第四章 第三節
116 日付のない日/権威は語る
僕の元に手紙が届いたのは一年が終わる十五日前のことだった。
手紙といっても紙ではなく、使い古しの布を折りたたんだだけのもので、宛名すらなかった。差出人の心当たりはあったため少しだけ呆れそうになる。わずかばかりの金をけちるために郵便業者の正規ルートを使わないのか、と。
本当に守銭奴だ。半ば感心が伴うのを感じながら布を開くと、布の中から硬貨よりも一回り大きい塊がこぼれ落ちた。空中で掴み取り、手を広げる。そこには特殊勲章が載っていた。
大袈裟な動作をしたせいか、僕の隣に座っているアシュタヤが掌を覗き込んでくる。
「ニール、それ……特殊勲章? どうしたの?」
「返事が来たみたいだ」
どういうことか計りかねているアシュタヤを尻目に僕は布の裏面を日にかざす。ところどころがすり切れた古布には安物の薄いインクで、「今日の昼、中央広場で待つ」とだけ乱雑に書かれていた。
窓の外を見上げる。既に日は高く、昼までそう時間はない。僕は特殊勲章をポケットに突っ込み、立ち上がった。
「ちょっと用事ができた。もぐらに会ってくる」
〇
レカルタの中央広場は人でごった返している。先日カンパルツォが「対談」を繰り広げたあの広場だ。建国祭で使用するのだろうか、北側では舞台らしきものを作っている男たちがおり、金槌の音が絶え間なく響いていた。
僕は周囲を見回しながら中心にある芝生へと進む。噴水があればそれらしいのにな、と思っていると背後から「よお」と声をかけられた。聞き覚えのある、少しだけ高い男の声だった。
「もぐらさん」振り向き、彼であることを確認して頭を下げる。「待ってました」
「待ってたのは俺だ」
「いつ返事をもらえるか、首を長くしてたんですよ」
僕の言葉にもぐらは舌打ちをする。「……で、金は」
「手紙を読んですぐに来たもので」
「……あの野郎、遅れやがったな」
忌々しそうにもぐらは顔を歪め、「ついてこい」と言うように顎をしゃくった。歩き始めた彼のあとを追う。どこへ向かうかと思えば、なんてことはない、銀行へと向かう道のりだった。
「少しくらい雑談でもしましょうよ」
「なんでてめえと」
「お金、欲しいんですよね」
満面の笑みを浮かべてみる。するともぐらは盛大な溜息を吐き、煉瓦造りの建物に背を預けた。
彼が僕を呼び出した理由は百も承知だ――僕が彼を撃退した際に忍ばせた特殊勲章を換金するためである。
特殊勲章を現金化するには二通りの方法がある。国と提携している銀行組合の加盟店に持って行くか、各地にいる領主やそれと同等の権力を持つ貴族へと願い出るか、だ。そのどちらにしても、一流の魔術師による「真偽判別」を用いた本人確認が必要となる。
そしてそのシステム上、特殊勲章は譲渡も貸与も許されない。換金できるのは授与された本人のみという厳格な取り決めがあった。
世の中には特殊勲章を専門に集める奇特な蒐集家もいるらしいが、そう都合のいい話でもない。換金という本質的な意味を失っている以上二束三文で買い叩かれるのが常だという。金にがめついもぐらにとってはそんな選択は正気の沙汰ではないはずで、僕自身も彼がそう考えるのを期待していた。
「……てめえは顔に似合わず嫌な奴だな」
「なんですか、いきなり」
「俺の性格を知った上であれを渡しやがった。そうだろ? いったい何の用事だ?」
どうやら僕のメッセージは正しく伝わっているらしい。咄嗟の策にしては上手くいったようで頬が綻びそうになった。
僕がもぐらへと仕掛けた毒――それは特殊勲章のシステムに由来する。
重要なのは「特殊勲章によって受け取る金は最終的にどこが負担するのか」という問題である。
全国各地の貴族や国と提携を結んだ銀行は拒否すべき合理的理由がない限り、特殊勲章を換金する義務を負っている。どの貴族から授与されたものでも変わりなく、だ。だが、貴族、銀行によっては財政難で対応できない者もいるのが現状だ。
特殊勲章とは一種の貨幣であり、また、貨幣とは保証である。国内で正貨に換えることができないのであれば特殊勲章の価値は低下し、貨幣価値の低下は国家の権威の弱体化へと繋がってしまう。そのため貴族や銀行が一時的に拠出した換金費用は国が補填する決まりがあった。
「しかし、考えたもんだな」もぐらはぼりぼりと頭を掻く。その拍子に雲脂が落ちたが気にしている様子はない。「俺が金を受け取るためにはオルウェダに頼むしかねえ。でも、そうしたところで照会されたら結局お前の名前が出てくるときたもんだ」
僕はくすりと笑う。その様を見てもぐらは不満そうに顔を歪めた。
特殊勲章はエニツィアの財政機関により授与と補填の認証が為されている。容易に乱発、偽造されると他組織への財政攻撃や不正資金問題が横行するからだ。
つまり、「特殊勲章」というシステムは真偽判別と書類、つまり、空間転移という二つの魔法により支えられているということである。これらがなければ不正利用を防ぐ厳格な体制は維持できない。
これが僕がもぐらへと仕掛けた毒の正体だった。
「換金しない、っていう方法もありましたけどね」
「馬鹿か。俺がそんな人間じゃねえって分かってたからお前はこうしたんだろうが」
「まあ、そうですね」
「で、だ」
もぐらは溜息を吐き、腕を組んだ。広場の方からは人々の喧噪と金槌の音が響いてきている。人通りのない路地裏、もぐらは真剣な眼差しで言った。
「大体予想はついてるけどよ……何の用だ? まさか、本当に俺を雇うってんじゃないだろうな?」
「ギルデンスとオルウェダを殺せるなら雇いますけど」
もぐらの身体はぴくりと震える。「……それが簡単にできればこんなことになってねえだろ」
「でしょうね。僕も頼むつもりはないですし……まあ、予想通りだと思いますよ。あなたが握っている情報を全てください。それだけで命と一等特殊勲章分に相当する金が貰える、悪い話じゃないでしょう?」
もぐらは目を瞑り、覚悟していたかのように長い息を漏らす。首肯さえなかったが、それでも質問を促しているように思え、僕は訊ねた。
「じゃあ、一つ目……いないと思いますがあなたと同程度、そこまでいかなくても信頼が置ける程度に力を持った暗殺や急襲を得手とする人間はいますか?」
「……十中八九いねえ」自尊心だけではない確かさで彼は首を横に振る。「十って言ってやろうか?」
「根拠は?」
「国と金の違いは分かるか?」
唐突な問いかけに首を横に振る。彼の質問の意図が掴めない。
「それがどうしたんですか?」
「……金は奪ってもすぐになくなるけどよ、奪った国はすぐになくなりゃしねえ。オルウェダの目的は繁栄だ。裏でこそこそかすめ取るつもりならずっと前に俺が頼まれてるさ。そうしなかったのは真正面から倒すことに意義を感じてるんだろうよ……俺にゃわからねえけどな」
少しずつ理解が及んでいく。
オルウェダが求めているのはおそらく正当性とそこから生じる権威だ。現エニツィア政府には王権を持つにたる理由がない、だから反旗を翻した――国民を精神的支配下に置くための大義名分。
だからこそ、オルウェダは各地で反乱を扇動してきたのだ。戦争に意味を持たせようとしてきたオルウェダが今さら暗殺などという手段を取るはずがなく、ギルデンスの思惑に鑑みても、彼がその方法を許すわけもなかった。
「じゃあ、次です……戦争は、いつ始まりますか?」
それを口にした瞬間、もぐらの目が鋭くなった。彼は辺りを見回し、誰もいないことを確認すると声を潜めた。
「俺も噂でしか聞いてねえ、それでもいいな?」
「もちろん」
「あと一節とその半分」
「え」エニツィアでは一月――三十日は節という単位で三つに区切られる。「あと十五日、ですか」
「ああ、いわゆる……『日付のない日』だ。オルウェダは形式を重んじてるのかもしれねえな。なんたってエニツィアを闇に葬るにはおあつらえ向きの日だ。そうだろ?」
頷くに頷けず、僕は口を噤む。
エニツィアの暦では一年が三百六十日であり、始まりは春分の日と固定されている。だが、公転周期は地球と変わりがない。一年ごとに五日ほどのずれが生じる計算になる。
暦とは国の権威を証明する象徴の一つである。そのため、エニツィアは暦のずれを解消しようと「日付のない日」という制度を生み出し、その期間を建国祭の準備、つまり、新年を迎えるための猶予と位置づけた。
「暦の終わりがエニツィアの終わり、ってわけだ。戦争が終わったらそのまま建国祭でもやるつもりだろうな。人間なんて馬鹿ばっかりだ……めでたい日を祝ってるのか、祝ってるからめでたい日になるのか、そんな区別もできねえと来てる。祝わせちまえばこっちのもの、ってな具合にな」
「……終わりにはさせませんよ」
「ま、期待しておくかね。俺としてはどっちでもいいんだ、エニツィアでもオルウェダでも……おっとこう言うと殺されちまうか。で、他には? まだあるだろ」
「……本当に洗いざらい喋ってくれるんですね。こういうのって大体後々の地位を保障されてたりするんじゃないんですか?」
「地位は売れるが、責任は買い手がつかねえしな。だいいち、そんなものに興味があったらここに来てねえよ」
それもそうだ。僕は合点し、小さく笑う。それに気をよくしたのか、もぐらも笑みを溢した。
彼は知っている限りのことを口にした。開戦予定地、反乱軍の予想される最低規模、還元式と呼ばれる魔力タンクの存在、その他にも様々なこと。エニツィアを即座に勝利へと導くような情報はなかったが、それでも有益な情報ばかりだった。
「しかし、オルウェダもよくやったもんだ……あのギルデンスを子飼いにして、王国軍に対抗できるだけの質と数を揃えた。しばらく雇われてた俺に言わせてもらえばよ、あれに勝つのはなかなか難しいぜ」
――逆だよ、もぐらさん。
オルウェダはギルデンスを利用しているつもりかもしれないが、実際は違う。ギルデンスこそがオルウェダを利用し、エニツィアを破壊しようとしているのだ。
オルウェダ軍が勝利を収めたら、ギルデンスの次の矛先となるのはオルウェダ自身だ。
腐敗した貴族が生み出した欲の集合体――。それはエニツィア同様、ギルデンスが化け物と称する存在に他ならない。彼が国家という化け物が存在する地平を許容しない以上、まっさらな自然状態にして初めて目的が完遂される。
僕が何も言わずにいると、もぐらは壁から背中を離した。眠そうに大きな欠伸を一つして、「もういいか?」と訊ねてくる。僕は頷き、礼を返した。
「ま、頂くものは頂くがね。さっさと銀行に行って換金して、それを俺に渡せ。お前が俺のことを知ってるのと同じで、俺もお前のことを多少は知ってる。今さら嘘なんて吐かねえだろ?」
「人間ですしね」
「『化け物』がよく言うよ」
鼻で笑い、道を進み始めたもぐらを追う。「人間だから善を追いかけるんですよ」
「善だなんだを言うのは青臭え証拠だ。俺には定義すら分からねえよ」
「……僕もこれだ、っていうふうには言えませんけど、まあ他人を騙すのは善じゃないかなと」
もぐらは反論したそうにこちらを一瞥したが、声にすることはなかった。これ以上は決着のつかない議論になると考えたのだろうか、僕自身も「何が善で何が悪か」を峻別する線がどこにあるか分からず、それ以上のことは考えずに足を動かした。
小柄なもぐらは忙しなく足を動かしている。足取りは速いが急いでいるわけではなさそうで、僕は最後に一つ、訊ねた。
「もぐらさん、これからどうするつもりですか?」
彼は顔を顰めて応える。「なんだ、まだ俺を雇いたいとか言うつもりかよ」
「違いますよ。少し気になっただけです」
「……そうだな、金も入ったし、しばらくは遊んでるさ。追っ手が来たら面倒だから、郵便馬車に乗ってアノゴヨにでも行くかな」
「郵便馬車なんて常用してたらすぐに金が飛びますよ」
「心配すんな、ダチが郵便馬車の御者やってんだよ。今回もその伝手で手紙をやったんだ」
ああ、と合点する。どうりで宛名がなくても届くわけだ。
「それにしても、もぐらさん友達なんていたんですね。そういうのあまり作らない人かと思ってました」
「ガキの頃からの知り合いでな、そいつだけだよ」
「へえ」
「俺も色々飛び回ってるし、そいつもそいつで牢にぶち込まれてたから会ったのは久しぶりだけどな」
「え」僕は面食らい、用意していた軽口を飲み込む。「それって」
「悪いことをしたら牢にぶち込まれる。すげえ悪いことをしたら首を切られる。当たり前だろ」
「それはそうですけど……何をしたんですか」
その質問にもぐらはすぐに応えなかった。彼にとっては取るに足らないことなのかもしれない、思い出すべくしばらく唸っていたが、結局明確な回答は得られなかった。
「盗みだったか、通りで誰かをやっちまったか、大体そんなとこだろ。忘れちまったよ。まあ、でも、お前に言わせりゃそいつも人間だよ」
「……どういうことです?」
「罪は犯したけどよ、改心して今じゃ人一倍真面目に善とやらを追いかけてる。自分の親父がやれなかったことをやる、っつってな」
あれ、と僕は首を傾げる。どこかで似たようなエピソードを聞いたことがあるような気がした。しかし、すぐには思い出せない。何とか絞りだそうと頭を捻っているうちにもぐらは話を続けた。
「運がよかったからか改心したからかは知らねえけど建国祭のときに罪が帳消しにされてよ、その足で郵便の業者に頭を下げにいったんだと。それから下働きして、明後日にゃアノゴヨ行きの御者だ。信じられるか?」
「もぐらさんも友達を見習ってまともな仕事につけばいいのに」
「今さら無理だろ……まあ、賭けの胴元とかなら喜んでやるけどよ」
「戦争が終わったら馬が余るでしょうし、その馬で競走でもさせたらどうです?」
「そりゃいい」冗談か本気か分からない口調でもぐらは賛同する。「馬ならご機嫌とる必要もないしな……おっと」
もぐらの声に視線を前へと向ける。話しているうちにかなり進んできたようだ。目の前には銀行があり、響いてくる金槌の音は随分と遠くなっていた。
「じゃ、頼むぜ。色をつけてもいいからよ」
「特殊勲章でいいですか?」
もぐらは眉を上げ、小さく笑う。「こっちはお前の名前も知らねえんだ。それともあれか、『化け物』レプリカって言えばそれだけでもらえるのかい?」
「頼み込んでおきますね」
「……なら、名前、覚えといてやる。聞かせろよ」
「いいですけど、その代わり、もぐらさんの本名も教えてくださいよ」
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