天1

「お前は?何故止めようとする」


皇天大樹の頂点付近だと思われる、戻ってきてみれば空が黒くなる高さまで達していた。緑や茶色の混ざらない海の青と雲の白だけで染まった地球は丸く、水平線では大気の層が輝いている。下を覗いても根元付近は幹や枝に隠されており、ただとんでもなく高い場所にいるというのがわかるばかり。対流圏はおろか成層圏すら突き抜けているのは間違いなく、生身で出ようものなら身体中の血液が気泡まみれになり酸欠に陥って死に至る。だというのに凍結する事も干からびる事も、太陽熱や放射線に焼かれる事も無かった。着物に切り替えアマノムラクモを握るスズは生きているし、20m先に立つ彼女の声も鼓膜まで届いている。思う所はあるが今はいい、下駄を鳴らしてゆっくり前へ。


「人を生かす為のものだ、正常へ戻す為のものだ、だというのに人の身でありながらお前達は私を否定する」


「秩序を犠牲にしては意味が無い、とでも言えば満足する?」


桜柄の着物を着た女性である、身長はスズと同程度、髪は漆黒で腰下まであり、着ているのは五衣唐衣裳、俗に言う十二単だ。裾は足元を超え引きずられていて、素早く動くのに適しているとは到底思えない。彼女はまったくの無表情のまま刃渡り80cm程度の両刃剣を右手に握っているが、少しずつ近付くスズに対し寄っても引いても来ない。


「望みを叶える為なら何をしてもいいっていうんじゃ人の住めない環境じゃなくなる前に"人"はこの世からいなくなる、それじゃ駄目だ、意味がない」


「たった今考えた理由にしては上出来か」


「どうも」


10mまで接近し停止、アマノムラクモを胸まで持ち上げる。それをコノハナサクヤは一瞥し、僅かに眉を寄せたように見えたが、すぐ無表情へ戻って視線をスズに戻してしまった。


『サクヤ……』


なんだこれは、そういう目をしていた。旦那の呼びかけにもまったく応じず、刀の切っ先を僅かに持ち上げる。その後何度か呼びかけるも何ら効果なく、ニニギは沈黙してしまう。

無視している、という風には見えない。


「定番ネタでイジるべき?」


『それで済むなら笑い話だけど…やはり彼女はもう致命的な障害を負っている、神といっても人が放出した感情の力の塊でしかない、それをコノハナサクヤという存在に固定していた枠組みが、壊れているんだ』


「じゃあどうする?」


『ひとつしかないよ、このまま壊れ続ければ"人の為"というかろうじて維持している方向性すら失ってしまう。そうなれば核爆弾と同じだ、いつどこで何を起こすかわからない』


切っ先を横に向け突き出していたアマノムラクモをやや引き戻し、手首を回して彼女へ突きつける。それでいいのか、とは思ったが、口には出さず更に1歩前へ。


「人道というものを否定はしない、だがそれが障害となる事がどれだけあった?」


1歩進んで、2歩進んで、3歩目で強く踏み込んだ。左腕1本で剣を右へ移動させ、踏み込み切った瞬間に左へ振り抜く。


「あまりに効率が悪過ぎる、それでは遅い、終末には間に合わない」


呼応して振り上がったサクヤの両刃剣が発生した衝撃波を相殺する。衝撃波とはいってもアマノムラクモのこれは空間自体を揺さぶるものであり、空気の薄さは関係無いはずだが、風船が割れたような音と共にすべて拡散してしまう。


『天之尾羽張(アマノハオバリ)…地上に降ろされていないはずなのに何故…!』


そんなもの強奪してきたに決まっているだろうが、水晶に近い結晶構造を持つ青みがかった黒い鉱物を剣の形状に削り出したそれは要するに、アマノムラクモよりも格上の代物だ。神格とは絶対の存在、とまでは言わないが、まともに力勝負しても勝てないのは明らかな為、左腕を引き戻し、右手でありったけの符を掴み出す。バラけるよう投げ上げると同時に玉を4つ浮かべ、斉射と、あらゆる符の効力発動と同時にスズは主幹まで後退した。爆発による煙はなかなか拡散せず、サクヤの姿が隠されている間に右手に鏡を取り出す。彼女の置き土産をしっかり記憶していたそれは即座に長柄のハンマーへ転換、間髪入れず放り投げ、急加速するミョルミルの後を追ってまた前進する。まずミョルミルが煙へ突入、直後に衝撃波によって煙は吹き飛んだ。脳筋神話の中でも最強格のハンマーはアマノハオバリの迎撃を破ってサクヤを明らかによろめかせ、しかしスズの手元には戻らずサクヤの背後50mほどの位置に落ち突き刺さってしまう。


「っ……」


ふたつの剣が接触、それぞれの放出するエネルギーが力場を形成してせめぎ合うも、五分でいられたのは僅かのみ、明らかに押され始めたアマノムラクモのために勾玉を展開、双方の全出力をもって押し返す。


「これが最速だ、これが唯一だ、人に止められるいわれがどこにある。ましてお前は、理由を持たない」


天叢雲剣はスサノオがヤマタノオロチの尻尾から発見したもの、八尺瓊勾玉はアマテラスが引きこもった際に作られたもの、共にアマテラス、ツクヨミ、スサノオからなる三貴子の時代の品である。アマノハオバリはそれより古代、イザナギとイザナミの時代のものであり、三貴子自体の神格がかの二神に勝てない以上、彼らの用いた道具もそれに準じてしまう。束ねたところで凌駕は出来ず、決壊のタイミングを遅らせたに過ぎない。鍔迫り合いを続けつつスズは1歩後退、ニニギが呻く。


「つ…ぅ……!」


「意思が無い、犠牲を受け入れる覚悟が無い。そんなものが私を止めるな、力を持つな」


精一杯踏ん張っても下駄が滑ってずるずる後退していく、まもなく限界、アマノムラクモの峰がスズの額へ当たる。


「……いや…これは…」


しかしそれを迎える前に、遥か下方から光が吹き上がってきた。

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