49 棄てられた村・夜

 フェンは淡々と事実を述べていった。

 ギルデンスが水の扱いに長けた魔術師であること、そこから考えられる符合。

 街道で起きた地滑りの原因は水の氾濫だった。ギルデンスほど力の強い魔術師であるなら時間さえあれば人為的に災害を引き起こすことは難しくないそうだ。自然崇拝が染みついているこの国では多くの人間が自然を壊すことへ忌避感を抱いているが、彼からすればそれはまるで不合理な思考に違いない。

 さらに、南の国の問題、そこにもギルデンスが関わっている可能性があるという。全身に魔法陣を刻み込んだ人間の目撃情報が寄せられているらしい。それが真実かどうか、また、真実であったとしてもギルデンスかどうか確証はないものの、彼ならやりかねないとは思った。後継問題が起きるたびに戦争をする国など彼にとっては極上の餌以外の何物でもないからだ。

 僕は黙ってフェンの言葉を聞いていたが、我慢しきれず、訊ねた。


「……どうして、僕にそれを教えたの?」


 フェンは小さく息を吐き、答える。


「……もはや奴を野放しすることはできない。奴が単独か否か、それは別にして、この状況の中心にいるのは間違いないだろう。もし、あいつと相対するときが来たなら、お前は戦うな」

「それは……」


 侮られているわけではない。

 フェンが僕の身を案じていることはすぐに分かった。殺す前提に立ったとき、僕が役に立てることはない。いくらサイコキネシスが剣になったとしても、人を殺せない僕は「剣」にはなれないのだ。

 そもそも、ギルデンスと真っ向から戦って勝てる人間はどれほどいるのだろう。

 そこまで考えたとき、フェンから激昂のにおいが発せられていることに気がついた。フェンは瞳に宿る怒りを隠そうともせず、宣言する。


「……あいつは、俺が殺す。だから、そのとき、お前が窮地に立たされていたとしても、俺は助けられない。それだけは理解してくれ」


 申し訳なさそうにフェンが頭を下げる。

 南の国、ペルドール帝国と、それに関わるギルデンスと、彼らに祖国を滅ぼされたフェン。そこから浮かび上がる過去に僕は机の下で拳を握った。きっと、フェンには僕以上に戦う理由があるのだ。それだけに目的に専念させてやれない自分をふがいなく思った。

 もし僕が強ければ、あいつから身を守れるだけの、あるいは、殺せるだけの力と許可があれば、こんなふうに頭を下げられないのだろうか?


    〇


 食堂を出て、部屋を戻る途中、アシュタヤと出会った。二階の階段のそば、彼女の部屋の近く、傷ついたローテーブルを挟んで長椅子が二つ置かれている。その奥に座っている彼女は僕を見て顔を綻ばせた後、すぐに曇らせた。理由を聞くまでもなかった。僕の表情が沈んでいたからだろう。

「座る?」と彼女は訊ねてくる。質問というより、座った方がいいよ、と諭すような口調で、僕は素直にその言葉に従った。隣に腰を下ろすと彼女は持っていた紙を机の上、燐光を発するランプのそばに置いた。

 暖かな感触が僕の手に添えられる。


「何かあったの? 心がささくれてる」

「……その力、ずるいな。隠し事ができない」

「そんなつもりはなかったから見えた瞬間にやめたわ。それに、ニールの表情は分かりやすいもの。……でも、言いたくないなら聞かない」


 自分の弱さに嘆いている、などと弱音を吐く勇気はなくて、曖昧に頷く。彼女は少しだけ僕の手を握る力を強くした。


「……アシュタヤは何をしてるの? 部屋にも入らずに」

「さっきまでは練習。部屋の中だと集中できないから」

「練習? 超能力の?」

「うん。……もし、私の力が強かったらメイトリンでニールをすぐに連れ戻せたじゃない」

「あれは」と僕は否定する。「アシュタヤのせいじゃない。僕の身勝手だ」

「それでも、よ。責任を感じているわけじゃなくて、ね?」


 彼女の真意はすぐにくみ取れた。不甲斐なさを嘆く暇があったなら鍛錬を励み、次を嘆かずにいられるように強くなればいい、と考えているのだろう。なんだか勝手に叱られている気分になり、それがおかしくて笑みが漏れた。同時に、僕が想像した彼女の真意が、僕の心の奥底にある思いだと知った。

 元々、力の差なんて大きかったのだ。それが広がったところで、どうなる?

 肩にのし掛かっていた重苦しい重圧は完全に消え去ったわけではないけれど、幾分か軽くなっていた。


「どうしたの? 私、何か変なこと、言ったかな」

「ううん、そうじゃない。……それで、その紙はなに?」

「これ?」彼女は机の上の紙を持ち上げる。「練習が終わったから、食事の後にウェンビアノさんに貰った資料を読み返してたの」


 僕はアシュタヤの持つ紙に顔を近づける。暗くて読みにくかったが、彼女がランプを持ち上げたおかげで何が書かれているか、分かった。

 記されていたのは人名だった。それ以外はない。筆記体で書かれた名前はほとんどが見覚えのないものだったけれど、分かるものが一人だけ、いた。

 ガズク・オルウェダ。あの日、アシュタヤがナイフを突き立てた、肥えた男の名だ。よく見ると、記されていた名前の中にはいくつか同じ名字が連なっていた。


「これは……」

「うん、私たちに反対しているだろう貴族の名前」と口にした後、アシュタヤは逡巡し、言い直した。「……敵の名前」


 それは明確な意志が込められた言葉だった。見ず知らずの人間を敵と断言するのは勇気が必要だ。相手を否定する単語、彼女がそれを使った意味を噛みしめる。


「……でも、どうしてこんなものを?」

「王都に行ったら色々あるだろうから、って。意味があるかは別にして、警戒しておくに越したことはないでしょ?」


 僕は紙に描かれた名前を追っていく。数十人の顔も知らぬ、敵。しかも、ここに挙げられているのは実際には戦わず、糸を引く側の人間だ。顔のない影が遠いようで近いどこかで揺らいでいる気がする。

 けれど、名前を知るだけで、その輪郭が色濃くなっていったように思えた。どこにいるかも分からない朧気な存在から、この国のどこかに実在する人間である印象が強くなっていく。

 きっとこれは忘れてはいけない名前だ。そう思った僕は脳内の記憶ストレージにその名前を刻み込んでいった。記憶ストレージの文字化けを思い出し、画像としてその紙の内容を保存する。


「よし、覚えた」

「え? もう?」アシュタヤは半信半疑に訊ねてくる。「嘘でしょ?」

「言わなかったっけ、僕の頭の中にはそういう機能があるんだ」

「向こうの世界の、えっと、科学技術?」

「うん」

「……ずるい」


 頬を膨らますアシュタヤはまるで幼子のようで、僕の心は卒倒しかけ、顔を逸らす。どうしたの、と覗き込んでくる彼女の顔を見ないように目を瞑り、「早く寝た方がいいよ」とごまかした。


「寝ようと、思ったんだけどね」

「レクシナがうるさかったり?」と口にした瞬間、そうではない、と知った。ランプの光芒の中に浮かび上がる彼女の表情には陰があった。「……発作?」

「ううん、あの発作が起こったわけじゃないんだけど、ほら、この村、壊されたり、焼かれたりしてるでしょ」


 予期不安みたいなものかな。

 僕がそう言うと、彼女は「予期不安?」とおうむ返しに言った。PTSDと併発してパニック障害が起こることは珍しくない。切り離したい瞬間を彷彿とさせる状況に陥ったとき、発作が起きる。

 僕たちは名前に絶大な信頼を置いている。僕が敵の名前を知って朧気な敵を明確にイメージできたように、それは病気などでも同じだ。具体的な治療を受けなくても、明確に病名を告げられただけで安堵する患者は少なくない。だから、僕は彼女にうろ覚えの知識をさも常識のように伝え、その後で、「少し、安心した」と僕は微笑んだ。彼女は不思議そうに「どうして?」と首を傾げる。


「今言ったとおり、原因となった出来事を想起したときに発作が起きるのは珍しいことじゃないんだ。でも、君は発作が起きたんじゃなくて、『発作が起きるかも』で済ませられている。たぶん、少しずつ良くなってるんだよ」

「そうなの、かな」

「きっとそうだよ」


 無責任な断言に、アシュタヤの顔が綻んだ。僕は彼女の手を握り、大丈夫、と繰り返す。彼女が「うん」と相槌を打つたびに締めつけるような幸福感が胸の内で暴れた。


     〇


 深夜、ヤクバに起こされた僕はセイク、パルタとともに顔を洗い、眠気を覚ました後、宿の外に出た。月と星明かりのおかげで土の色が見える程度には明るい。遠くから餓狼だろうか、獣の吠える声が聞こえた。

 空気が冷たく、顔が糊を塗られたように引き攣る。厚着をしていたが、超能力養成課程の制服は着ていなかったため、冷気が衣服を囓り、肌に当たった。


「今の遠吠えが、例の魔獣だ」とパルタが教えてくれる。「群れを作って行動するんだがね、はぐれかな」

「人里には降りてこないんですか?」

 答えたのはセイクだ。「あいつらは人の肉が嫌いだからな。飼い慣らされてるのも見たことあるぜ」

「へえ、役に立つんだ」

「狩猟とかに、だな。……なあ、パルタのおっさん、これ、ずっと外にいなきゃいけねえの?」


 寒さに首を竦めたセイクは助けを乞うように言った。僕も気分としては同じなのだけれど、パルタだけは違った。彼は今し方起きたばかりなのに、寒さなど気にしておらず、これが慣れなのか、と感心せざるをえない。


「時間を決めて交代で外に立とうか。まあ、それでも、見回りも必要だから、それもしないといけないがね」

「じゃあ、俺そっちやるわ。じっとしてらんねえ」


 言うが早いか、地面を蹴ろうとしたセイクの肩をパルタが掴んだ。「ぎっ」と喉を絞るような喘ぎがセイクの口から漏れる。


「何すんだよ」

「怪我、まだ完調してないんだろう? ニールを連れていきなさい」

「一人で余裕だって」

「ニール、着いていってくれ」

「あ、はい、分かりました」


 僕は不満そうに口を尖らせるセイクの背を押して出発した。振り向くと、パルタが鷹揚に手を振っているのが見える。彼の姿が壊れた家々に遮られてから、セイクは盛大に溜息を吐いた。


「あいつ、見抜いてやがったな」

「パルタさんがどうかしたの?」

「いや、酒を隠しておいたから警備すっぽかして飲もうと思ってたんだけどよ、おめえが気を利かせずに着いてくるから飲めなくなっちまった」

「……着いてきて良かったよ。それに、聞きたいこともあったんだ」

「聞きたいこと?」

「正確に言えば、見たいもの、かな」

「なんだよ、宴会芸でもすればいいのか?」

「まさか」僕は噴き出し、否定する。「僕が見たいのはセイクの怪我、というか包帯」

「包帯ぃ? 何のためだよ」

「包帯に治癒魔法の魔法陣が刻まれてるだろ? それを覚えておきたくて」

「は?」と言いたげに口を開けたまま、セイクが固まった。訝り、じろじろと僕を舐めるように見た後、今度は実際に口にした。「は?」

「いや、言いたいことは分かるよ。物は試し、ってやつでさ。それに、僕たちの中に治癒魔法を唱えられる人、いないでしょ?」

「ヤクバが囓ってた気がするけどよ、でも、それにしても、何言ってんだ? お前、魔力なんてないじゃねえか」

「魔法を使う裏技を教えてもらってさ」

「裏技ぁ?」

「僕ができるかどうかは別なんだけど、聞く? かなり難しい話になるよ」

「じゃあ聞かねえ」


 セイクはきっぱりと断ったけれど、気になってはいる様子だった。歩きながら、僕の方をちらちらと見てきている。それがおかしくて笑い声を漏らすと、彼は不満げに舌打ちをした。僕は間を埋める世間話、と前置きをして、説明を始める。

 とは言っても、超能力の理論を前提とした話だ。話して理解してもらえることは少ない。僕が語ったのは詠唱ではなく、魔法陣でなら魔法を使えるかも、ということくらいだった。


「つまり、さ、魔法陣を僕の〈腕〉に彫るんだ。そうすれば魔法を使える」

「なんとなくは分かったけどよ……。でも、魔力なしに魔法が発動するとか、信じられねえな」

「実際に見る?」

「は? できんのかよ」

「使い物になる練度じゃないけどね」


 セイクは視線だけで促してくる。僕は頷き、〈腕〉を展開した。夜の闇に若草色の光が満ち、弱まる。僕は〈腕〉の一部に残っている魔法陣を強く認識し、そこからエネルギーが逆流するイメージを思い浮かべた。

 魔法陣がかすかに発光する。同時に痒みに似た感触を伴いながら、柔らかな球、みたいなものが〈腕〉の中を昇っていった。緩慢な動きの球体は〈糸〉を伝い、幽界認識器官へと到達する。

 その瞬間、僕たちの目の前で拳大の小さな火が爆ぜた。

 一瞬にして鎮火した炎は弱々しく、相手を驚かせる程度の威力しかない。だが、僕が魔法を使ったという事実にセイクは予想以上の驚愕を見せていた。


「マジじゃん」

「そう言ったじゃないか」

「すげえな、目眩ましくらいにはなるぞ」

「それはすごいのか、すごくないのか」

 セイクは「まあ、訓練あるのみだな」と笑った。僕も「そうだね」とは返しつつ、軽口を叩く。

「オチは見えてるけどね」

「オチ?」

「ほら、僕はたった一つの超能力しか使えないでしょ?」

「知らねえよ」

「だからさ、きっと超能力と同じで使えても一つ、最悪どれも実用には耐えない」

「今の一つで終わりかよ」

「いや、これはなしで」


 これは、ノーカウント、だ。僕の中ではこの魔法はジオールの物だった。彼がいなければ使えなかったし、魔法陣も彼が僕の〈腕〉に施した。だから、ノーカウント。そう思っている、というよりは、そう信じていれば異なる魔法が使えるのではないか、という打算からそう考えることに決めた。


「でさ、包帯の魔法陣のことだけど」

「ああ、別に見せてやるのは構わねえけどよ、後にしろよ」

「いいじゃないか、ここで見せてくれたって」

「馬鹿野郎」とセイクは僕の頭を小突いた。「寒いだろうが」

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