第十六章 怪物

「レオナさん! アレ見て! 女の子が!」


 咄嗟に扉を大きく開き、出て行こうとする俺の髪の毛をレオナさんが引っ張った。


「待って! 行ったら殺されるってば! いいの? 最新VRハードは十万円! ちなみにウチのショップでは十二万九千円よ!」


「ボッタクリ!? たとえ壊れてもレオナさんとこでは買いませんからね!?」


「とにかく此処は割り切って考えましょう! アレはただのNPC! 中身は人工知能!『人間の知的機能を代行できるようにモデル化されたソフトウエアシステム』よ!」


「いやそんな身も蓋もないこと言わないでくださいよ! 外見は幼い女の子じゃないですか! それに……俺もうイヤなんです! NPCだからって、俺の前で人が死んだり、殺されたりするのを見るのは!」


「ひ、ヒロ君……アナタ……」


「もう誰も死なせたくないんです!」


 俺は歯を食い縛っていた。そう……もうマーチンを亡くした時のような思いは二度としたくないんだ!


「ヒロ君って……ロリコンなの……?」


「何でだよ!! 違うわ!!」


 もう無視して女の子を助けようと、レオナさんを振り払おうとした時、


「あっ! 見て、ヒロ君! 衛兵隊よ! 町内衛兵隊が来たわ!」


 毛皮の帽子に軍服を来た衛兵が三人、ゴブリンと女の子との間に割って入った。衛兵達はゴブリンに向け、剣を構える。


「このバケモノめ! それ以上、近付くと叩き斬るぞ!」


 今、猿のようなゴブリンを囲うのは、屈強そうな男達。ゴブリンは萎縮して動きを止めたように見えた……が、


「う、うわああああああっ!?」


 突如。衛兵の一人が叫び声を上げた。「何だ?」と思い、その衛兵を見れば、剣を握りしめていた筈の右腕がない。


「グルルルル……」


 そして猛獣のように唸るゴブリンの口にくわえられているのは、剣を持ったままの衛兵の右腕であった。ゴブリンは汚い物でも食べた後のように、その腕をベッと地面へ吐き落とす。


「き、貴様!!」


 腕を失い、痛みと出血で叫ぶ衛兵を残し、二人の衛兵が同時にゴブリンに斬りかかる。しかし二人の剣は地面に突き刺さるのみ。ゴブリンは先程まで居た場所にいない。


 気付けば剣を振り下ろした一人の衛兵の肩にゴブリンが乗っている。そして棍棒を衛兵の頭部に向けて振り下ろす。頭蓋の砕ける嫌な音と共に衛兵はその場にくずおれた。もう一人の衛兵が大上段に剣を掲げ、ゴブリンに突進するが、その両手首が腕から離れ、宙高く舞い上がる。衛兵が「は?」と短く言葉を吐いた時には既に大きな風穴が胸に空いている。


 ゴブリンの凄まじい戦闘力を見て、俺は総毛立っていた。


「な、何てスピードだ!! 全く動作が見えない!! それからあと『もう誰も死なせたくない!』って言ったばかりなのに早速、二人死んだ!!」


 顔の傍で浮遊するレオナさんは静かに頷く。


「これで少しはゴブリンの恐ろしさが分かったかしら。そう、普通の人間の動体視力であの動きは捉えられないのよ」


「そんなバカな!! あんなのがこのゲームで一番最初に出会うモンスターなんですか!? 普通、最初は一撃で倒せるような弱い敵でしょ!?」


「ヒロ君。相手は『モンスター』なのよ。モンスターって意味分かる?『人知を超えた怪物』よ」


「いや、でも! だったらそんなの倒せないじゃないですか!」


「どうにかこのテッドから脱町した少数のプレイヤーは、ゴブリンを倒さずにこの町を抜けているのよ」


 そ、そうなのか……! だ、だけど俺の場合、この状況だと……!


 レオナさんが難しい顔で眉間にシワを寄せていた。


「『ゴブリン襲来』――こんなイベントが発生した以上、ゴブリンとの戦闘はもう避けられないかも知れないわね」


 げえっ!? じゃあ俺、またしても死亡フラグに突入しちゃったの!?


「レオナさん!! ゴブリンを倒したプレイヤーは今までいなかったんですか!?」 


「いいえ。ごく僅かだけどいたわ。そうね、私の知る限り、当時、ゴブリンの動きについていけたのはカムイと『ショウHEY』だけよ」


「カムイは知ってますけど、その『ショウHEY』ってどんな人なんですか?」


「ボクシングのプロライセンスを持っていた男性よ。ちなみにショウHEYこと藍田翔平はその後、現実世界で東洋ボクシングチャンピオンになった。後年、インタビューで『今まで対戦した中で一番強かったボクサーは?』と聞かれた翔平は『ゴブリンです』と答えたらしいわ」


「ゴブリンはボクサーじゃないだろ!!」


 そ、それはともかく、そんな限られた天才しかゴブリンに勝てないのかよ!!


 俺は畏怖の念を抱きつつ、ゴブリンを見やる。ゴブリンがゆっくり歩む先には、最初に腕を食いちぎられた衛兵と幼い少女が震えている。


「お、俺、とにかく助けてきます!」


「ちょっと本気!? 死にたいの!?」


「隙を突いて二人を逃がします! それくらいなら出来るかも知れないし!」


 ふぅ、と息を吐いた後、レオナさんは髪をかき上げ、クスリと微笑む。


「ったく。ヒロ君ってばそんな熱い子だったっけ? いいわ。もしも死んでハードが壊れたらおまけしてあげる。十万五千円にね」


 ウインクするレオナさんに「割引しても普通の店より高いんですね……」とは言えなかった。


「その前にヒロ君、あそこを見て。ズボンが置いてあるわ。さっき鍛冶屋の店主が荷物をまとめていた時に忘れていったのね。アレを借りましょう」


「あ、あのオッサンのズボンっすか……な、何かヤダな……それに今は一刻も早く助けに行った方がいいんじゃ……?」


 躊躇する俺の頬をレオナさんが軽く叩く。


「ホラ! ヒーローがアンモニア臭いと格好付かないでしょ!」


 それでも逡巡していると、レオナさんの顔が鬼のように赤くなった。


「さっさと履いて! 履けっ!! 履きなさいっ!! いい加減にしてよ!! アナタ、ずっと臭いのよ!! この間からずうーーーーーーーーっと!!」







「おかあさん、おかあさーーーーーーん!!  助けてーーーーーー!!」


 ゴブリンにジリジリと、にじり寄られて泣きわめく少女。すぐさま鍜冶屋を飛び出したかったが、レオナさんが、はやる気持ちの俺を諫めた。


「落ち着いて、ヒロ君。まずは姿の見えない私がゴブリンの背後から近付き、注意を逸らすわ。その隙にアナタがあの子を助けるのよ。いい?」


「わ、分かりました! そうですね! せめて、あの子だけでも助けないと!」


 ……ちなみにレオナさんとワチャワチャ会話し、しかもズボンまで履いている間に、腕を無くした衛兵はゴブリンに殺されていた。


「衛兵のことは残念だけど仕方ないわ。気持ちを切り替えましょう」


 はたして本当に仕方なかったのだろうか。悠長に会話せず、ズボンなど履き替えなければ間に合ったのではないだろうか……わき上がる疑問を心の中でねじ伏せる。


 いや集中! 今は女の子を救うことのみに集中だ!


「じゃあ行くわよっ!!」


 レオナさんが妖精の羽根を広げ、ゴブリンに向かい飛び立った。そして敵から少し離れた位置でホバリング。そこからゴブリンの頭に小石を投げつける。ゴブリンは「?」と辺りをキョロキョロと窺っている。


 ――今だ!


 レオナさんが作ってくれたチャンスを活かし、俺は女の子の元まで一気にダッシュ。駆け寄った刹那、女の子を抱きかかえ、ゴブリンと反対方向に逃げた。


 よ、よし! 思いの外、うまくいったぞ!


 だが、絶望はすぐにやってきた。俺の目の前には何と、


「グルルルルルルル……!」


 俺を見据えて唸る、もう一匹のゴブリンが!


 バカな!? くそっ!! 二匹いたのかよ!!


 俺は立ち止まり、女の子をゆっくり地面に下ろすと、背中を押した。


「お、おにいちゃん?」


「……逃げろ」


 戸惑う女の子に俺は叫ぶ。


「逃げろって!!」


 走るのを促すように女の子の背を強く、もう一度押す。


「う、うんっ! ありがとう!」


 逃げ出す女の子。それと同時に、新たに現れたゴブリンの目が妖しく光り輝いた。そしてその視線の先に気付いた俺は唇を噛む。ゴブリンは俺ではなく、逃げ出した女の子を見ていたのだ! そして腰を低くし、攻撃態勢を取った!


 おいおい、嘘だろ、マジかよ!? どうせ狙うなら俺を狙えよ!!


「ま、待て……!!」


 逃がしたばかりの女の子に駆け寄りながら、ちらりとゴブリンの様子を窺う。だがゴブリンの姿はもう俺の視界には映らない。今、ゴブリンは俺の動体視力を超えた恐るべきスピードで女の子に突進しているのだろう。


 ダメだ!! 間に合わない!! ち、畜生!! 流石に幼稚園児みたいな女の子が無惨に殺されるシーンなんて見たくねえよ!!


「くっそおおおおおお!!」


 叫び、走りながら、俺は女の子に手を伸ばす。それが無駄な動作だと内心、感じつつ。そう、きっと俺の手が届く前にゴブリンの爪が彼女を斬り裂くだろう。


 だが……。届かない筈の俺の手は、ゴブリンが到達するより早く、女の子の背中に触れた。


 ――あれっ!?


 俺は体当たりするようにして女の子の体を抱きかかえ――そのまま倒れ込み、地面を転がった。すぐさま半身を起こすと、ゴブリンが先程まで女の子がいた場所で空を切った攻撃の手をそのままに俺を睨んでいる。


 ……な、何だったんだ、今の? 一瞬、俺……自分じゃないような俊敏な動きをしたような気がしたけど?


 レオナさんが俺の傍に飛んできて、耳元で大声を出す。


「すごいじゃない、ヒロ君!! 何よ、今の!? プロスポーツ選手並みのダッシュだったわよ!?」


 俺自身よく分からない。ひょっとして『火事場の馬鹿力』ってやつか? いや、でも此処はVR世界だろ? じゃあ何だ?『バグ』? 今のはゲーム中に起こったバグなのか?


 だが、ゆっくり考えを巡らす暇はなかった。今、俺達の目の前には二匹のゴブリンが戦闘態勢を取ったまま、唸っている。


「はは……が、頑張りましたけど……状況はまったく改善してないというか……も、もうコレ、ダメっすよね……?」


 半ば諦めた俺の隣で、だが、レオナさんはニコリと微笑む。


「いいえ。大丈夫よ」

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