第248話 vs害虫

 当初の予定と比較すると、現状は大分望ましくない方向へと向かいつつある。

 ウィリアムはゆっくりとした足取りである場所へと辿り着いていた。

 SYSTEM Zと呼ばれる装置がある部屋だ。

 見渡し、ウィリアムは部屋の状況を確認する。

 電気はまだ生きていた。

 それに、栄養剤の材料もずらりと順番待ちをしている。

 直立不動のままに並んだ兵達の死んだ目を見て、ウィリアムは安堵の息をついた。

 後の問題があるとすれば、それは時間。

 完全に想定外だった鳥類の反乱により、ウィリアムの身体は深く傷ついてしまった。

 エクシィズの起動もこれによって大分早まっている。

 ゼッペルが邪魔者の大半を片づけたとはいえ、まだ肝心のカイト撃破の報告を聞いたわけではないのだ。

 最後の手駒を出した為に、カイト用の手札が尽きた。

 もし、カイトがここに登場したら新生物を稼働させるしかないのだが、その稼働にも時間がかかる。


「くそっ」


 鳥類によってつけられた火傷がやけに痛む。

 痛みを堪えつつも、ウィリアムはSYSTEM Zの元へと移動し、タッチパネルを起動させた。

 モニターの真下から専用のキーボードが出現し、指紋認証が始まる。

 普段はあっという間に終わる筈のこの動作確認が、今は妙にゆっくり動いているような錯覚に陥っていく。

 だんだん苛立ちが募っていくのが、自分でも手に取るようにわかってしまう。


「エミリア!」

『うるさいわね』


 モニターが起動すると、ウィリアムは画面に映る女性に向かって怒鳴りつけた。

 映し出された水槽は相変わらず青く輝くだけで、中に何もはいっていないように見える。

 だが、気泡が溢れているのを確認できれば十分だった。


『その様子だと、上手くいかなかったみたいじゃない』


 ここ最近だと一番上機嫌な声でエミリアは言う。


『ゼッペルはどうしたのかしら。イルマは?』

「黙れ! 君とお喋りするのは今日が最後だ!」


 アプリケーションを起動させ、SYSTEM Zが唸りをあげる。

 密林を覆う根のように伸びるコードが発光し、天井にまで届く円柱の機械がぐるぐると猛回転を始めた。

 青白い発光を飛び散らせると、整列していた兵が機械に触れはじめる。

 べたべたと触っていると、兵の身体が徐々に光り始めた。

 ぼう、と音を立てながらも兵は光に包み込まれ、機械の中へと吸い込まれていく。

 その間、彼は悲鳴をあげることは一切なかった。


「栄養剤を大量投与させてもらう。調整は無しだ」

『……』


 エミリアは何の反応も示さない。

 彼女がいる水槽の中に、出来立ての栄養剤が投与された。

 小さな六角形の金属片が水の中に溶けていく。


『んん……』


 僅かな声が漏れた後、水晶から息を整える音が聞こえた。

 明らかな疲労が見て取れる。


『はぁ……はぁ……なに、今の』


 これまで栄養剤と称された金属片を何度も投与されてきたエミリアだが、先程のそれはこれまで味わった事のない衝撃的な味だった。

 当然だ。

 身に染みた瞬間、全身に痺れが回ってきたのだ。

 同時に、彼女の脳裏に見た事のない風景と人物、そして言葉が響き渡る。

 まるで自分じゃない誰かの記憶を、その人物の視点で体感したかのような錯覚だ。


『映画鑑賞……じゃ、ないわよね』

「当然だ。水に対してそんなことをする技術は無い」

『じゃあ、何なのよ』

「さっきの兵士の記憶だ。恐らく、な」


 ウィリアムにしては妙にはっきりしない物言いだった。

 彼が自分の説明に保険をかけるのは珍しい。

 大体色んな事柄を検討し、確定させたうえで話すのがウィリアムだ。

 そうでないと作戦の立案なんてできないし、周りも納得しないと知っているからだ。

 それでも尚、保険を掛けると言う事はつまり、それだけ得体の知れない代物を投与されたことになる。


『ねえ、何なのそれ!』

「大体気付いてるんだろう。自分がどうなっているのか」

『……っ!』


 エミリアは押し黙った。

 しばし熟考するように沈黙を保ち続けた後、彼女は震えるように口を開く。


『やっぱり、私の身体に何かしたのね』

「そこにいい素材がいたんだ。使わない手はないだろう」

『アンタの為に生まれたんじゃないのよ、こっちは!』

「こっちとしても、君の身体を利用するつもりは無かった。当初はね」


 だが、新生物のクローン誕生はウィリアムの予想に反して難航してしまった。

 既に本体は存在せず、持ち帰ったサンプルに限りがある状況では、彼の望む結果は得られなかったのだ。

 星喰いに至ってはサンプルを新人類王国に奪われ、唯一手助けになりそうなマリリス・キュロはカイト達と共に行方をくらませた。

 だが、結果だけ言えば彼女の存在がヒントになった。


「新生物を新たに作り出すことは無理だった。しかし、そのDNAを移植させれば、人間を新生物へと進化させることができる」

『何時の間に、そんな』

「君がゼッペルに負けて、倒れている間さ。都合がいい事に、あの後の君はずっと液体になってしまった。血液を混ぜ合わせていくだけなら、君が寝ている間にどうとでもなる」


 それに邪魔者の排除にもなる。

 新生物は取り込んだ『餌』の人格を覚え、学習していく。

 トラセットに現われた新生物は、現地の人間たちの新人類王国への恨みから、新人類を殺すマシーンへと変貌していったらしい。

 この基地に務める人間とて同じだ。

 軍人という立場上、トラセットの住民のような恨みは無いかもしれない。

 だが彼らは戦いを生業としている人間たちだ。

 彼らの意識を摂取し続ければ、自然と生物を殺す事しかできなくなる。

 ウィリアムはそう考えていた。


「君は気づいているかもしれないが、もう身体を以前のように戻すのも難しい筈だ」

『……それは、私の精神が不安定だから』

「客観的に言えばそうなるかもしれない。しかし、自分でそう言い切れる状態を、真に精神不安定と言えるだろうか」

『何が言いたいのよ!』

「もう君の身体は、元に戻らない」


 エミリア・ギルダー。

 通称、人間湖。

 身体を液体化させ、また元の人間に戻る事が出来る新人類。

 それが彼女だ。

 しかし、その能力は進化を遂げようとしている。


「環境に適用する為、身体は嫌でも順応するものだ」

『何を言っているの』

「水槽の中に入れられた水浸しの身体。そのまま元の肉体に戻ろうとすれば、どうなると思う」


 いかにエミリアが液体化できても、肺呼吸だ。

 水の中で息ができる程、彼女は器用ではない。


「昔、実験があったな。君が液体化した状態で、水を足していったらどうなるか。結果は酷かったね。元に戻った時、溺れそうになった君の姿だけがあった」

『……まさか』

「やっと飲み込めたか。そこに繋ぎとめたのは、君を保管する為じゃない。早々に人間の姿を捨てさせる為だ」


 後は自我を崩壊させるだけの量を投与すれば、エミリア・ギルダーは新生物として覚醒する。

 その為のストックも用意した。

 問題があるとすればタイミング。

 新人類女王、ペルゼニアの死があまりに早かった。

 本当なら、もっと調整を完璧にしてからカイト達を招き入れるべきだったと自覚している。

 しかし、王国の報復が明日にも始まるかもしれないタイミングで放置するわけにはいかなかった。


「……強硬策だとは理解している」

『……あなたらしくもないわね』

「それだけ追い詰められているんだよ、僕も」


 もしかしたら、すぐにでもカイトがやってきて殴ってくるかもしれない。

 しかし、彼が望まなかったとしても、こうした方が自分たちの為だとウィリアムは頑なに信じている。


「しかし、絶対に完成させなければならないんだ」

『……どうして、そんなに他の人間を拒絶したがるの』


 スバルの疑問だった。

 エミリアは少年と最後に交わした言葉を思い出しながらも、長年敢えて聞かなかった疑問を口にする。


『あなたは旧人類を人形だと比喩したわね。XXX以外の人間は、全部人形なのかしら』


 ただの反旧人類思想。

 エミリアは彼のことをそう評価していたが、この態度を見るとそれ以上の何かがあるように思える。

 彼の思想は、既にXXX以外の人間を完全に見下していた。


「人形……いいや、そんなもんじゃない」


 次の兵が円柱に触れはじめる。

 光が彼を覆ったと同時、ウィリアムは自身の考えを始めて口にした。


「害虫だ。ゴキブリにも劣る、生きているだけでこの星を追い詰める無自覚な悪意の塊。僕は、彼らと同じ空気を吸っているのに耐えられない」

『……どっちが悪意の塊なのやら』

「掃除し尽くしてしまえば終わりだ。どちらにせよ、汚すだけ汚してる連中が消えれば戦争も終わる。ハッピーエンドはすぐそこまで来てるんだ」


 水槽の中に新たな金属片が投入された。

 輝きが一層増し、エミリアの頭痛を加速させていく。


『ぐ、あああああああああああああっ!』

「君には済まない事をしたと思っている。だけど、囮役っていうのはいつでも必要なんだ。君は丁度いい立場にいた。結論から言えば、それだけさ」

「ハッピーエンドに辿り着くには、まだかかる」


 不意に、背後から声をかけられた。

 振り返った直後、ウィリアムの頬を鉄拳が霞める。


「う……」


 間一髪。

 振りかぶった際に僅かに頭を動かしていなければ、撃ちぬかれていた。

 破壊されたモニターに目をやり、再び視線を来訪者へと向ける。


「カイト……」

「俺の尊敬する人間のひとりが言った。他人を屑呼ばわりする奴が屑なんだってな」


 飛ばした右腕が、肘から伸びる糸によって引き戻されていく。


「その理論で行けば、お前も消えないとその計画は成立しない」

「ここまで来たのか。ゼッペルやスバル君を振り切って」

「ああ。どうやらお前には貸しがあるらしいからな。這ってでも追い詰めてやろうって決めた」


 氷のような冷たい目が、ウィリアムを捉える。


「ウィル。もうお前を許さないぞ」

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