第一章 極・クエスト

「よう。ヒロじゃねーか」


 駅前を歩いている時、聞き覚えのある声に恐る恐る背後を振り返る。すると、そこにはまさしく恐れていた通りの光景があった。短髪で長身、ガタイの良い谷城剛たにしろ つよしと、茶髪にピアスの三科涼みしな りょうがニヤニヤと笑いながら佇んでいた。


「いやー。春休みに、こんなところでヒロ君に会うとはねえ」


 甲高い三科の声に、俺は愛想笑いで返す。二人とも高校のクラスメイトで……いや、クラスメイトという言葉はそれなりに仲の良い間柄を連想させる。俺と谷城、そして三科はそういう意味ではクラスメイトではなく、ただ単にクラスが同じ奴という感じだ。いや、それどころか、


「でさぁ、ヒロ。ちょっとだけ、お金貸してくんねえ?」


 谷城が太い腕を俺の肩に回した。人気の多い駅前で三科がキョロキョロと辺りを窺いながら、狐のような顔を俺に近付け、小声で耳打ちする。


「いやいや。全然そういうんじゃないって。そんなやましいことじゃない。ただ俺達は純粋にお金を貸して欲しいだけなんだよ」


 谷城も頷く。


「そう。絶対返す。いつか、きっと、そのうち、多分な」


 コイツらから金をせびられるのは今に始まったことじゃない。学校では多くて週に一度、少なくても月に一度はせびられている。


 俺は一つ大きな溜め息を吐いた後、


「ったく。しゃーねえなあ」


 いつものように谷城に千円札を渡した。


「ホラ。これでいいだろ?」


 すると三科は細い目を更に細め、満面の笑みを浮かべた。


「おおっ! さすがヒロくん!」


 谷城も笑顔で俺の背中をバンッと叩く。


「なあ、ヒロ。もし学校でムカつく奴がいれば俺に言えよ? 軽くブッ飛ばしてやっからよ!」


 いや、なんというか、もう既に目の前にいるんだけど……そんな事を言える筈もなく、俺は「わかった。ありがとな」と笑顔を繕い、二人に手を振った。


 谷城と三科と別れた後は早足で歩く。


 ……まぁ、いい。障害はあったが、たいした問題ではない。


 長い信号の交差点を渡り、馴染みの大きなショッピングセンターに入る。一階の家電品兼ゲームショップ売り場のレジで、俺はスマホの画面を店員に見せた。


「ファイクエを予約していた者ですが」


「ああ。結城宏ゆうき ひろし様ですね。お待ちしておりました」


 背後の棚から商品を取り出し、俺の目の前に置く。


「それでは一万三千円になります」


 俺は財布を出し……そして凍り付いた。


 足りない。VRMMOソフト『ファイナライジング・クエスト』――略して『ファイクエ』の新作を買う為に、余裕を持たせた筈の財布の中身は、いくら数えても千円足りなかった。


 思い当たる事といえば、一つしかない。


 ま、まさかあの時、アイツらに千円を出したつもりが一万円渡しちまったのか? しかし、そう考えると合点がいく。金を渡した時、谷城達の反応は普段よりも明るかった。なぜならそれがいつもの千円札ではなく一万円札だったからだ。


「せ、千円足りないんですけど……だ、ダメっすよね?」


 男性店員は礼儀正しく一礼した後、きっぱりと言った。


「ダメですね」




 俺はショッピングセンターを出て、近くの家電量販店へと向かっていた。


 金を取られた挙げ句、欲しかったゲームも買えないなんて、目も当てられない。なので、違う店でもう少し安く販売しているところがないか、一縷の望みを託したのだ。


 だが、


「申し訳ありません。当店では一万三千五百円が販売価格となります」


 俺はがっくりと肩を落とす。そもそも俺が予約していた店は、ネットで調べた最安値の店なのだ。それを下回る価格の店など、そうそうある筈もない。


 頭では分かっているのだが、悔しいので当てもなくトボトボと歩いていると、いつの間にか寂れた路地にいた。


 目の前に古びた外観の店があった。ガラス張りで小さなコンビニのようなその店の入り口には、


『ゲームショップ如月』と薄汚れた看板が立っている。


 老人が老後の趣味でやっていそうな、こういう店に、最新のソフトが、しかもショッピングセンターよりも安い価格で置いている訳がない。しかし俺は気付けば、ゲームショップ如月のガラス戸を手で開けていた。


 ……店内は全く想像通りだった。人一人通るのが精一杯な通路の両側に乱雑に並べられた昔ながらの2Dゲーム。そして通路の先にはVRMMOソフトのパッケージが品揃え悪くパラパラと置かれており、『新作入荷しました!』と手書きのプレートの下にあったVRMMOは一年以上前に出た物だった。少し離れたレジには白髪の老婆が座っている。


 この駄菓子屋のような店内を見渡す限り、お目当ての品が100パーセントないのは分かり切っているのだが、それでも俺は諦めきれず、レジで雑誌を読んでいる老婆に近寄った。


「あのう、すいません。ちょっと聞きたいんですけど、」


 そこまで喋って、俺はハッと息を呑む。近付いて分かった。老婆、ではなかった。白髪だと思っていた髪は銀髪。長いまつげ、艶っぽい瞳、薄く塗られた赤い口紅。レジに居たのは二十代と思しき美しい女性だった。


 俺は少し緊張しつつも言葉を続ける。


「そ、それで、えっと、今日発売のファイクエ22って置いてます?」


「ファイクエ……22……?」


 黒いエプロンを着けた女性店員は、色気のある声で俺の言葉をオウム返しした。


「ええ。ファイナライジング・クエストの22作目です。置いてますか?」


「ふ……ふふ……ふふふふ……」


「え?」


 女性が急に小刻みに震え出した。一体何事かと思っていると、


「アーーーーーッハッハッハッハッハーーーーーーッ!!」


「ひぃっ!?」


 女性は、目をカッと見開き、けたたましい笑い声を上げた。同時にキャッシャーを手でバンバンと叩く。レジ横に詰んであったVRMMOソフトのパッケージが崩れ、通路に散らばった。


「な、な、な、何なんですか、急に!?」


 心臓をバクバクさせながら尋ねると、女性はいつの間やら冷静な態度へと戻っていた。


「だって、君。言っていておかしいと思わないの? 『22作目』って。一体いつまで続けるのよ、このゲーム。今は2055年で、まだ21世紀。なのに『22』よ? 人類の世紀すら超えているシリーズって一体どういうシリーズなのよ?」


「そんなこと俺に言われても……」


「もういい加減タイトル変えろ、って話でしょう?」


「はぁ。そ、それでそのファイクエは置いてるんですか?」


「そう、そのファイクエよ。君、どうせ惰性で買ってるんでしょ、マンガ本みたいな感じで。最初はそれなりに面白かったから集めてたけど、次第につまらなくなった。だけど二十巻まで買っちゃったし、途中で止める訳にもいかないから一応次も買うか……ってな感じで」


 い、言われてみれば確かにそうかも……。小学校の時、初めてプレイしたファイクエの面白さはシリーズを重ねるごと徐々に失われていき、でも「次こそはきっと!」なんて期待を込めて買い続けてはいるものの、その期待を下回ることはあっても上回ることは今のところないのであった……って、待て待て待て! 何で俺、客なのに店員にそんなこと言われなくちゃあならないんだよ!


「だから! 結局、この店にファイクエは売ってるんですか! 売ってないんですか!」


「売ってるか売っていないかは今は大した問題じゃないわ」


「いやそこ重要なんですけど!! 無いなら、俺、帰ります!!」


 バカにされているような気がして憤慨し、踵を返そうとしたが、俺の腕を店員の細い指が掴んだ。


「待ちなさい」


 いつの間にかレジの椅子から立ち上がっていた女性店員は、俺より十センチは背が高かった。そして、目の前にはクラスの女子の誰よりも大きい胸があった。店員は妖艶な瞳で俺をジッと見据えていた。


「売っているわ」


「え……! 嘘……! ま、マジっすか!」


「ええ」


「いくらで?」


「一万円よ」


「えっ!? 一万円ジャスト!? えっ、えっ、えっ!! あの、ホントに!?」


「ホントよ。買う?」


「か、買います!! 一万円なら買います!!」


「なら、お金」


 俺は財布からなけなしの一万円を抜き取り、店員に渡した。


「お買い上げ、ありがとう」


 ニコリと微笑んだ店員は、俺にファイクエ22のパッケージを差し出した。


 そうそう、コレコレ! いやあ、なんだかんだでゲット出来てラッキーだったな! それにしても、こんな店にあるなんて! しかも格安で! ダメ元だったけど寄ってみて良かったなあ!


 そう思いつつ、感慨深げにパッケージに改めて目をやると、


 ――『きわめ・クエスト』


 聞いたことのないタイトル名が書かれていた。


「!? いやコレ、ファイクエじゃねーじゃん!!」


 驚愕して叫ぶも店員はそしらぬ顔で受け取った一万円をキャッシャーに仕舞っていた。


「ち、ちょっと!! 一万円返してくださいよ!!」


 詰め寄るも、女性店員は逆に怒ったような態度でキャッシャーを『バンッ』と閉めた。


「やりなさい! コレはファイクエなんかより素晴らしいソフトよ! リアルを極限まで追求した超本格VRMMOなのよ!」


「やりませんよ!! とにかくお金!! お金返して!! ……返せ!!」


 身を乗り出す俺。だが店員は落ち着き払っていた。


「いい? コレはね、一言で言うなら……そう、大人のVRMMOなのよ」


「え……? お、お、大人の……?」


 ってことは、もしかしてひょっとすると、エッチな感じのやつなのか……?


 店員はクスリと笑い、俺に顔を近づける。


「ホラ。パッケージの、ここ見て。R-18って記載されているでしょう?」


「ほ、ホントだ。じ、じゃあ、どのみち、俺まだ17だから、こんなの出来ないし、」


「フフ。これはあくまで『18歳以上推奨』ということ。18歳未満は絶対出来ない訳じゃないわ。安心してちょうだい」


「い、いや! それでも俺、やっぱりファイクエを、」


「そんな全年齢対象の量産型健全ソフトやって一体、何が楽しいのよ。君、もう高校生でしょ。この刺激的なソフトを体験してみなさいよ」


「で、でも、」


 踏ん切りの付かない俺の手を、女性店員は両手で、しっかと握った。


 えっ? はっ? ち、ちょっと? えっ!


 顔に血を上らせていると、息が触れ合う距離で女性店員は囁く。


「私、如月玲於奈きさらぎ れおな。レオナって呼んでくれていいわ。君は?」


「ゆ、結城……宏です」


「じゃあヒロ君。私もよく、このゲームにログインするの。これから色々、教えてあげるわ。手取り足取り、ね……」




『ゲームショップ如月』からの帰り道。俺はスマホに登録されたレオナさんのケータイ番号を眺めつつ、自己嫌悪に陥っていた。


 ってか何やってんだよ、俺! 年上女性の色仕掛けに騙されて、こんな聞いたこともないVRMMO買わされちゃって! 意味わかんねーよ!


 同級生に金は巻き上げられるわ、店員に無理矢理買いたくないゲームを買わされるわ、よくよく考えれば散々な一日である。だが散々な一日を散々な一日だと信じたくなくて、俺は無理やり買わされたVRソフトのパッケージをもう一度眺める。


 で、でも実際やってみたら案外、本当に面白いソフトかも知れないしな! そうそう、レオナさんが言ってた通り、刺激的で大人向けの……あ、あれっ?


 そして俺は気付く。何とパッケージの隅に小さく、製造年『2045年』と書かれているではないか!


 はあああああああああああああ!? コレ、十年前のソフトなの!? ええっ!! そんな骨董品、俺、定価で買っちゃったの!?


 先程教えて貰ったばかりのレオナさんの携帯にかけてみるが、


『ただいま電話に出ることが出来ません。後ほどお掛け直し下さい』


 確実に騙されたことを知って、俺は一人、頭を抱えた。


 段々と腹が立ってきて、その辺のゴミ箱にこのソフトを投げ捨ててやろうかと思ったが、一万円もしたVRMMOを簡単に捨てることなど出来ない。俺はただギリギリと歯噛みするしかなかった。


 ――ああ、もう最低! ホント、今日はマジで最低! 最低に最悪な酷い一日だよ!


 だが、その時の俺は知るよしもなかった。


 本当に最低で酷いことはこれから後に始まるのだということを……。

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