99 騒がしい僕ら

 領主に会う前に酒を飲んではならない。

 そんな諺があるわけではないけれど、少なくとも常識としては存在していて、僕はカクロとの面会は後日に回すべきだ、と三人に提案した。ヤクバたち三人はカクロと深い関係にはない。むしろ以前バンザッタで目にした、華美な格好で女をはべらせる貴族の中の貴族、という印象が強いらしく、彼らも拒否することはなかった。

 そのため、僕たちは城へ入った後、まっすぐアシュタヤへの居室へと向かった。彼女は三人の身体から漂う酒の臭いに苦笑を浮かべたけれど、歓迎し、レクシナの抱擁をいやがる素振りも見せずに受け入れる。その様を目にしたヤクバとセイクが順番を待つようにレクシナの後ろに並んだため、僕はそっと彼らを蹴散らした。


「おい、何すんだ」セイクが顔を歪める。「今、お前、攻撃したな?」

「気のせいだよ」

「そうか、気のせいか」

 その応対にくすりと笑ったアシュタヤはレクシナの肩に顎を乗せたまま、僕とマーロゥに言う。「ニール、マーロゥさん。ちょっと三人とお話をしたいので外に出ていてもらえますか?」

「……ああ、うん、分かった」


 拒否する理由もなく、僕は部屋を出た。マーロゥはドアに耳をつけ、中で何が行われているのか探ろうとしたが、わざわざ外に出されたくらいだ、僕たちが聞くべき事柄ではないのだろう。〈腕〉で襟元を掴んで離れさせた。

 三人が出てくるまで、十分少々の時間がかかった。マーロゥはどんな話をしたのか、根掘り葉掘り聞こうとしたが、三人は詳しくは語らなかった。レクシナが「お祝いと悩み相談」とだけ答え、それから僕へと微笑みを送ってくる。その表情には大人が年下へと向けるような優しさがあり、調子が狂う。


 アシュタヤはこれまで三人に様々な相談をしていたのかもしれない。

 相談相手として相応しい人間は二種類存在する。厳格な答えを与えてくれる人と答えを出す精神的余裕を与えてくれる人。後者として三人は最適であり、また、人の秘密を暴露して舌を出す人間でもない。

 だから、僕は彼らに一切の質問をしなかった。僕に関することであるならなおさら、だ。


「じゃあ、僕たちの部屋に行こう。さすがにヨムギももう起きてるだろうし」


 三人の食事に付き合っていたせいで朝日の赤は完全に消え失せている。彼らは欠伸混じりに従い、後ろをついてきた。マーロゥを先頭に城の廊下を進んでいく。その足取りはどこか浮き足立っているようにも見えた。

 理由は簡単で、呆れるほどにくだらない。

 ヨムギは傭兵団の中で育ってきたため、人目も憚らず着替えをする。明らかな下心を持って接するマーロゥと同室になれば少しは恥じらいを覚えるのではないか、と期待していたが、大した効果はなかった。

 つまり、それが理由だ。彼は部屋の扉を開けるのが余程楽しみらしい。その役目を勝ち取るために率先して前を歩いているのだ。


「マーロゥ」僕は兄たる立場として彼を諫めた。「扉は僕が開ける」

「は?」

「鼻の下が伸びてるんだよ、きみは」

「そんなことねえよ」

「珍しいな」マーロゥの顔を覗き見たヤクバが顎をさする。「よほどお熱らしい」

「そうなんすよ。雷に打たれたみたいな感覚で」

「雷に打たれたこともない癖に」


 そう揶揄すると、マーロゥは不機嫌を演じて「お前はあんのかよ」と指を突きつけた。答えを待たずに彼は「お前は知らねえんだろうなあ」と陶酔を露わにする。落雷に匹敵する衝撃、と言うならアシュタヤとの出会いを挙げることもできたが、なんだか惚気ているみたいで言葉にするのは憚られた。

 憚られたので、代わりに自慢にはならない事実を口にする。


「雷に打たれたことならあるよ。なんならセイクとレクシナもある」

「おい、汚点を持ち出すんじゃねえよ」

「肌に痕残ったんだからやめてよねー」


 結託して背中を小突いてくるセイクとレクシナへおざなりに謝罪しながら、一度はめ直した長手袋を外す。隙を突いて扉へと走り出そうとしていたマーロゥを〈腕〉で捕まえると盛大な非難が廊下をこだました。


「随分、器用になったもんだ」とヤクバが唸る。「前はそんなことできなかっただろう」

「まあ、ね」

「あたしの指導のおかげかなー」

「……そういえばそんなこともあったね」


 僕はデギ・グーを狩ったときの一件を思い出し、笑みを溢した。あれがなければ〈腕〉の認識に影響が出ていたかもしれない。そう考えると役に立ったのは事実だ。

 レクシナは「そういえばってなによー」と語尾を伸ばして唇を突き出している。それを無視して扉をノックした。


「ヨムギ、いる?」

「ああ、ニールか」ヨムギが扉へと近づいてくる足音がする。「今、鍵を開ける」


 その発言にマーロゥが「おい」と睨み、肩をぶつけてきた。肌に纏わり付くような湿度を含んだ視線はどうにも冗談に思えない。


「てめえ、ニール、なに教えてるんだよ」

「防犯意識だよ。鍵の大事さを教えたのはアシュタヤだ」


 そう答えると同時に金属の擦れる音が響いた。いささか乱暴に扉が開かれ、ヨムギが顔を出す。厩舎へ働きに行くときの普段着ではなく、傭兵の格好をしていた。軍人たちに魔法を教えにもらいに行こうと考えていたのだろうか。


「……誰だ、そいつら」


 ヨムギは警戒心を露わにし、僕の背後にいる三人をじろりと睥睨した。訝るのも仕方がない。ヤクバもセイクも道中で買ったのか、祭でしか着ないような派手な格好をしていて、レクシナに至っては隠している面積の三倍以上、肌を露出している。


「昨日も言ったろ? 僕たちの仲間で――」

 その言葉をマーロゥが奪い取った。「俺の師匠で、ヨムギに魔法を教えてくれる人だ」

「……魔法? なるほど」


 僕は改めて彼らの紹介をしていく。名前を伝えると、レクシナは「はじめましてー」と艶めかしく手を振り、セイクは「俺は魔法使えないけどよろしくな」と笑みを作った。ヤクバは「これがマーロゥの好みか」と唸っている。それから彼らは示し合わせたように、ヨムギへと腕を突き出した。

 だが、ヨムギはしらけた顔をするばかりだ。腕を握ろうとする気配などない。


「ヨムギ?」

「あのな、ニール……下手くそな冗談はやめろ」

「え?」

「こんなのがそんな大層なもののわけがないだろう」

「いや、本当だけど」

「嘘を吐け。どこからどう見ても旅芸人じゃないか。そうでなければ」ヨムギはヤクバ、セイク、レクシナと順番に指を突きつけた。「大工と、チンピラと、娼婦だ」


 ヨムギの悪態に空気が止まった。一瞬間が空き、ヤクバとレクシナが大声で笑い始める。セイクだけが「聞き捨てならない」といった具合に僕を押しのけて一歩前に出た。


「おい、ちょっと待て。チンピラってなんだよ」

「チンピラ!」レクシナがヤクバに抱きついて彼の胸板を叩く。「一人だけ職業じゃない!」

「なるほど、言い得て妙だ」

「うるせえな!」


 一人、おろおろとしていたのはマーロゥだ。彼はヨムギの肩を掴み、訂正を求める。


「お、おい、ヨムギ、この人たちはすごい人たちなんだぞ。国でも指折りの魔装兵で、ああ、セイクさんは違うんだけど」

「そう、セイクは違う。こいつはチンピラだ」


 ヤクバの発言にレクシナが再び笑い転げた。文字通り、廊下に倒れて足をばたばたと動かし、転がっている。セイクの怒りの矛先はヤクバへと向かい、彼はチンピラとしか思えない所作でヤクバの襟元を掴んだ。

 収集がつかない。

 頭を抱えたくなったところで、ヨムギは大きな溜息を吐いた。


「じゃあ、おれは本当に魔法が使える軍人のところに行ってくる」

「ちょっ、ヨムギ!」

「それがいい」ヤクバがセイクをいなしながら頷いた。「まずはこっちをどうにかしよう」

「な、ニール、禿げた大工もそう言ってることだし――」


 その瞬間、人一倍大きなヤクバの手がヨムギの顔面を鷲づかみにした。ヨムギは何が起こったのか、と動きを止め、一拍置いてからようやく狼狽を始める。だが、がっちりと掴んだヤクバの手からは逃れられず、そのまま引き寄せられ、流れるような動作で強制的に頭を下げさせられた。

 レクシナとセイクの笑い声が響く中、ヨムギの首根っこに手を回したヤクバは子猫を持ち上げるように彼女を宙に浮かせた。手足を動かして抵抗するヨムギに、ヤクバは言い放つ。


「ここまで失礼をこかれたのは初めてだ。人を見る目から鍛え直してやろう」

「いや、目は確かだろ。禿げてるじゃねえか」

「黙れ、セイク。お前も同じ髪型にしてやろうか」

「それは髪の形じゃねえって」


 ずんずんと足音を立てて進んでいくヤクバの後を笑いながらセイクが追う。レクシナは「あたしは仲良くなれそうだなー、かわいいし」と寝転がったまま安穏とした感想を呟いた。娼婦と呼ばれたのは気にしていないらしい。まあ、娼婦も立派な職業だ。問題視することでもないのだろう。


「いいのかよ、ニール」


 一人、心配そうに呟いたマーロゥに僕は苦笑を返す。


「まあ、ヨムギにもいい薬になるでしょ。彼女は世界の広さを知らないからちょうどいいよ。……世の中にはとんでもなく強いハゲとチンピラがいるって気付けるだろ?」

「聞こえてるぞ!」


     〇


 城を出るまで晒し者になっていたヨムギは鍛錬場に到着してからもヤクバに対して強烈な敵愾心を剥き出しにしていた。

 木剣を手にした彼女は、正面にいるヤクバを睨み殺すような目つきで凝視している。「戦えば嫌でも分かるだろ」というセイクの提案で手合わせをすることになった二人は鍛錬場の端っこで向かい合っていた。

 いや、向かい合っている、というのも語弊がある。僕が開始の合図をした瞬間、ヤクバは腰を下ろしてしまったからだ。ヨムギが侮辱と受け取るのも当然で、彼女は目を血走らせて木剣を地面へと叩きつけた。


「なんだ、お前、まだ馬鹿にしてるのか!」

「馬鹿にしてたら目を瞑って寝転んでる。……おい、ニール、もう一回合図してくれ」


 ヤクバには挑発のつもりなどなかっただろう。だが、ヨムギはまなじりを決し、木剣を硬く握りしめた。ぎゅうっと、音が聞こえるような気さえする。僕は溜息を吐き、五から数字を減らしていく。

 だが、次の瞬間、「ずるい」と叫びたくなった。胡座をかいたヤクバは詠唱を始めたのだ。

 なんて大人げない――そう思いながらカウントを続け、ゼロに辿りつく。同時にヨムギが地面を蹴る。その突撃を阻んだのはいつか見た水の龍だった。

 突如出現した魔法の塊に、ヨムギは二の足を踏み、息を呑んだ。宙を泳いでいた水龍の口に小さな水の球体が生まれている。


「動くな!」


 マーロゥが強く叫ぶ――水弾が放たれる。

 ヨムギの耳に警告は届いていただろうか、僕には分からないが、彼女は動かなかった。動けなかったのかもしれない。彼女を覆い尽くした危機感が本能的に身体を硬直させた、そのように見えた。

 轟音が鳴る。

 ヨムギの頬を掠めた水弾が鍛錬場の壁に激突し、建物全体を揺らした。それでも力を抑えていたのか、ヤクバはにやりと笑っている。


「……どうだ、お嬢ちゃん。まだやるか?」


 ヨムギの周りには水龍がぐるぐると渦を巻いている。意匠でしかない牙に彼女は唾を飲み込み、小さく首を横に振った。


「じゃあ、次、あたしー」


 立ち上がったヤクバの代わりにレクシナが同じように座り込む。

 娼婦、と言い切った人間に負けるわけがない。そう自身に言い聞かせているのか、ヨムギは口を真一文字に結んだが、敗北感を拭い切れている様子はあまりなかった。いつも勝ち気な彼女の目に弱気の光が宿っている。

 レクシナとの戦いもやはり、戦いと言うにはおこがましかった。突進してきたヨムギが剣を振り上げると同時にレクシナは詠唱を始める。レクシナの詠唱は僕が今まで相対してきたどの魔術師よりも素早い。剣が彼女の髪の毛に触れる寸前にヨムギの身体はあっけなく風に持ち上げられた。

 じたばたともがくヨムギに杭のついた黒い鎖が巻き付く。あっという間に彼女はもがくことすらもできなくなり、空中で降参を表明した。


「次、セイクねー」

「いいけど、俺は魔法使えねえよ」

「でも、ほら」レクシナはヨムギに流し目を送る。「あの子もそのつもりみたい」


 ヨムギの顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいた。

 魔法の使えないセイクになら、という表情ではない。むしろそこにあるのは期待のようにも思えた。

 彼女は今まで強敵の群れの中に身を投じたことはなかった。それは軍に所属していた頭領の影響かもしれないし、あるいは僕がラ・ウォルホルでそうしたように誰かが率先してその役目を奪っていた可能性もある。

 もちろん、彼女の実力を貶めるつもりなどない。彼女は一人の傭兵として数えるには相応しいだけの力はあり、僕も頭領もそれは認めている。

 しかし、ヨムギはまったく見知らぬ他人に完膚なきまでに負けた経験などないはずだ。


 はじめてまともに味わった敗北、その経験はときに内側でまったく別の感情へと変質する。僕もかつて、フェン相手にその感覚を覚えた。絶対的に有利な状況下で、半ばデモンストレーションのように力の差を見せつけられたとき、無念は高揚へと変わるのだ。身体の内部に敗北を希望へと濾過する器官が存在するかのように。

 彼女にも同様の現象が起きているに違いない。ヨムギの身体が小さく震えている。

 大量の悔しさの中に紛れ込んだ歓喜に、震えている。

 その表情を目にしたセイクは機嫌が良さそうに、壁に立てかけられている木剣を手に取った。


「……しゃあねえなあ」


 右手でくるくると回しながらヨムギへと近づき、構える。片手を遊ばせているにもかかわらずその構えには隙がなく、ヨムギの顔により一層の興奮が染みついた。

 こうして、ヨムギはこの鍛錬場で三人との面会をようやく果たした。もう毒づこうという考えは露と消え失せていたらしく、セイクとの手合わせを終えた後、彼女は殊勝にも深々と頭を下げた。


「馬鹿にして悪かった。許してくれ」

「ああ」とヤクバが頷く。「素直なことはいいことだ」

 レクシナは胸を叩き、艶然とした表情でヨムギにしなだれかかる。「魔法から男を落とす方法まで全部教えちゃうから」

「魔法だけにしてくれよ」頼むから。

「できれば男に落とされる方法は教えてやってください」

「剣の方も筋が悪いわけじゃねえな」


 セイクの評価にヨムギは「オヤジに教わったんだ」と顔を明るくさせた。彼女の剣や体術はほとんどが傭兵団との頭領によって授けられたものだ。アレンジは加えられているものの基本には軍の教えが脈々と流れている。

 僕はもしかしたら、と考えて頭領の名前を告げた。聞き覚えがあったのか、セイクが「ああ」と手を打つ。


「知ってるの?」

「知ってる、って言うほどには知らねえよ。まあ、でも、聞いたことはある」

「オヤジは有名なのか?」

「ほどほどにな。軍の訓練で何度か見たぜ」

「それでしごかれて、逃げ出したんだ?」

「馬鹿野郎、俺たちが逃げたのは自由がなかったからだ」

「おれも」とヨムギは三人との共通点にはにかむ。「おれも軍から逃げた」

「……ヨムギも一度軍に入ったんだけど、三日と持たなかったんだ」


 それはそれは、とヤクバは不敵な笑みを作り、ヨムギに顔を近づける。百九十センチメートルを越える筋骨隆々とした彼の身体は相当の圧迫感があるはずだが、ヨムギの身体は根が張ったように動かなかった。


「でも、今回は逃げない。絶対に強くならなきゃいけないんだ。春までにはお前たちみたいに戦えるようになりたい」

「……それは随分、無茶を言うな」

「覚悟はある!」


 無論、春までにヤクバたちのように自由自在に魔法を使いこなすのは不可能だろう。魔法の習熟速度は僕には分からないけれど、一朝一夕で身につけられない程度にその道が果てしないことだけは知っている。

 だが、彼女の熱意は確かだった。三人は顔を見合わせ、全員の意志を代行するかのようにヤクバがヨムギへと右手を差し出した。ヨムギはもう拒否をしない。固く握手を交わし、「お願いします」と頭を下げた。


「じゃあ、その覚悟を買ってビシバシいくか。まあ、ぱっと見でなら才能はある。後はどれだけ腐らないか、だな」

「あたしとヤクバで丁寧に教えてあげよう」

「疲れたら俺も遊んでやるよ」


 やんややんやと騒ぐ三人の姿を見て、僕は破顔した。時間はかかってしまったが、頭領との約束を果たしたのだ。これでようやく彼と再会したときに胸を張って報告ができる。


「じゃ、それまでセイクさん、俺と遊びましょうよ」

「いい度胸じゃねえか」


 号令などなかったが、それぞれが行動を開始した。木剣を手にセイクとマーロゥが鍛錬場の奥へと進んでいき、ヤクバとレクシナは腰を下ろしてヨムギへ魔法を伝授し始める。

 最初はどうなることかと思ったが、収まるべきところに収まったようだ。小さかった輪が少しずつ広がっている感触がある。きっとヨムギもみんなと良い仲間になれるに違いない。尊敬がその速度を速める要因となるならばヤクバのやり方はとても上手かった。もしかしたら初めからこのように画策していたのかもしれない。

 僕は胸を撫で下ろし、五人の様子を眺める。

 だが、しばらくすると重大な問題に気がついた。


 ヨムギはヤクバとレクシナの話に夢中だ。マーロゥとセイクは剣戟を結んでいる。

 ――あれ。

 これ、結局、僕がやること、ないな。

 ぽっかりとした疎外感に立ち竦む。邪魔するのも忍びなく、一人取り残された僕は職業斡旋所へと赴くことに決めた。寂しくない、寂しくないぞ、と自分に言い聞かせ、背を向ける。とぼとぼと鍛錬場を去ろうとしたとき、後方からセイクの声が飛んできた。


「おい、ニール、何してんだよ、こっち来いよ」

「え、でも」

「お前とも遊んでやるよ。お前がどれだけ強くなったのか、見てやろうじゃねえか」

「いいけど」僕は向き直り、セイクとマーロゥの方へと歩を進める。「たぶん、今やったら僕が勝っちゃうよ?」

「お、調子に乗ってやがるな」

「おい、セイク」ヤクバは笑い混じりの怒声を張り上げる。「ぼこぼこにしてやれよ」

 レクシナが腕を振り上げて追従する。「今後二度と刃向かえないくらいにね!」

「任せろ。ニールのツラをグーみたいに変えてやるよ」


 セイクはもう「坊」をつけて僕を呼ばない。少し嬉しくもあったけれど、もっと気にかかることがあり、僕は肩を竦めて訊ねた。


「一応聞いておくけど、本当に怒ってないんだよね?」


 彼らがその問いに返したのは、曖昧な笑いだけだった。


     〇


 この日からずっと、ヤクバもセイクもレクシナも、離れていた二年半を訊ねてくることはなかった。興味がないわけではないのだろう。きっと僕が語れば真摯に耳を傾けてくれたはずだ。でも、そんなことよりずっと重要なことがあるのだと考えているに違いない。

 その態度がとてもありがたかった。

 僕は過去を語る代わりに彼らと鍛錬を重ね、彼らも聴き入るように僕と向き合った。


 アシュタヤとこの五人との生活は充実した日々だった。日が出ているうちは鍛錬に勤しみ、夜になれば酒を酌み交わし、様々な話題で盛り上がった。イルマの店に赴いたときは三人に警戒心を剥き出しにする彼女を見て笑い、カクロが開いたちょっとした茶会に参加したときはレクシナに粉をかけようとする彼に今度はヤクバとセイクが警戒心を剥き出しにした。

 驚くほどに楽しい日々は加速していく。とうの昔に夏至を過ぎた太陽は日に日に早く沈むようになり、それが少し歯痒くもあった。

 夏の風は秋を掠めて頬を撫でる。

 瞬く間に一ヶ月が経過した。

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