88「お前と会うのを楽しみに」

「負けず嫌いですか」と訊ねられたら、たぶん僕は頷く。

 かつて僕は迫害を受けていた。この世で最高の超能力者、ニール=ジオール・オブライエンの遺伝子を持っていながらサイコキネシスしか扱うことができなかったからだ。そのサイコキネシスも出力ばかり大きくてまともに操ることができない。

 そんな僕がなぜエリートと評される超能力養成課程で学ぶことができたのか。

 明確にその答えを教えられたことはないけれど、予想はついた。

 期待と数字だ。


 他の人間とは異なり生来の超能力者なのだからジオールのようになるのではないかという期待と、それに応えるだけの超能力の出力を示す数字。教員たちはたとえ現状使い物にならなくても偉人を輩出してきた我々なら何とかできるはずだ、とほとんど根拠のない盲信を携えて僕の教育に当たった。

 それを裏切った僕が迫害されるのは道理、とは言わないが、それでもまあ、一つの流れとしては自然だ。級友たちは授業の進行を妨げる僕を疎んじて肉体的精神的暴力の行使に精を出した。教員たちも目の前でその行為が繰り広げられない限りは黙認をした。


 超能力の制御装置と悪用を防止する刑罰装置をつけられている僕はそれを受容するしかない。

 だが、僕はそれらの暴力に屈したことはなかった。と、思っている。

 屈服とは怒りを失うことだ。僕はたとえどれだけ痛めつけられようが、彼らに対する怒りを忘れたことはなかった。

 だからきっと僕は負けず嫌いなのだ。


「手合わせしようぜ」という脈絡のない提案に乗ったことに理由があるとしたらそれが一つだ。あとは、久々に同年代の男から誘いを受けた、だとか、体術が鈍ってないか、だとか、見ず知らずの青年が発した対等な物言いがあまりにも気持ちよかったから、だとか、探せばいくらでも見つかった。

 もちろん泣きそうな顔で頼み込まれたというのも、ある。

 とにかく、僕は彼の誘いを了承した。


「で」青年の口調に引き摺られて敬語を失う。「いつやるの?」

「いつって、今でいいだろ? 仕切り直すのは面倒だ」

「……本を部屋に置いてきてからでもいいかな?」

「本なんて後だ、後!」


 そう言うなり彼は僕の手から本を奪い、カウンターの女性に預けた。彼女は一度、「いいんですか」と言いたげに視線を送ってきて、仕方なしに僕が頭を下げると壁に設置された棚へと置いた。


「じゃあ、行こうぜ。場所は……どこにするかな」


 彼はそこで考える素振りをする。下手な演技だった。


「場所は決めてある、って顔、してるけど」

「……よくわかったな! じゃあ農業地帯でいいだろ? あそこなら広いし、わざわざ南の鍛錬場まで行くのも面倒だからな」

「終わったら本を借りに戻らないといけないからそれでいいよ」

「……無事に本を読めると思うなよ?」


 彼の笑みは不敵と呼ぶに相応しい。「果たして僕と戦った後で同じ笑みを浮かべていられるかな」などと芝居がかった台詞が頭に浮かんだが、あまりに安臭くて自重する。青年はその表情をどう捉えたのだろうか、「その余裕ぶった表情をいつまで保っていられるかな」と口角を上げた。

 恥ずかしくて顔から火が出そうになる。


     〇


 僕たちは堀の外周を通って東部農業地帯へと進んでいく。沈黙が嫌いなのか、青年は終始口を動かしていた。

 彼は山脈の西側で生まれ育ったそうだ。バンザッタに来たのは初めてらしく、「いい街だよな、華があって」と視線をあちこちに彷徨わせている。


「そうかな」いい街であることは賛同するが、「華がある」という言葉には即座に同意しかねる。「華がある、っていうならハルイスカとかアノゴヨのほうが程度が高い気がするけど」

「俺、西の生まれでそっち側には行ったことないんだよ。っていうか、そういうのって比べるものでもないんじゃないか」

「……なかなかいいことを言うね」

「お、そうか」


 皮肉のつもりはなかったから、素直に受け止められたことに安心する。同じ宿舎の傭兵たちに同じことを言えばこうはならないだろう。彼らは疑り深く、深読みに深読みを重ねた挙げ句曲解するのがお手の物だ。

 ――傭兵。

 目の前を歩く男もそうなのだろうか。体つきと背中に背負った片手剣だけで判断するならばそれが正解だろう。ヨムギや頭領たちと生活している間は山脈の西側に足を運んだことはない。実力のある傭兵を起こりえる内乱から遠ざけようとしているのならそちら側からも引っ張ってくるのが自然だ。

 しかし、僕にはどうもそうは思えなかった。


 傭兵には多種多様な人間がいるが、彼には一線を画す雰囲気がある。ぎらつきのなさ、と言い換えてもいい。金銭のために暴力を振るう人間らしくない顔つきだ。信じるもののために戦う、何と言えばいいのだろう、「厚さ」があった。


「何見てるんだ?」

「きみが前を歩いてるからね、そりゃ見るよ」

「それもそうだ」


 けらけらと笑いながら、彼は道ばたに落ちている小石を拾う。何をするのか、と眉を顰めていると、堀に向かって投げ始めた。大きさと速度を感知したバンザッタの大規模立体魔法陣は水飛沫と風圧をもって石を飲み込む。青年は「噂通りだなあ」と感心している。

 彼はさらに一つ、二つ、と石を放っていく。そのたびに堀は機械的に「拒否の堀」へと変貌した。楽しくなってきたのか、青年が歓声を上げたところで、堀の向こう側にいた衛兵が鋭い声で彼を叱った。青年は申し訳なさそうに頭を何度も下げ、「怒られちまったよ」と報告してくる。

 この感じでいくと手合わせなどすぐに終わってしまうな、と隠れて溜息を吐く。


 東部農業地帯に辿りつくと、彼は「じゃあ、やるか」と鷹揚に剣を抜いた。まるで釣りでもするような物言いに気勢を削がれる。太陽に照らされた草が風に揺れる様もあまりに安穏としていて、これから戦うのが冗談にも思えた。


「……なんか、気分が乗らないな」

「おいおい、ここに来てそれはなしだろ!」青年は過剰な手振りで反論する。「俺ぁ、お前と会うのを楽しみにしてたってのに!」

「うん、なんか、ごめん」


 僕の謝罪に、青年は悩ましげに唸った後、とびっきりの台詞を思いついたかのように顔を輝かせた。


「負けたときの言い訳か?」


 エニツィアの西で育った人間は英雄譚や武勇伝を好むそうだ。建国の逸話の舞台が山脈を隔てた場所だったからか、商人たちが海の向こうで珍しい品物と一緒に仕入れた妙な話を聞かされているからか、原因はそのどちらかだろう。

 そう考えるとこれまでの彼の言動も自然に思えてきて、憎むに憎めない。きっとこれが彼の性格なのだ。

 ……挑発に乗ってやろう。

 僕は身体を軽く動かして準備を始める。それを目にした彼は嬉しそうに頷いた。


「よし、そうこなくっちゃな。じゃあ、お前が堀の方で俺は反対側な。十エクタも離れればいいか」

「なんで場所まで決められなきゃいけないのさ」

「俺は飛び道具を使うからな」青年は自慢げに言って、僕から七メートル、距離を取る。「お前以外に当たったら大変だ」


 なるほど、それなら彼の正面に堀があるほうがいいかもしれない。逆光で眩しいのは確かだが、それで文句を言うのは癪だった。

 しかし、飛び道具とはなんだろうか。彼は弓を持っていない。僕は他人の魔力を知ることができないから推測しかできないが、やはり魔法だろうか――鎌をかけてみることにする。


「投石じゃないよね」


 その瞬間、彼の表情があからさまに歪んだ。それも演技だとしたらきっと彼は名優になれるだろう。


「なんで、わかった?」

 言ってみただけだ、というのも馬鹿らしい。「さっき、石を投げてたときの手つきが妙に染みこんでたからね」

「ま」と青年はごまかす。「まあ、他にも奥の手があるしな」

「そっかそっか。で、勝敗は? 真剣を持ってるけど命で決着はしないでしょ?」

「ああ、安心しろ、当てるつもりはねえよ。手元が狂ってちょっと当たるかもしれねえけど」

「それでどうやって判定するのさ」

「そうだな……どっちかが負けを認めたらそれで決着でどうだ? 時間は無制限」


 どうせその無制限も僕の意志一つによって変えられる。十分に運動したと感じたところで切り上げればいい。最初は〈腕〉を展開せずに遊ぶことにしよう。

 そう思ったのが伝わったのか、彼は不満そうに口を尖らせた。


「なんかやる気なくねえか?」

「そんなことないよ、ほら、始めよう」七メートル前にいる青年を見つめる。

「じゃあ、やる気にさせてやるよ」


 演劇じみた台詞は適量なら愉快だが、過剰に摂取すると舌が痺れそうになる。僕は呆れに顔を歪めた。

 ――こういった手合いの戦術など限られている。頭から突っ込んでくるか、離れておちょくるように投石を続けるか、だ。いよいよもって意気消沈の度合いがひどいものになってくる。


「おいおい、なんだよその顔」

「……別に。さ、やろうか」

「やる気にさせてやる、って言ってるだろ。俺に勝ったらいいこと教えてやるよ」

「どうせきみの名前だろ?」

「違う違う」


 青年は大きく首を横に振り、口角を上げた。


「例えば、ギルデンスさんのこととか」


     〇


 視界が歪んだ気がした。

 今、目の前の男は何と言った?

 ギルデンスを――敬称までつけて呼ばなかったか? 悪意はなくとも彼の手助けをしているディータと同じように。

 困惑の混じった怒りと逆光で、彼の顔がはっきりとしない。辛うじて男の口元が緩んでいるのだけが確認できた。


「やる気は出たか?」

「……お前とギルデンスはどんな関係だ?」

「気が早ぇよ。俺に勝ったら、って言ってるだろ?」

「黙れ」


 事情が変わった。

 目の前にいる青年が敵かそうでないのか、もはやどちらでも構わない。重要な情報を握っているのだけは明白だ。

 手合わせ、などという遊びにうつつを抜かしている場合ではない。

 僕はすぐさま〈腕〉を展開し、彼へと向けて伸ばした。身体の自由を奪い、知っていることをすべて吐き出させてやる――

 だが、〈腕〉が掴んだのは空気の透明な感触だった。

 空振りした事実だけが皮膚に伝播する。確かな感覚は混乱を呼ぶ。

 何が起こった?


「その顔だと何かしようとしてたな?」


 心音が跳ねる。十エクタ――七メートルほど前にいた男との距離が離れていた。〈腕〉が漂っている辺りの地面を注視する。草が捻れて倒れている。くっきりと足跡が残っていた。

 躱されたのか?

 見えるはずがないのに?

 この三年間、フェンやフーラァタ、そして、ギルデンス以外に攻撃を躱されたことなどなかった。動揺が〈腕〉を浸食していく。誰にも見えないはずの黒い〈腕〉は所在なく宙を揺れた。


「何をした……?」

「後ろに下がっただけだぜ?」


 男の表情は余裕に満ちている。今の彼との距離は十メートルを超えている。すべてが見透かされている気分になり、困惑を押し殺すために唇を噛みしめた。

 ――落ち着け。

 僕はいろんな戦場で、半径十五エクタ以内に近づいたらどうなっても責任は取れない、と吹聴してきた。だから、この「距離」を気にすることはない。僕を――僕の攻撃を知っている者なら誰でも取られる距離だ。

 一度、〈腕〉を戻し、息を吐き出す。

 なるほど、人を乗せるのがうまいようだ。この男の背後関係がどうなっていようとも構わない。たとえ出任せを嘯いていただけだとしても、彼は僕とギルデンスの関わりに踏み込んできた。


「後悔するなよ」


 僕は威嚇と慣らしのために〈腕〉を地面に叩きつける。短い草が衝撃に跳ね、一瞬の円を描いた。


「よし、始めようぜ」


 男は剣の切っ先を僕へと向ける。

 奥の手がどんなものか知らないが、この距離で何ができるというのだ。投石など、ラ・ウォルホルで嫌になるだけ目にした。

 当てられるものなら当ててみろ。

 そして――躱せるものなら躱してみろ。

 僕は一歩踏み出す。


 それと同時に〈腕〉を横凪ぎに払った。足を狙った低い軌道は過たず男の足をすくう――かと思った瞬間、男は跳躍した。またしても攻撃は空を切る。

 偶然では、ない。彼は何らかの方法で僕の攻撃を察知している。

 ウォーミングアップをするように、着地した男は何度か跳ねる。もしや、と思い彼の胸の辺りを凝視してみたが超能力――幽界との接続を示す〈糸〉はなかった。

 足を狙うことが読まれていたのか、それともあまりに軌道が低かったため草を刈ってしまったのか。


「どうした、もう終わりか?」


 言うが早いか、彼は地面を蹴った。直線的な動きだ。目を見開き、〈腕〉で迎え撃つ。同時に、彼はひらりと舞うように左へと身を躱した。

 だが、完全ではない。

〈腕〉の端に彼の左肩を掠めた感触が残っている。男は顔を顰めながらも、器用に一回転して体勢を立て直していた。好機だ。袈裟切りに〈腕〉を地面へと叩き付ける。しかし、その攻撃は惜しくも外れた。

 地面をごろごろと転がった男は抉れた地面を見て安堵の溜息を吐く。威力に恐れをなしてくれれば与しやすいが、そういきそうにもない。彼は未知の攻撃に興奮するかのように目を爛々と輝かせていた。


「おいおい、こんなの当たったら怪我じゃすまねえぞ」

「安心してくれ、本気は出してないし――」本気で殺そうとするなら〈腕〉の形を変えている。「治癒術士を雇うくらいの金なら出す」

「そうなると雇い主からどやされそうだな」

「それも含めて、すべて吐いてもらう」


 男は右手に持った剣を突き出している。ありがちな構えだ。右足を前に出して半身になり、的を減らす構え。手合わせを挑んでくるだけあって、確かにこなれている。こなれているが――

 ――そんなものは剣士相手にやってくれ。

 僕は〈腕〉を左から回し、がら空きの背中へと一撃を放つ。金属と衝突する硬い感触がびりびりと響く。すんでの所で剣の横腹で防いだようだ。男は衝撃に呻いたが、決定的な攻撃とはほど遠かった。

 しかし、攻撃を察知されることなど既に想定してある。

 戦場において敵は僕の不可視の攻撃に怯えていた。するとどうだろう、敵は見えるものに安心を覚えようとする。

 例えば――僕の左腕とか。


 僕は左腕を掲げ、大きく振るう。

 男の身体がびくりと震えた。しかし、彼の動きはそこで止まる。大袈裟な回避行動はとらなかった。

 やはり僕の〈腕〉は視認されていない。視認はされていないが、攻撃は「感じて」いるらしい。かつてバンザッタ城の地下鍛錬場でフェンと稽古したときのことを思い出す。彼も見えないはずの僕の攻撃を避け、あるいは備えていた。ギルデンスも、フーラァタも同様だ。

 攻撃するという意志、殺気と言い換えてもいい、そういったものを感知されているのかもしれない。


 気配や殺気というものは眉唾物の、単なる第六感などではないのだ。表情の変化、目や身体の動き、一つ一つの動作、その細部に宿る微かな淀みの集積である。消そうと思って消せるものではない。

 気配や殺気を敏感に掴み、攻撃のタイミングを察知する。その上で攻撃してくる場所を予測、あるいは誘導すれば僕の攻撃を躱すことは可能だろう。

〈腕〉には質量がない。だから理論上速度の上限はない。

 だが、それを操るのは僕という人間だ。反射的な攻撃以外は僕のあらゆる認識がその速度を削る。彼がどの程度強いのか、その底は分からないが、ある程度の域に達した者であれば僕の攻撃は威力が強くて目では見えないだけのものになってしまうらしい。


 思えば獣以外と一対一で戦うのはフーラァタ以来だ。こんなところで自分が決して無敵ではないと気付かされるとは考えもしなかった。

 ――ギルデンスと戦う前で良かった。

 今、気付いていなければ返り討ちに遭っていたかもしれない。それを認識できただけでもこの茶番には意味がある。

 だから、もう、終わらせてしまおう。

 改善方法は後でゆっくりと探ればいい。

 僕は地面を踏みしめて突進しようとしている男を睨む。

 小細工はやめだ。僕と彼との攻防は戦いにすらなっていない。攻撃のほとんどが躱されてはいるが、僕が圧倒的に優位な状況であることには変わりがなかった。

〈拳〉を握る。何かを察知したらしい、男の表情に緊張が混ざった。


「さて、そろそろ奥の手を見せてやるかな」

「どうぞ――」


 言い切らないうちに僕は彼の胴体目がけて〈拳〉を突き出した。

 空を切る。構わない。

 一発で決められるものとは考えていなかった。重要なのは男との距離が離れている、ということだ。近づかせることなく、〈腕〉を振り回していけばいつかは当たる。

 二発、三発、と男は躱したが、それが限界だった。

 四発目、彼の右脇腹に僕の〈拳〉が突き刺さった。男の身体がくの字に曲がる。骨が軋んでいるのが伝わる。衝撃は彼の内臓を揺り動かし、意志と肉体の紐帯を断ち切った。

 男は蹲ったまま、腹を押さえて呻く。意識があるぶん、苦しみは倍増する。酸素を求めるかのように口がぱくぱくと動いていた。


「……これで僕の勝ち、だね。色々教えてもらおうか」


 僕は〈腕〉を畳み、彼へと歩み寄る。それに気付いたのか、彼の顔が上がった。

 その瞬間、足が止まる。

 彼の顔には屈辱と落胆はどこにもなかった。苦痛に喘ぎながらも不敵な笑みを作り、僕を見据えている。


「なに」と息も絶え絶えに彼は強がる。「なに、言ってんだよ、勝負は、決まっちゃいねえ」

「……誰の目にも明らかだろ」

「最初に、言ったよな……どっちかが負けを認めるまで、って」


 屁理屈だ――

 そう指摘しようとした瞬間、肩に小さな衝撃が加わった。地面に木の実くらいの大きさの石が跳ねている。いつの間に投げたのか、男は自慢げに身体を揺らした。


「俺も一撃、これで、あいこ、だな」

「……その体勢でよく言うよ。心意気だけなら立派だ」


 僕は〈腕〉を伸ばし、彼の身体を捕まえる。握ったまま、宙づりにしたが、彼は表情を崩さない。痛みに耐える脂汗を流しながら、その瞳の奥には確信を窺わせる強い光があった。


「見ろよ、これが俺の――奥の手だ」


 気をつけの体勢のまま、男は手首の力だけで石を放ってくる。そんなものは攻撃でも何でもない。難なく躱し、男を睨めつけた。堀にまで飛んでいったのか、背後から水飛沫の上がる音と吹き付ける風を感じた。


「……すごい奥の手だ。考えもしなかった。でも、残念だったね。もしかしたら風でここまで返ってくるとか思ってたりする?」

「返ってくるよ、もっと大きなものがな」


 彼の口調からははったりのような偽りは感じられない。

 その瞬間、何か、予感めいたものが背筋を駆け抜けた。僕は彼を捕まえたまま、振り返る。


「ニール」と聞こえた。


 僕がもっとも求めている、優しくて、透き通った声。たったそれだけで脳が破裂しそうになった。目の前の光景を信じることができない。

 水の壁が消える。

 アシュタヤが堀の向こうに立っている。

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