第166話 vs姉妹と赤猿と生存報告
特訓を終えた夜のことだ。
この日、スバルは住民たちに話しかけることなく無心のまま夕食をとっていた。
集まった住民たちの目から見ても、明らかにハイペースである。
昨日と同じようにカイトを避けようとしているのだろう。
ただ、昨日と違う点がある。
食べる量が明らかに増えた事だ。
「スバル君、もっとよく噛まないと私のように美しくなれないぞ!」
真正面に座するアーガスが高笑いしながら言うが、スルー。
スバルは黙々と食料を胃に流し込んでいった。
まるで次の日に備えて栄養を過剰に補給しているようにも見える。
日本人である彼の為に用意された御飯茶碗には、既に5杯目の白米が盛られていた。
「どうしたんだ、あいつ」
嘗てない食欲を目の当たりにして軽く退いているエイジが、小声でシデンに問いかける。
ゲーセンの特訓帰り、スバルの様子を見たのは近くの職場で務めるシデンだけだ。
「なんか今日はコツを掴んだらしいから、明日は送り迎えしなくていいって言ってたよ。御飯もいらないって」
「それじゃあ、明日の分も食ってるって事か?」
なんとも馬鹿らしい話であるが、見てるだけで胸焼けしてくる食いっぷりを披露されると否定できない。
ぶくぶくとお腹だけが膨らんでいく姿は、まるで風船のようにも思えた。
「いいねぇ、スバルちゃん! もっと作るからじゃんじゃんお食べ!」
「ありがとう、おばちゃん!」
大家のおばちゃんも本来は健康面を考えて止めるべきなのだろうが、戦いに挑む青少年の背景を知っているので全力で応援にかかっている。
おばちゃんは若者が後先考えず頑張る姿が大好きなのだ。
これだけでご飯を3杯はたらいあげられるらしい。
「ところで、」
そんな中、食卓を静寂のどん底に陥れる声が響いた。
神鷹カイトである。
彼はマイペースに米粒を貪りつつ、スバルに話しかけた。
「お前の友人と会ったぞ」
「あ?」
空気を読んでいるのかいないのか、彼はいつものペースのままだった。
まあ、言い方は悪いが気まずくなっているのはスバルだけである。
当のカイト本人は、スバルに対して憤りなど全く感じていないのだ。
スバルにとってはそれ自体が憤りを感じる話なのだが、それでも彼の話には耳を傾ける価値がある。
「友人?」
「ああ。サルとか名乗ってた」
「赤猿君だね」
第一印象で名前を決める癖は健在なようで、最初は首を傾げるところだったが、やはりカイトの隣に陣取るエレノアがフォローしてくれたおかげで誰のことなのかすぐに理解できた。
途端に、スバルの表情が明るくなる。
「赤猿!? あいつ、ここに住んでるの!?」
「少し前に避難してきたんだそうだ。俺が通ってるゲームセンターに入り浸ってるらしい」
学校をさぼって、とは付け加えなかった。
現役教師であるヘリオンがいたからである。
カイトの特訓を見てもらう代わりに、サボタージュを黙っていてくれと頼まれたのだ。
ヘリオンが彼の教師なのかまでは知らないが、念には念を入れておく。
「誰なの、その動物園にでもいそうな野生児」
「言っておくけど、本名じゃないからね」
友好関係に若干の疑問を抱き始めたシデンに対し、スバルは手早く赤猿のフォローに入った。
「赤猿は俺のネット仲間だよ。ブレイカーズ・オンラインで知り合って、そのまま意気投合したんだ」
「会ったことあるのか?」
「あるよ。その時にカノンや妹さんと知り合いになったし」
「じゃあ、対戦とかもやったことあるんだ。戦績はどうなの?」
「一応、俺が勝ち越してる」
その一言が出た瞬間、カイトが僅かに唇を尖らせた。
彼はこの日、夜天狼の稼働テスト名目で行われた赤猿とのマンツーマンバトルに負け越していたのだ。
その辺のショッププレイヤーを瞬殺できても、全国区となるとまだまだ立ち回りが甘いのだと思い知らされた。
夜天狼と装備の扱いに慣れていないのもあるのだが、負けは負けである。
明日すぐに取り返す、とムキになって考えていると、話題の続きがあるのを思いだした。
「その赤猿だが、来てるぞ」
「来てるって、どこに?」
「近所の公園」
「はぁっ!?」
なんで話さないんだよ、とでも言わんばかりにスバルが勢いよく立ち上がった。
「あの。なんでもっと早く話さなかったんですか?」
お腹が膨れ上がっているスバルに代わり、マリリスが問う。
すると、カイトは真顔のまま答えた。
額に一筋の汗が流れる。
「随分長い間食べてたから、話すタイミングを逃がした」
「お前、結構抜けてるよな……」
訝しげな視線がカイトに突き刺さったと同時、スバルは両手を合わせて席を立った。
時刻は夜の19時。
季節も変わり、肌寒くなってくる頃だ。
食べたばかりで膨れ上がったお腹には中々堪える。
ちょっと吐き出しそうになるのを我慢しつつ、スバルは公園へとと辿り着いた。
少々急いできた為か、若干息が上がっている。
「よう、久しぶり!」
「赤猿!」
待ち人はすぐに見つけた。
学生服を着崩しており、少々背の小さい赤毛の少年はスバルに笑いかけながら近づいてくる。
「ごめん。待たせた?」
「いんや、全然。まあ、立ち話もなんだしこっち来いよ」
近くに設置された椅子に誘導すると、ふたりの少年は腰を下ろした。
息を整え、スバルは話を切り出す。
「避難したって聞いたけど」
「ああ。故郷が宣戦布告されてな。家族まるごと引っ越してきた」
「そうなんだ。大変だったんだな」
約1年ぶりに顔を合わせた友人との再会は、素直に喜べるものではなかった。
この島国には戦火から逃れる為、様々な国から避難民が集まってくる。
そうした事情は聞いていたが、まさか友人も巻き込まれていたとは。
そういう話を聞いてしまうと、他人事とは思えなくなる。
「お前だって大変だったんだろ。色々と聞いたぜ」
赤猿の発言に、スバルは胸を痛めた。
彼にスバルのことを伝えたのは、考えるまでも無くカイトだ。
彼が何処まで喋っているのかは知らないが、逃げる為に嘘をついたことを責められるのではないかと身構えてしまう。
「親父さん、もう亡くなったんだってな」
「……うん」
「なんで話してくれなかったんだよ。みんな心配してたんだぜ」
「ちょっと、そんな余裕も無くてさ」
その辺については事実だった。
連絡を取ろうにも、次々と現れるトンでも集団を相手にしていてそんな暇は無かったし、そもそも連絡手段はカイトがぶっ壊してしまっている。
「携帯は?」
「壊れた」
「じゃあ、貸してやるよ」
スマートフォンを差し出された。
突然手を突き出され、どうしたのかと首をひねる。
「連絡しとけよ。他はともかく、こいつは暫く荒れてたんだからさ」
電話帳を開くと、赤猿はある人物のプッシュした。
『デスマスクちゃん』である。
通話待ちの画面になると、赤猿は無言のままスバルに手渡した。
彼なりの気遣いである。
ただ、デスマスクことカノンがスバル引退の件で荒れた後、再会して大暴れしたのは記憶に新しい。
どうやら赤猿はあのままカノンと連絡を取り合っていない物だと思っているようだ。
それならそれで遠慮しようかと思ったが、よく考えたら王国から逃げた後に連絡を取っていない。
脱走した後の王国の情勢も含め、一度連絡した方がいいと考え始めた。
赤猿からの好意を受け取ると、スバルはスマートフォンを耳に当てる。
ややあった後、回線が繋がるノイズ音が聞こえた。
「もしもし――――」
『くぉらぁ、赤猿! アンタ、ウチの上司に変な事をしてないでしょうね! 弟子をとるならアンタにお似合いの子がいるから動物園のゴリラでも勧誘しときなさい!』
きーん、と耳鳴りがする。
横で聞いていた赤猿ですら耳を塞いでいた。
スバルは耳に残る痛みを堪えつつ、回線の向こうにいるであろう人物に話しかける。
「あ、あの。妹さん?」
『あ、あれ? もしかして仮面狼さん?』
「うん。そうだけど……どうしたの一体。カノンは?」
『あ、あの。これは、その! 違うんです!』
『アウラ、どうしたの? 顔が凄い真っ赤になってるけど』
横からカノンのノイズ音が聞こえた。
スバルは代わるように伝えようとするが、その前にアウラが泣きそうな口調で姉に懺悔する。
『姉さん、どうしましょう。私、仮面狼さんに怒鳴っちゃった……』
『ええっ、師匠が!? か、代わって!』
カノンも赤猿名義の電話からスバルが出てくるとは夢にも思わなかったのだろう。
自己嫌悪に陥っている妹のフォローをする余裕もないまま、彼女は電話に出る。
『もしもし、師匠ですか!?』
「お、おう。師匠だよ」
『うわあああああああああああああああああん! 師匠、生きててよかった!』
またしても耳鳴りがした。
しばし落ち着くのを待った後、スバルは咳払いをしながら話しかける。
「もういいかな?」
『は、はい。すみません、取り乱しました』
「いや、いいんだけどね。連絡をよこさなかった俺達も悪いんだし」
この辺に関しては特に申し訳ないと思っている。
1週間忙しかったとはいえ、まともに連絡をとらなければ心配させるだけだ。
念の為言っておくが、決して存在を忘れていたわけではない。
決して。
『ところで師匠。赤猿さんからお伺いしたのですが、』
早速近状報告をしようと口を開きかけた瞬間、弟子が切りだしてきた。
『どうして師匠とリーダーが戦う流れになってるんですか?』
「うっ」
『う?』
いきなり痛い点を突かれて、スバルが唸った。
反射的に隣の赤猿を睨みつける。
彼は笑顔のままガッツポーズをしていた。
なにを勘違いしてるのか知らないが、無性に殴り飛ばしたい。
「う、うう……実は」
非常に情けない話なので言いたくは無かったが、ここ最近無視してしまった為に強く言い返せず、ついつい本当のことを話してしまった。
それこそ、自分の格好悪い本音を含めて全部である。
『リーダーがゲームをやり始めたんですか!?』
ただ、カノンの興味を引いたのはスバルの自己嫌悪ではなく、カイトがブレイカーズ・オンラインをプレイし始めた点だった。
やっぱりカイトさんなのかな、と思いつつもスバルはカノンの言葉を待つ。
『意外ですね。小さい時は、どっちかというと特撮とか見ている方でしたから。いやぁ、でも次に会う時が楽しみですね! 私とも是非勝負していただきたいです!』
「な、なあカノン?』
盛り上がり始めるカノンに向けて、スバルはおずおずと切り出した。
「カノンのイメージでいいんだけどさ。俺とカイトさんがやりあったらどっちが勝つと思う?」
『リーダーじゃないんですか?』
即答されてしまった。
信頼ある弟子だと思っていたのに、1秒も迷うことなく返答された。
蛍石スバル、16歳。
今までで一番ショックが大きい。
『でも、私としては比べる意味はないと思いますよ』
「……なんで?」
力なく聞き返すと、カノンはこれまた迷うことなく続ける。
『だって、師匠はリーダーを倒す為にゲームしてたわけじゃないんですよね?』
「それは、そうだけど」
『師匠は確かに凄いお方です。でも私とって、リーダーも同じくらい凄いお方です』
「同じくらいなのに、負けるのは俺なの?」
『戦いの分野であの人に勝てる人は居ません』
「待って」
聞き方が悪かったのか、なんだかすごい勘違いをされているような気がした。
スバルの静止の声を無視したまま、カノンは己の言葉を紡ぎ続ける。
『師匠は、リーダーに勝ちたいんですか?』
「……うん」
『リーダーはいかなる戦いでも勝つ為に育成されてきました。師匠は、あの人の何に勝ちたいんでしょうか』
「なに、に?」
『それが見えないと、勝てる勝負も勝てません』
「……カノンさ」
珍しく意地悪な言い回しをする弟子に対し、スバルはちょっとした苛立ちを覚えながら問う。
「なんか楽しそうだよな」
『あ、すみません。お気を悪くしないでください。ちょっと、羨ましいなって思っただけですから』
「羨ましい?」
『はい。だって、私たちはリーダーに面倒を見てもらった経験があっても、遊んでもらったことはないですから』
遊んでもらったことがない。
その言葉が、スバルの中に浸透していく。
やがて彼は、誰にでもなく呟いた。
「……そういえば、俺。あの人とまともに遊んだことないや」
毎日一緒にいるのが当たり前すぎて気付けなかったが、振り返ってみれば、長い共同生活であの男と一緒に何かに興じた事はない気がする。
その事実に気付いた瞬間、少年は肩から力が抜けていくのを感じた。
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