第漆話 【1】 暴走するカナちゃん
さっきまで蝉がうるさかったのに、急に静かになっている。それはやっぱり、この異常な空気のせいかな。
カナちゃんのお母さんという人が現れ、実の娘であるカナちゃんに向け、殺気を放っている。
僕が何とかしようとしても、八坂校長がそれを、無言で制しているって感じです。
動けない……それに、カナちゃんのお母さんが一言も喋らない。
「お、母さん……」
「……あんたみたいな化け物に、母親呼ばわりされたくないわね。何でまだ生きてるのよ」
「っ……!!」
やっと声を出したと思ったら、流石に今の言葉はキツすぎるよ。
お母さんが現れた時、カナちゃんが小声で言ってくれたけれど、その事件の時、救急車で汚い言葉を吐いていたみたい。
そしてそれから、カナちゃんの前から姿を消したと言っていました。
まだ小学生くらいのカナちゃんが、たった1人で生きていける訳が無い。
だから、捜査零課の人達が、半妖の子供達の保護施設へと、カナちゃんを送ってくれたと言っていた。だけど、母親からは手紙の1つも来なかった様です。
幼いカナちゃんにとって、それは耐え難いものだったんじゃないのかな?
今だって、お母さんの言葉にショックを受け、呆然としている。だから僕が、カナちゃんの前に出て、お母さんから守るようにしています。
「真実は、時として残酷なものなんだよ」
そして校長先生が、ゆっくりと僕達の間に入り、そう言ってくる。
「カナちゃんの父親。その正体が、何故外部に漏れたのだろうね?」
「へっ? でも、それは……」
「辻中君の父親は、実は特殊な妖怪だったのさ。そんな彼は、正体がバレる様なミスをしてこなかった。それが何故、バレたのか……」
そんなに注意深い妖怪なら、簡単に見つかる様な行動はしないよね?
それで何でバレたかって言われても……そんなの、仲間に裏切られたり、身内が――あっ、ま、まさか……。
「気付いたかい? 椿君」
「いやでも、そんなのって……」
どうやらカナちゃんも気付いたらしく、顔が真っ青になっていっています。
「そう。辻中君のお父さんの正体、それを敵に、あの滅幻宗に教えたのは、他でもない、辻中君のお母さんさ」
その衝撃的な事実は、カナちゃんの心を壊すには十分で、もう僕の言葉も聞こえていない程になった。
カナちゃんはその場で膝折れ、ショックを受けた表情のまま、口をパクパクさせています。このままだと、彼女の意識が飛んじゃうよ。
「カナちゃん、カナちゃん! しっかりして!」
それでも僕は、必死に彼女に呼びかける。だって、カナちゃんの体が熱くなっているから。
ヤバい、ヤバいですよこれは! いったい何の半妖かは分からないけれど、妖怪とほぼ同じくらいの妖気が溢れてきている。
「私が、君達の姿を見つけたから良かったけれど、もしもこのまま、私が居ない状態で母親に会っていたら、椿君だけで止められたのかい? その母親を、説得出来たのかい?」
「……そんな事言ってないで、カナちゃんを落ち着かせて下さい、校長先生!」
だけど校長先生は、そこから一歩も動かない。何でなんですか? いったい、校長先生は何を考えているの……。
すると、僕の腕をカナちゃんが握ってきました。良かった、まだ意識はあるみたい。それなら、早くここから離れ――
「……ごめん、椿ちゃん。私が暴走したら、逃げて」
そう言うと、カナちゃんは自分の母親に目を向け、そのまま睨みつけながら問いただす。校長先生が言った事が、本当なのかどうかを。
「お母さん、さっき校長先生の言った事は、本当なの?」
「えぇ、そうよ。普通おかしいと思わない? どこで働いているか言わない人なんて。その内疑う様にもなるわよ。浮気しているんじゃないかってね」
なるほど、そういうことですか。そこで、探偵に調査か何かを頼んでしまい、知ってしまったのですね。カナちゃんの父親が、普通の会社で働いてはいない事を。
「浮気かどうかを調べる為、伝手を使って頼んだ探偵が良い人でね。もしかしたら、ここに頼んだ方が良いかもって、そう言われたのよ」
それが、滅幻宗ですか。全ての原因、その根源が母親だったなんて……。
「人間は悲しいね。愛した人だからこそ、疑いたくなるもの。怪しい行動1つでもされたら、それは不安になる」
校長先生が、カナちゃんのお母さんに続けて言ってくるけれど、校長先生は高みの見物でもするんですか? ずっとそこから動かずに、腕を組んで僕たちを見ているだけ。
カナちゃんはもう、自分を保つので精一杯なのか、体を震わせながら、肩で息をし、とても苦しそうにしている。このままだと、本当に暴走しちゃうよ。何とかしないと。
「カナちゃんのお母さん。このままじゃあ、またカナちゃんが暴走しちゃう。だから、ここから一旦離れてくれないですか?」
一旦この人と、距離を取らないといけない。
そう思った僕は、カナちゃんのお母さんに伝えたけれど、その人はそこから一歩も動かず、寧ろ軽蔑した目になって、僕とカナちゃんを睨んでいた。
「あら、嫌よ。あなた達化け物の方が、私の前から消えなさいよ。あの時は騙されたけれど、最近はもう、化け物は使っていないようですしね。名誉挽回のチャンスを上げるわ。だから早く、こいつらを消して!」
カナちゃんのお母さんが叫んだ瞬間、どこからともなく、数枚のお札が僕達に向かって飛んで来た。
だけどそれは、校長先生が扇子を使い、その
そしてその後、お札が飛んで来た方向から、誰かが降りて来る。
お札を使って来たから、滅幻宗なのは分かっている。だから、僕のする事はただ1つ……。
「久しぶりだな……妖狐椿。まさか、俺が現れるなんて思ってな――」
カナちゃんに寄り添って、しっかりと声をかけて上げないと。
「カナちゃん、しっかりして! 深呼吸して、気をしっかりもって!」
「……無視するとはな。それならば……っ?!」
あぁ、滅幻宗の人は一旦無視です。誰だか分からないけれど、校長先生が止めてくれたみたいだし。
とにかく僕は、1番最優先にしなければならない事に、集中しないといけません。
「いや~残念だね、湯口君。君の好きな椿ちゃんは、他の子にご執心さ。というか、僕と同じように無視するとは……椿君、板についてきたね」
「なっ! 誰が……! というか、邪魔をするな。校長」
「いや~出来の悪い生徒を更生させるのも、教育者の務めだからね~」
向こうのやり取りも気になるけれど、襲ってきた滅幻宗の人は、校長先生が風で捕まえているし、どうなっているか見えないけれど、今は動けなくなっているみたい。
それなら、カナちゃんを何とかしないと。
「はぁ、はぁ……お、母さん……いつから、いつから気付いて」
「何やってんのよ、あいつ等は。一般人を危険に晒す気?! というか、ガキなんか寄越して何考えているのよ!」
カナちゃんのお母さんは、全く聞いていません。こんな事を続けていたら、カナちゃんが壊れちゃう。
だから僕は、必死でカナちゃんに呼びかけているけれど、既にカナちゃんも、僕の声が聞こえていないのか、立て続けにお母さんに叫び続けている。
「答えて! お母さん! お父さんと楽しそうにしていたのも、全部嘘だったの?!」
「そうよ。あの事件の半年前から、とっくにあんた達の正体に気付いていたわ。だけど、準備をするのに時間がかかってしまったのよ」
あっ、駄目だ。それは、言っちゃ駄目な言葉だ。カナちゃんが、暴走する。
「あ……あぁ……」
「カナちゃんダメ、聞いちゃダメ!」
必死にカナちゃんに声をかけているんだけれど、もう聞こえていない。これは、少し手荒になってでも、カナちゃんのお母さんの方を何とか――
「そうよ! あんたみたいな化け物達にバレないよう、毎日毎日作りたくも無い笑顔を作っていたのよ!」
更に追い込むですか、この人は!? 本当に何を考えているの? 何でそんな事を言うの? それを言ったらどうなるかなんて、分かるでしょ。
「何やってるのよ……滅幻宗とか言う、化け物退治専門の坊さん達は! 取るものだけ取って、仕事しないつもり?! さぁ、ここに化け物がいるわよ! 早く沢山人を寄越して、退治しちゃいなさいよ!!」
「う、うぁ、うわぁぁあああ!!」
そんなお母さんの言葉で、カナちゃんの妖気がついに爆発した。
その顔は、哀しみと絶望と怒り、その全てが混ざってグチャグチャになっていて、叫び声のような唸り声も、こっちの心が痛くなるくらいの、とても悲しい咆哮です。
そしてカナちゃんは、炎に包まれていく。
「だ、駄目……カナちゃん、君は……君は僕みたいになったら駄目!!」
「――ぁぁぁぁああ!!」
僕の渾身の叫びも、必死で止めようとする行動も、全てを無視するかの様にして、カナちゃんの体から溢れた炎が、カナちゃんの身体を包んでいく。
カナちゃんの姿は、炎の獣みたいな姿になって、その髪は真っ赤な炎に変化した。
手足は炎を纏い、爪も鋭く伸びて、牙も生え、瞳を失って凶器の目となったその視線の先には、汚く自分を罵った相手が居た。
「くっ……! カナちゃん!!」
こんな事になるなんて、思わなかった。
だって僕は、カナちゃんの為にって……彼女が前に、未来に向かって進める様にと思って、過去の話を……それなのに、何でこんな事に。
『優しさは、時として人を傷つける凶器にもなる』
また覚さんの言葉が、脳裏によぎる。
だから? だからこんな場所には来ないようにして、逃げて逃げて、ずっと永遠に逃げて、過去の傷を背負って生きなきゃならないの。
それは違うよ。
僕はその考えを振り払う様にして、目の前から迫ってくるカナちゃんを、その鋭い炎の爪を受け止めた。
「うぐっ! カナちゃんお願い、目を覚まして!」
「ぐぅぅ……!!」
狼みたいに険しい表情をするカナちゃんは、まるで別人です。こんなの、カナちゃんじゃない。
だけど次の瞬間、僕の背中に何かが突き刺さるような衝撃を受けた。
「ふ、ふふふ。こ、こんな目の前にまで、化け物が。あ、あはは……化け物は、やらなきゃ。人間の生活を脅かす化け物は……!」
「くっ……!」
信じられ無い事に、カナちゃんのお母さんが、僕の背中にナイフを突き立てていた。
だけど、そう何度も同じ失敗はしませんよ!
この前、僕の守護をすると言ってくれた人達が、出かける僕に着いて来ないわけが無いでしょ。
「なっ……!」
「椿様に刃を向けるとは、この不届き者が」
そう。こっそりとそこら辺の陰から、龍花さんと朱雀さんが監視してくれていたのですよ。
そして、龍花さんの青龍刀の一振りで、僕に刺そうとしたそのナイフを、根元から斬って壊してくれていました。
それよりも、狭い隙間を狙うという物凄く緻密な作業を、一瞬でやってのける龍花さんは、本当に凄すぎです。
その後龍花さんは、カナちゃんのお母さんの首元に、握り締めた青龍刀を向けています。
僕は「そのまま首を落とさないでね」とだけ伝え、またカナちゃんの方を向きます。
何とかしてみせるよ、カナちゃん。君は、僕と同じ事をしたら駄目だから。
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