29 呆気ない変化〈護衛団4〉

「じゃ、レクシナ、ちょっと待ってようか」


 ヤクバとセイクを見送り、僕はデギ・グーがへし折った木の幹に腰をかけた。二人が往復するにはどれだけ少なく見積もっても三十分はかかる。レクシナがいれば野生動物に肉を漁られることもないだろうが、だからといって一人残すのも気が進まなかった。

 うずたかく積まれたデギ・グーを眺めながら、尻の下にある木を叩く。空気が多分に含まれているのか、その音は森の中で柔らかく跳ねた。


「とりあえず座れば?」


 しかし、彼女は生返事で「うん」と頷くばかりだ。訝るようにヤクバたちが消えていった方向を凝視して、腰を下ろそうとする気配はなかった。


「あのさ、ニールちゃん。嫌な予感するんだけど……」

「どうかしたの?」

「なんかさ、ヤクバたち、聞き分け良すぎない?」

「ああ」と僕は苦笑する。「持って行ったデギ・グーを売って、その代金を懐に入れるつもりなんじゃない?」

「え?」

「だからさ、値の張るデギ・グーを先に売っちゃってさ、荷車代として取られたって言えば分け前が増えるだろ」


 あっけらかんと推測を述べると、レクシナの表情は見る間に赤らんだ。彼女は僕に詰め寄り、食ってかかってきた。


「ちょっと! なんでそれわかってて行かせたの? あたしの分が減るじゃない!」

「大丈夫だってば。荷車を貸すくらいで助けに来た人からお金をとるほどがめつくはないでしょ。もしそうだったとしてもちゃんと村の人に確認をとればいい話だし」


「それは」とレクシナは呟いたきり、押し黙った。一応の納得を果たしたようではあったが、それでもまだ彼女は不満らしく、むーと頬を膨らませている。

 心配する必要はない。収穫期が終わり、これから冬を迎える時期にあの寒村に貨幣を蓄えるほどの余裕はあるようには見えなかった。たとえ、あったとしても既に食料に変えているだろう。

「狩った獣の二割程度」などという文言をいちいち依頼書に付け加えていたのが何よりの証拠だ。あれは、「いっぱい狩ってもうちじゃそんなに買い取れませんよ」という意思表示に違いない。物々交換なら可能性もあるが、麦などの穀物や野菜、あるいは漬物などの加工品に買えたところでかさを増すだけだ。それで困るのはこちらだった。


「まあ、信じてみるけど……」


 言いながら、レクシナは僕の隣に腰を下ろした。針葉樹に囲まれた森は燦々と照らす太陽の光を遮っていて、寒いのか、彼女は肩を近づけてくる。


「でもさ、ニールちゃん、なんか変な力あるんでしょ? それで運べばよかったじゃない」


 どうやら話の大枠だけが伝わっているらしい。彼女は僕とアシュタヤが浚われたあの事件を独自の解釈をふんだんに盛り込んで述べた。その中で僕は、颯爽と現れ、不可思議な力を使いアシュタヤの危機を救った騎士となっていた。襲い来る手練れの刺客をばったばったとなぎ倒し、アシュタヤを救い出した英雄。肩の傷は卑劣なだまし討ちによりつけられた名誉の負傷だと。

 そうであればどんなによかったことか。

 僕は溜息を吐き、小さく首を振った。

 実際のところ、のこのこと現れた小市民の僕が不可思議な力を使ったアシュタヤを危機に陥れ、命からがら逃げ出して、彼女に救われた、と言うのが事実だった。


「確かに変な力はあるけどさ、力が強いだけで大したものじゃないよ。もしそれでこの魔獣の山を運ぼうものなら村に着くまでには数が半分になってる」

「なにそれ」

「魔法だってそうでしょ? 大きな火球を作り出したって、見当外れの方向に飛んでいったら意味がないじゃないか。それと一緒だよ」

「そうだけどさあ……。そもそも変な力って何なの? なんか手も魔法も使わないで物を動かすとか聞いたけど」


「まあ、そうだね」と頷くとレクシナは即座に「見せてよ」とねだった。見せて、と言われても見えるものでもないんだけど、と反論するが、彼女は頑として聞かない。「よくわかんないから早くう」と僕の左腕を揺らす。まるで子どもがだだをこねているようで、これ以上の引き延ばしはお断りだと突きつけられているようでもあった。


 やらなければ納得しないか。

 嘆息し、周囲を見回す。森の中には魔獣の山と立ち並ぶ樹木しかない。となると必然的に木を選ぶことになる。僕は三メートルほど右に生えていた木を指さした。


「じゃあ、あれ」


 座ったまま、〈腕〉を展開する。じっと木を睨みつけ、慎重に〈腕〉を伸ばした。〈腕〉は何度もあらぬ方向へと滑り、四回目の試行でようやく狙いを定めた木に辿りついた。

 みしり、と音が鳴る。

「え」と困惑の声が隣で浮き上がる。

 力を込めると地中に伸びた根がぶちぶちとちぎれた。その拍子に木の高度が勢いよく増す。〈腕〉の中にある樹木は身体が分断される苦しみにもがくかのように揺れ、ぱらぱらと土が落ち、葉がさざめく。

 レクシナはぽかんと口を開け、僕と木の間で視線を彷徨わせていた。

「もう大丈夫?」と訊ねる。彼女は呆けたままの表情で、首を縦に振った。

 力を抜くと、宙に浮いていた木は糸が切れたかのように落下し、強かに地面へとぶつかった。辺り一帯に振動が走る。どこかに獣が潜んでいたのだろうか、草の擦れる音がかすかに聞こえてきた。


「なにそれ……すごい――」

「そんなことな」

「――すごい、地味」

「え」


 ……え?

 ――どこかに、慢心があったのは事実だ。ウェンビアノもカンパルツォも僕のサイコキネシスを見て「すばらしい」と言った。詠唱も予備動作もなく、魔法と同じだけの力を、それも何らかの自然現象に頼らずに行使できる、それは彼らにとって何らかの意味を持つのだろう。もしかしたら僕が魔力を持たない、ということそのものを評価されたのかもしれない。

 そして、アシュタヤと同類の力であったことも僕の中では大きかった。何より、過程はともかく、この力で彼女を二度、窮地から救っている。自信が深まる要因は多い。

 その力を、レクシナは何と言った?


「ぷっ、くっ、あははは! ニールちゃん、なにそれ、もったいぶってた割に地味すぎ!」


 彼女はけらけらと笑う。腹を抱え、脚で地面を叩き、あまつさえ、笑いの噴出口が口だけでは足りないと主張するように身を捩って転がり回った。

 目の前の光景に口を開けるのは僕の番だった。まさか、よりにもよってサイコキネシスを地味と罵られるとは思わなかった。確かにパイロキネシス発火能力クリオキネシス氷結能力と違って運動エネルギーを制御するだけのサイコキネシスは地味かもしれない。でも、地味さで言ったらサイコメトリーや千里眼の方がよっぽど地味だ。


「何がおかしいんだよ」


 声色に憤慨が滲む。レクシナは取り繕ったように顔を引き締めたが、二秒と持たなかった。再び爆発した笑声に、僕は怒りすら吹き飛ばされ、やるせない面持ちで項垂れることしかできなかった。


「いやあ、ごめんねえ。笑いすぎてお腹が痛い」

「いいよ、別に」


 レクシナは座り込んだ僕に、媚びるようにしなだれかかってくる。厚手のコートを身につけていたもののその奥に暖かさと柔らかさがあって、何となく居心地が悪くなり、僕は目を逸らした。


「別に、その『木浮かし』を笑ったわけじゃないよ?」

「人の力に変な名前つけないでよ。別に動かせるのは木だけじゃないし」

「そうそう、なんかさ、おっきな岩とかも動かしたって聞いてたからさあ、もっとかっこよく色々してた、って思ってた」

「超能力に恰好いい、なんて価値観求められてないよ。求められてるのは便利さと応用性だし……、料理に使う鍋と一緒だ」

「えー、そう? 鍋だってかっこいい方がいいじゃん。それでいうなら食器とかもさ、色々凝ったのあるじゃない? あたしは断然かっこいいのが好きかなー」

「……例えが悪かったよ。それに、結果に笑ったんじゃないなら、魔法だって一緒じゃないか。確かに風が吹いたら木の葉が舞うし、火を出したらあたりは明るくなるよ? でもやってることと言えば詠唱を口ずさんでるだけだろ? 魔法陣を使いなんてしたらそれすらもなくなる」


 それに、彼女、というか教育を受けた超能力者以外には〈腕〉が見えないのも原因だ。レクシナが僕と木の間に視線を彷徨かせている間、僕の目にははっきりと暴れ狂う若草色の〈腕〉が見えている。その光景を目にしたら地味だなんて口が裂けても言えないだろう。

 まあ、どうやったって、見えることはないのだけれど。


「でもさ、あたしは派手じゃん」

「う……」


 口詰まる。破れかぶれの魔法批判が続かなくなった。

 確かに、彼女の戦い方は流麗だった。風を用いて飛び上がり、両腕から鎖のついた杭を打ち出す姿は見蕩れるものがある。杭を突き刺し、再び魔法を用いて魔獣を宙に躍らせ、自身も空中で姿勢を制御し、標的を叩き付ける。その反動でくるんと宙返り。その一連の動作は最上の舞いのように美しく、出し物として披露したら彼女の容姿も相まって人気を博すことだろう。

 だが、超能力はそういうものではないのだ。紐帯である〈糸〉から意志を送り込み、幽界のエネルギーを発生させて現実世界へと変換する。そのプロセスには高まった集中力、幽界の認識が不可欠だった。だから、派手とか地味とか、そういった外見への価値感情は意味がない。

 僕は超能力養成課程で学んだ集中力を高める方法を思い出す。呼吸法の矯正だったりだとか、とりとめなく流れる映像だとか、あるいは東洋に伝わるザゼンだとか。特に最後のやつは最悪だった。足の痺れが骨に染みついたのではないかと錯覚するほど長時間、床に座らされてたまったものではなかった。

 とはいえ、レクシナがそういった過程に興味を示すとも思えず、もはやすべてを説明した方が早い気がして、僕は一から噛み砕いて超能力の説明をしてやった。

 その試みが失敗に終わったのは言うまでもない。


「なにい? チュータイとかユーカイとか全然まったく意味わかんなーい。難しいことは苦手だってば」

「とにかくさ、派手とか、そう言うのじゃないんだって」

「でも、だって、それならあたしだってそうじゃん。魔法の詠唱もさ、地味と言えば地味だよ? あたしは歌ってるみたいで好きだけど……それをさ、派手に見えるように身体を大きく動かして表現してるんじゃない。ニールちゃんは枠に囚われすぎ! もてない!」

「人格批判しないでよ」

「だいたいさ、その〈腕〉っていうのからしてよくわかんない」

「そこからですか」

「腕が三本あるってことでしょ? いよいよ意味わかんないし」

「なに、腕を切り取れって言ってるの? 抉られただけでこんなに痛いのに」


 僕の皮肉に、レクシナは「そうじゃなくて!」ともどかしげに叫んだ。


「見えないなら、それを表現すればいいじゃないってこと。そうすればかっこいいかも」

「あのさ、僕は表現者じゃなくて超能力者なんですけど。そもそも、そんなに派手に身体を動かしたら集中できるものもできないよ」

「それは鍛錬が足りないだけ! 踊り子だって踊っている間はすごい集中してるし、ニールちゃんだってできるよ! ね? そうしよ?」

「なんで形から入り直さなきゃいけないんだよ……」


 もはや聞いていられず、レクシナから顔を背ける。腕やら肩やら引っ張られて、痛みが甦ったが無視することにした。

 彼女はしばらく騒いでいたが、僕が一切の反応を示さないとわかると不満をうなり声に変えた。隣でうるさいくらいにだだをこねるレクシナをちらりと覗く。彼女は僕よりも五つは年上だったはずだ。昨日の無駄話行軍の中でそんなことを言っていた記憶がある。ああ、セイクに年齢を聞かれて答えたときだった。そのときと同等以上の感情が膨らんだ。

 すなわち、これで僕よりも五歳年上なのかよ、という思いが。

 レクシナはレクシナで似たような思いを抱いていたのかもしれない。五歳も年下の僕が賢しく振る舞い、彼女を袖にしたことに腹を立てたらしく、勢いよく立ち上がった。「あったまきた!」と声高に叫んで、離れていく。


 ――あ。

 またやった。

 一匙の怒りと大量の後悔に口の中が苦くなった。頭の中に刻んだはずなのに、また調子に乗ってしまった。ゆりかごで身についたことは墓まで捨て去れないという諺もあるけれど、まったくその通りだ。


「レクシナ、ごめ――」


 しかし、僕の謝罪はそこで途切れてしまった。

 詩を諳んじるような、歌い上げるような声。早送りされたみたいに高速で紡がれた詠唱に魔力が乗る瞬間を幻視し、狼狽える暇もなく、下から風が突き抜け、僕の身体が浮き上がっていく。


「うわ、あ」


 手足をじたばたと動かし、何とかバランスを保とうとしたが、まったく無駄だった。上下左右前後から縦横無尽に吹き付ける風は僕の体勢を乱暴に整え、直立させる。


「やって!」

「へ?」

「いいから、かっこよくやって! ニールちゃんつまんない! セイクとかヤクバならやってくれるのに! これからそんなんじゃやってけないよ?」

「え、ちょ、あ、あのさ、ならフェンだって」

「フェンは関係ないじゃん! あんなカッチカチの怖い奴みたいになっちゃ、ニールちゃんが可哀想だよ」

「なに、フェンのこと嫌いなの?」

「べっつに嫌いじゃないけど、ああいうのは一人でいいの!」

「フェン、結構冗談とか言うけど」

「どうせつまんない冗談でしょ!」


 とても反論しにくい。周囲にとっては面白いのかもしれないが、やられた本人からしてみればたまったものではなかったからだ。たぶん、僕がレクシナたちの前で引っかけられたら彼女たちも手を叩いて喜ぶとは思う。ただ、それを口にしてもレクシナは納得しないだろうし、何より論点はそこではなかった。

 レクシナが「早く」と手を叩いて急かす。どうやればいいのか訊ねると、「ばーんってやって、がーってやって、だんってやればいいんじゃない」とレクシナは擬音の総攻撃で僕の疑念をむりやり吹き飛ばしてくる。


 さて、どうしよう。

 昔見た映画やコミックを思い出す。何を参考にすればいいのかわからない。ジャパニーズマンガ、バンドデシネ、アメリカンコミックのヒーローたちがやる大仰なポーズなど十七歳の僕がやるにはあまりにも恥ずかしい。映画や空想写実のものも同様だ。僕は散々ためらった挙げ句、とりあえず両腕をぴんと真っ直ぐ地面と垂直となるように伸ばしてみることにした。

 同時にレクシナの不満そうな罵声がぶち当たった。


「ださい! 勢いがない! メリハリもない! どうせ手を上げるなら身体をそらすとかさ、角度変えてみるとかあるでしょ! 他の!」


 これは一体何の時間だ?

 ちらりとレクシナを見るが、彼女の顔には僕をからかおうという意地の悪さはまるでなかった。本気で僕を心配しているらしい。理解はできない。

 彼女の恰好いいポーズ指南は十分ほど続き、たどり着いたのは結局、なんてことのない、武術の構えだった。フェンや自警団の面々からさんざん教えられた構えだ。一月もやっていれば構えくらいは目にしても恥ずかしくないくらいのさまにはなっていたようで、レクシナは少し悩んだ後に「それでいこ」と楽しそうに頷いた。


「で、これからどうすればいいの?」

「そうだなあ、〈腕〉って言ってるくらいだし、思いっきり、ぶんって振り回すのは? あとは思いっきり突き出したり」

「思いっきり、は確定事項なんだね」

「当たり前じゃない! 美しい動きの基本はメリハリでしょ!」

「はいはい」


 僕は答え、木を見据える。これ、さっさと終わらないかな、と声に出さずに呟き、〈腕〉を展開した。自然体で脱力するいつもの構えと違うのに戸惑っているのか、〈腕〉も落ち着かず、宙でふわふわと揺れた。

 もう三角巾で吊ってはいないものの、勢いよく右手を動かすと針の球が再びその鋭さを強めて激しく肩の内側を突く予感がある。僕はそっと右腕を後ろに引き、それから前へと伸ばした。

 正確に言えば、伸ばそうとした。


「あれ」と思わず声が出る。木を掴む寸前で、慌てて〈腕〉を止めた。

「ちょっと、なにしてんの?」

 訝しむレクシナに答えを曖昧に返す。「いや、その」


 平静を装っていたが、心は穏やかとは正反対のところにあった。

 ――なんだ、今の、感触は?

 まるで〈腕〉が自分の身体と一体になったかのような感触。腕の動きに狂いなく添う、不可思議な心地よさ。完璧とまでは言いづらいが、それでも、今までのものとは一線を画す接続の滑らかさがあった。

 レクシナに促され、もう一度僕は構えを取る。やはり、〈腕〉は暴れる。

 だが、右腕を突き出した途端、幽界の腕はまるで自分のあるべき場所を思い出したかのように一切の引っかかりなく、するりと伸びた。先ほどは四回目でようやく成功したのが夢みたいに〈腕〉はしっかりと幹を掴む。


「嘘、だろ」


 こぼれた驚嘆を耳で聞き、そっと右腕を高く掲げた。地面が揺れる。根が土を盛り上げ、木が浮き上がった。樹木は地面という支えがなくなったにも関わらず、安定している。


「なになに、どうかしたの?」

「えっと」


 どう説明すればいいのだろうか。

 レクシナは今までの僕の苦労を知らない。

 サイコキネシスの制御について僕がどれだけ悩んできたか、知らない。

 突如として人並みに近づいたこの困惑と驚きと、そして喜びをどのように打ち明けていいものか、整理がつかず、僕は下手くそな笑顔を作り説明していく。辿々しい言葉の羅列に、レクシナは極めて簡潔な返答をした。


「そんなのわかんなーい」

「まあ、そうだよね、わかってた」

「さいこなんちゃらとか聞いたことないしさあ。……あ、でも」

「でも?」


 解明の糸口を探っていたわけではなかったけれど、僕の口は彼女に先を促している。


「〈腕〉っていうくらいなんだからさ、動かしたのがよかったんじゃない?」

「そんな、まさか」

「だってさあ、腕が三本あるのも不自然なのに、ばらばらの動きしてたら頭がついていかなくない?」


 そんなことで、と言いかけて、口を噤む。

 そんなこと、なのか、これは?

 僕の知っている優秀な超能力者も言っていた。「超能力には厳格な決まりなんてない」。彼の言葉は、世界がいい加減にできていると知り、その不安定さに怯えていた僕の世界の人々にはあまり受け入れられなかった。新たな法則性の出現、それがもたらす利便性を享受しながら、誰もが奥底で恐怖に震えていたからだ。

 超能力が表れるまで人間はいつも確かな地面の上に立っていた。宗教、科学、法則、物質という確たる地面の上に、だ。絶え間なく揺れ動き形を変える地面では僕たちは立つことさえままならない。だから大人たちは超能力を型にはまったものとして扱おうとした。火と似ている。肉を焼き、鉄を溶かす火を歓迎する一方で、家を燃やし、森林を焦がす火をいつだって人間は恐れていた。


 超能力――それは、いい加減さの象徴だった。

 自然体である必要はない。対象をじっと睨む必要もない。ましてや、心を落ち着けて超能力のことだけを考える必要なんて、もっとない。

 そこまで思い至って、僕の脳の片隅にあった記憶が鮮やかに甦った。

 アシュタヤと客邸に囚われたあの日、僕は今みたいに木を持ち上げた。あのときも手を伸ばしていなかったか? あるいは、そうだ、彼女を連れて堀を飛び越えたときなんて全身を動かしていた。

 そもそも僕の超能力が伸び悩んだのは養成課程で学び始めた六歳の頃だった。型にはめ込まれることでサイコキネシスが不自由になっていたのだとしたら――。


 歓喜が溢れる。

 僕は転がった針葉樹に向かって腕と〈腕〉を伸ばす。力の調節はまだ難しい。けれど、〈腕〉に吊られた木はこれまでのそれとは思えないほど穏やかに浮き上がり、回転した。

 まだ、そっと上げて下ろす、なんて芸当はできない。穏やかとは言ってもそれはあくまで以前と比較して、の話だ。だが、内側からじわじわと広がる喜びに、僕は夢中になって右腕を振り回した。ようやくわかったのかよ、と言いたげに、〈腕〉はその通りに動いた。

 レクシナが顔を引き攣らせて、僕の変調を見守っている。

 痛みすら無視したその運動は肩を落としたヤクバとセイクが帰ってくるまで続いた。

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