第伍話 【2】 もうひとつの失われた記憶
翌朝、目を覚ました僕を待っていたのは、皆からの熱い抱擁でした。
今は夏です。全員から抱きしめられたら、流石に暑苦しいと思ったけれど、良い案配で雪女の氷雨さんや、氷魚ちゃんが抱きついて来るから、熱中症で倒れる事は無かったよ。
そして僕の部屋の前では、おじいちゃんの家の妖怪さん達が、心配して見に来てくれていて、目が覚めて良かったという事を伝える為なのか、順番待ちをしています。
いったいどういう状況ですか? まだ血が足りないんだからさ……ちょっとは加減して欲しいです。
午前中はそんな感じで、一切落ち着かずにいて、お昼時になってからようやく、皆から解放されました。そしてお昼ごはんを食べ終え、白狐さん黒狐さんと話しています。
『しかし……今回ばかりは、流石に我々も焦ったぞ』
『あぁ、本当にな。肝を冷やしたわ。椿はもう少し、自分の身の事を考えろ』
「うぅ、ごめんなさい。龍花さんからも、昨日色々と言われました……」
龍花さんと全く同じ事を、白狐さん黒狐さんからにも言われたので、流石に反省しなくちゃと思い、尻尾も耳も垂れ下げ、しっかりと反省ポーズを取っています。
「大丈夫ですよ、白狐さん黒狐さん。今度からは、私達が付いていますから」
そんな僕の後ろから、龍花さんがピシャリと言ってきました。しかも、一緒にいる朱雀さんと同じ様に腕を組み、僕を見ています。
本当に分身の術みたいで、リボンが見えなければ、どちらがどちらか分からないですよ。
『椿よ、これはどういう事なんじゃ? 何故此奴等が、お主を守護しとる』
「えっと……何だか分からないですけど、わら子ちゃんと一緒に、僕も守護するって言われちゃいました」
『全く……椿はそうやって、色んな奴から好かれるな。ちょっと妬くぞ』
そう言うけどね、黒狐さん。顔がにやけていますよ。実は、密かに嬉しいんじゃないんですか?
僕が皆に好かれるのは、それだけ魅力があるからだって、黒狐さんはそう考えていそうです。
僕はまだ、自分自身にそこまで魅力があるとは思えないけれど、それは自分に自信が無いからなのかな。
『それはそうと、椿よ。何故我から視線を逸らす?』
「んぇ? 何でも無いですよ」
『そう言っておきながら、こっちを向いていないぞ。おい、我が何をした?!』
いや、白狐さんは何もしていないですよ。
ただね、白狐さんと初めて会った時の事を思い出しちゃって、そこで僕自身が、白狐さんにとんでもない事を言ってしまっていたからさ、またしても白狐さんに合わす顔が無いというか、恥ずかしいというか、そんな状態なのです。
『おい、椿よ。こっちを向け!』
「んん……」
『くっ、何故顔を逸らす!』
いや、だって……白狐さんには悪いけれど、今あなたの顔を見たら、絶対に赤面しちゃいます。だから正面に来られたら、無意識で顔を背けちゃうよ。
するとその時、下の玄関の扉が勢い良く開く音がし、同時に僕の部屋に向かって、ドタドタと走ってくる音が聞こえてきた。
これは、まさか……。
「椿ちゃ~ん!! 大丈夫? 生きてる?! 息してる!?」
「かふっ……!」
それを言うと同時に、こっちに突っ込んで来ないで下さい、カナちゃん! お昼に食べたうどんが逆流して、口から出て来そうになりましたよ。
それに、カナちゃんの突進によって、僕は完全に仰向けに倒れてしまい、しかもそれを支えようとした白狐さんが、僕の後ろに一瞬で回って来たので、白狐さんの膝に頭を乗せる形になってしまいました。
「あっ……う……」
だから、僕の顔を見下ろす白狐さんと、完全に目が合ってしまいました。今絶対、顔が赤くなっているはずです。
『ほぉ、なる程な。お主、また我との記憶を思い出したのか?』
「う~」
頭を掴まないで、白狐さん。逃げられない、顔が熱い。これ以上は駄目です。
『それは、後でたっぷり聞くとしよう。ほれ、今は心底心配していた親友に、無事な姿を見せておけ』
そう言うと白狐さんは、僕の頭を掴んだまま、もう片方の手を背中に回し、僕の上半身を起こしてくれた。
「椿ちゃん、ごめん。大丈夫?」
「あっ、大丈夫だよ。白狐さんの力で傷口は塞がっているし、ちょっと血が足りなくてクラクラするけれど、あと数日で動けるから。心配かけてごめんね」
「全く。お見舞いに来られるって、鞍馬天狗から言われた瞬間、学校飛び出して行くなんて……」
そう言いながら、呆れた顔をして雪ちゃんも入って来る。でも2人とも、目の隈が凄いですよ。
僕の無事を直接確認するまで、一睡も出来ていない様な感じです。そんなに心配させちゃうなんて……何だか、自分の不甲斐なさに憤りを感じるよ。
「とにかく、椿ちゃんが無事で良かったよ~」
そう言いながら、カナちゃんはポロポロと泣き出してしまった。
しっかりしているように見えるけれど、カナちゃんだって14歳の中学生だよ。僕が死にそうって聞いたら、こういう反応になるのは当然だよね。
「ごめん、心配かけて。色んな人に言われたから、今度からは気を付けるね」
「そっか。それじゃあ、私からはもう怒らないね。でもその代わり……てい」
するとカナちゃんは、僕の頭を軽くチョップしてきて、そのままはにかみました。何それ、カナちゃん可愛すぎますよ。
僕は頭を撫でながら、カナちゃんのその笑顔に、笑顔で返しました。それを、周りの皆は微笑ましく見ています。
「叩かれて尻尾振ってる。椿、マゾ?」
雪ちゃん、言わなくても分かってます。でも、マゾじゃ無い……と思う。怪しいけどね。
「何じゃ、賑やかなもんだな。椿は一応怪我人だ。無理をさせないようにの」
すると今度は、おじいちゃんが真剣な表情をしながら入って来る。その後ろには、わら子ちゃんの姿と、4つ子の残り2人、玄葉さんと虎羽さんの姿もあった。
暗い表情をしていたわら子ちゃんは、僕の姿を見た瞬間一気に明るくなり、凄い笑顔を僕に向けてきます。
わら子ちゃんは龍花さん達に、守護と言う名の監視をされていたから、僕の部屋に来たくても行けなかったんだと思う。
そしてようやく、おじいちゃんと一緒にここに来たって感じです。
やっぱり、この4人の守護はキツすぎますね。もう少し、わら子ちゃんに不自由をさせないよう、守護する方法を考えて欲しいかな。
「さて、椿よ。その刀剣なんだが……」
そしておじいちゃんは、僕の枕元に置いてある、あの石の刀剣を指差してきました。
「お前さんが寝ている間、それに厳重な封をし、再び片付けておこうとしたのだが……誰1人として、それに触れる事が出来んかったわ」
僕が寝ている間にそんな事を? それだけこの刀剣は危ないんですね。
「椿。その刀剣は、お前さんが神妖の力を使うための、媒介なんじゃ。つまりそれを持っとったら、早い段階で記憶が甦ってしまう。いや、既に甦り始めておるか」
「…………」
部屋にいた他の妖怪さん達は、それを聞いて驚いています。ただ僕は、驚きもなく、静かにその言葉を聞いた。
「昔はまだ、お前さんを持ち主とは認定していなかった。だから、誰でもそれを持てたのじゃが、この前お前さんを持ち主と認定してしまったからの……もうお前さん以外、誰もその刀剣に触れなくなってしまったんじゃ」
「そうだったんだ……」
「椿。覚悟は出来ているのか? 過去の事を知る為の」
それはもう、何回も何回も自問自答してきましたよ。
その上で、僕は決めたから。
僕の過去の事が分かって、それが辛いものだとしても、僕は前に進む。
「過去の事は、もう終わった事。大事なのはこれから、でしょ? おじいちゃん」
僕は真っ直ぐ見つめる。天狗の姿をしたおじいちゃんを。
つい最近まで怖がっていた、天狗の姿のおじいちゃんを、僕は戸惑う事無く、真正面から見続けた。
「ふん……お前さんが覚悟をしとのるなら良い。これはの、センター長と話した事じゃが、お前さんが覚悟を決めているのなら、お前さんの記憶に関しての緘口令を解く」
「へっ?」
「つまりじゃ、儂等が知っている事は何でも話そう。しかし言っておくが、妖界の伏見稲荷大社で起こった事件に関しては、儂等は分からん。妲己ならば……その事件をある程度は知っているだろうが、話してくれるかどうかじゃな」
「…………」
いきなりの事で心臓が高鳴ってしまって、ちょっと怖くなっています。だってさ……心構えも無しに、今いきなりだよ。
覚悟はしているとは言え、ちょっとは時間を置いても良いんじゃないでしょうか。
それに、伏見稲荷で起きた事件って事は、やっぱりあの後に何かあっんだ。
僕が知りたいのはその事だけど、もしかしたらおじいちゃんの話からでも、その記憶が甦るかも知れない。だから、怖い。
怖い……けれど、聞かないと前に進めない。何時までも、その失っている記憶にビクビクしていたら駄目だ。そこも変わらなきゃ。
「おじいちゃん、話して」
「ふむ、良かろう。しかし悪いが、他の者は――」
「カナちゃんと雪ちゃんだけは、聞いて欲しい。駄目? おじいちゃん」
「ぬぅ……まぁ、仕方ない。良かろう」
僕のその言葉に、2人は驚くかなと思ったんだけれど、思いの他真剣な顔付きで、僕を見ていました。
僕の考えが分かったのかな。自分の過去を教えるから、2人もいつか話してね、って事を。親友だからこそ、僕は2人に隠し事をしたくないんだよ。
「さて……儂が知っておるのは、お前さんが男子になってから、儂の家に住んでいる時じゃな」
そしておじいちゃんは、僕の横に座ると、天狗の姿から人間の姿になって、その事を淡々と話し始めた。
僕の閉ざされた、その60年を……。
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