地1

一度止まっていた大樹がまた蠢き始めた。


「傾斜角10度を突破!艦内なおも火災継続中!」


「前部区画放棄しろ!隔壁閉鎖急げ!」


「敵弾来ます!」


怒号が飛び交う、水柱が視界を覆い尽くす。周囲は自分の仕事をこなすので精一杯だ、気付いている人間は雪音以外にはいない。気付いたからといって何かできる訳でも無いのだが。

三笠はまだ生きている、機関の火は消えていない。いないのだが、前部右舷に直撃した砲弾によって甲板と舷側装甲を吹き飛ばされ、主砲塔直下の装填機構を失い、船体は前のめりに傾斜していく。後端にあるスクリューは間もなく海上に露出するだろう、そうなれば機関など意味をなさない。


命運は決した、もう覆らない。三笠と相対する6隻の戦艦を除くほぼすべての敵艦が戦闘能力を喪失、ないし撤退を始めたとの連絡が既に届いている、アイアンデュークにも同じ内容の報告がなされている筈だ。多少の被害は出たようだが、あれだけあった戦力差はここに至ってようやく逆転し、まもなくこの海域に長門が戻って来るだろう。


再びひっくり返る事はない、終わったのだ。


「…………後部艦橋、退避させなさい」


「は……」


「直撃が来るわ」


「は!後部艦橋!今すぐ全員降りろ!」


しかし彼は終わらせたがらない、普通に考えれば撤退を始めなければならないにも関わらず、なお三笠へ右舷を向け可能な限りの連射を行なっている。距離4km、三笠からの反撃をまるで無視しさらに接近してくる。


「づ…!」


後部艦橋が破裂した、ダンボールを潰すようなあっけない壊れ方だった。あそこにはこの艦の副長が詰めていた筈だ、退避指示はしたが、間に合ったかどうかはわからない。


「っ……艦長…」


「まだ撃てる砲があります」


よろめきながら呼んだだけなのに返ってきたのはそれである、主砲の照準器は衝撃でガタガタ、他にしてもここまで傾斜してしまえば命中の可能性は無に等しい。だというのに終わらせたがらない男がここにも1人、「旧式砲は便利です、動かすのに電気も蒸気も必要としない」など言いながら弾薬庫の中身を使い切ろうとしている。


「ここを通せば僅かなりとも大樹を射程に入れられます、本当に炭疽菌とやらを搭載しているなら道連れくらいはできるという事です」


「いや…相手はもうこの艦しか…」


「サンドバッグに差し出せと?それこそごめんですな」


もう十分だと、そう言う雪音へ穂高艦長はにやりと笑う。ほとんどの乗組員も同じだ、めくら撃ちだろうが何だろうが、後部主砲も副砲も、積んだばかりの高射砲も、いやとうに沈黙したと思っていた僚艦も、散発的ではあるが発砲をやめていない。


「わかっています、三笠はもう沈みます。しかしそうではありません、何の意味もなかろうと、"我々"の勝利も敗北も、腐っていく過程さえ見届けてきたこの艦に、そんな無様な終わり方をさせられないのです」


言い終えた瞬間、右舷中央にまた砲弾が突き刺さる。爆発規模からして副砲弾だったが高射砲が1門吹っ飛び、副砲の砲身が1本だらしなく下を向いた。その時は近い、だがまだだ、まだ船体は海上にある。


「撃てなくなるまでやめませんよ!取舵一杯!」


と、勢いよく宣言して、あろうことか左舷砲を使おうと艦首を左へ回し始め


「え……」


「うん…?」


その頭上を飛行船が駆け抜けていく。

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