EXTRA3 vs洗濯光線

 洗濯。

 それは洗い物の代名詞。


 洗濯。

 それは汚れを取る戦いの名称。


 洗濯。

 それは健康を勝ち取る為の儀式。文明人の誇りである。


「……じゃあ、つまりなにか?」


 目の前でババアが己のパンツを洗濯している。それに至るまでの出来事を思い出しながらもスバルはいう。


「あのババアは洗濯したいが為に俺のパンツをとっていったわけ?」

「状況だけ踏まえるとそうなる」

「えぇ……」


 力が抜けていくのが手に取るようにわかる。あの理解の及ばない珍獣は何を思ったのか、パンツを洗う為だけに四つん這いになって突撃してきたのだ。しかも石と地面を巻き上げつつ。


「何があのババアをそこまで駆り立てるんだよ」


 こんなの、ただ一言『洗濯させてくれ』といえば済む話である。その筈なのだが、ババアはどういうわけか野生動物のように襲い掛かってはパンツを奪いとるという暴挙をしでかしていた。


「いや、もしかすると」


 同じ思考に辿り着いたのだろう。カイトは顎に手をやりつつも、考えを口にする。


「あれはただの前座なのかもしれん」

「前座?」

「つまり、パンツを使って何かする為の前準備なのではないかということだ」

「何かってなんだよ」

「俺が知るか。だが、洗濯の為だけにあんな真似をすると思うか?」


 それをいわれたら納得してしまう。

 蛍石スバル、16歳。彼は結構流されやすい男であった。


「前座か……」


 もしもこの先に『本番』があるとして、一体何が起こるのだろう。想像力を働かせ、思考をフル回転させてみる。

 不気味な手の動きを加速させ、格闘技のデモンストレーションをし始めるかもしれない。最初に繰り出した手刀といい、あのババアはなにかしらの格闘技の心得がある可能性がる。

 もしくは最初にカイトが言った通り、なにかの儀式に使う前準備なのかもしれない。具体的に何かと問われれば全然わからないのだが、指先から泡を出す野生老婆なのだ。パンツを触媒にして悪魔を儀式召喚しても違和感はない――――と思う。


「ぐぬぬ……!」


 逞しく想像力を働かせる度、スバルはババアに敵意ある視線を送り続ける。あのババア、俺のパンツに何する気なんだ。ノーパンになって海外逃亡の旅路に出るか否かがかかっているのもあり、目が真剣である。


「ああ、もう見てられない!」


 そしてとうとう我慢は限界へと到達した。


「やい、ババア!」


 スバルが飛び出し、ババアに向けて指を突き付ける。

 『あのバカ』と頭を抱えるカイト。驚愕し、洗濯の手を止めるババア。彼らのリアクションを気にすることもなく、スバルは本能の叫ぶままに主張する。


「よくも俺のパンツ盗みやがったな! それは俺の大事なパンツだ。間違っても魔王降臨の生贄になんかさせねぇぞ!」

「どういう想像してるんだお前」


 結構焦るタイプの少年だとは思っていたが、ここにきて頭の混乱が臨界点を突破したらしい。


「勝負だ、ババア! 俺が勝ったら有無を言わさずパンツを返してもらう!」


 指を突きつけ、ババアを挑発する少年。傍から見れば老人虐待と騒がれそうな光景だった。

 ところがどっこい、ババアはどっしりとした構えでそれを迎え入れた。さながら相撲の構えのように腰を落とし、少年のパンツを懐へとしまう。


「どうやらやる気の様だな」


 不敵な笑みを浮かべるスバル。こちらも妙に自信に満ちた表情だ。ババアの方は身体能力が高いのが証明済みなのだが、スバルの方に勝算があるとは考えにくい。彼は万年体育の成績が低いのだ。


「やる気になったのはいいが、どうやってあのババアに勝つ気なんだ」

「もちろん、手段はひとつさ」


 スバルは指を天に突き付けた後、ゆっくりとババアに向ける。


「行け、カイトさん!」

「なぬ」


 スバルは カイトを くりだした!


「先手必勝だ! カイトさん、アルマガニウムクロー!」

「なんだそれ」

「持ち前の爪があるでしょ! とにかく、ババアと戦うんだよ!」

「自分でやれ! なんで俺がお前のパンツの為にババアと戦わなければならんのだ」


 カイトは いうことを きかない!


「ふば!」

「ああっ、ババアが動いた!」


 ババアの せんざいこうせん!

 

「うおおっ!?」


 こうかは ばつぐんだ!

 カイトは たおれた!


「カイトさああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!?」


 スバルのてもちには たたかえる しんじんるいがいない!

 スバルは めのまえが まっくらになった!


「なぜ貴様がそこで倒れる」


 寸劇から思考を切り替え、洗剤まみれになったカイトがゆっくりと起き上がる。泡だらけになった超人爪男は青筋を立てながらもスバルの襟首を捕まえ、無理やり起こさせた。


「でも、カイトさんはもう洗剤まみれで戦闘不能だよ。ルールに従って俺が賞金を払わなきゃ」

「いい加減、現実に戻ってこい」


 拳骨。いい音が鳴った直後、スバルは頭を左右に振りながら周囲をきょろきょろと見渡し始めた。表情が普段のそれに戻っている。どうやら混乱から覚めたらしい。


「こ、ここは……」

「やっと戻ってこれたか」

「あれ、カイトさん。なんで泡だらけなの。羊みたいなんだけど」

「お前が急にごっこ遊びをやり始めた結果がこれだ。見ろ、ババアはまだ戦闘態勢を解いていないぞ」


 ババアが両手をかざし、洗剤を撒き散らす。再び起き上がったカイトに驚きながらも、再度必殺の奥儀を繰り出すつもりだった。


「ねえ、掌から光が出てるの気のせい?」

「気のせいじゃないぞ。あれは光と一緒に洗剤を押し流す技だ。さっき食らったからよくわかる」

「かめはめ破かなんか?」

「目と口は閉じておけよ。死ぬほど苦いからな」


 まさか飲んだのか。

 泡だらけになった同居人が青い顔になったのを見て、スバルは直感的にそう感じた。


「まあ、そこまで心配はしなくていい」


 同居人が右手をかざす。そのまま爪を伸ばすのかと思ったが、彼は凶器を取り出さないまま手招きをし始めた。


「ぶっはぁ!」


 するとババア、鼻を鳴らしながら両手を前へと突き出す。掌の中で渦巻いていた洗剤の荒波が解き放たれ、カイトとスバル目掛けて流れ始めた。


「のわああああああああああっ!?」


 その勢いは、さながら勢いよく押し寄せる大洪水。辺りを泡で包み込み、泡という泡で大地を白色に染め上げていく。


「息を止めておけ。泡まみれになってるだろうが、死にはしない」


 そう、勢いは強いがあの技に害はない。精々洗剤が口に入ったらとんでもないことになるといったレベルで、受けたから身体が消し飛ぶわけではないのだ。

 だが、それでもあのババアは止めねばなるまい。


「これ以上、洗い物を増やされてたまるか」


 カイトの眼光がぎらりと輝く。彼は上着を脱ぎ捨てると、力の限り大地を蹴り上げた。跳躍。青空へと跳び上がった青年はババアの洗濯光線を回避し、そのままスピン。身体に纏わりついていた泡を空で拭い捨て、そのまま急降下を始めた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


 当然、その場に取り残されたスバルは泡の波に飲み込まれていくだけである。白い滝に打たれ、少年は悶えた。だが息を止めるべき時間は彼が想像するよりもずっと短かった。


「ババア、迷惑だ。今度から洗濯したい時は事前に断りを入れておけ。そうでないとアイツが暴走する」


 上空からカイトが迫り、腕を交差させた。

 ババアは素早く天へと掌をかざす。洗剤の波が噴出し、カイト目掛けて襲い掛かった。


「丁度いい、これも洗っておきたかったところだ」


 指先から爪が伸び。両手から伸びた10本のそれは空に一閃。白の荒波を縦に切断する。


「ふぁっ!?」


 ババアが驚愕。綺麗に切断された洗濯光線の間から迫るカイトに対し、有効打がなくなった。


「ふん!」


 カイトの両手が振り降ろされた。直後、青年の身体がババアの背後に着地する。


「あ、ぐぐ……」

「安心しろ。斬りはしない。ちょっと気絶してもらうだけだ」


 ババアの身体が崩れ落ちた。ばしゃん、と白の水たまりが飛び散る。カイトはババアの身体を持ち上げ、スタスタとスバルがいた場所へと歩き始めた。


「おい、生きてるな」

「な、なんとか……」


 洗剤の中から起き上がり、スバルは纏わりついた泡を払い始める。ちょっと口に入ったらしい。ぺっ、と吐き出しつつも少年は暫く嗚咽が止まらなかった。


「しかし、アグレッシブなババアだったな」


 吐き出し終えた後、スバルはいう。


「なんだってこの人はそんなに洗濯に拘るんだ? 俺のパンツなんかとったところでなんの得にもなりゃあしないだろうに」

「さあ。そこはさっきもいったが、本人にしかわからないことだ」


 ただ、このまま殺してしまっては目覚めが悪い。

 一体このババアがどこの誰で、何の目的があってスバルのパンツを奪ったのか。きっちりと聞いておかないとまた第二第三のババアがやってきては同じことの繰り返しになる予感がした。


「目覚めたら直接本人に聞こう。それが一番手っ取り早い」

「……まさかと思うけど、王国の追手じゃないよね?」

「もしもそうだとしたら、俺は人選を深く疑うね」


 心底そう思いつつも、カイトはババアを抱えながら振り返る。靴の中が泡まみれになっている不快感と戦いながらも、彼らは獄翼を置いた場所へと戻っていった。


 こうして蛍石スバルのサバイバル生活1日目は幕を閉じる。

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