第88話 vs進化
進化とはなんだろう。
その定義こそ様々だが、敢えて一言で表すのであれば『理想の自分への変身』であると私は思う。
生物は本能的に餌を求め、人間は便利を求めて文明を進化させていった。
そこに理想があったからだ。
だが、現実は残酷である。
例えば私が今この場で、イケメンに進化したいと考えたところで、すぐさま顔の造りが美しくなるわけではない。声色も綺麗になるわけではないし、たるんだ贅肉がしぼむこともあり得ない。
進化とは、時間を対価にして行われるものだ。
少年少女に判りやすく言えば、レベルを上げる事でより強力な姿に変化するモンスターを育てるゲームがあっただろう。あのように、レベルを上げるという『時間』を浪費し、対価として支払うことで彼らは進化する。
現実の動物や、人間も同じだ。
理想のウェストを求める為に、人間は運動を対価にしてダイエットをする。
テストの成績を伸ばしたいから、時間を対価にして勉強をする。
そうやって我々生物は進化していったのだ。
ゆっくりを時間をかけて、サルが人類へと変わっていったように。
では、果たしてそれは前述した新生物にも当てはまるのか。
答えはズバリ、NOだ。
先ず新生物はそもそもの定義として、我々の予想を大きく上回る存在である。彼らが我々人類やその他の生物のように、ゆっくりと、のうのうと時間をかけて、ちんたら進化すると思うだろうか。
私は思わない。
いかなる可能性にも、瞬時に対応できるからこその新生物なのだ。
で、あるならば進化も当然瞬時に行われる事だろう。
考えてみても欲しい。
例えば身体のラインを細くしたいと念じて。
翼をください、と望み。
でっかくなりたい思えば、それだけで新生物は望んだ自分になってしまうのだ。
なんとも夢のある話で、なんとも優遇された話である事だろう。
彼らは対価を支払う必要も無く、望んだ姿になる事ができるのだ!
我々人類は果たしてそんな彼らとまともに戦ったとして、勝てるだろうか。
少なくとも、私は人類が勝てるとは思っていない。
あなたは自在に進化し続ける生物と戦って、勝てると思うか?
もし、そんな奴に勝てる人間がいるとしたら。
それはきっと、新生物のように進化した人間なのだろう。人類が、その枠を超えて進化をしているかは疑問だが、少なくとも対等の立場であれば、きっと負けることはないのではないだろうか。
進化を制する者が、新生物との戦いを制するのだ。
シュミット・シュトレンゲルの自伝、『私の愛した終末論』より抜粋。
マリリス・キュロは決して恵まれているとは言えない街娘である。
幼い頃に両親を亡くし、ゾーラと二人でパン屋を経営していった彼女は、子供のころから何かを欲しがることはなかった。
クリスマスの時期、ゾーラが気を利かせてサンタさんへのプレゼントは何がいいかと尋ねたことがある。
すると、マリリスはこう答えた。
『私だけじゃなくて、世界中の皆のポケットに平和が入りきればいい!』
なんとも純粋な子供である。
他人を思いやる女児の一言に、ゾーラは感動した。彼女を優しい子のまま成長させたいと、強く思った。
そして時が経ち。
育ての親の願いどおり、マリリスは本質が変化しないまま育っていった。若干天然な所もあり、やや子供っぽさが目立つところもあるが、まだ思春期の娘なのだ。
これから彼女なりに人生を謳歌してくれればいい。
成長したマリリスを見て、ゾーラはそう思った。
だが彼女は知らない。
学校に通っていない彼女が、密かに街の中で虐めの対象とされていたことに。
虐めと言っても、同世代の学生から陰口を叩かれたり、偶にバケツを倒されるといったレベルの物だ。民衆の前で悪口を言うような、目立つものではない。
それでもマリリスの身近にいたゾーラが、最期までそれに気付けなかったのには理由がある。
マリリスが耐えていたのだ。
彼女は虐めに立ち向かう事もせず、ただひたすら嫌がらせに耐えた。
そして地味な出店のカウンターで、笑いかけて言うのだ。
『いらっしゃいませ。今日のお勧めはアップルパイです。美味しいですよ!』
マリリス・キュロはそういう娘だった。
嫌な事があったら、解決する為に暴力は振るわない。誰かに相談することもしない。
ただ嫌な気分になるのが自分だけなら、幾らでも誤魔化せる自信があった。少なくとも、身近な人が嫌な気持ちになるよりだったら、その方がいいと考える。
微塵にも表情に出すことが無く、誰かを不安な気持ちにさせることはしない。
それが彼女の戦い方だった。
マリリスにとって、身の回りの人間に起こる不幸は何よりも辛い物だ。
育て親、ゾーラは不幸な出来事で殺してしまい。
同世代の領主の息子、アスプルは新生物に食われ。
知り合ったばかりの反逆者達も脳をやられてしまった。
彼女の周りで笑いかけてくれる大事な光が、一つずつ消えていくのが分かる。まるで蝋燭の火が、少しずつ削れていくかのように。
マリリスは思う。もしもこの火が消えてしまったら、もう自分には何も残らないのだろう、と。
そして同時に、この国で一緒に過ごしてきた色んな人たちも同様なのだと思った。
固まった身体に呼びかけるようにして、誰かに言われた言葉が頭をよぎる。
――――アンタは当たりくじを引いたんだよ。
当たりくじ。
ああ、なんて甘美な言葉だろう。
色んな人がこの一等賞を欲して、出来る限りのことをやってきたに違いない。
でも、ごめんなさい。
マリリスは背中から突き刺さる視線のような物を感じながらも、懺悔した。
彼女が欲しかったのは、邪魔者を薙ぎ倒す鞭ではない。
壁を問び超えるジャンプ力でもない。
どんなカラーコンタクトよりも派手な瞳の色でもないし、髪飾りにしては斬新すぎる角でもない。
ましてや、大好きなおばさんを切り殺してしまう刃なんて、もっての外だ。
彼女が欲したのは、そんなものではない。
敵を倒す強力な武器じゃなくて、誰かを助けられる何かになれれば。
それだけで、どんなに幸福だろう。
マリリスは眼前に迫る新生物の矛先に怯えつつも、心の中で叫んだ。
こんな一等賞なんていらない、と。
もしもあのサソリメイドの言うように、自分が望む方向へ進化できるのであれば、マリリスは切に願う。
どうか皆をお守りください、と。
他の力がどうなろうと構わない。戦えなくなっても構わない。
せめて幸せな日常を送る事が出来るのなら、それが願いだ。それゆえ、マリリスは望む。
「皆を、かえせえええええええええええぇぇぇぇっ!」
全身が凍りついたように動かない中、マリリスは辛うじてそれだけを口にした。
直後、彼女の身体が眩く輝き始める。
「うえっ!?」
近くで体勢を崩していたメラニーが驚愕する。
同時に、マリリスに襲い掛かろうとした新生物もその動きを止めた。触手の中を潜り抜けるようにして、メラニーが投げつけた折紙が新生物の身体に張り付く。
だが、そんなことも確認できないまま、メラニーは眼前の少女の変化に目を奪われていた。
彼女の身体全身に寄生していたような悍ましい変化が、徐々に身を潜めていく。角と顎は溶けるようにして光の粉となって霧散し、瞳の色は元のブルーに変色し、四肢は人間のソレへと形を変えていった。
そんな中、彼女の身体に新たな変化が起こる。
背中から羽が生えているのだ。しかもそれは、今までのような嫌悪感を刺激するような物ではない。
「綺麗……」
メラニーは思わず見惚れていた。
マリリスの背中から突き出た、純白の羽。団扇のように広がり、黒い線が模様となったそれは、まるでモンシロチョウのようだ。
「あ、れ……?」
一歩遅れてから、マリリスは自身の変化に気付いた。
両手が元に戻っている。足も変な方向に曲がっていない。顔をぺたぺたと触ってみる。唇から変なのが飛び出していなければ、頭から何かが出てきているわけでもない。
「め、メラニーさん! 大変です。私、元に戻りました! どうしちゃったんでしょう!」
「背中! あんた自分の背中大変なことになってますよ!」
先程まで震えあがっていた少女はどこに行ったのか。
新生物が横にいる事も忘れて、マリリスは背中に手を回す。
「……え、何ですかこれ!? メラニーさん、私なんで羽が生えちゃったんです!?」
「知らねぇですよそんなの!」
妙な肌触りを察知したのだろう。
マリリスの表情が徐々に曇っていった。彼女の感情に反応するかのようにして羽がパタパタと動き始める。
ちょっと可愛かった。
「ん?」
だがそこでメラニーは気づく。
つい先程マリリスに襲い掛かってきた新生物が、突然動きを止めているのだ。羽が生えてから既に1分くらいは立っている。その間、この悍ましい生物が何もしかけてこないのは、逆に不気味であると言えた。
しかしその直後。
新生物の胴体が、突然爆発した。
「え!?」
のた打ち回り、転倒する新生物。
触手と胴体が痛みでもがいているところを見るに、死んでいたわけではなさそうだ。
それにしたって、今のは一体何だ。
今まで巨大ロボットの攻撃を受けて、平然としていた新生物がなんだってまた突然爆発なんか起こしたというのだろう。
「……ああ!」
メラニーは一人、納得する。
マリリスに襲い掛かった際、巨人に向けて放った折紙。あの中には、爆弾の役割を担う黄色い折り紙が混じっていたのだ。
それが新生物に張り付いていたのであれば、確かに爆発はするだろう。
だが、それでもまだ疑問は残る。
ここまでどんな攻撃を受けても耐えてきた新生物が、あんな物でここまで痛がるものだろうか。
何度も刃で切られ、その身を焼かれながらも起き上がってきた異形の化物。なのに今、その化物は小さな折紙の爆発で激しくのた打ち回っている。
意外な大ダメージを前にして、メラニーは思わずマリリスと顔を見合わせた。
彼女も同様の疑問を覚えたのだろう。
不思議そうに首を傾げつつも、背中の羽をぱたつかせた。
羽からは、まるで宝石のような光り輝く鱗粉が撒き散らされていた。
トラメットのとある病院に勤める初老の医師が、慌てて廊下を走る。
彼は今、激しい後悔に駆り立てられていた。
新生物の襲来を受けて、街は今避難の号令が出ている。だというのに、この病院に運び込まれた寝たきりの新人類達は誰にも運ばれることなく、ベットの上で眠り続けていると言うのだ。
入院中の患者を全員運び出したつもりが、手違いがあったらしい。
だが、今となってはそうも言っていられない。彼は危険を承知で3人の新人類が眠る病室へと駆け込んだ。
「ふぉっ!?」
ドアを解き放ち、病室を開けると医師は思わず間抜けな声を出してずっこけてしまった。
居なかったのだ。
この病室のベットの上で眠っている筈の3人の新人類が、どこにも。
「そ、そんな筈は……」
慌てて病室を確認しながらも、医師は思う。
彼らは植物人間のような状態になってしまい、ずっと眠ったままの筈だ。
百歩譲って、眠りから覚めたとしよう。
だが、それならなぜベットがもぬけの殻なのだ。しかもわざわざ彼らの為に着せた入院用のパジャマが脱ぎ捨てられ、畳んであった私服が無くなっている。
それはつまり、あの3人が同時に着替えたことを意味するのではいのか。
混乱しつつも、医師はベットの一つに手をやった。
僅かだが、何度も感じてきた人体特有の温もりが残っていた。
医師の頬に、心地のいい風が伝わってくる。
窓に視線を向けた。
解き放たれた窓から、綺麗な光が見える。
まるでダイヤモンドで形成されているかのような、美しい光の結晶だった。医師はそれに見惚れながらも、窓に近づいていく。
「あ!」
窓から顔を覗かせると、医師は見た。
本来ベットで寝たきりになっている筈の3人の若者が、街の中を駆け抜けていたのだ。
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