第61話『山崎の権利の代償』

「休憩にしましょ!」

岬さんの掛け声で、桜ヶ丘学園の女子サッカー部員達はベンチに戻りタオルで汗を拭く。

私は我慢できずに聞いてみた。

「ねぇ、桜さん。答えづらかったら答えなくても良いのだけれど、ちょっといい?」

彼女は直ぐにピンときたようだった。

「あの…、あまりそれは触れられたくないです…。」

さっきまで誰よりも元気で、誰よりも笑顔でボールを蹴っていた彼女。

その彼女の顔色はみるみる悪くなっていくのが分かる。

あぁ、これは思っていたより重症かも…。

でも、きっかけさえあれば、彼女ほどのサッカー好きなら、トラウマなんか一瞬で吹き飛んじゃうはず。


「そっかー。軽く蹴ってみてもダメなの?」

「はい…。その意識すると…。」

「平気平気!私が…。」

バタンッ…

「岬さん!」

彼女は一気に真っ青になると倒れてしまった。それも頭から…。

私は駆け寄ろうとすると、彼女は細かく震えながらゆっくりと手を伸ばして、私が近づくことを拒否した。

そして…、嘔吐した…。

転がるように再び倒れると、震えるように小さい体を極限にまで小さくするようにしていた…。

「桜!」

「桜ちゃん!」

「桜先輩!」

部員達が集まってくる。大柄な部長さんがおんぶすると、走って部室へと運んでいった。

全員付いていきながら何度も声をかけていた。だけど岬さんは反応しなかった。


「山崎さん。あなたが悪い訳ではない。気を落とさないでください。」

そう声をかけられる。私はどのぐらい放心していただろうか。

いつの間にか嘔吐物も片付けられている。どうやら顧問の後藤さんが処理したようだった。

「まぁ、座ってください。」

「すみません…。すみません…。」


私は安直だった…。


軽率だった…。


彼女がどれだけの心の傷を負って、逃げるように百舌鳥校を転校したのかを、考えたこともなかった。

岬さんとマネージャーさんを部室に残して、他の部員が出てきた。

一人は校舎へと走っていく。どうやら保健の先生を呼びにいったようだ。

私の隣には、腕組をしながら、どっかと天龍さんが座った。

「山崎さん。あんたは悪くねぇ。だが、桜にシュートを無理やりさせないでくれ。頼む。」

そうだよね。何で気が付かなかったんだろう。こんなこと、これだけ岬さんを慕っている仲間達がチャレンジしてない訳ないよね…。

どうにもならないからこそ、岬さんは今だにシュートを撃てないでいる。

たったそれだけの事なのに、大人の私が気付いてやれないなんて…。


なんて情けない…。


なんて大人げない…。


「ごめんなさい。私なんて馬鹿なことを…。」

「謝らなくていいさ。ただ、この件については代償を支払ってもらう。」

「だ、代償?いいわ。」

高校生だと思っていたけれど、随分大胆な事を言うのね。

「二つある。一つは、桜はあんたの大ファンだ。その…、あれだ。サインを書いてやってくれ。」

「サ、サイン?いいよ。何枚でも書くわ。」

大胆な事を言ったと思ったけれど、随分子供っぽい代償ね…。

「それともう一つ…。」

「何でも言って頂戴。」

天龍さんが突然立ち上がる。ちょっとビックリした。その表情が真剣だったから。

そして勢い良く頭を下げた。

「俺達の練習に、もう少し付き合ってくれ。頼む、俺ら強くなりてーんだ。あいつを今の条件のまま、百舌鳥校の前に連れていってやりてーんだ。だから…、頼む。」

「お願いします!」

他の部員も同じようにお願いしてきた。


私は心の底から震える思いが込み上げた。

なんて純粋な想いなんだろう。

そうか…。彼女達の唯一の武器が連携だなんて言った私が恥ずかしい。

連携なんて生易しいものじゃない。

強い強い絆で結ばれたサッカー。それが桜ヶ丘学園のサッカー。

その絆の先に、各々のほんの僅かに得意な部分をぶら下げて、たったそれだけで、あの化物じみた強豪百舌鳥校に立ち向かおうとしている彼女達。

その勇姿に、私は感動してしまった。

こんなに必死に、それこそ魂を削る勢いでサッカーに取り組む姿勢に、私はすっかり虜になってしまった。

薄っすらと浮かべた涙をぬぐう。

「わかった。伊達に長くプロでやっていないからね。うんちくだけなら負けないから。その全てを伝えてあげる。覚悟しなさい!」

「「「はい!」」」


それから夕方まで、ボールが見えなくなるまで練習が続いた。

途中岬さんが合流する。

彼女は開口一番、謝ってきた。

私に不快な想いをさせたと言ってきた。

「そんなことはない!私の全てをぶつけてあげるから、さっさとグラウンドに来なさい!」

そう言ってやった。彼女は「はい!」と大きく返事をして、満面の笑顔で走った。


これだよ、これ!

この純粋にサッカーが好きという想いに溢れたグラウンド!

何もかも我武者羅に追いかける姿!

そして、絆という固い友情がピッチ上で表現されていく感動!


これは…、私が追い求めていたサッカーそのものだよ…。


悔しいなぁ…。三十路の私には、もう彼女達と一緒にサッカーをやることなんて出来ないだろうなぁ。

弱小つくばFCだし、彼女達をサッカー選手として雇ってあげる資金すらない。

こういう子達がつくばFCを継いでくれたら、どんなに嬉しいことか…。


あぁー、またネガティブになってる。

ダメダメ。

今は、この子達に伝えるの。

私の想いも乗せて…。


こうして練習を終えた。

「ありがとうございました!」

息も荒い、汚れて真っ黒な彼女達。それでも表情は明るく、何かを得たような満足感に溢れていた。

「こちらこそ、ありがとう。久しぶりにサッカーが楽しいって思った。」

「つくばFCは、辛いですか?」

岬さんからの質問だった。

「色んなしがらみがね。」

「絶対に楽しくなりますよ!」

物凄く純粋な笑顔に癒された。

「よーし!今日はお姉さんが奢ってあげる!焼肉行くよ!焼肉!付いてらっしゃい!」

「おぉーーー!!!」

「良いねー!」

「絶対いくネー!」

「そうと決まったらシャワー浴びてくる!ほらほら急いで!」

子供達が駆けていく。あぁ、こういう指導もいいなぁ。

はぁ…。

まーたサッカー選手から逃げようとしている。


「今日はありがとうございました。」

私もシャワー室を借りようと歩き出した時、後藤さんがやってきて一緒に歩いた。

「いえいえ、こちらこそ楽しかったです。こういうサッカー指導もいいなーなんて思っちゃいました。」

「予想以上に大変ですよ。特に彼女らは。」

「ふふふ。そうかも知れませんね。」

あの純粋な想いを受け止める労力は想像以上かもね。しかも毎日だし。

私は二人っきりな事を良いことに、思い切って聞いてみた。

「あの。後藤さんは、奥さんとか彼女とかいますか?」

驚いた顔で、チラッと私を見た彼。

「すみません…。」

ちょっと寂しそうな表情をして、直ぐに元のキリッとした表情に戻った。

「あぁ、その表情、敵わないやつだー…。ざーんねん。」

ちぇっ。男運もないのかよ、私!

こればっかりは仕方ないか。私、会社でも鬼課長って呼ばれていて、男子社員なんか皆逃げちゃうし…。

「すみません…。」

「あっ、いえいえ。そんな、軽い感じで聞いただけなので、気にせずに。」

「………。」

余計な事を言わないところがイケメンよね。残念だけど、諦めるかぁ…。


「先生もどうです?」

「何がですか?」

「やーきーにーくっ、です。」

「ふふふ。お誘いありがとうございます。少しだけ、顔を出させてもらいます。そうじゃないと、あの子達が許してくれませんから。」

「あら?人気なんですね。」

「そうなのでしょうか…。部員達は私も桜ヶ丘学園、女子サッカー部の部員の一人だと言ってくれています。だから…。」

「先生格好良いですもんね。」

「誂わないでください。」

「見た目だけじゃないですよ。内面がです。子供達だからこそ、よーく見ていますよ。信用出来る大人かどうかね。」

「………。」

「ささ、先生も準備してきてください。つくば駅の向こうにある焼肉屋、分かります?」

「場所は分かります。」

「じゃぁ、そこで待ち合わせしましょう。ただし、女の準備は時間かかりますから、1時間後ぐらいじゃないかなって思います。」

「わかりました。その間、今日の業務を済ませておきます。」

「念の為に、コレ。」

私は密かに準備しておいた、プライベートな連絡先の書かれたメモ用紙を渡した。

「何かあったら、ここに電話ください。今日だけじゃなく、女子サッカー部の為でもね。」

「ありがとうございます。本当に助かります。」

そう言って別れた後、女子だらけの団体が焼肉屋にて格闘を始めた。

「えーと、カルビが5枚にロースが3枚でしたっけ?」

「飲み物まとめて持ってくるよー。注文言って。」

「そこの肉、焦げるぞ。」

まさに戦場だよ…。


そんな高校生達を横目に、後藤さんを誘ったのは、ちょっとだけ後悔した。

彼のガードは何故か岬さんがしてくる。

「山崎さん!先生だけはダーメー!」

「あら?岬さんが狙っているのかしら?」

「ん~~~!ちーがーうーの!」

両手を上下に振って抵抗してくる。あぁ、そうか。岬さんは後藤さんの想い人を知っているんだ。どんな人かちょっと興味あるかも。

こんなことがありながらも、この風貌で部費を援助してもらおうと一人募金集めで街頭に立ったことや、後藤さんが子供達の為に怪我をしてまで体を張った武勇伝や、無名校ながら無茶な試合を、それこそあっちこっちに頭を下げて依頼したことなど、聞けば聞くほど諦めた魚が大きかったと実感した。

これじゃぁ、傷に塩を塗り込みにきたみたいじゃない…。


でも、おかげで後藤さんの事は諦められたし、それよりも桜ヶ丘女子サッカー部員達の素顔が見れて楽しかった。

グラウンドから離れれば、彼女達は普通の女子高生だ。

何というか、若さ溢れるエネルギーを貰ったというか、ちょっと元気出た。

私も、もう少しサッカー頑張ろう。

そう強く感じられた一日となった。


後日、つくばFCの仲間に今日の事を話した。

もちろん、長年一緒にやってきたうえで、一番信用出来るやつらにだけだけどね。

そいつらが桜ヶ丘に乗り込むぞと意気込み、大会一ヶ月前に最終調整しにくということで、再度学校を訪れた。

FWの大村、SMFの藤岡と、棒手ぼうて、DFの青山、GKはブラジル人のレダ。どいつもこいつも女子高生を羨ましがるほど年食った連中だ。

岬さんは凄く喜んでくれた。

全員のサインを貰って泣くほど喜んでくれたし、練習も過激だった。

特にポジションごとの個別レッスンは助かったようで、GKの市原さんは初めて本格的な技術指導を受けたと言って喜んだ。


「私聞いたわよ、田中っちに。」

「ん?」

「つぐは大の田中。」

「あぁ~。何か言ってましたか?」

「奇跡の桜が咲くところを見たいって言ってた。」

「私も見たいです。」

「もう。岬さんは当事者でしょ?」

「ここまで我武者羅にやってきました。でも、これで正しかったのかどうか、今だに答えは出ません。」

「ふふふ。若いねぇー。」

「もう誂わないでください!」

「そうじゃないよ。悩んで、悩んで、一杯泣きなさい。若いからこそ許されるんだよ。その先がどうなるかは、神様しか知らないから。」

「……はい。」

岬さんは悲しそうな表情だったけど、思いっきりやりなさいっていう、私の気持ちは理解してくれたみたい。

勿論私は知っている。百舌鳥校に負けたら、彼女がサッカーを辞めると言っていることも。

気持ちは分かる。私も似たような思いはある。だけど私がそう思った時は、既にプロの選手だったんだよね。

だから辞めるに辞められなかった。

これなら、いっそうのこと、引退した方が楽だと思った時もある。

だけどね、岬さんは駄目。私みたいになったら駄目。

彼女は、それこそサッカーの神様が送り出した天使。日本女子サッカー界の運命すら握ってる。

だから、これだけは伝えておかなくっちゃ。

「最後に、試合終了の笛が鳴るまで、諦めちゃ駄目だよ。」

「分かっています。」

「ラスト1秒でもよ。」

「………。」

じっと私を見つめる岬さん。負けそうな時でも、トラウマが発動してでも、勝ちにいきなさいと言ったつもり。

苦しいだろうけど、彼女は勝たなければならない。

そう思う。

どんな結末を迎えるか、それは誰にも分からないし、あまり考えないようにしている。

彼女達が笑って大会を終えられるか…。残念ながら、確立は非常に低いと思う。

でも何かが起きる。

そう予感させる存在なのは間違いない。


そして今日も焼肉を驕った。

無邪気に喜ぶ女子高生達を見ながら思った。

こうやって、ほんの少しでも彼女達の軌跡に足跡を残したかったんだと。

そうすることによって、もしも岬さんがサッカーを辞めようとしても、それを思いとどまらせる権利が欲しかったと。

この不安が外れる事を祈りながら…、からっぽの財布の中を見つめた。

権利の代償は…、案外高かった…。

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