91「変なやつだ」

「傭兵はもうやめることにした」


 僕のその一言にヨムギはわなわなと唇を震わせた。


「どういう、ことだ」

「言葉通りだよ、ヨムギ。……元々、僕はアシュタヤの護衛だった。だから、彼女の元に戻ろうと思ってるんだ」


 東部農業地帯、その外れで、僕たちは顔を突き合わせている。マーロゥも幾ばくか落ち着いたのか、叶うはずもない愛の囁きを口に出すことはやめていた。

 草の上に座った僕は正面にいるヨムギの瞳を見つめる。

 戻る、という単語が気に入らなかったのか、ヨムギの眉が歪んでいた。彼女は自らを落ち着かせるように細い息を吐き出す。怒りか悲しみか、その息も揺れていた。


「さんざん……さんざんおれたちを振り回して、挙げ句にこれか。お前にとってはおれたちのことなんて、おれのことなんてどうでもいいのか!」

「ヨムギ、誤解だ」

「何が誤解だ! せっかく家族が増えたと思ったのに!」


 ヨムギは立ち上がり、制止の言葉も待たずに逃げ出した。僕は嘆息と同時に〈腕〉を伸ばす。即座に彼女を捕まえ、こちらへと引き戻した。離せ、と喚きながら暴れるヨムギをこちらに向かせる。


「ヨムギ、話は最後まで聞いてくれないと僕が薄情者になる」

「もう薄情者だろうが!」

「だから、最後まで聞いてくれって。……僕は一緒に行かないか、って言ってるんだ」

「……あ?」

「いや、行かないか、ってのもなんか違うな……。きみが望むならアシュタヤは受け入れてくれる。危険な目に遭うかもしれないから、あまりおすすめはしないんだけど」


 ヨムギの抵抗が消える。僕はそっと彼女を草の上に降ろした。まだ事態を飲み込めていないのか、座り込んだ彼女の視線が僕へと向き、それからアシュタヤへと滑る。アシュタヤは莞爾たる微笑みを浮かべ、頷いた。

 厩舎に到着するまでの道中でアシュタヤと既に話はつけていた。

 僕にはヨムギの面倒を見る責任があり、それを放棄しようなどとは微塵も考えていない。頭領たちは僕を信じて、彼女を連れて行かせたのだ。言葉として約束したわけではなかったが、託されたという思いは強く感じていた。


「僕は……ヨムギ、僕はきみをどうでもいい、なんて思ってないよ」


 ヨムギはキーンに目標を聞かれたとき、「強くなりたい」と言った。それ以前にも、家族を守りたいと漏らしていたこともある。ならば、厩舎で働くよりも護衛見習いとして僕とともに行動した方がいい。ヤクバやレクシナならヨムギに魔法を教えることを拒みはしないだろう。もちろん、彼女がバンザッタでの生活を望み、傭兵としてではなく厩舎で働く娘として生きるつもりならそれでもいい。

 毎度、重大な選択肢を与えてしまっていて申し訳ないとは思いつつ、僕は続けた。


「ヨムギ、きみが選べる道はいくつかある。どの道を選んでも僕は文句は言わないよ。ただ、誤解だけはしないで欲しいんだ」

「……お前はまだおれを振り回すのか」

「おあいこだよ。僕がどれだけきみに振り回されたか」


 その厭味にヨムギはむっとし、貼りつくような視線を送ってきた。彼女からのメッセージはそれだけで、悩んでいるのだろう、明確な答えを口に出すことはなかった。


「ヨムギさん」


 アシュタヤは膝立ちになってヨムギへと近づき、彼女の手を握る。アシュタヤのそういった行動はいつでも振り払えない魅力と圧力がある。ヨムギも同様の思いを感じたのか、狼狽を見せた。


「な、なんだ」

「今すぐ答えを出す必要はありません。私たちはバンザッタに一月ほど滞在する予定です。数日すれば魔法を使える仲間がきます。あなたが望むなら彼らに教わるのもいいでしょう。……それまで一緒に行動しませんか?」

「で、でも……そんなのやったことないし、それに今働き始めたところだし、オヤジたち家族もいる。貴族の護衛なんて」

「平気だよ」そう言ったのはマーロゥだ。「俺だって護衛やったことなかったけど、なんとかなるって。だから、ほら、一緒にいようぜ」


 マーロゥの表情には下心が滲んでいたが、発言そのものに否定すべき点はない。

 僕なんて護衛となる前は戦ったことすらなかった。仲間たちに多くの迷惑をかけ続け、それでようやくまともに戦うことができるようになったのだ。

 問題は経験ではなく、目的意識だ。しっかりとした目的意識があるならば協力を厭わない。カンパルツォの周囲にいたのはそういう人たちばかりだった。


「ヨムギさん、ここにいる間は護衛としてではなく客人として、でも構いません。あの厩舎で働いていても大丈夫です。ただ、バンザッタに慣れていないあなたが一人で暮らすのはあまり良くないと思うんです。それに、ニールはあなたのことを妹、と言っていました。ニールの家族であるなら――」

「妹?」


 ヨムギは聞き捨てならなかったのか、低い声を出した。僕を睨み、それからはっきりとした発音で訂正した。


「誰が妹だ。おれは姉だ」

「……そうなんですか?」

「決まっているだろう、あいつの方がおれより後に入ってきたんだから」

「いや、でも」僕は口を挟む。「僕の方がたぶん年上だ」

「関係ない」

「オヤジさんにもきみの面倒を見るように頼まれていた」

「関係ない」

「まあ、どちらにしても」アシュタヤは僕たちの口論に苦笑を向ける。「男の人に囲まれたところで女の子が一人で暮らすのは良くないと思うんです。それにご家族のことなら今からラ・ウォルホルに手紙を出しましょう。ハルイスカに私の実家があるのでそこまでなら転移魔法で送ることができます。数日以内にご家族の元に届けられますよ」


 誰の目から見ても心配されていることは明らかで、ヨムギはそういった感情を剥き出しのままぶつけられることに慣れていない。普段の彼女なら「馬鹿にするな」と拒絶してもおかしくはなかった。

 だが、ヨムギはそうしなかった。不承不承、という具合ではあったが、「分かった」と小さく頷き、僕たちの提案を了承した。

 複雑そうな感情が垣間見える。ラ・ウォルホルでの戦いが終わって以降、ヨムギは多くの出会いを経験した。彼女も変わりつつある――きっと僕よりもずっと速い速度で。


「ご家族は」アシュタヤはヨムギから手を離し、座り直す。「今、ラ・ウォルホルで再建の作業をしてらっしゃるんですよね?」

「……ああ、そうだ」

「ラ・ウォルホルからでしたら馬車で十五日くらいですから、私たちがバンザッタを去るまでには十分間に合うでしょう。そこで相談してもいいかと思います」

「ちょっと待て、それは貴族の乗るような馬車の話だろう? おれらが使うような安馬車でその速度が出るわけがない」


 傭兵として生きてきただけあってヨムギの移動に関する知識は豊富だ。だから、彼女の指摘は正しい。

 馬車には様々な種類とランクがある。馬の性能、数、区間ごとに乗り換える駅馬車を用いるか否かでも値段は変わり、ピンからキリまであるというのが事実だった。僕たちの傭兵団が長距離移動の際に用いていたような安価な馬車ではラ・ウォルホルからバンザッタまで一月以上もかかるだろう。

 それをアシュタヤも承知しているに違いない。「そうですね」と認めた上で続けた。


「なので私がその馬車のお金を出します。正確に言えば私の両親が出すことになるので貸し、という方が形式的にはいいんでしょうが」

「……お前、馬鹿にしてるのか。確かにおれたちは金がないけど、そこまでしてもらう義理はないだろう」

「私たちの勝手でお願いしてるのでそうとは思いませんが……」アシュタヤは困ったように目尻を下げ、それから僕の方に顔を向けた。「ニールはどう思う?」

「え、僕?」

「ニールは家族のみなさんと会いたい?」


 意味ありげな笑みに噴き出しそうになる。彼女の母、シャンネラとの会話を思い出した。傭兵が貴族に舌戦で太刀打ちできるわけがない。

 僕はできる限り切なそうな表情を作り、頷いた。


「ああ、寂しくてどうにかなってしまいそうだ」

「じゃあ、ニールのために呼んであげる。貸しだからね。ちゃんと返してくれないと怒るから」

「助かるよ」


 僕とアシュタヤの三文芝居にマーロゥは腹を抱えて笑い、ヨムギはぽかんと口を開けていた。みるみるうちに整っていく状況に彼女は困惑し、「貴族のくせに変なやつだ」と呟いた。「よく言われます」とアシュタヤは平然と返す。

 ヨムギは勝てないと悟ったのか、立ち上がり、「仕事の続きをしなきゃいけないから帰る」と声高に主張した。彼女の仕事が終わるのは昼だ。「午砲がなったら迎えに行くよ」と伝えると微かに顎を引き、逃げるように走って行った。

 草原の上で僕たち三人は顔を見合わせる。一拍置いて、マーロゥは拳を握り、アシュタヤは小さく噴き出し、僕は苦笑を浮かべた。


「ごめんね、言葉遣いがあんまり良くなくて」

「ううん、新鮮でちょっと面白かった。城で生活するとなるとカクロさまに矯正されちゃいそうだけど……それに言葉遣いで言ったらマーロゥさんも最初はすごい奇妙だったし」

「いや、アシュタヤさん、あの頃はいいじゃないですか」

「どんなだったの?」

「傭兵言葉を無理矢理に丁寧にした感じだったから、なんというか、自分でもなんて言ってるか分からなくなっていたの」


 思い当たる節がある。傭兵が貴族と会話することなど稀だが、特殊勲章の授与など機会がないわけではない。かつて勲章をもらったとき、緊張により硬くなっていた傭兵のことを思い出し、僕はその真似をした。


「『俺は敬語が分かりませんでございますから、どう言ってらっしゃえばいいのか』……みたいな感じ?」

「すごい!」アシュタヤは感嘆しながら、それがつぼに入ったらしく腹を抱えた。「すごい、そっくり」

「あの、やめてはもらえませんかね」


 マーロゥの嘆願を軽快に無視し、僕は想像上の彼の真似を続けた。それが余程腹に据えかねたのか、〈腕〉を展開する前に飛びかかられる。マーロゥは羽交い締めにしようとしてきたが、あいにく僕は隻腕だ。容易に抜け出すことができた。

 一歩、大きく後ずさるとマーロゥはまっすぐに突っ込んでくる。〈腕〉を自分の身体に纏わり付かせ、その突撃をひらりと躱す。


「聞いてたとおり、本当に厭味な野郎だ!」

「『それは悪いでございましたです』」

「てめえ!」


 じゃれている僕たちをアシュタヤは笑いながら見つめている。余程面白かったのか、草の上に倒れ込み、重力で彼女の髪がさらりと流れた。見とれているうちにマーロゥが迫ってきていて、左腕の関節を極められる。

 謝りながら、考える。

 今日からまた城暮らしだ。きっとヨムギはベッドの柔らかさに戸惑うだろう。

 マーロゥはヨムギに熱烈なアプローチを仕掛けるに違いない。

 きっと僕たちはすぐに順応できる。まるでずっとここにいたみたいに馴染むはずだし、そうなって欲しい。

 レカルタへ行ったら今の数倍謝らなければいけないのだろう。でも、それは悲観的になるべきことではないのだ。

 いつまでもペルドールが攻めてこなければいいな、と思った。


     〇


 昼になり、ヨムギに水浴びをさせた後、僕たちは四人でイルマの店で食事をした。イルマはアシュタヤが来店したことを大層喜び、僕とヨムギにさせたように赤子を抱かせた。その光景が僕には神々しくもあり、というか、あまり現実的でない妄想が頭の中を占めたため、まじまじと眺めていることができなかった。マーロゥも赤子を抱かせてもらっていたが、彼の手つきはいささか乱暴だ。イルマが「優しくね」と諭すように言うと彼の緊張は目に見えて強くなった。


 ついでに僕はウラグにも挨拶をすることにした。斡旋所へ赴き、狐につままれたような顔で僕たちを迎えた彼は、事情を説明すると再び望陀の涙を流しはじめてしまった。

 ヨムギが呼吸が困難になるほどに笑い、つられてマーロゥも噴き出す。連鎖するようにアシュタヤも顔を背け、僕ももうどうでも良くなり、声を出して笑った。斡旋所の室内はしゃくり上げる音と四つの笑いで混沌とした状況に陥った。

 挨拶を済ませると軍部地区の宿舎へと向かった。僕とヨムギは背嚢を一つずつ背負い、宿舎を出る。宿舎を引き払うことを伝えるために鍛錬場へ行くとちょうどキーンがいて、話はスムーズに進んだ。彼はアシュタヤに何度も頭を下げ、祝福するような言葉を僕たちへと贈った。


「城で寝泊まりするなんて考えもしてなかった」


 堀の外周から城を眺めてヨムギはほう、と息を吐く。一ヶ月前まで山の地べたに寝ていた彼女にとっては予測もできない事態であることは間違いない。


「最初は慣れないと思いますが、分からないことがあれば何でも仰ってください」

「あ、ああ」ヨムギはくすぐったそうに呻く。「なあ、えっと、アシュタヤ、その敬語どうにかならないのか? 身体が痒くなるんだが……ニールには普通に話してるじゃないか」


 さま、とつけられなかったためか、アシュタヤは嬉しそうだった。


「こっちの方が慣れていて、ごめんなさい」

「ま、まあ、そのうち変えてくれたらいい」

「なあ、ヨムギ」マーロゥはこれ幸い、と彼女を呼び捨てにする。「俺はこんな感じでいい?」

「お前はよくわからん。名前も知らん」

「……マーロゥだよ」


 彼は少しだけ切なそうな顔をして、ヨムギの前に躍り出た。後ろ向きに歩きながら、手を差し伸べる。握手を求められているのに気付いたヨムギは眉を顰めながらその手を握った。


「じゃあ、今日からよろしくな」

「ああ。……まあ、おれは護衛じゃないけど」

「そういえば」と僕は訊ねるべき疑問を思い出し、言った。「どうしてアシュタヤはバンザッタに? レカルタにいるものだと思ってたけど」

「どうして、ってあなたがバンザッタに向かったとお父さまが教えてくれたから」

「あ、そうでしたか」

 顔が熱くなり、背けようとするとアシュタヤは続けた。「と、いうのが理由の九割で、残りは戦争に関してです」

「……ペルドールとの?」


 アシュタヤは「うん」と頷く。

 だが、疑問はあった。バンザッタからペルドールまではほとんどが見通しの良い平原だ。彼女の超能力が必要になる場面などない。

 声に出さずともその疑問は伝わっていたらしく、アシュタヤは答える。


「情報だと今回攻めてくるのは継承権絡みらしくて……それほど大きな隊ではないみたいなの。私は一応今でも軍属で、ずっと戦いの勉強はしてきてたから経験を積むために、かな。立候補したのは私なんだけれどね」


 戦いの勉強、という言葉はあまり好ましくなかったけれど、諫めることは難しい。事実、彼女は軍属で、エニツィアは絶えず戦火が燻っている。身を守るための方法と割り切ることにした。


「なるほど……それにしても、護衛はマーロゥだけ? あの三人は後から来るんでしょ? 良くそれでカンパルツォさまが許してくれたね」


 その質問にアシュタヤの表情が強張る。「いや」とマーロゥが言葉を奪い取るように否定した。


「他にも護衛はいたんだ。さすがに俺一人じゃ許されねえ」

「じゃあ、後で挨拶に行かなきゃいけないか」

「それで、あの、ニール。お願いがあるんだけど……」


 アシュタヤは僕の袖をぎゅっと掴んだ。申し訳なさそうな表情に疑問と困惑が募り、次第に不安の染みが心に広がる。


「護衛の人に会っても絶対に攻撃しないで」

「攻撃?」するわけがない。「どういうこと?」

「説明すると長くなるんだけど――」


 アシュタヤは躊躇いを飲み込むようにじっと地面を見つめて、言った。


「護衛の一人に……ギルデンスがいるの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る