第二章 第二節

 39 ニール・オブライエン(1)

 領主の館の一室で僕たちは向かい合っている。あの場にいたアシュタヤ、フェン、ベルメイアだけではなく、カンパルツォとウェンビアノの姿もあった。

 あの宿場町で伝えた僕の意志は今も変わっていない。不幸になる、という予言未満の脅しくらいで揺らぐような決意ではなかった。

 みんなも改めてそれを確認するつもりはないようだった。

 求めているのは説明だ。


「ニール」とフェンが口を開く。「あれはお前の双子の兄か?」


 。その動作で全員が顔を歪めた。


「……僕には今まで言ってなかったことがあります。きっと、理解できない点もあるとは思いますが、聞いてください」


 まずはじめに明らかにしなければいけないこと――。


「僕の名前はニール=レプリカ・オブライエン。僕は――ニール=ジオール・オブライエンから作られた模造品クローンです」


   〇


 時は十九年前に遡る。僕が生まれる二年前の話だ。

 オブライエンという夫婦の元に一人の赤子が生まれた。それがニール・オブライエン、現在、ジオールと名乗っている史上最高の超能力者だった。

 その赤子が超能力に目覚めたのは生まれてすぐのこと――超能力が人工的に開発できると分かり、各国が血眼になってその研究を進めていた頃だった。何の訓練もなく超能力の行使ができる存在の出現に、世界中が驚愕したのは言うまでもない。

 ジオールはまだ物心のつかない当時から貴重な研究対象とされた。認識値のテスト、遺伝子の解明、様々な角度からジオールという存在を明らかにしようと政府は躍起になっていた。


 それと同時に進められたのが、彼のクローン生成計画だった。その当時、超能力という力はまだ特異なもので、すべてが手探りで進めなくてはならなかった。研究対象は多ければ多いほど良い、そう考えた者は少なくないはずだ。

 発展する科学の予兆は倫理観だとか規範意識だとかそういったこれまで人が大事にしていたものを吹き飛ばした。それまで確固たる法として存在していたクローン禁止法の撤廃を目指し、ヒトクローンを作ろうとする動きが活発化した。

 もちろん強い批判があったのも事実ではある。倫理観という手綱を手放す人間もいれば、そうでない人間もいる。世界を捲き込む論争の末、結局クローン禁止法は撤廃にはならなかった。

 ただ、問題だったのはそこに一つの条文が加えられたことだ。


「人類の普遍的恒久的安寧を目的とする場合にのみ限り、国際的に認可された機関での実験はこの法に触れることがない」


 つまり、ジオールのクローンを作ることだけは認可する、という条文に他ならない。

 その過程で生まれたのが、僕だ。

 もちろん、他にも生まれた赤子はいる。不妊治療の目的で作られた人工子宮はクローン生成計画に大いに役立った。両手の指では足りないほどの数、僕には兄弟がいる。だが、その中には超能力の素養を持つ実験体はいなかった。

 だから、正確に言えば、僕にはたくさんの兄弟が「いた」、だ。

 その頃にはジオールのおかげで超能力の研究は爆発的に進んでいて、母体内の時点で超能力の才能があるのかどうか識別する機械が作られていた。僕の兄弟たちは人工子宮の中で羊水に揺られながら取捨選択されていった。


 人間の母胎でなければ超能力は芽生えないのではないか?

 研究者がそう考えたのは計画が始まって十ヶ月が過ぎたときだった。政府が欲しているニール・クローンは一向に生まれず、藁にも縋る思いだったのだろう。より近い環境で実験するために母胎にはジオールの実の母親が選ばれた。

 だから、つまり、僕がとうさん、かあさん、と呼んでいる夫婦は厳密に言えば正式な親ではない。僕はかあさんの子宮を借りただけ。本当の意味で親と呼べるのはジオールだった。


 幸か不幸か、実験は成功した。

 かあさんに何らかの要因があったのか、研究者の言ったとおり人間の母胎を選んだのが良かったのか、僕にはわからない。だが、とにかく、僕は生まれた。産声を上げながら弱く小さな〈腕〉を振り回していたそうだ。

 初めての成功例に研究機関は沸き立った。だが、情報はどこかから漏れる。僕が生まれるまでに殺された兄弟たちがいると発覚し、その研究機関は猛烈な批判を受け、解散を余儀なくされた。残ったのは僕とジオールの経過を観察するためのグループだけになった。

 一部の界隈で僕は神の子、と呼ばれるようになった。生まれながらにして超能力を使える子ども。それは新時代の象徴だったに違いない。神の子と、その元となった神、と世間は極めて単純な期待を僕たちに対して向けた。


 それが一変したのが、僕が四歳の頃――つまり、ジオールが六歳になり、超能力養成課程に入ったときだった。

 鳴り物入りで入学したジオールは政府や学校から手厚い保護を受けていたが、彼の超能力は次第に目に見えて分かるほどに衰えていった。理由は定かではない。ただ、長期休暇で帰ってくるたびに暗くなっていくジオールの表情だけ、幼い記憶に残っている。

 彼の受難は続いた。七歳になっても、八歳になっても、世間を驚かせたような超能力を発揮することはなかった。


 そして、ジオールが八歳、つまり、僕が超能力養成課程に入学する年が訪れる。

 僕は期待と不安の眼差しを受けながら授業を受けていく。初めは何も問題はなかった。同年齢の子どもと比べて僕の超能力は水準以上にあった。サイコキネシス以外のものはその頃から水準以下だったけれど、サイコキネシスの認識値は現在の高校生並みに高かったらしい。

 だが、僕はジオールのクローンだ。

 彼の超能力がどんどん水準以下になっていったのと同様に、僕の力も少しずつ水準の値へと近づいていき、ついに同世代の平均値を下回った。当初、調子が悪いのか、と優しくしていた職員も、ひと月ごとに下がっていく認識値に顔を顰め始め、最終的には怒鳴り散らすようになった。


 僕の気持ちを理解してくれるのは同じ経験をしたジオールだけだった。

 彼は僕に対して、何度も謝罪した。「僕のせいで」「僕に超能力さえなければ」そう言って涙を流し、ごめんなさい、と頭を下げた。

 責める気持ちなど毛頭なかった。彼が責任を背負う理由がないことは僕がいちばんわかっている。悪いのは僕たちに勝手に期待して、失望していった大人たちじゃないか!

 僕たちを罵倒する人間はどんどん増えていった。悪意は伝染する。上から下へ――事情を知らずに羨望の眼差しを向けていた同級生たちまでもが、同情ではなく、冷え切った侮蔑の目をするようになっていった。


 その中で違ったのはとうさんとかあさんだけだった。

 とうさんは言った。「ニール、お前の力は何にも替え難いんだぞ」

 かあさんは言った。「ニール、あなたの努力はきっと実を結ぶわ」

 だが、それは僕への言葉ではなかった。その頃には僕は気付いていたのだ。

 ジオールはとうさんとかあさんの愛情の結果生まれた人間で、僕は政府の命令により生まされた人間だということを。


 とうさんとかあさんにとって、僕はジオールの人生を狂わせた研究の象徴でしかなかった。彼らが僕に優しい言葉をかけることはなかった。同情心からか、それとも自身の腹を使って産んだ子どもだからか、直接的な罵詈雑言をぶつけてくることはなかったけれど、ジオールに投げかけるような言葉を耳にした覚えはない。

 ただ、あの頃、僕にとってはジオールが「僕」だった。僕はとうさんとかあさんに背を向けながらも、ジオールへ向けられた言葉を自分への声援であると思い込もうとした。ジオールもそういうふうに僕に言い聞かせた。だから、僕は彼らを恨んではいない。むしろ、優しい人間だとすら思っている。

 だって、ジオールを最後まで信じていたのは彼らだけだったから。


 転機が訪れたのはジオールが十三歳のときだ。

 それまで一向に伸びることがなかった彼の幽界認識値が上昇を示したのだ。初め「なんだ、今日は体調が良いのか」と揶揄していた職員たちの態度がどんどん変わっていった。来た道を引き返すように、周囲の評価は反転していった。彼が元の暖かな視線を受けるようになるまで一年しかかからず、それ以降は子どもの頃以上の羨望と賞賛が浴びせられるようになった。

 ずっとなりを潜めていた研究機関の職員も入れ替わり立ち替わり、ジオールの元へと訪れるようになった。

 それを見た僕が、自分のことのように嬉しくなったのも無理はない。


「やったね、ニール! もう馬鹿にされずにすむよ!」と、僕は無邪気に喜ぶ。

「ああ」と彼も頷く。「だから、ニール、お前も負けるなよ。僕がこうなったんだ。お前もいつか報われるに決まってる!」


 その認識は僕たちを取り巻く人々すべての共通見解だった。ジオールがこうだったのだ、あの模造品もそうに違いない、と。

 それはある意味では決して間違ってはいなかった。

 ジオールと同じ十三歳、ミドルスクールの入学年度。僕は見事に周囲の期待に応えてみせた。サイコキネシスの認識値が平均以上の数値になったのだ。

 ……それだけだった。

 確かに僕の幽界認識値はその後も二次関数的な飛躍を見せた。だが、ジオールと異なり、他の能力が発現することなどなかった。

 僕もジオールも、そして周囲も、初めは喝采を上げていたが、いずれ、気付く者が現れる。僕がジオールから引き継いだのはサイコキネシスの才能だけ。他の能力は何一つ、才能がない。

 訝る視線の中、ジオールだけは僕を励ましていた。一年経ち、二年経っても彼は僕に対して「信じろ」と唱え続けた。


 信じることなどできやしなかった。

 僕はもう知っていたのだ。

 僕はジオールではない。彼の模造品でしかないのだと。

 模造品は決して本物には敵わない。

 次第に僕とジオールの距離が遠ざかっていったのは何の不思議もなかった。高等部に上がったジオールはめきめきと能力を伸ばし続け、十七歳になったときには政府の直轄機関で重用されるようになっていた。精神的にも、物理的にも距離が生まれていた。

 誰かが僕に聞こえる声で、木偶の坊だと言った。あいつはサイコキネシスだけ強くて他は何の役にも立たない、そのサイコキネシスにしても操る技術がない、天才ニールの模造品だ、ニール=レプリカだ、と。


 高等部に上がり、その頃にはジオールと名乗り始めていた彼の影響もあって、僕は養成課程の一級に所属することになった。

 僕にとってはそれも屈辱だった。

 明らかに場違いな人間はどこにいても目立つ。

 時代や世界が違えど、人の本質は変わらない。居るべき場所ではない場所にいる人間はつまはじきにされる。バルトたち級友は、僕を、公然と侮辱してもいい存在であるとした。

 十七歳になるまでの二年間――僕は迫害に一つの文句も言わず、いや、言えずに過ごした。そんなときに、ワームホール生成実験に参加することになった。

 もしかしたら彼のようになれるかもしれない、という淡い期待を抱いて。

 僕がレプリカ、と名乗っていたのは自虐でも自嘲でもない。少しでも彼の持つ力に近づきたかったからだ。

 ……そうだ、僕は「ニール」になりたかった。

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