第63話 vsマリリス・キュロ

 目覚めたマリリスが真っ先に視界に収めたのは、見知った自宅の天井だった。

 しばし呆然となって天井を見つめていたが、自分の身に起こった出来事を思い出す。


「わ、私――――!」

「お、気付いたか」


 自室の扉を開き、一緒に行動していた3人の反逆者とゾーラが入ってくる。

 

「マリリス!」


 ベットから起き上がった彼女を見るや否や、ゾーラは駆けだして彼女を抱きしめた。タックルでも決めそうな勢いである。

 

「大丈夫だったかい? どこか身体が痛んだりする?」

「ううん。大丈夫。ありがとう、ゾーラおばさん」


 微笑み、体調の良さをアピールする。

 事実、彼女は身体に違和感を感じていなかった。

 特にダルくはないし、寒気も感じない。健康そのものである。


「なにがあったのか、覚えてる?」

「はい。おぼろげに、ですが」


 シデンからの質問に答えると、安堵していた反逆者たちは真剣な表情に早変わりした。

 

「一応確認しておきたいんだけど、あのチューリップって人に襲い掛かってきたことはあるの?」

「いえ。聞いたことがありません」

「私も始めて聞いたよ。この国に移住してきた時から、そんな話は聞いたことがないわ」


 やっぱそうか、とエイジが呟く。

 あのチューリップは突然人間に襲い掛かった。そして洞窟に運びだし、ホルマリン漬けのようにして保管していたのである。

 どういう習性でそれを行っているのかまではわからないが。


「じゃあ、地下にでかい空間があるところって心当たりある?」

「地下ですか……一応、避難場所としてどの家にも地下がありますけど」

「そういうのじゃなくて、ブレイカーとかが何機も保管されてそうな場所」


 その質問に、マリリスとゾーラは頭を捻った。

 理由は簡単。


「実際見たことはないから、なんともいえないんだけどね。やっぱり大使館じゃないかね」


 ゾーラがいった。

 普通に考えたらそれが真っ先に出てくるだろう。

 実際、日本の大使館も地下に倉庫を作っていた。獄翼もそこから奪い取った代物である。

 だが、あの地下空間は人工的な作りとはとても思えない。今時土のままの地下倉庫なんてあり得るのだろうか。


 そんな時である。

 来訪者を告げるチャイムが鳴り、入口から男の声が響いた。


「ごめんください」


 アスプルだ。

 何度か軽いノック音もした辺り、律儀である。


「巨大チューリップにマリリスが襲われたと聞きました。詳しいお話をお伺いしたいのですが」


 国の代表を担うダートシルヴィー家の人間としての責務を果たしに来たのだろう。彼の訪問は当然だ。

 だが、事情を知っているのは家主のゾーラではなく反逆者一行である。


「しゃーねぇ。一旦落ち着いてからまた話し合おうぜ」

「そうだね。マリリスも起きたばっかりだし」


 それに、この件で聞きたいことがあるのは彼らも同じだ。

 あの空洞の正体がなんなのか、ダートシルヴィー家の人間なら知っていてもおかしくない。

 それに、消えたバトルロイドの行方も気になる。


「私なら大丈夫ですよ。直接アスプル様にお話を」

「いいから、黙って寝てなさい」


 無理やり起き上がろうとするマリリスを、ゾーラが制止する。

 彼女はマリリスを抱えるようにして優しくベットに倒し、毛布をかけてあげた。


「今は私と反逆者様に任せて、あなたはゆっくりと寝ておくこと。いいわね」

「一応、あんな目に会ったばっかなんだから休んでおいた方がいいよ」

「……はい。ありがとうございます」


 あんな目に会った、といっても具体的になにをされていたのかはわからない。だが、大事をとっておいて損はないだろうというのが全員の見解だった。

 マリリスもその意図は理解できていたようで、素直に甘えることにする。


「飲み物は置いておくから、喉が渇いた飲んでね」

「すみません。お客様なのに」

「気にすんなって」


 ベットの横にある小さなテーブルにペットボトルとコップを置き、反逆者たちは部屋を出る。それを見届けた後、ゾーラはマリリスの表情を確認した。


「マリリス。念を押すようで悪いけど、本当に体調はなんともないんだね?」

「もう。おばさん、私は大丈夫ですよ」

「心配にもなるさ。アンタは私に残された最後の家族なんだよ」


 どこにも行ってしまわぬようにしっかりと手を取り、彼女は続ける。


「もしアンタにまでなにかあったら……」

「おばさん」


 マリリスは彼女の手を優しく掴み返し、微笑む。

 彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。新人類軍の侵攻でゾーラは夫と娘を失い、マリリスは両親を失った。戦前から顔見知りだった彼女たちはお互いの傷口を舐めあうようにして、共同生活を始めたのだ。

 互いの寂しさを紛らわせ、家族を埋めあうことで彼女たちは今日まで生きてきた。もしどちらか片方が消えれば、その瞬間に残された方は砕け散ってしまうであろうことも、容易に予想できる。

 ゆえに、マリリスは即答する。

 

「私だって同じだよ」

「なら、くれぐれも無茶はしないでね。私はもう行くけど、ちゃんと休んでるんだよ」

「うん。ありがとう」


 そういうと、マリリスは毛布を被り横になる。

 安らかな表情で瞼を閉じる姿に安堵したゾーラは、そこでようやくマリリスの自室から出て行った。

 彼女は階段を下り、反逆者とアスプルの待つ食卓へと向かう。


「申し訳ございませんアスプル様。遅れてしまいました」

「いえ、構いません。事情は大体わかっているつもりです」


 既に椅子に座り、3人の反逆者たちから詳しい話を聞き始めていたアスプルはゾーラを歓迎した。

 しかしその表情は暗い。

 彼なりに、今回の件を深刻に受け止めていた。


「よもはや、あの花が人を襲うとは」

「トラセットには、食人植物がいるって聞いてるぞ。あれも似たようなもんじゃねぇのか?」


 驚きよりも、不信の感情の方が強いのだろう。

 アスプルは俯き、黙ってエイジの言葉を聞いた。


「だとしても、大樹の真下にある空洞にまで餌を連れて行く習性がある植物なんてものは、大樹の歴史上はじめてです」

「あの空洞はなんなんだ?」

「あくまで私の予想ですが」


 空洞は現在、アスプルの部下が調査中である。

 トラセットの歴史のみならず、この国が独立する以前に遡ってもあんな空間は始めてなのだという。

 そこから導いた答えは、


「恐らく、大樹の餌場かと」

「餌場!?」

「そうです。チューリップは近づいてきた餌を食らい、それを大樹の下へ送り届ける。そして大樹はその餌の養分を吸う。こう考えれば、ある程度説明はつくでしょう」


 確かに、違和感はない。

 大樹はいまだにその生態が明かされていない未知の植物だ。

 なにがあったとしても不思議ではない。


「でも、なんでそれが今になって機能したんだ?」

「わかりません。そこは調査団の結果を待つしか」

「いや」


 待つ必要はない、と言わんばかりにシデンがアスプルの正面に立つ。

 身長が小さく、女性のような顔つきでも表情には確かな威圧感があった。彼はアスプルを――――ダートシルヴィー家を怪しんでいる。


「他に知っていそうな方がいるでしょう。そこから情報を貰ったらいいと思うけど」


 シデンの瞳が、正面を射抜いた。先日は温厚だった彼も、行方をくらませた友人と今回の一件で不満を抱え込んでいる。怪しいと踏んでいる一家の代表格が出てきたら、問いただしたい気持ちが溢れかえったのだろう。

 僅かながらにアスプルの肩が震える。


「貴方は知っている筈だ。新人類軍がどうして大樹から兵を引いたか。そのタイミングに合わせて今回の件。偶然とは考えにくいとボクは思うんだけど」

「私はそこまで新人類王国と関わっていません。その辺の事情に詳しいのは、どちらかといえば兄です」


 そんなことはシデンとて百の承知だ。実際に勤めているアーガスの方が事情に詳しいに決まっている。

 だが、


「でも、君の家もバトルロイドが在住してる筈なんだろう。昨日来たときには居なかったけど、まさかあの庭師やメイドがそうだとはいわないよね」

「……皆さんをお迎えするのに、あれはいささか無機質でしょう。なので、一旦帰宅してもらいました」

「始末した、と?」

「まさか。確かに新人類はこのトラセットには何名かいます」


 だが、この国に生まれた新人類の大半は芸術に秀た超人である。

 その他は全員が旧人類の弱者だ。殴り合ったり、撃ち合ったりしたら返り討ちになってしまう、弱者ばかり。

 だからこそ英雄が生まれた。戦う力を持った勇者が必要だった。


「皆さんもご存知でしょう。皆さんのように戦え、優れた力を持って生まれる新人類は出生率が低い。大樹があるとはいえ、この国も例外ではありません」

「反乱軍はバトルロイドくらいなら蹴散らせるんじゃないの?」

「冗談を仰らないでください。あなたは我々に、生身で怪物と戦えと仰るのですか」


 シデンとアスプルの論争はヒートアップしていくばかりだ。

 双方の友人であるスバルとしては、聞くに堪えない言い争いに聞こえてしまう。


「なあ、おばちゃん」


 そんな言い争いに終止符をうったのが、エイジだった。

 彼はゾーラに視線を向け、問う。

 

「実際、この国の新人類と旧人類の比率ってどんな感じなんだ?」

「そうだねぇ。大体2:8ってところだと思うよ」

「へぇ。ついでに、おばちゃんやマリリスはどうなんだ」

「私もあの娘も生粋の旧人類だよ。やっぱり、目立った新人類はアーガス様だけだね。他は大体が作曲家や画家って感じかしらね」

「そっか。サンキュー」


 笑顔でいうと、エイジは論争に熱中しはじめていたふたりに向き直る。


「てなことだから、この話題は一旦切るぜ。埒があかねぇ」


 スバルは思う。

 ナイス、エイジさん。

 思わず親指を立てて、彼の仲裁を喜んだ。

 心なしか、彼の右手から小さいピースが見える気がする。


「兎にも角にも、新人類軍だ。大樹の研究はコイツらが一番やってたんだろ」

「その通りです」


 アスプルが頷く。

 大樹の研究という点では、新人類王国は侵攻当時から念入りに行ってきた。悲しいが設備や頭脳も彼らの方が一枚上手である。なにか知っているとしたら、彼ら以外にありえない。


「なら、俺は提案するぜ。大使館に依頼して、この件を調査してもらうんだ」

「エイちゃん!?」


 シデンが驚き、詰め寄る。


「なにを考えてるの。みすみすボクらの存在を知らせるつもり?」

「俺達はここだとただの旅行者だ。そうだな、アスプル」

「ええ、その通りです」


 筋書きはこうだ。

 観光に来た彼らは、善意に溢れたパン屋の娘に道案内をされて大樹を見に来た。

 ところが、名物である巨大チューリップが突然襲い掛かってきた。

 娘は無事に助け出され、花の周辺を調べたら謎の空間があった。

 

「おおまかに、こんな感じだな」

「なんとか俺達の存在をぼかして、向こうに報告するわけか」

「ああ。どちらにせよ、この件は報告せざるを得ないだろ」


 そしてあわよくば、接触した時に新人類軍の現状も調べる。

 実際に大使館の中に入る可能性は確実とまではいわないが、相手の状態である程度推測できるはずだというのがエイジの考えだ。

 ゆえに彼は、報告の際には身分を隠して付き添うか、どこかに隠れて盗み聞きをするか提案するつもりだった。

 

 が、しかし。その提案があげられることはなかった。

 丁度この瞬間にガラスの破砕音が上から響いてきたからである。


「っ!?」


 この場にいる全員が真上に視線を向ける。

 上にいる人間はひとりしかいない。ゾーラとスバルが素早く階段へと足を運ぶが、


「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ば、化物だ!」


 外から次々と悲鳴が木霊する。

 その必死な叫びは、話し合いを中断させるには十分過ぎる威力を持っていた。







 時間は少し遡る。

 瞼を閉じ、リラックスして再び眠りに付こうと思ったマリリスだが、中々寝つけずにいた。もちろん理由がある。目を閉じた瞬間、巨大チューリップに襲われた光景を思い出してしまうからだ。


「……ふぅ」


 一旦上体を起こし、深呼吸。

 毛布を少し剥がすと、身体中に熱が籠っているのがわかった。何時の間にか着せ替えられていたパジャマにも、うっすら染みが出来ている。

 確か、横に設置された一人用のテーブルにシデンが水を置いてくれた筈だ。それを思い出したマリリスは、ペットボトルに右手を伸ばす。


 直後、異変が起きた。


 右手が伸びたのである。

 ゴムのように勢いよく飛び出し、掴もうとしたペットボトルを弾いてしまった。


「え!?」


 その光景に面食らったのは、マリリス本人だった。

 あまりの出来事に、思わず自身の腕を何度も見る。さっきまでついていた筈の五指が完全になくなっていた。

 伸びた右腕はまるで軟体動物のようにうぞうぞと跳ねあがり、中に蛇でも入っているのではないかと思えるほど縦横無尽に動く。勿論、これは彼女が腕をこう動かそう、と脳に命令したからこそ動いているのだが、目の前で起こる出来事に混乱した彼女は、そんなことを考える余裕がない。

 それどころか、その混乱に比例するように伸びた右腕が暴れ狂う。

 

「ひっ――――」


 立ち上がり、反射的に逃げようとする。

 だが、勢いよく立ち上がった瞬間にバランスを保つことが出来ず、倒れ込んでしまった。

 なぜか。異変は彼女の脚部にまで及んでいたのだ。


「いたた……えぇっ!?」


 転んだ際にぶつけた顔面を大事にしつつも、自分の足を見る。

 膝が本来とは逆の方向に曲がっていた。それどころか、肉付きも不自然なまでに細くなっている。傍から見ればバッタかカンガルーの足のようにも見えた。


「なにこれ。なんなのこれぇっ!」


 横になっていた時までは普通だった筈だ。

 反逆者の3人が運んでくれて、尚且つ懐疑の視線を送ってこなかったのだ。きっとそれは間違いない筈である。

 だが、彼女の疑問は止まらない。

 これ以上の身体の変化を恐れながらも、彼女はベットを支えにしてなんとか立ち上がる。

 必死な形相になって起き上がろうとするその口からは、時折嗚咽が漏れた。

 

 そんな彼女に、変化した脚は無情にもその真価を発揮する。

 

「へ――――?」

 

 やっとの思いで立ち上がり、一歩を進めようと踏み込んだ瞬間。

 必要以上にしなやかになった足は、バネのように彼女の身体を前方に放りだしたのだ。

 

「ひぃっ!」


 前方には、窓ガラス。

 放り出されたマリリスの身体は窓へと叩きつけられ、宙を舞う。

 綺麗な放物円を描きながらも、彼女は地面に激突した。

 重量感のある衝撃音が響くと同時、砂埃が巻き起こる。


「な、なんだ?」

「どうしたんだ」


 その音を聞きつけて、近くの住民が集まってきた。

 騒音で意識を取り戻すと、マリリスは唯一まともに使える左手でゆっくりと身体を持ち上げる。


「あ、あれ……?」


 だが、そこで彼女は気づいた。

 人に見られたことではない。衝突の際に突き刺さったカラスの破片が、自分の身体から抜けていく。傷口は徐々に閉じていき、流れ出していた筈の血も止まっていた。それどころか、地面に叩きつけられた際に生じた痛みも、最初に激痛が襲い掛かってきた後、まるで痛みを感じない。

 どうなってしまったというのだ、この身体は。


「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ば、化物だ!」


 砂埃が落ち着き、彼女の姿が国民の目に晒された。

 鞭のように長い右腕。膝の向きが逆さまの足。それらがあまりにグロテスクで、彼らの嫌悪感を刺激する。


「え?」


 しかし、そんな視線と悲鳴にマリリスはすぐに気付けないでいた。

 周囲にいた人間が、自分から遠ざかっていくのを感じる。見れば、彼らは全員意図的に自分から距離を置いていた。


「あ、あの。私!」


 違うんです、と口にしようとした時である。

 自宅の扉が開かれ、彼女の知った顔が集まってきた。


「どうした!?」

「なんの騒ぎですか」


 アスプルを先頭に、シデンとエイジが顔を出す。

 遅れてスバルとゾーラもダッシュで駆けつけてきた。


「大変だ! マリリスが部屋からいなくなった!」

「ああ、だろうな」


 スバルが深刻な表情でエイジに伝える。

 が、彼らが視界に収めた物を見て、スバルは遅れて絶句した。


「マリリス?」

「ち、違うんです! これは、その」


 懐疑的な視線を受けて、たじろぐマリリス。

 なんとかこの状況を説明しようと身体を動かすが、左手一本ではなかなか身体のバランスが整えれられない。

 上半身を支えきれず、左手が崩れる。ソレに合わせて、彼女の身体も倒れ込んだ。


「きゃっ」

「ま、マリリス!」

「スバル君、待って!」


 思わず駆け寄ろうとするスバルだが、後ろからシデンに羽交い絞めにされて動けない。

 身長差は20センチくらいあった筈だが、呆気なく抑え込まれてしまう。


「離してよ!」

「落ち着いて! 明らかに普通じゃないよ、今の彼女は!」


 そう、今のマリリス・キュロは普通ではなかった。

 先程ゾーラは明言した。自分もマリリスも旧人類だ、と。だが、今の彼女の姿はなんだ。あれが旧人類の姿なのか。

 同時に、新人類なのか。

 

「動物に擬態する奴は見たことがあるけど、あんな変化は初めて見るぞ」


 エイジが呟くと同時、マリリスが呻きながらも力を振り絞って起き上がった。綺麗な顔は砂にまみれ、目尻から涙が滲み出ている。


「違うんです。違うんです……!」


 なにが、とは言えない。

 だが彼女には、周囲から向けられる視線に耐えるだけの力はなかった。

 ある者は好奇心。ある者は畏怖し、ある者は蔑むような視線を向けてきた。目の前にいる気持ち悪い生物を侮蔑するように、彼らは距離を置いたのだ。

 そして叫ばれた。化物、と。

 言葉や視線に紛れて、見えない石が彼女に投げつけられる。


「ちがっ、違うんです」


 本当は指が生えているんです。

 本来なら、皆と同じような足なんです。

 本当は痛くて痛くて仕方ない筈なんです。

 皆さんと同じなんです。


 伝えたいことは湯水のように溢れかえっていく。

 だが、口が上手く形容してくれない。伝えたいことがあるのに。ちゃんと説明したいのに、身体はいうことを聞いてくれなかった。


「退きなアンタたち!」


 そんなマリリスに助け舟を出すように、怒鳴り散らす声。

 ゾーラだ。彼女は反逆者を押しのけ、周辺で群がる者を蹴飛ばしながらも、マリリスへと向かって行く。


「なにさ、寄ってたかって女の子を苛めてそんなに楽しいかい!?」


 彼女の一喝に、周囲を取り囲んでいた国民は黙り込む。

 それをつけ入れる隙と見たのか、彼女は続ける。


「この子は化物じゃないよ。皆知ってるだろ、この子はね。私の娘なんだよ!」


 胸を叩き、ゾーラは真っ直ぐマリリスを見つめた。

 滲み出ていた涙が、溢れ出した。


「おばさん……おばさぁん……!」

「大丈夫だよ、マリリス。私だけはなにがあってもアンタの味方だからね」


 変わり果てた姿の娘に躊躇うことなく近づき、ゾーラは優しく抱擁した。

 再び倒れてもおかしくない上半身を、ゾーラが支えてくれている。


 ああ、なんて暖かいんだ。

 そしてなにより、落ち着く。寝かされた時もそうだったが、まるで本当の母親のように、彼女は優しかった。

 こんなわけのわからない姿になっても、それは変わらない。

 その事実が、なんて頼もしい。


「ありがとう。おばさん」


 いや、もうこんな他人行儀な言い方はやめよう。

 この人に失礼だ。それに、前からそう呼びたかったはず。


「おかあさん」


 ゾーラの温もりに抱かれ、それを離すまいとするようにマリリスは残された腕を彼女の背中に回した。

 静寂の時間が流れる。

 勇気ある女性が起こした行動が、ここにいる全員の視線を釘づけにさせた。その目の色は、先程までの蔑んだような物ではない。

 スバルを羽交い絞めにしていたシデンも力を緩め、彼を介抱していた。もうそんな必要など、どこにもない。


 だが、


「ダメだあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 静寂を引き裂くようにしてスバルがマリリスに向かい、叫ぶ。

 

「え?」


 その叫びに反応したマリリスが呟く。

 同時に、彼女が抱きしめていたゾーラの身体が、大きく傾いた。

 倒れる。ゾーラの上半身が。下半身を残したまま。


「え……?」


 何が起こったのだろう、と思う前に。

 マリリスの目に、ある物が飛び込んできた。

 大きな鎌が見える。曲刃には切っ先から根元にかけて赤い液体が付着していた。


 そして同時に、その大鎌は自身の左腕が『変化』した物だった。

 腕から生える曲刃の根元が、動かぬ証拠となってマリリスを追い詰める。


「い――――」


 新たな異変が娘に起きた。

 だが、ゾーラはなにも言わない。

 言ってくれない。

 そして、もう二度と喋ってくれない。


 彼女の胴体は、左手の大鎌が真っ二つにしてしまった。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!」

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