第玖話 【2】 湯口先輩への説得

 僕の隣に来た湯口先輩は、真剣な表情になっている。


「翼……」


「椿です」


 まだ男の時の名前で言うの? いい加減、分かって欲しいかな。


「チッ……つ、椿。その……あれから親父とも、連絡が取れなくなった。俺はいったい、何を信じれば……いや、信じていたのに、俺に分身体を寄越すなんて、俺はどうなっても良いってか?!」


「先輩、おすわり」


「ぬぉ! 何す……」


「先輩、落ち着いて。今はとにかく状況確認だし、何を信じるか信じないかは、先輩が決めて下さい」


 無理やり座らせた先輩を見つめながら、僕はそう言ったけれど、先輩はやっぱり顔を逸らしている。


「こっち向いて……」


「くっ……!!」


 湯口先輩の顔をこっちに向けないと、話しもまともに出来ない。でもこれって、僕がたまに白狐さんにやる行為……そっか、白狐さんってこんなにも、腑に落ちない気分になっていたんだね。


『お主等、何をじゃれておる』


「「じゃれてない!!」」


 白狐さんの言葉に咄嗟に反論したけれど、先輩と被っちゃったよ。

 もうこうなったら、先輩の顔の向きは諦めます。話を聞いてくれるだけでも十分ですよね。


『まぁ、こいつに関しては、椿が何とかしたいと言っていたからな。どうするかは、椿に任せるぞ』


 黒狐さんはそう言うけれど、その目は絶対に獲物を逃がさない、そんな目付きをしているよ。せっかくの情報源だし、逃がしたくは無いけれど……そんなに睨んだら、先輩が警戒しちゃいますよ。


 とにかく、湯口先輩をどうするかにしても、僕はいつも通りの対応をするだけです。そう、いつも通りにね。


「あのさ、先輩。学校はどうするの? 退学するの?」


「そこからか?!」


『だいぶ戻ったぞ、椿!』


『いや待て、これは椿の作戦ではないか……?』


 先輩に続いて、黒狐さんも白狐さんも驚き過ぎです。だって、普通に気になるでしょう。


 そんな中で、おじいちゃんは冷静に僕の対応を見ているし、カナちゃんは何だか釈然としない顔をしています。カナちゃんは何で、そんな顔をするのだろう。


「はぁ……学校に関しては、転校して別の所に行くつもりだったんだ」


 湯口先輩は、ため息1つ溢してそう答えた。何でため息を吐かれたの? 僕、何か対応を間違えたかな。


「転校って……友達とはどうするの? 急な事で、ショックを受けるんじゃ――」


「それはねぇな。俺もあの学校で、いじめられていたからな。それが妖魔の仕業と分かって、余計にムカついたが……」


「あっ……」


 そうだった……僕がいじめられた原因の『電磁鬼』

 奴は全校生徒、更には先生達まで操っていた。校長先生は抵抗したらしいけれど、迂闊に動いたら逃げられると考え、センターが対応してくれるまで、情報収集をするしか無かったと言っていた。


 妖魔は、それだけ強力。だけどそれを、いとも簡単に見つけられた僕の感知能力は、相当なレベルなんですよね。


 そして先輩も、父親が滅幻宗の幹部らしいし、妖怪や妖魔の術にかからない妖具を持っていても、何らおかしくはなかった。

 だけど、電磁鬼の仕業とは分からなかったから、父親には言わなかったみたいですね。後で知ったからこそ、余計に怒りが増したんだと思う。


「良いか。妖怪や妖魔ってのは、それだけ悪なんだ。平気で人を操り、傷つける。つば……きも経験しただろう? それなのに、何でそっち側に回る」


 僕の名前に詰まるのは、もうしょうが無いとして、何だろう……この違和感は。先輩は、何かを知らない様な感じがする。


 何か……妖怪の事? あっ、まさか。


「先輩、もしかしてなんだけど……妖魔が人語を理解していない事、お父さん達から聞いてる?」


「あっ? 何だそれ? 初耳だぞ」


 やっぱり……そうでした。先輩の中では「妖魔と妖怪は同じ」という認識なんだ。だけど、僕達はそうじゃ無い。

 妖魔は……あれは妖怪じゃない。作ったのは妲己さんらしいけれど、僕はそれも怪しいと思っている。


 僕の予想では、妖魔を作ったのは亜里砂ちゃんじゃないかな? そして妲己さんは、それを自らに取り込むふりをして、僕の目を欺いている。本当は、取り込んではいないんじゃ……。


 多分、あれで完全に退治をしているような気がする。全部……全て、演技じゃないのかな。


 今はそれよりも、先輩の方だね。

 呆気に取られていて、呆然としているよ。だから僕は、僕の知っている妖魔の事を、湯口先輩に教えた。


「なんだ、それ……聞いてねぇぞ。それじゃお前達も、妖魔を同類とは思っていないし、危険な者として退治をしているのか?」


「そうだよ」


 そして同時に、その部屋に居る他の皆も、僕と一緒に首を縦に振り、僕の言葉に同意している。

 その目も真剣だし、嘘では無い事を無言で訴えている。こういう場合、沢山言葉を並べている方が、嘘っぽくなるからね。


 すると先輩は、そのまま無言で俯き、何かと葛藤している様な表情を見せました。

 そりゃね……長年自分が信じてきたものを、一気に崩されようとしているんだもん。自分が自分じゃ無くなる、そんな感覚に近いんじゃないかな。


「先輩……無理しなくても良いです。ただ、知って下さい。僕達の事を。その上で、先輩が判断して下さい」


 丁度その時、里子ちゃんが息を切らしてやって来た。首輪を沢山持っている、ニコニコ顔の美亜ちゃんと一緒に……。


「椿ちゃん! 多分これだよ! 家に置いてあったやつと、全く合わないのがあったから!」


「ありがとう、里子ちゃん。それと、美亜ちゃ~ん。そんなに沢山持ってきて、どうするの?」


 里子ちゃんから鍵を受け取ると、嬉しいそうに尻尾を丸めて、足取りが軽やかな美亜ちゃんに、ちょっと怒っているような感じで声をかけます。


「え? べ、別に良いじゃない。私にだって、下僕が居たって良いでしょ?! あんたばっかりズルいわよ!」


「そんなには要らないよね? それにさ、僕は望んで下僕にしているんじゃ無いんですよね」


 僕は美亜ちゃんを説得し、その大量の首輪を、保管されていた部屋へと戻させました。1個や2個くらいなら良いだろうけれど、流石に何十個単位は駄目だよ。

 僕が注意しなかったら、おじいちゃんの怒号が飛んでいただろうね。凄い目で美亜ちゃんを睨んでいたから……。


 そしてその後、僕は里子ちゃんから手渡された鍵を使って、先輩の首輪を取った。


「これで、先輩は自由ですよ。逃げるなり僕達を退治するなり、好きな様にして下さい」


『なっ! 椿、何を……!』


『落ち着け黒狐。滅幻宗の小僧よ、戦うのなら好きにしても良いが、味方も居ないこの状況、どうなるかは分かっているだろう?』


 先輩は、首輪を外された事に驚いたのか、首をゆっくりと擦りながら、意外な目で僕を見てくる。


「……何で、こんな事を? 首輪をしておいたままにするだろう、普通」


「そうして欲しいの?」


 その言葉に、何で顔を赤くするかは知らないけれど、先輩は直ぐに行動する事は無く、ただじっと僕を見ているだけで、そこから何もしてきません。

 だから僕も、じっと見返すよ。別に、先輩は先輩なんだし、意識なんかしていないから、真っ直ぐに見る事が出来ます。


 白狐さん黒狐さん相手では無理だけどね……10分と持たないです。

  

「分かった……とりあえず一旦、お前達の情報集めに専念しておいてやる。だが勘違いするな。お前達が悪じゃないと、そう決めた訳じゃ無いからな。おい、空いている部屋はあるのか?」


「えっ? 先輩、ここに住む気?」


「悪いか?」


「いや……好きにして良いって言ったのは僕ですけどね。分かりました」


 それに、情報収集をするのなら、ここに住む方がやりやすいだろうしね。


「ふむ、良かろう。しかし椿が良くても、儂等は警戒させて貰うぞ。監視カメラも付けておく」


「あぁ、それで良い」


 監視カメラ何てあるの? そこは普通に、妖具を使うかと思ったよ。


「浮遊丸よ、来い!」


「へ、へ~い……何すか、翁。自分、もう反省してますさかい、こ、これ以上は……」


 そう思っていたら、普通にくたびれた感じで、フラフラと浮遊丸さんが飛んで来ました。しばらく見ないうちにやつれたね、自業自得だけどさ。


「任務じゃ。良いか。この男子を、儂が良いと言うまで常に監視しろ。お前さんに付いている撮影能力も、映像として24時間、こちらに流れる様にしておいた。サボっておったらバレるからの」


 なる程……浮遊丸さん自体が、自在に動く監視カメラの様な状態になっているのですね。

 確かに、違う映像が流れていたりしたら、サボっているって事になるよね。だけど――


「え~女子やなくて男子……やる気失せるわぁ……」


「な、何だこいつは……普通にこいつは害悪だろう。くそ、やっぱり妖怪は……」


 浮遊丸さんは相変わらずですし、それに対して先輩が、警戒心を出しちゃったよ。どうしてくれるんですか……。


「あの……先輩。とりあえず、害があるのは女性だけだし、人間にもいるよね? こういう人」


「くっ……なる程。妖怪側にもいるのか……そんな奴に監視されるとか、どうも胸糞悪いが、まぁ良い」


 先輩は納得してくれたね。あとは、やる気の無い浮遊丸さんだけど……この妖怪のやる気を上げるのは、実は簡単なんです。

 浮遊丸さんを使うのなら、ちゃんと任務をやって貰わないと困りますからね。釘を打っていても、サボりそうなんですよ。


 でもこれは、恥ずかしいからあんまり皆の前ではやりたく無い。だけど、しょうがないです。サボってお風呂を覗かれるよりマシです。


 そして僕は、出来るだけ上目遣いになり、顎に人差し指を添え、甘ったるい声を意識して、浮遊丸さんに励ましの言葉を言おうとするけれど……くっ、顔が赤くなっちゃいそう、我慢我慢! 一気に言うんだ、僕。


「浮遊丸さぁん、頑張って任務を達成してくれたらぁ……いっ~ぱい、写真撮らせてあげるね~」


「んなっ?!」


 あっ、やり過ぎた……浮遊丸さんが、鼻血を出して落下しちゃった。その前に、浮遊丸さんに鼻あったっけ……。


 そして何故か、倒れる音が他にも複数聞こえたので、急いで辺りを見渡すと、部屋の中が血の海と化していました。先輩も含めて全員、鼻血を吹き出してノックダウンしちゃっています。

 な、何で? こんなにも気持ち悪いのに? 浮遊丸さんにしか効かないと思ったのに?! 何で全員効いているんですか……。


「椿。お前さん、そろそろ自分の魅力に気づいた方が良いぞ」


「そう言うおじいちゃんまで、鼻血……」


「ぬぅ……不覚」


 もう嫌だ、恥ずかしい……何で皆して同じ反応になるの?

 そして美亜ちゃんなんか、メモを取りながら何かブツブツ言っているよ。いつの間に戻ってきたかは知らないけれど、まさか……今のを見たんでしょうか。

 

「なる程ね。あれなら私の方が得意ね。猫なで声。ふふ、負けないわよ、椿~」


「もう僕を追い詰めないで~!!」


 その場に居ることが恥ずかしくてしょうが無かった僕は、顔を両手で覆いながら、自室に向かって猛ダッシュです。

 自分でやってしまった事だから、これはしょうが無いけれど、相手をわざと魅了する様な事は、もう止めよう。


【椿~恥ずかしがってちゃまだまだよ。それにさっきのも、もうちょっとこう――】


 頭に響く妲己さんの声は無視です。

 そもそも妲己さんが、良くこうやって黒狐さんを魅了させる様な事をしているし、それで何故か、黒狐さんが良く言う事を聞くから、男性にそれをすると、ちゃんと言うことを聞いてくれるんだって、そう思っちゃってたんだよ。


 だけど、間違ってた~!! 今までの事、全部やり直したい……。


【ふふ、良い感じで戻ってると思ったのにね~】


「妲己さん、何か言いましたか?!」


 自室に戻った僕は、そのまま布団に潜り込み、今日の事を忘れようと頭を抱えます。

 どうも誰かが、そんな僕の後を追って来ているみたいだけれど、無視です無視。


 今は、誰とも会いたく無いよ。

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