天3

瞬間、僅かなノイズが走ると同時に視界は切り替わった。握っていた翡翠の刀は消え、夢幻真改と鏡がぱしゃりと落着する。


「うおっ……」


いきなりの事に脊椎反射で着物をしまい、慣性で前に飛んでいくキャスケット帽をわたわたとキャッチ、頭に戻す。


「なんぞ……」


定位置へ戻した帽子を両手で引っ張りながら右へ左へ視線を動かす、淡い青色の空と緑色の地上、蓮の花がぱらぱらと点在し、足を動かせば水が虹色の波紋を立てる。そんな光景がどこまでも続いていた。

いやまぁ、それはいいだろう、落ち着いて考えれば単なる仮想空間だ、もはや慣れた。


「……まずは感謝を述べるべきだろう、僕だけではここまでは来れなかった」


「1人だったらどこまで来れたって?」


「あー…うん、どこまでも来れなかった、海底に埋まってるだけだった」


スズの前方10m、抱きとめていたコノハナサクヤをゆっくり降ろすニニギは苦笑する。目を閉じてはいるが、どうやら寝息をたてている、胸に大穴も開いていない。


「ここは?」


「咄嗟に展開した僕の私有空間、心配はいらない、あの天空から地上への中継地点とでも思ってくれ」


およそ考え得る最高の終わり方をした、彼の表情はそう語っている。地面、いや水上?に寝かせた彼女の脈と呼吸を簡単に確認したのち立ち上がって、次に周囲を見回し、落ちていたアマノムラクモを見つけ出した。


「枯れた樹は治らない、死んだ人も返ってはこないだろう。それと同じく、肥大化したこの大樹も元には戻らない。浄化はしておく、だが人が住むのはもはや不可能だと思う」


内部が空洞になっているからね、翡翠刀を拾いながら話を続けて、戻ってきたニニギはそれをスズへ。


「その代わり、こうなった理由は果たそう。ポンプとして稼動させる、予定の高さに達していない以上、前時代へ逆戻りとはいかないだろうけど、少なくとも代わりの家を建てるのには困らなくなる」


「……そ」


ならいい、作り直せばいいだけだ、その程度の事、人類はいくらでも乗り越えてきた。

剣を受け取る、前に居る以上当然ながらニニギの気配は感じない。


「あんたは?」


「天界に戻るよ、もう地上にはいられない状態だし、何より理由がない。迂闊に地上へ干渉してはいけないのが神というものだから」


「じゃ、ここでお別れね」


「ああ、もう会う事は無いだろう。後は人の力のみで未来を作っていって欲しい、神が地上に関わる事なんて、そう何度も起こるものじゃあ……」


アマノムラクモを収納して、散らばっていたのもすべて拾う。真っ二つになったアマノハオバリは…もはや剣としては使えないが本来地上にあってはならないものなので、アマノムラクモと入れ替わり、ニニギへ返上した。


と、やっていたら、足元で呻き声が上がる。サクヤが目を覚ましたらしきそれにニニギがすぐしゃがみ込み、起き上がろうとする彼女の背中に手を回すも、「心配ない」と言って僅かに微笑み、自力で上体を起こしてその場に座り込んだ。


「いや……終わってなどいない」


「サクヤ?」


「終わるのはこれからだ。これを始めようとした時、私は神よりも上位のモノと接触した。機構に障害を生んだのはその時だ、アレは、今はまだ亀裂から漏れ出ているだけだが、本格的に封が開けば神も無関係ではいられまい」


「……アレ、っていうのは?」


「世界を管理するものを神と呼ぶなら本来ならアレこそを神と呼ぶべきなのだろう、我々は結局は力の塊が意思を持っている程度でしかない。桁が外れているというだけで、"理論で説明できる現象"なのだ」


先程と同じ無表情で、しかし敵意を失った顔でスズを見据えつつ言う。


「今回の件で謝罪はしない、狂っていたとはいえ私は今でもこれを人にとって必要なものだと考える。それを人自身が否定するなら……後はお前達で継ぐがいい


「……」


「総動員せよ、この世界のすべて、過去から現在に至るまでのすべてを投じて抗して見せろ。今はまだ平穏の内にあるが、あの女が現実を闊歩し出せば人も、神も事態に気付く」


そこまで黙って聞いて、もう一つだけ質問しようと思ったが、それより前に視界が白くなり始めた。ニニギの表情からしてこの空間の解体を始めたのはサクヤの方、彼は再び立ち上がって、最後の言葉を切り替える。


「今生の別れ、とはいかないらしい、よくわからないけど。であればここで言うべきはさよならではないね。また会おう」


「その不吉な予言が外れるのを祈っとく」


ニニギが笑ったのは微かに見えた、苦笑だったのか微笑だったのかはわからなかったが。落ちていくような、いや実際に落下しているのだろう意識の最後


「あの女を信用するな、意図は知らぬが、アレは敵でなければならないものだからな」


そんな呟きが脳裏に響いた。

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