44 平面葡萄(3)

「なんだ、お前、弟を助けにでも来たのかア」


 フーラァタは僕とジオールを見比べ、警戒をあらわにした。雷が彼の腕にまとわりつき、ばちばちと火花を上げる。睨まれたジオールは怒りを感じさせない穏やかな顔でフーラァタに視線を返していた。

 だが、僕にはわかる。ジオールの背中から漂う、激昂の匂い。

 逃げろ、と言おうと思った。

 僕というハンデを背負っていたとはいえ、セイクが戦えない状況に陥っているのだ、戦いを知らないジオールが太刀打ちできるわけがない。それならせめて助けに呼びに行ってくれ、と。

 だが、電気に麻痺した僕の口では彼の名前を呼ぶのが精一杯だった。


「きみが」無造作にフーラァタに近づきながら口にしたジオールの声の温度は身震いするほどに冷たい。「好きなのは、何だっけ。嬲り殺し?」

「何だ、てめエ、生意気だな」


 かすむ視界からフーラァタの姿が掻き消える。同時に白い、幽界の光がフラッシュする。

 あ、と声をあげる前に、濁ったうめき声が、響いた。「がっ」と無理に肺から搾り出されたその声はフーラァタから発せられたものだった。

 ジオールの〈腕〉による強烈な一撃を腹に食らったフーラァタは高く舞い上がり、地面へと落ちた。表情を歪めながらも体勢を整え、着地した奴は驚きと怒りをない交ぜにした顔でジオールを見つめている。

 ジオールはまた一歩、足を踏み出す。


「嬲り殺しのマニュアルは知らないけど、僕もやれるだけやってみようと思う。とりあえず、最大限の屈辱を与えればいいのかな」


 ばちり、と一際大きな放電音が響いた。ジオールの頭上で小さな火花が散る。エネルギーがぶつかり、弾け、その都度雷の玉の体積は増していった。

 エレキネシス――雷を生じさせる、力。

 身体に震えが走る。圧倒的だった。この力を見たあとではフーラァタの電撃が児戯にも見えてくる。人一人ほどの大きさにまで成長した雷球は突如として、猛然と直進を始めた。

 呆けていたフーラァタの身体が右に跳ねる。

 だが、遅い。


「あ、が、ががっ」


 雷球の表面を蠢く触手は慈悲もなくフーラァタの左足を絡めとった。乱反射する放電音とともにフーラァタの身体が硬直し、横倒れに地面に崩れる。

 肉と毛髪の焦げる臭いがした。

 死と直結する悪臭に僕の身体までもが恐怖に痺れる。

 動けずにいるフーラァタめがけ、白い〈腕〉が振り下ろされる。圧縮された運動エネルギーの塊は何度もフーラァタを地面へと打ちつけた。衝撃は強く、やつの身体はぼろ人形のように、弱々しく跳ねた。口の中を切ったのか、口元から血がたらたらと漏れ出した。


「許すつもりだとかは毛ほどもないけれど、謝罪をする気は、ある?」

「……て、めエ」

「なさそうだね」


 溜息を着いたジオールはかすかに聞こえる程度の音量で呟き始めた。誰に語りかけているふうでもない。

 詠唱だ。

 魔法を扱うための、キー。

 彼の言葉に反応し、爪ほどの大きさの炎がうつぶせになったフーラァタの上に発生した。言葉の量とともに火球は大きくなっていく。バスケットボール大ほどになったところでジオールは不満げに頭を掻いた。


「だめだな、まだ慣れない」


 悠長な態度に焦りが募る。回復する時間を与えてはならないのではないか?

 僕が受けた何倍もの電撃を受けてなお、フーラァタの意識ははっきりとしている。雷を使う術士であるせいなのか、雷そのものに抵抗があるように思えた。

 僕は手足に力を入れる。ともすれば崩れ落ちそうになりながら、何とか立ち上がった。膝に手をつけ、絶え絶えになった息を吐き出す。


「ジオール、早く……!」

「まあ、落ち着けよ、ニール」


 ジオールは詠唱をやめて炎を消し、伏したフーラァタへと緩慢な動作で歩み寄った。警戒などまるでないその動きを引きとめようとするが、僕の身体はまだ完全に言うことは聞かなかった。

 触れられるほどに近づいたジオールは黙ってフーラァタを見下ろした。僕からは彼の顔は見えない。


「……てめエか」とフーラァタは獣がうなるような声を発し、怒りに燃えた瞳をジオールへと向ける。「てめエだな……ギルデンスとやりあったやつは」

「何のこと?」

「しらばっくれやがって……クソッ、まんまと騙された……殺してやる、お前も、あいつも」

「僕にもわかるように言ってほしいんだけどな」


 宙でジオールの命令を待っていた〈腕〉が、再び叩きつけられる。血と怨嗟にまみれた息を吐き出し、フーラァタの身体が跳ねる。

 その瞬間、フーラァタが地面に投げ出されていたナイフを掴んだ。弛緩していたはずの筋肉が一気に緊張する。


「ジオール!」


 僕が叫ぶのとほぼ同時にそれまでうつぶせになっていたフーラァタの身体が跳ね上がった。ナイフの刀身に光が走る。逆手に握られたナイフがジオールの腹部に到達する――到達した、だけで、動きが止まった。

 ナイフの切っ先はジオールの服すら貫くことなく、静止している。切っ先の当たった生地がわずかに歪んでいるだけだった。

 いつの間にかジオールを覆っている白い光の膜。

 サイコキネシスの、鎧。

 薄く延ばされた彼の腕はナイフを絡めとり、宙に固定していた。狼狽とともにフーラァタは身体ごと腕を引くが、びくともしない。

 落胆と喜悦が半々の、ジオールの声が響いた。


「反省の気持ちはやっぱりないんだね」


 ジオールの左肩にある幽界認識器官がいびつに膨張する。植物の成長を早回しにしたような勢いで腕が生え、脈動し、のた打ち回った。蔓が支えを求めるかのように、光がフーラァタの腕に絡み付いていく。四方八方から巻きつかれた奴の右腕は驚くほどあっさりと乾いた音を立てた。

 肘が、逆方向に折れ曲がる。柱をなくした腕はぐにゃりと曲がったまま、少しずつ持ち上げられた。

 矜持があるのか、フーラァタは悲鳴を発しなかった。目を見開き、脂汗を垂れ流しながらジオールを睨みつけている。

 フーラァタの身体は〈腕〉に締め付けられたまま、少しずつ高度を増していった。ジオールの顎が完全に上を向いたとき、彼はくるりと身体をこちらへと向けた。

 彼は感情を感じさせない笑顔を作る。それが何を示すのか、考える間もなく、〈腕〉が振り下ろされた。

 フーラァタの身体が、地面に衝突する。駄々をこねた子供が人形を振り回すかのように、〈腕〉はその単純な動作を、何度も反復した。


 肉のつぶれる音、骨が砕ける音、舞う血しぶきの赤。

 三度、繰り返されたとき、拘束がはずれ、フーラァタの身体が投げ出された。地面の上を二度跳ね、僕の後方へと滑っていく。

 あまりに凄惨な光景に声が出なかった。

 唾を飲み込む。奇妙な体勢のまま転がるフーラァタの身体を見つめる。

 ――死んではいない、ようだった。

 呻き声と、筋肉の痙攣がある。


「さ、ニール、どうする?」

「どうする、って」

「とどめを刺したいなら譲るけど」

「とどめ?」


 僕が命を殺せないことを知っているくせに。そうやって僕を抵抗できなくさせて持ち帰るつもりか。


「……僕にはできない、知ってるだろ」

「知っている? ああ、まあ、そうだけど」


 ジオールが困惑を露わにすると同時に地の底から湧き上がってくるような、低い声が空気を震わせた。「そこまでだ」聞き覚えがある、すぐにでも忘れたい声。

 僕たちの目の前に現れたのはギルデンスだった。


「ずいぶん派手にやられたな、フーラァタ」

「う、るせ、エ、殺、すぞ」


 いつかと同じ黒のローブを身に羽織ったギルデンスは脱力したフーラァタをやすやすと片手で持ち上げ、肩に担いだ。奥が見えない、錆びた瞳を僕に、それからジオールへと向ける。

 僕の頭の中は黒と赤で染められる。炎、焼けた本、絨毯を染める血液、夕焼け。溶けた鉛のような感情が喉元で滞留する。

 一瞬の空白の後、口を開いたのは僕ではなく、ジオールだった。


「あの、殺せないので、それ、置いてもらえませんか」

「生憎だが、断る」

「困ったな」


 頬を掻いたジオールが〈腕〉を伸ばすのと、ギルデンスが風銃から弾を発射したのは同時のことだった。

 それまで安穏としていたジオールの表情に緊張が走った。彼は咄嗟にしゃがみ込み、銃弾を躱す。後方の海面で水柱が上がった。

 僕たちの間に漂っていた空気が固まる。


「……ギル、デンス」

 僕の小さな呟きにギルデンスは口元を歪めた。「ニール、久しぶりだな」

「お前のせいで!」


 電撃の影響が抜けないまま、僕は〈腕〉を振るう。だが、その速度はあまりに緩慢で、ギルデンスに届くことはなかった。一歩、大きく飛びのいた彼は風の魔法で浮き上がり、倉庫らしき建物の上へと登る。


「今日はこの辺で手打ちにしてもらおうか。そこの彼ももうやりあう気はないようだ」

「そうですね。次はないですけど」


 体調が万全であったなら――。

 今の僕では埋められない距離。たった十数メートルがあまりにも遠い。


「じゃあ、今日は失礼させてもらう」

「……てめエ、ギル、デンス……余計な、こと、を」

「黙れ、フーラァタ。その傷でよくそんな口を聞けるな」

「くそ、くそどもが……殺してやる、お前も、あのガキも」


 担がれたフーラァタの瞼が上がる。どこを見ているのかわからない瞳が、僕を、あるいはジオールを捉えているような気がした。


「絶対に殺す、顔は覚えたぞ」


 ギルデンスが嘆息とともにちらりとこちらを一瞥し、小さく笑う。それから、彼の姿は建物の向こうへと消えた。

 埠頭に取り残された僕はしばらくその場で佇んでいたが、ジオールに声をかけられ、その場を離れることにした。目を覚ましたセイクに肩を貸し、海鳴りを背にする。他の護衛団の状況が気になったが、今の僕たちにそれを知る術はない。


     〇


 客人用の邸宅で僕たちを迎えたのはカンパルツォとウェンビアノだった。彼らは僕とセイクの傷を見て、説教をするよりも先に伝令を送った。治癒術士と外に出ている護衛団を呼ぶための、だ。僕は何度も謝罪したが、一言、叱られただけで責任を追及されることはなかった。


「ジオール君、今回のことは心から礼を言おう」

 ウェンビアノが頭を下げると、ジオールは「いや、別に」と微笑んだ。「ニールを助けるのは頼まれなくてもやりますから」


 その言葉が悔しくて、僕は唇を噛む。あれだけ嫌っていたジオールに救われたことを再認識して、自分の弱さを嘆かずにいるのがやっとだった。

 三十分も経たないうちに領主お抱えの治癒術士がやってきて、奥の部屋へセイクが運ばれていく。それから、間をおかず、仲間たちが姿を見せ始めた。戦いそのものは激しいものではなかったらしく、負傷している者は誰もいない。それでも、僕は謝罪を続けた。


「まったく、人騒がせなやつだ」とヤクバは眉を上げ、レクシナは「次、お酒、奢ってよね」と茶化してくる。それだけだった。もともと自分勝手な行動をとられることに慣れているからだろうか。気にするなよ、とも言われたが、そうすることはできそうにない。


「まあ、怪我がなくてよかったよかった。ところでセイクは? あいつ、途中でいなくなったんだよね」

「セイクは僕を助けに来て……」


 ぐっと言葉を飲み込む。申し訳なさで身体がばらばらになりそうだった。僕の様子を見た二人の表情が平坦になっていく。


「……やられたのか」

「フーラァタ、に肩を刺されて」

 え、とレクシナの素っ頓狂な声が響いた。「それだけ?」

「それだけ、って」

「だって、深刻な顔してたから……命にかかわる怪我じゃないんだよね?」

「それはそうなんだけど」

「なーんだ、ちょっとニールちゃんびっくりさせないでよ、殺されたかと思ったじゃん!」

「でも、ひどい怪我を」


 彼の身体の表面に走る樹形の火傷が脳裏をよぎる。それを伝えてもなお、彼らの表情は明るいままだった。


「怪我なんて傭兵や軍人にはついていない方が珍しい」

「死んでなきゃなんでもいいよねー」


 レクシナは安堵を顔に浮かべ、「からかいに行こうよ」とヤクバの服を引っ張った。ヤクバもそれを否定することなく、セイクが治療を受けている部屋へと向かっていく。

 最後に帰ってきたのはフェンやパルタ、アシュタヤ、ベルメイアと護衛の二人の六人だった。


「ちょっと、何してたのよ!」


 怒りを露わにしたベルメイアが駆け寄ってきて、わき腹の辺りを叩いてきた。言いなれてしまった「すみません」を繰り返し、それから、そっと近づいてきたアシュタヤに視線を向ける。彼女は小さく息を吐いて、僕の手を握った。

 ジオールが「ふうん」と息を漏らす。彼の視線は僕とアシュタヤを、それから、フェン、パルタへと向けられる。わずかに目を見開いたかのようにも見えた。

 僕は何も言わないまま顔を伏せているアシュタヤに視線を戻す。


「……ごめん、アシュタヤ」

「本当です。もうやめてください」

「うん」小さく頷く。「ごめん……フェンと、パルタさんたちも、すみません」

「説教は後だ」とフェンが嘆息し、「まあまあ」とパルタが宥める。後から着いてきた若い護衛の二人は笑いながら僕の頭を叩いて通り過ぎていった。


 ジオールが「ちょっといいですか」と声を上げたのはそのときだった。

 広いエントランスに置かれたソファ、そこに深く腰をかけていたジオールの視線は館の奥へと歩いていたフェンとパルタに向けられている。


「えーと、その、フェンさんの隣の……すみません、名前をお伺いしてなかった」

 パルタは一度フェンと顔を見合わせた後、「私ですか?」と自分を指差した。「そうそう」とジオールが首肯する。

「ちょっとお話できませんか?」

「いいですが、どうして私に? 魔法も使えませんが」

「ああ、魔法は関係ないんです。ちょっと個人的にあなたに訊ねたいことがあって」


 パルタは呼び出される心当たりがないのか、しばらく思案していたが、拒否することはなかった。これから、今回の一件に関する会議があるらしく、その後で、と言い、ジオールもそれを了承する。詮索しようかとも思ったが、気後れしてしまい、結局聞けずじまいになってしまった。下ではベルメイアが、握った拳の内側で叩いてきている。ちょっとした鈍痛を感じつつあったため、何とか落ち着かせようと試みる。

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