85「遠くまで届くんだ」

 翌日の昼過ぎ、招集された傭兵はバンザッタ城へと向かう予定になっていた。

 午砲が集合の合図ではあったが、傭兵という生き物は然るべきとき以外は怠惰で不真面目な者が多い。僕の宿舎でも時間通りに姿を現したのは僕とヨムギ、それともう三人だけで、他の者は寝間着のまま階段を降りてきたり、酔っ払ったまま玄関から入ってきたりした。


 しかし、先導するために宿舎を訪れていた軍人は幾ばくかも慌てた様子を出さない。不思議に思い、「遅れてもいいんですか」と訊ねると彼は「まだまだ時間がある」と眉を上げた。どうやら遅れすら予定として組み込まれているらしい。それを聞くと、僕に起こされたヨムギは不満そうに共有スペースにある椅子を二つ使って身体を横にした。

 ようやく全員が集まり、宿舎を出発したのは予定を一時間ほども過ぎてからのことだった。



 四十人の傭兵が行進する光景はあまりにも物騒だ。足並みが揃わないだらだらとした歩き方ではあったが、威圧感はあったらしく、道ばたでナイフなどを売っている商人が商品を包んで路地の奥へと引っ込んでいった。

 僕は改めて傭兵たちの顔を確認する。


 他の傭兵よりも頭二つ分ほど大きい男はラ・ウォルホルでも歩兵として活躍していた男だ。顔や身体の至る所に傷が刻まれている。

 その横を歩いている子どもほどの背丈の男はエニツィア中部の内乱で恐れられている飛び道具使いだったはずだ。常識では考えられないところに潜み、隙を突いて攻撃する狡猾な男と聞いたことがある。

 後方で面倒そうに愚痴を漏らしている双子は傭兵には珍しい魔法使いだった。実力はあるが、素行が悪いので有名で彼らに話しかける者は誰もいない。

 中には魔法使いよりも希有な魔装兵もいる。フーラァタの穴を埋めるだろう、と囁かれている男だ。彼は寡黙で生真面目と知られており、背筋を伸ばしたまま傭兵の群れの先頭を歩いていた。


 その他にも見知った顔が多い。見知った、ということは戦場で生き残り続けているということだ。その分だけ仲間意識が強い者もいて、彼らは無遠慮な声量で談笑していた。


「これだけ顔の知られているやつがいるのも珍しいな」

「まあ、ラ・ウォルホルはおいしいって話だったからな。蓋を開けてみりゃ、全然だったが」

「あと有名なやつで来てないのは『呼び水』か」

「あいつは来ないだろ。最近めっきり参加していないし、っつうか、傭兵みたいなことしてんのに傭兵ではないんだろ?」

「まあ、好都合か。『化け物』がいるだけで仕事が減るんだ。『呼び水』まで来られちゃたまんねえな」


 聞いたところで何の益にもなる気はせず、僕は耳を閉ざして歩を進める。ヨムギは頻りに「女好きっておれにも何かしてくるのか」と気にしていて、荒唐無稽な言葉で彼女を怯えさせる方がよっぽど楽しかった。

 城の南側、大きな跳ね橋に到着したのはおそらく予定よりも一時間半は遅れていたが、そこにいた番兵は「時間通りだな」と敬礼した。


     〇


 領主代理ツルーブ・カクロへの謁見は恙なく終了した。

 始めにヨムギに対して熱烈な歓迎を示した以外は貴族らしい役割を果たしたと言えるだろう。彼は僕たちに対して激励の言葉をかけた後、ちょっとした仕事の斡旋をした。希望者がいれば軍の鍛錬場で兵に戦闘の極意を指南して欲しい、と。

 それに喜んだ傭兵は少数だった。女好きで貴族然としているカクロはあまり好まれないだろうし、何より傭兵にとって戦い方は何にも代えがたい「メシの種」だ。それを手ほどきしてわざわざ自分の首を絞めたがる者が多くいるはずもない。高名な傭兵たちは金に困っていないということもあり、時間の無駄だと言いたげに聞き流していた。


 謁見後、僕は周囲に立つ傭兵を掻き分けてカクロの前まで進み出た。

 ヨムギはさっさと帰って食いそびれた昼食を摂るつもりだったようで、僕の袖を引っ張って催促してくる。小声で「ちょっと待ってくれ」と謝ると彼女は眉を顰めた。


「おい」と護衛が低い声で僕を急かす。「いつまでもぐずぐずするな」

「どうした、ニール」ヨムギも不満げに腕を引く。

 それらを止めたのはカクロだ。「さすが、分かってるね、ニールくん。……護衛の皆さん、彼は僕の友人だから気にしないでくれ。ちょっと二人で再会を祝したいんだ」


 護衛たちは皆、驚きを露わにしたが、その場でもっとも表情を歪めていたのはヨムギだった。彼女は豪奢な身なりをしている領主と汚れた傭兵の格好をしている僕を見比べ、「どういうことだ」と首を傾げた。


「ヨムギも」とカクロは会ったばかりの彼女を呼び捨てにする。「ごめんね、二人で話をしたいんだ。女性を除け者にするのは心苦しいけど、理解してくれるかな」


 ヨムギは女性扱いされることに慣れておらず、渋い顔で僕を睨んだが、昨日の話から事情があると察したのだろう、引き下がった。

 バンザッタ城にある小さな謁見の間では四十人を同時に並べるのは不可能で、一階の広間に集められていた傭兵たちは雑然とした列を解き、城の外へと消えていった。それでも使用人や城内警備の軍人の姿があり、カクロは「ここじゃ人が多いから政務室に行こうか」と僕を促す。断る訳もなく、僕は彼の後を追った。


 かつてカンパルツォから夢を聞かされた部屋は予想とは異なり、ほとんどが変わりなかった。数え切れない本や書類、それらから発せられる紙の香りもそのままだ。なんだかんだ言ってもカクロもこの地を守るために尽力しているらしい。

 僕とカクロは入ってすぐのところにあるソファに、向かい合うようにして座る。彼は僕の顔をじろじろと見て、小さく嘆息した。


「さて、ここできみと話すのもあのとき以来だ……色々変わったみたいだね」彼は成長、とは口にしなかった。「前に見たときはみんなに振り回される少年だったけど、あの頃の面影はあまりない」

「カクロさまはあまりお変わりありませんね」

「いやいや、これでも随分真面目になったものさ。女性との逢瀬も随分減った」


 彼の言葉はきっと真実だ。年相応にしてもまだまだ若いが、彼の肌には浅い皺が生まれ始めている。服の趣味も派手さはあるものの前よりは随分大人しくなっていた。


「……実はね」と彼は切り出す。「きみのことは大体知っているんだ」

「そう、ですか」

「もちろん伯爵の元を離れてからは知らないけどね。手紙のやりとりをしていたから何があったのか、あらましは聞いたよ。一言でこう言うのは失礼かもしれないが……大変だったね」

「いえ……そんなことはありません」


 謙遜するつもりはなかった。大変でした、と明るい顔で頭を掻くのはまだ早いと思ったからだ。僕はまだ目的地へは辿りついていない。

 カクロは僕の返答に困ったように笑う。やんちゃな子どもの応対をするような目つきで、そこでようやく僕と彼が親と子ほど年齢が離れていたことを思い出した。


「それはそうと、きみも色々聞きたいことがあるんじゃないか?」

「……実は昨日、カンパルツォさまの護衛だったキーンさんと会いまして」

「ああ、じゃあ僕よりずっと詳しいかもしれないね。彼が知らなくて、僕に答えられそうなことなんてないかな」

「カンパルツォさまに関することじゃなければ、一つ」

「それは答えられることだろうね?」

「答えられなければそれでも構いません」


 僕が知りたかったのは傭兵がこの地へ集まった理由だった。

 絶大な個の力は均衡を崩す要因となるが、それだけだ。均衡を崩す、とはつまり、個の力では大勢を決することはできない、ということでもある。にもかかわらず、今バンザッタには軍ですら持ち得ないほどの個の力が集まっている。


「どうして、名のある傭兵がバンザッタに呼ばれたのでしょうか」


 その質問にカクロは眉をぴくりと振るわせ、困惑の色を濃くした。やはり、何かあるのだ。僕は彼から「答えられない」という言葉を訊く前に追撃する。


「ペルドールとの戦争のため、という理由以上のものがあるように思えます。もしかしたら、他の火種があるんじゃないんですか?」


 核心まで至っていない質問だったが、カクロは諸手を挙げて「参ったな」と降参の意を示した。彼は一度立ち上がり、部屋の周囲に人がいないことを確認して、再びソファに腰を下ろした。


「そうだね……これは絶対に言いふらさないで欲しいんだけど」


 カクロの瞳から普段のおちゃらけた雰囲気が消え失せている。貴族、というより国の守護者たる威圧感が生まれていた。

 僕は姿勢を正し、彼の言葉を待つ。言いふらすメリットなどない、と考えていたのか、返答を待たずにカクロは頷き、続けた。


「一部の貴族がエニツィアに反旗を翻すかもしれない、っていう噂があるんだ」

「え」


 僕の声が宙に浮いた。

 予想だにしていなかった言葉に足下が崩れた気がした。

 脳裏にギルデンスの歪んだ冷笑が浮かぶ。腹の奥で熱の塊が蠢く。


「……それは」

「いや、まだ確定している情報ではないんだ。噂に尾ひれがついて奇妙な現実感が増しただけというのもあり得る。なんせ貴族の私兵と王国軍では戦力がまるで違うからね」

「でも……」


 カクロはギルデンスの所業を知っているのだろうか。もし、レカルタに駐在している軍隊にもギルデンスの息がかかっているならば、戦力の半分が貴族側に与する可能性もある。もちろんそれは憶測に憶測を重ねた、もはや妄想に近いものでもあるから口にすることなどできない。


「まあ、というわけで、不確定の要因を排除したかった、って言うのが実際の狙いかな。傭兵の多くは金の多寡で陣営を選ぶだろうしね……もちろんペルドールが攻めてくるのは確かだから、そっちで働いてもらうつもりだけど」


 なるほど。

 どうりで人数より質を求めた訳だ。一人で一人分の仕事をこなすだけならば計算に入れることは容易い。バンザッタに集められた傭兵たちのような、一人で何人分もの働きを見せる人間がいたら計算が狂うのは明白だった。


「じゃあ、とりあえず僕はここで戦ってれば問題はないわけですね」

「ああ、そのことなんだけど」カクロは身を乗り出す。「来てもらって悪いんだけどさ、ニールくん、きみはレカルタに行くつもりは――伯爵のところに戻るつもりはないのかい?」


 やはり、と僕は唇を噛む。

 覚悟していた言葉だ。カクロでなくてもウラグやイルマが同じことを言っただろう。それだけに動揺はなかった。僕はゆっくりと、自らに言い聞かせるように、準備していた言葉を返した。


「カクロさま……僕はまだ、カンパルツォさまのところに帰ることはできません」

「ほう、それはどうしてだい?」

「僕は許されないことをして、勝手に逃げ出しました。今のままでは帰る資格なんてないんです。十分に強くなって、この二年半、彼らの元を離れた意味を示せるようになったら、と考えています」

「ふむ」とカクロは唸った。「それは、何と言うか、随分大人だね」


 顔をしげしげと眺めてくるカクロに首を振る。


「いえ……僕はまだ大人ではありません」

「きみがそう言うのなら、そうだね」

「だから――え?」


 突然、手のひらを返されたことで準備をしていた言葉が吹き飛ばされた。頭の中に疑問符が満ちる。その中から「言葉」を発見するのはできそうになかった。

 カクロは慈しむような微笑みを浮かべている。


「いいかい、ニールくん……『大人だね』と言われたら反応が分かれる。子どもは嬉しそうに照れるし、大人になりきれない若者は今のきみのように大人ぶって『まだまだです』と謙遜をする。本当の大人はどういう反応をするか、分かるかい?」


 頭は考えようとしていたが、身体はそれを拒否していた。

 自分のことを大人だと思ったことはない。相対的に、ならまだしも、絶対的な評価として大人と評されるには足りないものが多すぎる。

 答えようとしない僕に、膝を組んだカクロは顔の前で人差し指をぴんと立てた。


「大人はね、……後悔とか懐古とかを抱えて『大人になってしまった』と苦笑するんだよ」

 彼の真意が測れず、曖昧な返事が漏れる。「はあ……」

「大人になる方法は人それぞれなんだが……きみは難しいね。そもそも根本的な価値観がこの世界のものではなかったから」

「それは、確かにそうですが、カクロさま、なにを仰りたいのか、僕には」

「ああ、別に批難しているわけじゃないんだ。きみはもう少し大人になるべきかと思ってね……無理にとは言わないけど、この街ならきみの知っている大人がたくさんいるだろう。まだペルドールが北進してくるまでには時間があるからあのときみたいにこの街を巡ってみるといい。土地への愛を持つのもまた、大人の条件の一つだよ」


 それは必要条件なのか、と訊ねようとしたが、やめた。

 何かの時間が差し迫っていたのか、カクロは部屋の中にある水時計を確認して「ああ、もう行かなくては」と申し訳なさそうにしたからだ。


「最近は特に忙しいから今度ゆっくり、とは言えないけど、また、だね」

「今日はありがとうございました。お話しできて楽しかったです」


 僕も立ち上がり、頭を下げてから扉へと向かった。やはりつかみ所のない人だな、と再確認し、扉の取っ手に手をかけたところでカクロの「あ、そうそう」という声が背中に当たった。

 振り返ると彼は窓辺から早足でこちらに向かってきていた。その勢いに気圧され、扉の取っ手を離す。カクロはいつもの好色な笑顔で僕の肩を掴んだ。


「あのヨムギ、という子はきみの今の恋人かい?」

「い」舌がもつれる。「いえ、違います。妹みたいなもので」

「ああ、そうなのか、彼女は今までに見たことのない女性だねえ。傭兵のような喋り方をするのはいただけないけど、うん」


 何に頷いたのかは分からない。彼の中では何か結論が出ているらしい。


「もし、できるなら言葉遣いを直させてやってくれ。女性らしくないのも惹かれるが、やはりそちらの方が僕の好みなんだ」

「そ、そうですか」


 時間はいいのか、と詰りたくもあったが「女性と比べれば時間なんて」と返されても困る。僕は何とか彼の手を引き剥がし、逃げるように扉を開け、外に出た。


「じゃあ、カクロさま、今後お世話になります。今日はありがとうございました」

「ああ、それと」


 まだ何かあるのか。

 もう既に歩き出そうとしていたため、辟易しながら振り向く。同時に、浮ついた気持ちが圧迫され、叩き落とされたような気がした。

 敷居の向こう側にいるカクロは真剣な表情に戻っている。


「僕はきみと街を巡ったとき、『離れたくなかったら女性の手は掴んでおかないといけない』と言ったと思うんだけど……きみはアシュタヤの手を離してしまったのか?」


 僕は答えられない。ドアノブから手が離れ、蝶番の反動で扉が徐々に閉まっていく。


「きみの〈腕〉はせっかく遠くまで届くんだ。きみが望むなら今度はしっかり掴まなければいけないよ。離れていたとしても、ね」


 扉が閉まった。

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