第193話 vs妥協

「大家嬢、無事ですかな!?」


 アパートに真っ先に戻ってきたのは、この日散歩をすることで休日を満喫していたアーガスだった。

 彼は大家の部屋を勢いよく解き放ち、家主の無事を確認する。


「アーガスちゃん!」

「おお、大家嬢。無事でなにより。美しい私がボディーガードを務めよう。早く避難を!」

「で、でもまだみんなが帰ってきてないんだよ」


 おばちゃんはアパートで待っていた。

 最低限の荷造りを終え、他の住民たちが帰ってくるのを待っていたのだ。

 寂しさゆえか。

 それとも単純に心配だからか。

 いずれにせよ、この場では愚策であるとアーガスは思う。

 寧ろこの場においては状況判断力が強い連中しかいない。


「案ずることはない。彼らとて子供ではないのだ」

「でも」

「それに、全員こういうのには慣れている」

「……わかったよ。あたしは逃げればいいんだね?」

「うむ」


 まだ納得できていない表情をしているが、おばちゃんは荷物を抱え始めた。

 それを見てアーガスは深く頷く。


「ここから近い避難所は学園になる。大家嬢、準備はいいですかな?」

「もちろんだよ!」


 念の為に戸締りを確認してからふたりはアパートから出る。

 その後、おばちゃんがアーガスに問うた。


「ねえ、アーガスちゃん」

「なにかね大家嬢」

「全員慣れてるって言ってたけど、みんなこういう場を切り抜けてきたのかい?」

「危険度だけなら、ここ以上だと思いますよ」


 故郷のトラセットを思い出す。

 あちらは多分、今のゲーリマルタアイランドよりも危険な状況にあった筈だ。

 相手が未知の生命体であったことを踏まえると、そう判断できる。

 逆に言えば、あれだけの危機を乗り越えた若者たちが紅孔雀の襲撃でどうにかなるとは考えにくい。


「問題があるとすれば、少年少女の方ですな」

「スバルちゃんとマリリスちゃんかい?」

「ええ。彼らは様々な佳境を潜り抜けてきましたが、他の面々と比べればまだ精神的な弱さが目立ちます」


 とはいっても、メンタル面で言えばこのふたりはXXXよりも優れていると思う。

 おばちゃんの手前、言わないでおいたが本当にやばいのはあのふたりが直接狙われた場合だ。

 特にマリリスはやばい。

 新生物の細胞を受け継ぎ、唯一死滅させることに成功した進化した少女。

 だが、彼女自身は戦いを嫌う傾向がある。

 もしも狙われた場合、一番危険なのは彼女であると言えた。

 しかも彼女は今日、アルバイトだ。

 

「じゃあ、あの子達を助けてあげないと!」

「大家嬢、残念ですが物事には優先順位がありますぞ」


 蛍石スバルにマリリス・キュロ。

 双方とも誰かが付いていないと不安になる子供達だ。

 だが、自己防衛ができないかといえばそうではない。

 彼らは既に何度も戦いの中を切り抜けてきた。

 ここまで生き抜いた少年少女に比べたら、アパートを経営していた大家のおばちゃんの方が守る優先度が高い。

 だからこそアーガスは真っ先にこちらに引き返してきた。


「失礼な物言いですが、私の目から見て一番保護されるべきなのはあなただ。私に彼らを助けろと言うのであれば、まずは素直に保護されて頂きたい」

「……わかったよ、もう!」


 不貞腐れるおばちゃん。

 そっぽを向く女性とは常に美しさを孕んでいるものだとアーガスは思う。

 いささか年齢はいきすぎだが、それでも女性であることには変わりないのだ。


「む」


 そんな紳士の理念を心の中で呟いていると、商店街の入り口で見慣れた人影を発見する。

 六道シデンだ。

 だが、彼の様子を見るとアーガスとおばちゃんの表情が一瞬で切り替わる。

 血塗れになって倒れているのだ。


「あ、アーガスちゃん!」

「大家嬢、私の近くから離れないで!」


 狼狽するおばちゃんを軽く宥めると、アーガスは急いでシデンの元へと近づく。

 ボロボロになった髪を掻き上げ、呼吸を確認した。

 まだ生きている。


「大丈夫、息はありますな」

「そ、そうかい。よかったよ」

「しかし、解せぬ」


 胸を撫で下ろすおばちゃんの心配をよそに、アーガスは考える。

 六道シデンは新人類の中でも最高の能力者として名を馳せた人物だ。

 その評価も過去のものとはいえ、ここまでボロボロにされているこの状況。

 そして彼と一緒にマリリスのアルバイト先に向かったはずの御柳エイジの姿がみえない。

 猛烈に嫌な予感がした。


「大家嬢、申し訳ないが六道君の治療を――――」

「いい、いらない」


 言葉を遮ってシデンが口を開く。


「六道君。気が付いていたのかね」

「ついさっきだけどね。あんなくっさい匂いで髪の毛触られたら、誰だって気付くよ」


 言われ、自分の手の匂いを嗅いでみる。

 普段使用している香水の美しい香りがした。


「私の美しいフレグランスが異臭に感じる程嗅覚が麻痺していると思われる。やはり、ここは美しい私の治療を受けるべきだ」

「それ以上その薔薇をこっちに向けたら凍りつかせる」


 本気で睨んできたので、アーガスは渋々と薔薇を服の中にしまいこんだ。

 だが、しゅんとしていた情けない表情も一瞬で切り替わる。


「なにがあったのだね。御柳君はどうした。一緒ではないのかね」

「実を言うと、かなりやばいことになってる」


 アーガスからの質問はいくつかある。

 本来なら質問はひとつに絞ってくれと軽口を叩くところだが、今はそうも言ってられない状況だ。

 それゆえに、シデンは根本的な原因だけを口にする。


「マリリスが鎧にされた。それで、ボクは負けちゃった」







 神鷹カイトは密かにマリリスを評価していた。

 人物的なところではない。

 ただの生体兵器――――要するに、自分たちと同じ戦力として数えた時にどれだけ働けるかを評価していたのだ。

 正直に言えば、ポテンシャルは仲間内の誰よりも高いと言わざるを得ない。

 比較対象を自分の知っている新人類にまで伸ばしても同じだ。

 鍛え、彼女がその気になれば、女傑タイラントを軽く凌ぐ生命体になったことだろう。


 その一因が、新生物譲りの適応力。

 自分でイメージした姿に変化でき、あらゆる状況に対応できる。

 実際、これまで彼女に頼ってきた傷の手当なんかはこれの応用だ。

 傷を治すようにイメージさせ、後は彼女が具体的な方法を実施するだけでいい。


 この『治療』を『破壊』に置き換えるだけで、大量殺戮が可能になるとカイトは考えていた。

 新人類軍のノアや共に戦った事があるメラニー辺りは勘付いている可能性がある。

 だから『マリリスの鎧』がここにいるのだ。

 

「オォ――――ッ!」


 マリリスの鎧――――リブラが吼える。

 彼女は両腕を溶かし、鎌として再生成することでカイトへと挑む。


「カイト!」

「わかってる。まともに食らう気はない」

「いや、だからそうじゃねぇんだって!」


 後ろで校門に激突し、頭を痛めているエイジがやたらと呼びとめてくる。

 聞いてやりたい気持ちはやまやまだが、眼前の敵が何をしでかすかわからない以上、あまり視線を逸らす気にはなれない。


「後にしろ! コイツを倒したらゆっくり聞いてやる!」

「だから、それがダメなんだって!」

「なに?」


 訝しげに目尻を向け、エイジに問う。


「どういう意味だ」

「ソイツはマリリスだ!」

「は?」


 首を傾げ、リブラを見る。

 記憶の中のマリリスと比較してみた。

 面影はある。

 だが、やってることがあまりにも食い違ってはいないだろうか。


「鎧じゃないのか?」

「鎧は鎧でも、寄生人間の鎧だ。マスクから寄生虫が脳に送り込まれて、ソイツのせいでマリリスは好き勝手暴れてる! シデンもやられた」

「マジか」


 既に六道シデンがやられたのに加え、寄生人間という得体の知れないキーワードを耳にしてカイトの頭は軽く混乱する。

 いや、寄生に関して言えば自分も似たような物なのだが。


『へぇ、寄生人間ね』


 丁度その寄生生命体が口を挟んできた。

 あくまでカイトの心にしか聞こえない呟きなのだが、彼の意識を逸らすには十分な音量である。


「何のようだ。学校でも大人しくしてると思ったら」

『いや、なに。学校は君の珍しい姿を大人しく堪能してただけさ。それよりも、』


 エレノアの意識もリブラに向けられる。

 彼女はリブラを観察し、ある結論を出した。


『問題はアレだね。取り付かれたっていう寄生虫が面倒だ』

「知っているのか」

『まあね。私の人形に勝手に寄生されたら困るし、オリジナルが寄りつかないようにコーディングを施してあるのさ』

「あれはどういう生命体なんだ」

『文字通り、寄生虫だね。ただ、面倒なのはそれが人並みの知恵をもってるってこと』


 エレノアは持っている知識をカイトに伝えていく。

 寄生人間のオリジナルがハリガネムシと呼ばれる寄生虫に似ていること。

 宿主の身体に寄生し、思いのままに動かすこと。


『このクローンの場合、脳に入り込んでいる時点でオリジナルよりも優れていると言えるね。あれは本体がでかいから、身体の中を蠢いていることが多い』

「身体の中から追い出す手段は」

『外部から追い出すような衝撃を与えるしかないよ』


 リブラの本体のいる位置はマリリスの脳だ。

 つまり、彼女の脳を攻撃しなければリブラは永遠にマリリスの身体で好き勝手暴れることになる。


「入り込まないコーディングを施していると言ったな」

『それはあくまで外部から異物の侵入を防ぐ為のものだよ。もし私が入り込まれたら、すぐさまその人形を破棄するね』


 自分の作品にそれなりの自信を持つエレノアにしてこの台詞を言わせるとは。

 素直に感心してしまいそうになるが、状況はちっともよくなっていない。

 寧ろ、最悪な方面に向かいつつある。


『その認識であってるよ』


 カイトの想像を読み取ったのだろう。

 エレノアが無慈悲な言葉を投げかける。


『君に嘘を教えてもなんの得にならないし、関係にひびが入るのを理解してるから正直に言うね。あの子の中から寄生虫を駆除したいなら、彼女の脳を攻撃する必要がある』

「……生きてると思うか?」

『それ、本気で言ってる?』


 もちろん気休めである。

 脳を攻撃されて生きている生物なんて聞いたことがない。

 ゴキブリは頭を切断されてもしばらくは生きているらしいが、それでも最終的には死んでしまう。


『覚悟決めなよ。できないなら、君の友達のように倒されるだけさ』

「……いいだろう」

「お、おい!」


 再度爪を伸ばし、マリリスに殺意の眼差しを送るカイト。

 彼の姿を見たエイジは焦る。


「殺す気か!?」

「そのつもりで戦う」


 彼の憤りはわかる。

 だが、望む答えが見いだせない以上は仕方がないのだ。

 どこかで妥協しなければならない。

 誰かがやらないといけない。

 ゆえに、カイトは妥協点を見つけた。


「俺が悪役になって済むなら、俺がやってやる」

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