第弐話 【1】 妖界の伏見稲荷にて

 華陽と妲己さんが去った後、幼い僕は、お父さんとお母さんの下に走って行きます。


 それにしても、妲己さんが半年前の僕と、ほぼ同じくらいの歳の姿だったなんて……それが呪いによってという事は、過去にとんでもない悪事をしていたからなのでしょうね。だけど、ブカブカになった服を一生懸命に引きずって行く妲己さんの姿は、何だか情けなかったです。


「椿、白狐に挨拶は済んだ?」


「うん!」


 すると、近付いて来た幼い僕に、お母さんはさっきまでの怖い顔を止め、優しい笑顔をしてそう言って来ました。

 幼い僕はそれに元気一杯で返したけれど、そもそも僕は自己紹介をしていないですよね。白狐さんが僕の事を知っていたから、白狐さんだけが自己紹介をして終わっています。


「本当にこの頃の僕って、自由奔放だなぁ……」


 そんなやり取りを、僕は苦笑いをしながら見ています。映画を見ている様な感じだから、何だか不思議な感じがするけどね。


「さて、あの2人があれで引き下がるとは思えない。白狐、悪いが……」


「言われなくても分かっている、銀狐。伏見稲荷を守護するのも、我の役目だ。任せろ」


 そう言うと僕のお父さんは、幼い僕の肩に手を回してきて、そのまま軽く押してきました。

 つまり「この先に行くぞ」という事なんですね。そして幼い僕は、そのままお父さんとお母さんの後を着いていきます。


 それからの道のりは、伏見稲荷大社の入り口から直ぐにある拝殿、その奥にある千本鳥居に向かって行ったけれど、その途中で、お父さんとお母さんが何かを話し始めます。


「それにしても、以前現れた邪妖。椿はかなり怖がっていたが、もう大丈夫かな?」


「あなた。あまりの恐怖に、多分忘れているわよ」


「そうか……まぁ、それならそれで良い」


「それに今は、あれは邪妖では無く、確か脱神と呼ばれているみたいよ」


「ぬ……? そうだったか。つい、癖でな。それにだ、脱神ってーー何かかっこ悪くないか?」


「それどころではないと思うけどね」


「いだだだ……!! 分かった分かった、拳骨グリグリは止めてくれ! こめかみがぁ!」


 僕のお父さんは完全に、お母さんの尻に敷かれていますね。


 でも、さっきの会話はいったい何なんだろう?

 まさか……お父さんお母さんと一緒に居る時に会った、あの時の怖い脱神は、八坂さんが覚醒させたあの脱神とは、別の脱神なのですか? そんなに何体も居るなんて、この世界は大丈夫なんでしょうか?


「あなたの心配も分かるけれど、今は人々の信仰心が薄れつつあるから、その内人間界には居られなくなると思うわ」


 そうでした。この記憶は、61年前のもの。

 その頃って確か、戦後直ぐでしたよね。その時に僕はここに? う~ん、実感が無いです。まだ完全に思い出していないからかな。


「しかし、信仰心が無くなってきていると言っても、今この国は荒れているからなぁ……それだけだと、結局また落ち着いた時に……」


「ふふ、確かにそうかも知れないわね。ただ、先の事を想像してもしょうが無いわ。私達は感じる通りに、思う通りに動くだけよ」


「パパ、ママ。何話しているの?」


「ふふ、大人の話」


「む~、私も子供じゃないもん!」


「まだ俺達と一緒に寝ている奴がか?」


「うっ……」


 あぁ……何だろう、これ。凄く幸せな家族の風景って感じです。これがずっと続いていれば……。

 でも僕は、今1人で居る。それはつまり、この後にお父さんお母さんと離れ離れになるって事です。

 そんな事が起こるなんて、1ミリも分かる訳が無い幼い僕は、お父さんとお母さん両方に手を繋がれ、笑顔になって先へと歩いて行きます。


 そしてその後、千本鳥居の入り口に着くと、そのままその先へと歩いて行きます。あれ? この先に、天狐様がいるのですか?

 だけどこの先は、本当に普通の山になっていて、千本鳥居と階段が続くだけです。途中にいくつか社があるくらいで、天狐様由来の物は聞いた事が無いです。単に僕が知らないだけかな?


 だけど、千本鳥居の中程、重軽石がある社に着いた時、景色がガラッと変わりました。

 ちなみに、重軽石は有名ですね。願ったものが叶うかどうか、それを占う石で、叶うなら割りと軽く持ち上がり、無理ならズシッと重くなるやつですね。


 とにかく、辺りの景色が急に変わり、焼けるような真っ赤な夕日が辺りを包んでいました。

 左右にある千本鳥居も、とても古くて年季の入った物になっています。まさかここが、妖界の方の伏見稲荷ですか? いや……稲荷山?

 ということはあの社に、妖界に行く為の扉があったのかな? それとも、あの社事態がその扉だったのかな? どっちにしても、あそこが妖界に行くための場所だったのですね。覚えておこう。


「パパ、ママ。ここって?」


「あぁ、この前行った妖界という所だよ」


 すると幼い僕は、それを聞いた瞬間、お母さんにしがみつきました。しかも、体も震えちゃっています。


「あらあら……この子ったら、やっぱりこの前の事を覚えていたのね」


「なる程な。それで条件反射で、この景色を見ただけで怖がっているのか」


 この姿に戻った直後の僕が、他の妖怪さん達や、この妖界の景色を怖がっていたのは、あの脱神への恐怖心だったんですね。

 だけどもう僕は、妖怪さん達を怖がってはいないです。妖界の方は……う~ん、ちょっとまだ微妙ですけどね。やせ我慢しているので。


 すると、そこから更に千本鳥居を進んだ先に、何かが見えて来ました。そしてその前に、誰かが立っています。

 あれは……とても大きなお稲荷さんの石像?! 何で千本鳥居の途中に、こんなに大きな物が? それと、その前に立っている人にも見覚えがあります。


 黒い毛色に狐の尻尾と耳をしていて、今とそんに風貌が変わらない、昔の黒狐さんの姿です。


「やっと来たか。何があった?」


「あぁ、お前の所のお転婆な嫁さんだよ」


「妲己という奴か……会った事も無いのに、天狐様に勝手に決められて、良い迷惑だ」


「ふふ、黒狐。それをここで言わない方が良いんじゃないかしら?」


「大丈夫だ。奴はまだ寝ている」


「おい、黒狐。話しはいっているよな? 天狐の従者には伝えたのだぞ」


「今その従者が起こしているんじゃないか?」


「くっ……! あの野郎。従者に適当な仕事をさせやがって……」


 えっと……幼い僕は何が何やらという感じで、ポカーンとしていますね。因みに僕もです。

 とにかく、何か予定通りには進まなかったみたいです。でも、今の僕だったら多少は分かります。その天狐様って、やる気のないぐうたらな妖狐なんでしょうね。こんな所で言ったらバチが当たりそうだけど。


「しょうが無い。俺達が直接言いに行く」


「あら、私も? しょうが無いわね~椿、直ぐに戻るから、黒狐と大人しく待っていてくれる?」


「は~い!」


 幼い僕は、また元気に返事をするけれど、多分お父さんとお母さんが何をしに行くかは、分かっていないと思います。


 そしてお父さんとお母さんは、お稲荷さんの像に近付くと、それを右に向けます。すると、山の斜面だったその先が切り開かれて、新たな道が現れました。その稲荷像って、その為にあるんですか。


 その後に、お父さんとお母さんは僕の様子を確認してから、その先へと進んで行きました。 


「ちっ、お守りか……しかも、白狐の許嫁とか」


「私といるの、嫌?」


 お父さんとお母さんが行った後、黒狐さんが幼い僕には聞こえないくらいの声で呟いたけれど、幼い僕には聞こえていましたね。そしてやっぱり、遠慮無く聞きますね。本当にこの子が、小さい頃の僕なんですか?

 全くの別人としか思えないけれど、確かに僕自身がこう言ったんだ、僕ってこういう奴なんだっていう感覚が、頭の中に甦ってきます。記憶が、甦ってきている。黒狐さんと話した内容も、しっかりと……。


「今のが聞こえていたのか? 何て耳だ。まぁ、確かに嫌だな。あの白狐の許嫁だと思うと、余計にな」


「へぇ、白狐さんとお友達なんだ~」


「何処をどう聞いたらそうなるんだ!」


 本当にその通りですね。何で僕はそこで、2人はお友達なんだって判断をしたのだろう。

 確かに今の白狐さんと黒狐さんを見たら、それは間違い無いんだけれど、離れている昔の状態だと、分からないじゃないですか。


 あぁ、違うや。僕は確かな自信があったんだ。だってーー


「だって、目が本当に憎んでいる感じの目じゃないもん。どっちかと言うと、信頼している目だよ」


「…………」


 黒狐さんが黙っちゃったよ。図星だったのかは分からないけれど、幼い僕の言葉に、少しだけ動揺をしているみたいです。

 ここまで見て思い出して、そして分かったんだけれど、幼い僕はもう少し、遠慮っていうものをした方が良いと思います。だけど、過去の終わった事に対して言っても、意味が無いですよね。

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