森が一歩も動けなかった。

男子顔負けの速度と、ゴール右上隅を完璧に狙ったシュートだったからだ。


人差し指を立てて目一杯挙げた右手は、これから何かが起きると、見ている人全員に知らしめた。

「ヨッシャーーーーーーッ!!!」

「天龍先輩!!」

直ぐにフクが駆け寄り抱きついた。

「まずは1点だ。」

そうGK若森に言い放つと、颯爽と自軍へ戻っていく。


敵DF高宮が若森に近づく。

「どうした?反応出来なかったのか?」

そう尋ねられた若森は、ボールを拾い前線へ軽く蹴った。

「いや?ただ、弾いていたら左手をもっていかれただろう。今は怪我をしている場面ではない。私達の勝ちは変わらない。だったら、1点ぐらいやってもいいだろ。」

「ふんっ…。」

高宮は若森の冷静過ぎる回答が気に入らなかったのかもしれない。


私の中で、今まで見つけられなかった小さな歯車が、どうやっても埋まらなかった隙間にピッタリはまり、そして全体の歯車全てを激しく回転させていく感覚がある。

何かに目覚めた、そんな大袈裟な言葉が頭をよぎった。


イケる!


1-3で試合が再開されたけど、私は極度の疲労感に襲われていた。

たった1回のパスで、集中力のほとんどを失ってしまったような感じ。

あの感覚は何だったのか…。

不思議な経験だったけれど、だけど出し惜しみするつもりはないよ。

それに、集中力も体力も何もかも全て失ってでも、さっきのパスを出すの。

もう直ぐやってくるあの娘の為に。


百舌鳥校は前半が残り少ない事を把握し、無駄に攻めてはこなかった。

守備をガッチリ固め、翼までもが守備に加わる。

こうなると、百舌鳥校が固める陣営の外側でパスを回すのが精一杯…。

再び私のところへパスが回って来た時、またあの感覚が襲ってきた。


コマ送りの世界。


あっ…。


一歩、二歩と力強く走り、思いっきり低い弾道でパスを出す。

目の前の翼がギリギリ届かない所へ飛んでいったボールは、彼女の後方でこれから走り出そうと構えていた選手の一瞬の微妙な間で足元をすり抜け、その後ろにいたDFの股下をバウンドしながら抜けていく。


たった一本の縦パスで、百舌鳥校DFラインを抜けたボールの行き先には、少し離れていた場所から一気に走り込んできたフクに渡る。

ダイレクトでシュートを放つ!


バンッ!!


が、若森が回転レシーブの如く、華麗にボールを弾きゴールラインを割った。


ピッィィィィィィィイイイイイ!


長い笛が鳴り響き、前半終了を知らせた。

ガクッ…。

膝が折れ、片膝を付くと、私は自力で立ち上がれなかった。

そのまま手を付き、激しい呼吸を繰り返す。

「可憐!」

ジェニーが駆け寄り、肩を借りてベンチに戻る。

彼女だって、翼との対決でかなり体力を消耗している。

辛そうだった…。


ボロボロの桜ヶ丘イレブン…。

軽やかにベンチに戻る百舌鳥校…。

荒い呼吸があっちこっちで聞こえてきた…。

おさらいをする余裕すらなかった。


その時だった。

スタンドがざわめき、徐々に大きな歓声に変わっていく。


(まさか…。)


ハーフタイムなのに、歓声は歓喜となり、まるでお祭り騒ぎのようになっていった。


(サッカーの女神が降臨したんだ…。)









「皆!」







あぁ…。

やっと…、やっと…、夢が叶う…。

「桜!」

「桜先輩!」

「桜ちゃん!」

仲間から名前を呼ばれた彼女は、もう泣きそうだった。

そりゃぁそうだろう…。

だって…、1-3なんて絶望的な試合だったから…。

なのに彼女は…。


「皆!凄いんだから!!」


そう叫んだ。

その言葉に私は、辛うじて保っていた心が決壊した。

「そんなこと無い!」

座っていたけど、四つん這いになって重い体で這って桜に近づきしがみついた。

「こ…、こんな点差で…、こんな結果しか出せなくて…。」

涙がボロボロと溢れる。

「ごめんねぇ…。」

彼女の肩に顔を埋めて泣いた。

思いっきり泣いた。


私は神の裁きを受けるんだ…。


桜は優しく抱きしめて、そっと頭を撫でてくれた。

「何を言っているの?可憐ちゃん。」

私は名前を呼ばれて、涙で溢れた顔をそっと上げた。

「3年間、日本中の高校生が寄ってたかって百舌鳥校から点を取ろうとして取れなかったけれど、皆は…、私抜きでも…、1点取ったじゃない…。」

消え入りそうな声…。桜も泣きながらニッコリ微笑んだ。

凄く嬉しそうに、そして自慢の仲間達を讃えるように…。


「可憐ちゃんは、観客全てを魅了するほどのファンタジスタだったんだから…。凄かったんだから…。」

「さくらぁ…。」

凄いだけじゃ駄目なのに、褒められて凄く嬉しかった。

誰の目にも触れず、一人で特訓してきた。

ベンチからでも出来る事を100試合以上考えて考えて研究してきた。

その努力が…、やっと…、やっと…、小さいけれど実がなったと思った。


「さくらぁ…!」

思いっきり小さな体を抱きしめた。

泣きじゃくる私をギュッと抱きしめて、彼女の濡れた頬が頭にくっついている。

「さぁ、おさらいするよ!」

その言葉に、震えるほど興奮した。

いつも通りの桜ヶ丘が帰ってきたと感じた一言だったから。


ベンチに置かれていた、ボロボロのホワイトボード。

それを膝の上に置いた桜。

「あっ…。」

誰かが小さく言った。

桜がホワイトボードの裏面を凝視していた。


「もう見つかっちまったかぁ。」

天龍が残念そうに言った。

「だから試合後に書きましょうって言ったじゃないですか。」

フクがちょっと嬉しそうに言った。

口を半開きのまま固まっていた桜は、口を横に広げ細かく震えだした。

「み゛ん゛な゛ぁ゛…。」

今まで沢山桜の泣き顔を見てきたけれど、今回のは涙の量が半端じゃなく多かった。

両手で目を擦って涙と格闘する桜。

手を離したことにより、パタンと倒れたホワイトボードの裏側には、全員の寄せ書きが書いてあった。

中央には『桜』を桜のマークで囲ってある。


『桜と過ごした1年、これからもずっと無駄にしない。』部長

『眩しい程の笑顔が大好きでした。僕も来年笑いながらサッカーします。』フク

『数え切れないほどの、』莉玖

『笑顔をありがとう、』羽海

『一生忘れない!』蒼空

『桜のお陰で、もっとサッカーが好きになったネ~♡』ジェニー

『仲間という存在を教えてくれた桜ちゃんに感謝!』藍

『もっと一緒にサッカーやりたかったかも。』いおりん

『沢山の新しい私を見つけてくれてありがとうございました。』ミーナ

『同じぐらいの身長なのに、とても大きく見えた先輩を目指すであります。』香里奈

『いつでも遊びに来い。』後藤

『たまには息抜きするんだぞ。その時は一緒にね。』可憐

『俺は一生お前とサッカーすると決めた。』天龍


涙が止まらない桜。

「時間がないぞ。」

後藤先生が時計を見ながら言った。

桜はグッと立ち上がった。

「後半の作戦は、私達の絆で戦う。何が何でも天龍ちゃんにラストパスを出すよ。天龍ちゃんが対百舌鳥校の最終兵器なんだから。」

「おう!まかせとけ。」

ニヤリと笑う天龍。

「フクちゃん、得意のポストプレーに期待しているから。」

「はい!」

フクは凄く真剣な表情だった。

「いおりん、藍ちゃん。二人には倒れるまで走ってもらうからね。そして、FW陣を助けてあげて。」

「ほい。」

凄く嬉しそうに笑ったいおりん。

「私、足が折れるまで走るから!」

真顔でそう言った藍の覚悟。

「ジェニー。いっぱい無理させてごめんね…。」

「その為に日本に来たって言ったでしょ?もっと頼って欲しいネ~。」

おちゃらけながらも、青い瞳は真剣な眼差しだった。

「リクちゃん、もっとオーバーラップしてもらうよ。」

「うん。任せて!」

熱くなったリクも珍しい。

「ソラちゃん、空中戦は全て任せたからね。」

「絶対に負けない!」

ソラも気合十分。

「ウミちゃん、ファールを怖がらないでタックルいくよ。」

「完璧に決めてみせる!」

今度こそ百舌鳥校の攻撃を止めるという覚悟。

「部長、オフサイドトラップを最大限に活用してね。そして、守備は任せたから。」

「もう点は取らせない。」

真剣な部長が帰ってきた。

「ミーナちゃんなら、翼ちゃんのシュートだって止められる。自分を信じて飛んで!」

「桜ヶ丘の守護神は、私なのだと見せつけてやります!」

「香里奈ちゃん、怪我人が出たら交代だからね。」

「いつでも準備OKであります!」

「可憐ちゃん…。」

彼女はちょっと寂しそうな表情をした。

「可憐ちゃんが必死になって闘ってくれた場所。私と交代してもいい?」


あぁ、もう…。

「お願いします…。」

フワッと抱きつかれた。

「本当にありがとう。可憐ちゃんが百舌鳥校が無敵じゃないって証明してくれた。私が引き継いで、絶対に勝つから…。勝ってみせるから…。」

「うん…。」

嬉しかった。

上がり症で選手として絶望的だった私を、こんなにも信用して、信頼してポジションを託してくれていたことが…。

本当に嬉しかった。


私から離れた桜が恋しいと思った。

もっと一緒にサッカーやりたかった。


神様…。

チャンスをくれてありがとう…。

私、ちょっとだけ変われた気がします…。

ありがとう…、桜…。

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