第43話 vsエリーゼ
何度も通った廊下をひとり、歩く。
彼の周辺に人がいないのは非常に珍しいことだった。大体何をするにもシルヴェリア姉妹が近くにおり、そうでない場合でも同期のメンバーが打ち合わせや訓練と言った理由で近くにいる。
しかしこの日、彼はひとりだった。
ひとりで出向かわなければならない理由があった。
「エリーゼ」
呼び出した人物の名を口にしながら、彼は扉をノックする。
今の姿よりも若干幼さが残る表情には、どこか期待に満ちた笑みが見えた。
彼の名は神鷹カイト。この時16歳。
この日、彼はXXXの監督であるエリーゼに呼び出された。用件はわからない。ただ、一緒に夕食を食べているときに呼び出されただけで、それ以外は何も言わなかった。
だが、理由なんてどうでもよかった。
例えどんな理由があろうと、彼女が自分を求めて呼び出した。その事実が、カイトの心を満たしたのだ。
「俺だ。入るよ」
『どうぞ』
扉の奥から彼女の声が聞こえる。
カイトはその言葉に従い、扉を開けた。
部屋の中は真っ暗で、ただ彼女が作業で使うノートパソコンだけが淡い光を灯している。
「エリーゼ、目が悪くなるよ」
「うん」
「電気つけようか」
「ううん」
椅子を回転させ、エリーゼが振り向く。
彼女の椅子は車椅子だ。3年前、カイトが受ける筈だった銃弾を全て受けた結果がこれである。
エリーゼはその時の傷が原因で、車椅子生活を余儀なくされていた。
もっともそれは3年前の話であり、今はリハビリも進んで車椅子が必要という訳ではない。
それでも使い続ける理由としては、思い入れがあるから、ということだった。
「鍵、締めて貰っていい?」
暗がりの中でもわかる、彼女の笑み。
それを断る力はカイトにはなかったし、断る理由も無かった。
彼は彼女にぞっこんだった。他の人間の頼みなら、部下に任せる等して切り抜けていただろう。例えそれが、鍵を閉める程度の小さな頼みでも。
「かけたよ」
「そう。ありがとう」
エリーゼが再び、微笑む。
暗がりで僅かに見えるそれを目にして、思わずカイトも表情が緩んだ。
幸せだった。彼女の優しい笑みを見るだけで満足していた。
第一期XXXとは仲違いし、第二期XXXに付き纏われてうんざりしていても、彼女だけがいればそれでいい。
彼女が一喜一憂し、その横に自分が居れれば、それだけで。
「エリー
乾いた音が、暗い空間に響いた。
「ゼ?」
何の音だろう。
きょとん、とした顔をしながらもカイトはエリーゼを見る。
銃があった。暗いけれども、見間違えるはずがない。あれは3年前、自分を庇ったときに彼女が手に取った代物だ。
それが、彼女の右手に収まっていた。
「それは」
何、と問う前に第2射が放たれる。
銃口から発射された弾丸は真っ直ぐカイトの胸を貫き、彼の身体に穴を空けた。出来上がった穴から、真っ赤な血が流れ出す。
「え?」
思わず、そんな間抜けな声を出した。
燃えるような痛みを発する右胸に手をやり、そして見る。
血だった。エリーゼに撃たれて、できた血だ。
撃たれた自覚が頭に芽生えたと同時、カイトの膝は崩れ落ちる。
「ふふ」
それを見たエリーゼは戸惑う事も無く、引き金を引く。
3発目。
4発目。
「や、やめて」
肩を撃ち抜かれ、足を撃たれたカイトが言う。
しかしエリーゼは微笑を崩さないまま、弾薬が空になるまで彼を撃った。
それでも満足しないのか、彼女は机の上に置いてあった弾倉を装填しなおす。
「エリーゼ、なんで?」
涙目になりながらも、カイトは問う。
だがエリーゼは何も喋らない。表情を変えずに、再び全弾カイトに浴びせた。
カイトの身体が再生するも、今度はそれでも致命傷になる様に一点に集中して撃ち続けたのである。
まるで釘を打ち付けるかのように、何度も。
「エリーゼ、やめて! やめてよ!」
殺される。
そう思いながらも、カイトは手を伸ばした。
本能的に弾丸から身体を守ろうとしたのか。それとも彼女を突き飛ばそうとしたのか。今となっては、どちらかわからない。
ただ、この時確かに起こった事実がある。
「死なないね、やっぱり」
エリーゼが口を開いて、そう呟いた。
笑みを絶やさずに、だ。
「凄いね。私は致命傷を避けても、あんなに痛かったのに」
それなのに、まだ叫ぶ余裕があるんだ。
変わらない微笑で、彼女は言った。
それを見たカイトは思う。
コイツは誰だ。エリーゼをどこにやった。
なんでいきなり撃ってきた。
疑問と葛藤が何度も渦巻くが、明確な答えは出てこない。
そうしている間にも、彼を襲う銃弾は留まる事を知らなかった。
蹲っているのをいいことに、銃口を突き付けた状態で引き金が引かれる。カイトの身体が跳ね上がった。しかしエリーゼは、それでも弾倉の入れ替えを怠らない。
「まだ、だよね」
彼女は知っている。
カイトの能力がどの程度まで耐えれて、どこまでが限界なのかを。
「直接当てて、ようやくだよね」
エリーゼが再び銃口を突き付ける。
そのまま引き金を引いた。カイトの肉体が再び痙攣するかのように跳ね上がる。
「これで穴が開くから、ようやく心臓に届くよね」
カイトは理解する。
彼女は、本気だ。本気で自分を殺しに来ている。
再生能力の把握が、彼女が本人なのだということの決定打となった。
カイトは全身に立ち籠る熱を感じつつも、混乱する。
なぜ。
どうして。
あの時救ってくれたのに。
その時から俺は――――僕は、エリーゼの為に生きてきたのに!
彼女の為に生きてきたこの3年間が、全部否定された。
それを実感した瞬間、身体中で感じる熱が一瞬で消え去ったことを実感する。そして同時に、身の毛のよだつ程の寒気を感じた。
怖い。
この時、カイトはそう思った。
目の前にいる女が、人間の皮を被った何かに見えたのだ。
だからこそ、彼は引き金が引かれる瞬間に残りの力を振り絞った。
「!」
素早く起き上がり、エリーゼの懐に飛び込む。
銃口から放たれた弾丸の一発が、胸に穴を空ける。だが同時に、彼女の胸にも穴が開いた。
カイトの爪である。必死の抵抗の結果、彼はエリーゼを突き飛ばした。
だがその10本の指から生える鋭利な爪は、彼女の胸を突き刺していたのだ。
「あ」
エリーゼの身体が崩れる。
一歩、また一歩と後ろにさがり、車椅子に躓いたところで、彼女の身体は完全に転倒した。
まるで溜池のように、彼女の身体から赤い液体が漏れていく。
「……エリーゼ」
一瞬にして撃たれた傷が塞がり、カイトが呟く。
彼は両手を広げ、そして見た。
そこにこびり付いている赤い液体を。
いまだに残る、彼女の感触を。
「エリーゼ」
その時の自分は、どんな顔をしていたのかはわからない。
ただ、この時。どんな理由があったにせよ、彼女に拒絶されたことを悟った。
呼び出している時点で明らかな計画なのだ。突発的な実験という訳ではないだろう。
それにしたって、なぜ。
自分が見た限りではあるが、そんな前兆は無かった。
他愛のない雑談をして、チームの報告をして、偶に食事をして、映画も一緒に見た。その時の自分は充実した満足感を得ていたが、彼女は違ったのだろうか。自分に付き合ってくれた時に見せた笑顔は、全部偽物だったのか。
なら、助けたのはなんだ。
3年経って、見切りをつけたとでも言うのか。
震えが止まらない。
訳もわからず彼女に殺されそうになったという事実が、カイトを得体の知れない恐怖に掻き立てる。
暫く経って、カイトはエリーゼの部屋から出た。
その時の彼の表情は、喜怒哀楽の感情を全て捨て去った人形のように無機質だった。
赤い靄が晴れる。
意識を取り戻した御柳エイジは、スコップでシャオランをおさえつけた体勢のまま、言う。
「何だよ、今の」
彼の背後でイゾウを抑えたシデンも、どこか青ざめた表情だった。
そんな彼の気持ちを代弁するかのように、エイジは続ける。
「なんなんだよ、今の!」
素直な気持ちだった。
突然赤い靄に視界を奪われたと思えば、いきなりとんでもない映像を見せられた。しかも、内容は非常に趣味が悪い。
「サイキネル氏は、」
そんなエイジの疑問に答えたのは、ハエ叩きで潰されているかのようにして地面に叩きつけられているシャオランだった。
彼女は何色にも染まらぬ表情で、淡々と告げる。
「敵の深層心理にまで潜り込み、その精神の揺れすら力に変換します」
「じゃあ、今見たのはカイちゃんを怒らせる為の映画って事?」
シデンが思った疑問を言う。
だがソレに否定の言葉をかけたのは、イゾウだ。
「否。サイキネルはそこまで器用ではない。今我らが見たのは、間違いなく物怪の記憶」
サイキネルはそれを引きずりだし、カイトの動揺を狙う。
それゆえに、事実を見せなければならなかった。それが一番感情を昂ぶらせやすいのだ。
「アレが、本当にあったことっていうの?」
「そんな馬鹿な事があるわけねぇだろ!」
エイジが吼える。
彼らは知っていた。友人が幼いながらもひとりの女性の為に、献身的に行動していたことを。
そして彼女もまた、その友人を必要としていた。己の夢の為に。
だというのに、そのふたりの結末がアレだと言うのか。
「理由は!? エリーゼがアイツを襲う理由は何もねぇ!」
「付き合いがある貴様が言うのであれば、その通りなのであろう」
だが、
「事実は小説よりも奇なり。人の心はふとしたことで魔物となり、他者の理解を得られない怪異となる」
事実、この出来事をきっかけにしてカイトは極端に他人の目を気にするようになった。
彼らは知らないが、ヒメヅルの柏木一家とのいざこざがいい例だろう。
「黙れよ」
冷たい一言がイゾウに投げかけられる。
見れば、彼の左手を握っているシデンの手から氷が溢れ出していた。イゾウには左手の感覚が残っていない。
「気付いてあげられなかった。自分たちの事しか目が行ってなくて、彼の中にある本当の痛みに目が行かなかった」
そうはいっても、気付けと言うのが無茶な話である。
あの男は基本的に何も言わないのだ。思い出したくないだけなのか、それともまた裏切られるのが怖いのか。もしくはそれ以外なのかもしれない。
しかし六道シデンはこの時、彼との間にある溝しか目が行かなかった自分の視野の狭さに、心底呆れていた。
「そんなんじゃ、『せーい』を見せても仲直りできるわけないじゃないか……!」
目の前にいるイゾウを睨む。
その鋭い目つきは、まるで獣だった。
「はっ」
イゾウが満足げな笑みを浮かべる。
己の左腕にひびが入っていると言うのに、それを一切気に留めていなかった。
「良き目をするようになったな」
「お前を満足する為に生きてるんじゃないんだ、ボクは!」
イゾウの左手が砕け散る。
だがそれによって左半身が自由になったイゾウは鋭い踏み込みを見せた。
「だが、貴様はまだ物怪には程遠い」
残された名刀、レイを振るう。
反射的に右手に持つ銃をイゾウに向け、シデンは引き金を引いた。
弾丸がイゾウの頬を掠める。だがその後に繰り出された縦の斬撃も、シデンの皮膚を切り裂いていた。額から鼻にかけて、鮮血が弾ける。
「シデン!」
背後の親友がよろけるのを見たエイジが、叫ぶ。
「大丈夫。掠っただけだから」
にしては結構大げさに仰け反った気がする。
本当に掠っただけなのだろうか。
「力の緩みを感知」
だがその瞬間。
スコップで押さえつけていたシャオランが、翼を大きく広げてきた。
「いぃっ!?」
「エイちゃん!?」
勢いをつけ、体当たり。
両手に持っていたスコップが放り出され、エイジの身体が宙へと投げ出された。
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