第119話 vs乙女パワー

 蛍石スバル、生まれてこのかた16年。

 この16年で色んなことがあった。

 特にこの半年は、自分の人生の中において激動であると断言できる。

 そんな彼の激動の人生に、新たな衝撃的映像が加わった。

 

「……なにしてんの、あの人ら」


 ちゅーである。

 文化人っぽく言えば、接吻だ。

 少年が覗き込む正面モニターで、同居人と傷顔の女が唇を押し付け合っている。

 これが恋愛映画よろしく、ロマンチックな結末であるのなら野暮なツッコミはしない。

 恋愛なんてのは、振り向かないことなのだ。

 だが、今回に関して言えば振り返って欲しかった。

 なぜならば、彼らの真後ろ。

 振り返ったらすぐ目の前に、全長200メートル級の大怪獣、星喰いがいるからだ。


「これは……声かけた方がいいんだよね?」

「た、たぶん」


 後部座席に座るマリリスが、心底困ったような表情で言う。

 ややあってから、オズワルドが通信回線越しに答えた。


『リア充はあのまま踏み潰されていいと思う』

「2対1で声かけるのに決定ね」


 オズワルド大尉はアラフォーだった。

 大人は時として、子供よりも現実から目を逸らす。

 だが、目の前で繰り広げられている珍事を大人の勝手で潰される訳にもいかない。


「カイトさーん!」


 スバルがスピーカーの音量を最大にして呼びかけた。

 モニターの中に映るちゅーしてるふたり、微動だにせず。


「なあ、どう思う?」

「ど、どう思うと仰られても……」


 傍から見れば男と女のキスである。

 野暮な事は言いたくない。


「も、もう一度声をかけてみては?」

「そうだな。よし、今度は今の状況も伝えて」


 再度スピーカーの電源をオンにし、スバルは語りかける。


「おーい! 星喰いが目の前にいるぞ!」


 二度目の呼びかけにして、遂に反応がおきた。

 神鷹カイトの右腕が上がったのである。

 しかし、彼のリアクションは右腕を上げただけだ。

 ぶんぶんと腕を振り回すその姿は、心なしか慌てふためいているようにも見える。


「なんだ?」


 訝しげにモニターを注視するスバル。

 だが、ここで事件は起きた。

 アトラスがカイトの頭をがっしりと固定し始めたのである。

 そのまま押し倒され、草をベットにするカイト。

 覆い被さるアトラス。

 助けを求めるカイトの右腕と左腕。

 ゼロ距離でくっついたまま離れない頭と頭。


「待て! 待て待て待て!」


 蛍石スバル、16歳。

 青少年にこの光景は刺激が強すぎた。

 後部座席のマリリスを含め、顔が真っ赤である。


「何やってるのアンタ等! ねえ、何してるの!?」


 スバルの疑問に、アトラスは答えない。

 ただ、モニターを通じて彼らの口の隙間から唾液が流れたのが見えた。


「あ、あれはまさか……フレンチ!?」

「ふれんち!?」


 フレンチ。それは大人の証明である。

 軽く口付けをするキッスを、ウブなお子様の証明だとすれば、フレンチキスは欲望のままに口の中を貪る、激情の証だった。

 そういえば、前にアキハバラでカイトはそれを食らってたんだっけ、とスバルは思い出す。


『あの』

「うわぁ!?」


 そんな事を思いだしてると、通信回線に第三者が割り込んできた。

 シャオランである。

 半年前、カイトのファーストキッスを奪った女だった。

 ついでにいえば、カイトの身体の一部を食った女であり、行為に関しては色気が一切なかったことを記しておく。


『楽しそうなので、混ざってきてもいいですか?』

「これ以上話をややこしくしないでよね!」


 半年前のあの件は食事だと聞いているが、まさかそれが病み付きになったというのか。

 スバルはげんなりと肩を落としつつも、年上のパイロットに意見を仰ぐ。


「オズワルドさん。これ、どうすればいいと思う?」

『爆発すればいいと思う』

「畜生、役に立ちゃあしねぇ!」


 さっきまで頼りになっていたベテラン兵士はどこに行ってしまったのだろう。

 スバルは近くを飛行する紅孔雀を睨みつつも、頭を抱えた。


「あ、スバルさん。大変です!」

「今度は何!?」

「カイトさんの手が止まりました」


 マリリスの言葉を受け止めると、スバルは再びモニターを見る。

 抵抗を試みたカイトの腕は、ぐったりと倒れていた。

 彼自身も顔が青に染まりきっており、呼吸が止まったのではないかと心配になる。

 尚、この間もアトラスはずっと想い人に吸い付いていた。

 まるで蜜を吸いに来た昆虫である。


「きた」


 名残惜しそうに唇を離し、アトラスはゆっくりと起き上がる。

 押し倒されたカイトは痙攣していた。

 ぴくり、ぴくり、と指が跳ねる。


「ふ、は――――は、はははははははっ!」


 狂気的な笑顔を剥き出しにして、アトラスは笑う。

 状況を飲み込めない4人と大怪獣は、それを見ている事しかできなかった。

 とても話しかけられる雰囲気ではない。


「勝った」


 傷だらけの表情。

 その中から青い眼光が大怪獣に向けられる。

 視線を向けられた瞬間、星喰いは遂に動いた。

 前足を一歩踏み出し、目の前で佇む女へと振り降ろす。


「あっはははははははは!」


 迫る巨大な足の裏。

 踏みつけられれば、瞬く間に潰されてしまうであろうその物体を前にして、アトラスは笑った。

 次の瞬間、アトラスは親指と人差し指で小さな輪を作る。

 ぱちん、と弾いた。


 直後、星喰いの足の裏が大爆発を起こす。爆風が巻き起こり、炎が銀の足裏を焦がしていく。


「――――!」


 星喰いが仰け反り、悲痛な叫び声をあげる。

 だがアトラスはまだまだ許す気はない。


「お前、今踏み潰そうとしただろ」


 鋭い眼光が星喰いを捉える。

 アトラスは両手を構え、再び輪を作った。


「死ね」


 弾く。

 弾く。

 弾く!


 リズミカルに音を立てていくと同時に、星喰いの巨体を次々と爆発が襲った。

 一撃はそんなに大したダメージではないだろう。

 しかし、塵も積もれば山となるという言葉があるように、何度も同じ爆発を連続して受けていくと、自然と傷が出来てくる。


「すげぇ! 星喰いの身体が崩れてる!」


 こんな光景、誰が予想しただろうか。

 住処を破壊し、外に出して全機一斉攻撃。

 当初のプランはこうである。

 逆に言えば、カイト達はこれでようやく倒せる相手だと踏んでいたのだ。

 ところが、どうだ。

 戦艦10隻を外に待機させておきながらも、アトラスだけで星喰いを押しのけ始めている。

 恐らく、彼の上司であるカイトも予想だにしていなかったことだろう。


「これは恋の力ですね」


 後ろでマリリスがぼやく。

 訝しげに振り向くと、彼女はやけに納得した様な顔で頷いていた。


「彼女は、きっと愁いを全部振り切ったんです。恋する乙女は、大怪獣にだって負けないんですよ!」


 マジかよ。

 乙女ってすごい。

 スバルは心底そう思った。

 これまで出会ってきた女性の9割9分9厘が獰猛な肉食獣だったのもある。

 まともな乙女との付き合いが浅い彼では、マリリスの言う恋する乙女理論は理解しにくいのだ。

 だが、まさか覚醒した乙女パワーがここまで凄まじいとは。


 尚も星喰いをよろけさせ、猛烈な攻撃を仕掛けるアトラスをモニターに映しながらも、スバルは『乙女を怒らせない方がいいな』と深く心に刻んだ。


 今は戸籍上、女だけど本当は男だったんだよ、とは誰も教えてくれなかった。







 その光景は、最強の兵と呼ばれるタイラントから見ても凄まじい物であった。

 身長160センチメートルほどの人間が、全長200メートルを超す大怪獣を相手に、押しているのである。

 客観的に見て、明らかに有利なのはアトラスだった。

 想像の斜め上に突き抜けた戦いぶりを前にして、新人類軍屈指の女傑は呟く。


「嘘だろ……」

『残念だが、現実だ。さっき頬を抓ってみたが、痛かった』


 状況はいい方向に向かっている。それは事実だ。

 だが、いい状況の筈なのに、悪い物を見てしまったような気がするのもまた事実。

 上空で合流した山脈破壊組と、待機組は揃ってこの世界が現実なのかを確かめる始末である。


『カルロさん。思うんですが、山を破壊しなくても勝てるんじゃないでしょうか』

『奇遇だなミハエル。俺もそう思う』


 本来ならば敵であるはずの旧人類連合ですらもこんな感想なのだ。

 遅れてやって来た第二突撃部隊と、外で待機している10もの戦艦の立場が全くない。


「いや、それでもだ」


 タイラントは首を横に振り、我に返ってから上空を睨む。


「ここは破壊しておくべきだ」


 いかにアトラスが凄いとはいえ、出来過ぎである。

 タイラントはそこまで現実を甘く見ていないし、信用もしていない。

 むしろこの状況を好機と捉えて、本来の仕事を全うすべきである。

 彼女はよくできた社会人であった。


「おい、この雲は本当にガラスで覆われているんだろうな」

『ええ。コレを見てください』


 雲を指差すと、ミハエルを乗せた紅孔雀が観察データを送信する。

 ひびが入った雲が映し出された、画像データだった。


『紅孔雀の剣でついた傷です。ご覧のように、上空には天井があって、それを巧妙に隠しているのがそのガラスなんだと思います』


 確かに、亀裂が入った上空の映像は、ひびが入ったガラスそのものである。

 言われてみれば、そう見えなくもないのだ。


「では、さっそく破壊しよう。案内してくれ」

『はい、こちらです』


 ミハエル機を先頭にして、紅孔雀たちがガラスで覆われた空を移動する。

 ややあってからミハエルは動きを止め、問題の場所を示した。


『あれです』


 正面モニターの映像がズームになる。

 先程ミハエルから送られてきた画像と全く同じ光景が、そこにはあった。

 それだけあれば十分である。

 タイラントはモニターに映るアプリをタッチすると、静かに呟いた。


「よし、作戦を開始する。お前たち、死にたくなければ退いていろ」


 紅孔雀の関節部から青白い光が溢れ出す。

 タイラントは己の破壊のエネルギーが紅孔雀にまで浸透しているのを感じつつも、機体を加速させた。

 扇状に広がるウィングが破壊の光を噴出しつつ、亀裂へと迫る。

 紅孔雀が右腕を突き出した。

 掌に集う、青白い球体がばちばち、と音を立てながら亀裂へと撃ちこまれる。


 炸裂!

 

 亀裂は蜘蛛の巣のように天井全体に広がっていき、音を立てながら崩れ始める。

 山脈が銀の瓦礫となって崩れ落ちていった。


「呆気ないな、思ったよりも」


 アプリを終了させると、タイラントは勝ち誇ったような表情で呟いた。

 ガラスの中に映し出された偽りの夜が砕け散り、本物の太陽が光を灯す。


 目標地点『遊園地』。

 夜しかない不気味な空間に、光が灯った瞬間であった。

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