第118話 vs爆焔の心

 現実って奴はいつだって敵だ。

 アトラス・ゼミルガーの人生は常に悲しい現実に包まれている。

 少年時代、新人類王国に占領されたばかりの某国にて、新人類の回収が行われたことがある。

 当時、新人類と旧人類の見分けは中々つかなかった。

 今ではバトルロイドが簡単に区別してくれるが、昔は無差別に人間を回収しては取り調べを行う他なかったのである。

 アトラスはその時、両親と引き離された。

 だが、同時に最も抵抗したのがアトラスであった。

 彼はそこで初めて、己の能力を使った。

 新人類軍のトラックは爆発し、炎上。

 兵も重傷を負う程の大惨事である。

 

 だが、アトラスは家族のもとに戻ることは出来なかった。

 父と母が向けてきた眼差しは、息子に向ける物ではなかったのである。

 まるで化物を見るかのような、冷めた瞳。

 周囲360度を取り囲む凍てついた視線が、少年の心を凍りつかせた。

 始めて使った異能の力は、彼を故郷から追放させた。


 誰も庇ってくれない。

 誰も迎え入れてくれない。

 誰も笑いかけてくれない。


 当時、敗戦したばかりで反新人類の勢いがあった故郷に、彼の居場所などどこにもなかった。

 アトラスは失意のまま護送車に入れられ、王国へと送り届けられたのである。


 しかし、結果として。

 そこで彼は運命の出会いを果たすことになった。


 新人類王国の特殊部隊、XXXの抜擢。

 そしてリーダー、神鷹カイトとの出会いである。

 出会った当初、アトラスはそこまでカイトを神聖視していたわけではない。

 上司、という立ち位置も幼い少年ではあまり理解は出来ず、精々『世話を焼いてくれるお兄ちゃん』程度である。

 実際、彼は第二期としてXXXに入ってきた自分たちの面倒をよく見ていた。


 シルヴェリア姉妹のベットを毎日のように乾かし、アキナの熱心な戦闘意欲も満たし続けている。

 そう言う意味では、彼は優秀な保護者であった。


 印象ががらりと変わったのは、始めて戦場に出た時である。

 今回の遊園地突入作戦のように、カイトは先陣を切って突撃した。

 そして自身が敷いたレールの上を走らせ、まずは初心者であるアトラス達に慣れさせようとしたのである。

 

 ただ、その中でアトラスはカイトの敷いた道ではなく、彼自身の姿をずっと見ていた。

 魅入っていた、といっても過言ではないかもしれない。

 敵を薙ぎ倒し、戦車相手にも立ち向かい、へまをして殺されかけた自分たちを庇ったその姿を見て、アトラスは尊敬の意をカイトに送っていた。

 

 一生この人についていこう。

 例えそれが彼の仕事であったとしても、語りかけてくれたのは彼だ。

 身体を張ってくれたのも、彼だ。

 彼だけだったのだ。

 自分の力を知った途端に、嫌な目で見てくる旧人類じゃない。

 その事実を噛み締めた途端、アトラスは己の中に燃え上がるような何かを感じた。


 アトラス・ゼミルガー、9歳。

 美少年兵とちやほやされた少年が、恋心を抱いた瞬間であった。


 否。

 アトラスは己の中に燃え上がった『モノ』を、言葉で表現できるとは思っていない。彼はテレビを通じて、知っていたのだ。

 恋とは冷める物なのだ、と。

 例えそれが、どんなに美味しい食材を調理して運ばれてきた高級料理だとしても、毎日食べ続ければ飽きる。

 愛だっておんなじだ。

 だから人間は新しい刺激を欲する。

 アトラスは恋とはそういうものだと認識していた。

 

 だからこそ、そんな安直な言葉で括ってほしくはない。

 現に見るがいい。

 自分のこの忠誠心を。

 あのお方の為に怪物の口の中に飛び込み、自爆してみせた。

 お前に出来るか。

 己が死ぬかもしれない境地に陥ってでも、誰かの力になりたいと思い、遂行することが、お前に出来るか。


 アトラスは誰にでもなく、そう呟く。

 そして彼は今、紅孔雀の爆発の中から落下していた。

 至近距離の爆発だったにも関わらず、アトラス・ゼミルガーは火傷で済んだのである。

 その背景には身体中にメラニー印の折り紙を仕込んでいたり、爆風を能力である程度コントロールしたりと裏事情が色々とあるのだが、今は置いておこう。

 大事なのは、『あのお方』に仇名す大怪獣に一泡吹かせてやることだ。

 

 見よ。

 今、この瞬間にも星喰いは顎を打ち抜かれたようにして倒れようとしている。

 スバル達が散々手こずったバリアを物ともせず、ダメージを与えてみせた。

 その事実に、アトラスは優越感を覚えた。


 見たか、旧人類のサルめ。

 お前が何十分もかけてできなかったことを、私は物の数秒でやってみせたぞ。


 あまりの出来事に呆然とている獄翼は、何も答えない。

 だが、それでいい。

 あの中にどんな奴が乗っているのか知らないが、自分がもっと有能だと証明してみせたのだ。

 獄翼がノーリアクションなのが、その証拠である。

 アトラスはそう思った。


 思いながらも、その身体は木々に引っかかって勢いが殺される。

 そしてところどころ枝に身体を預けつつ、最終的には地面へと落下した。

 脳からの命令を聞かない身体が、懸命になって受身を取る。

 やがて訪れた痛みは、アトラスを心地いい夢の世界へと誘おうとしていた。


 だが、眠気は解かれる。

 彼の名を呼ぶ声が聞こえたのだ。


「アトラス!」


 聞き忘れる筈がない。

 あのお方だ。

 半年前、アトラスはもっと彼に大切にされたい。

 もっと彼の望む姿になりたいと願い、彼が愛した女の姿になった。

 だが、それは彼の逆鱗に触れた。

 なぜ彼が、敬愛していたエリーゼに嫌悪感を示したのかわからない。

 わからないが、しかし、

 機嫌を損ねたのは、間違いなく自分の失敗であった。

 最悪、もう二度と彼と共に歩むことはないと覚悟もした。


 だが、どうだ。

 今、この瞬間にもカイトは自分の名を呼んで駆け寄ってくる。

 派手に倒れ込んだ星喰いの地鳴りが響く。

 アトラスは心の中で『黙れよ』と叫んだ。

 うるさくて、あの美しい声が聞こえない。

 美化された青年の声が再び聞こえるまで、そう時間は掛らなかった。

 視界に待ち望んだ男の姿を映り込んだ瞬間、アトラスは歓喜の涙を漏らす。


「アトラス!」


 ああ。

 なんてことだろう。

 これは夢だろうか。

 あのお方が、目の前で倒れた敵よりも自分を心配してくれている。

 こんなに嬉しい事はない。


「無事……なんだそれは」


 アトラスを見つけ、駆け寄ったカイトの第一声がこれである。

 今のアトラスは、半年前に再会した時の初恋の人ではなかった。

 赤いお面で顔を覆い、素顔を見せまいとしている。

 ただ、その隙間から透明な液体が流れているので、何かしらの感情の変化があったのは事実のようだ。


「儀式です」

「儀式?」


 訝しげに元部下を見やるカイトに、アトラスは答える。

 

「私はあなたを怒らせてしまった。あなたが喜んでくれると思ってやったことは、全て無駄だったのです」


 エリーゼの存在は、アトラスからすれば羨ましいだけであった。

 彼女が微笑むだけで、カイトは満たされる。

 自分が欲しい物の全てを、あの女は持っていた。

 妬ましかったが、それよりも先に笑みがこぼれたのはよく覚えている。

 彼が満足なら、それでいいのだから。


 だが、そんなエリーゼも随分昔に死んでしまった。

 ゆえに、カイトが戻ってきた時の為にエリーゼが必要だった。

 そしてあわよくば、自分が愛されたいと欲を出してしまったのである。

 その結果が、これだ。


 アトラスは己の罪の証を、カイトに見せる。

 お面を外したアトラスの素顔は、半年前の原形を留めていなかった。

 刃物のような物で切り刻んだ、生々しい痕跡が顔中に残っている。

 見れば、長く揃えられていた金髪もショートにまでカットされていた。


「お前」

「私は、ずっと信じていました」


 6年前、XXXのメンバーを襲った爆発事件。

 その主犯はカイトであり、仕掛けた張本人も死亡したとして新人類軍は片付けにかかったが、アトラスは受け入れなかった。

 彼は生きている。

 生きて、きっと帰ってきてくれる。

 何の根拠もない信頼だけを携えて、アトラスは6年間生きてきたのだ。


「あなたは生きていた。生きていてくれた」


 カイトの上着を掴み、アトラスは必至な表情で訴える。

 まるで、逃がさないように捕まえているかのような光景だった。


「だというのに、私は――――私の誇りと、私の全てが、あなたを傷つけてしまった」


 耐え難い現実であった。

 現実は何時だって敵だ。

 味方になってくれたことなどない。

 アトラスは現実って奴が大嫌いだ。

 だからこそ、彼は願いに生きる。

 そうやって、あのお方が受けた心の痛みを、己の罪として受け入れた。


「すまなかった」

「え?」


 だが、そんな『あのお方』から紡がれたのは、アトラスが思ってもみなかった言葉であった。


「知らなかったとはいえ、お前を苦しめた。俺のせいだ」


 カイトはアトラスの前髪を払い、顔をじっくりと眺める。

 それだけでも恥ずかしい、儀式を執り行う必要があったとはいえ、無様な顔を晒してしまった。

 アトラスは数分前の己の浅墓な行動を恥じる。


「本当に、似ているな」


 半年前どころではない。

 XXX時代でも見せたことが無いような。

 カイトの優しい微笑。

 まるで自分を労ってくれるような言葉に、アトラスは崩壊していった。

 目頭が熱すぎて、まともに前が見えない。


「頑張ったな、アトラス。俺を許してくれるか?」

「そんな……私が最初から悪いに決まってるんです」


 言いつつも、アトラスの手には力が入る。

 放っておけば、今にも腕の中に飛び込んできそうな体勢だった。

 ただ、それをするにはアトラスの身体はダメージを受け過ぎている。


「立てるか?」

「申し訳ありません。今の私では、足手纏いにしかならないでしょう」


 震える足に喝を入れたところで、立ってくれたりはしない。

 アトラスは自分の身体に呆れつつも、カイトを見上げる。

 至近距離に彼がいるという事実が、こんなに腕を漲らせているというのに。


「わかった。俺にできることなら何でも言え。6年苦労をかけたぶん、なんでもやってやる」


 その言葉は、カイトの懺悔でもあった。

 半年前、シルヴェリア姉妹と再会した際に第二期に何があったのかを知り、そして己の考えの甘さを思い知ったのだ。

 決め手は、親友への土下座である。

 あれで彼は自分の背負った『借金』の向き合おうと決めたのだ。

 本当なら、再会した半年前に全部済ませるべきだったのだが、アトラスの顔に我を忘れてしまった。

 それが結果として、部下をもっと悩ませることになった。

 反省してもし足りない。


「なんでも?」

「ああ、なんでも」


 言質を取る様にして、アトラスが復唱する。

 カイトが了承の意を伝えると、彼は赤面しながらも懇願した。


「なら、抱きしめてください。たぶん、それで足が動きますから」


 我ながら無茶なことをお願いしたな、とアトラスは思う。

 だが彼の後悔とは裏腹に、『あのお方』は迷うことなくその華奢な体を抱きしめた。


「え? ええっ!?」


 アトラス、困惑。

 悩む間もなくやってのけた事実に驚きながらも、全身に伝わる彼の鼓動に歓喜した。


 夢にまで見た、あのお方の呼吸。

 体温。

 心臓の鼓動。

 肌の感触。

 ゼロ距離。


「あ、あああああ――――――!?」


 アトラスの顔面が、トマトみたいに真っ赤に染まった。

 全身に稲妻が走るのがわかる。

 心臓がばっくんばっくん、と鼓動が早くなっている。

 このまま放っておいたら、自分はどうなってしまうんだろう。

 自然発火して、地球と一緒に爆発してしまうのかもしれない。

 いや、それすら超えて来世の自分とバトンタッチできる予感さえした。


「あ、ふぁ」


 蕩けた表情を晒しながらも、アトラスはカイトを見る。

 もしかしたら。

 もしかしたら、だが。

 長年、夢見てきた光景が実現するかもしれない。


 彼に好きな人がいるがために、懇願できなかった願いがある。

 そして己が彼の『優秀な部下』であるために、踏み出せなかった領域があった。

 アトラスは己の中に燃料が入っていくのを感じると、その願いを口にする。


「キスが欲しいです」

「あ?」


 至近距離で、僅かにカイトが退いた。

 ああ、やっぱり。

 アトラスは後悔を感じながらも、さらに一歩踏み出した。

 半分、ヤケになりながら。


「お願いします。リーダーのエネルギーが注入されれば、私は無敵になれるんです」

「無敵って……」


 そういえば、ちょっと前に自分もそんなことがあったなぁ、とカイトは思い出す。

 しかし、それにしたってキスか。

 余談になるが神鷹カイトはちゅーにいい思い出が無い。

 ファーストキスは鉄の味がしたのだが、笑い話にすらなりはしないのだ。


「ぬ!?」


 しばし固まっていると、ふたりを見下ろすようにして巨大な影が起き上がる。

 星喰いだ。

 紅孔雀の自爆から回復し、立ち上がってきたのである。


「リーダー……」


 潤んだ瞳を向けられた。

 カイトは思う。


 この状況はやばい、と。


 何がやばいかっていうと、最大の標的である星喰いが再びバリアを張ろうものなら、今度こそ中からどうにかしなくてはならない。

 外から何度も紅孔雀が自爆するなんて真似はできないし、いたずらに兵を殺すだけだ。

 それに、黒目の女と怪物の関連性もまだ見えない。


 カイトは改めてアトラスへと振りむき、問う。


「無敵モードになれば、勝てるか?」


 星喰いを指差し、視線をぶつけた。


「ちょろいですね」


 小さな口から放たれたのは、余裕の笑み。

 いいだろう。

 今は戦力が少しでも欲しい。

 オズワルドとズバル、シャオランだけでは心もとないのだ。

 使える戦力であるのなら、猫の手でも借りたいくらいである。


 ゆえに、返答を聞いた後のカイトは迷わなかった。


「え、ちょ、ちょっと!? マジで!? やっちゃうの? やっちゃうんですかああああああああああぁ!?」


 右腕が喚くが、気にしない。

 カイトは嘗ての思い人の面影を残す唇に向けて、己の口を押し付けた。

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