第244話

視えた。


「ばっ…!」


先に仕掛けたのはこちらだ、ただの下剤だったが、やり返されても文句は言えまい。三笠の露天艦橋から階段もロクに使わず飛び降り、藍染の着物が破れるのも厭わず雪音は艦橋へ飛び込む。あれは冗談が通じないレベルのものだ、最終的な結論で言えばトリガーを引かれた時点で終わり、という程度の。のんびり1人で観戦していた筈の少将閣下がいきなり入ってきた事で艦長以下は度肝を抜いたが、そんなものに構っている暇もなく、通信士からマイクをひったくり、東洋軍の共通無線周波数へ絶叫する。


「毒ガス弾だ!!艦首風上!!」


言って、皆が言葉を失った直後、艦隊から突出してきた4隻の戦艦が一斉に煙を噴いた。照準も完璧だ、長門の風上へ寸分違わず着弾する。

あぶり出された、と言えばその通りだが、もうどうでもいい事である。三笠は長門に向け電波を放出した、傍聴できないまでもアイアンデュークからも検知できたろう。裏切る前提の協力関係は終わりだ、第6艦隊は本来の立ち位置へようやく戻る。


「CIC!設営終わってる!?」


『万全とは言えませんが管制は可能です、目的も達しました』


「なら大内裏と交信できるようにして!亜月!聞こえてる!?」


やっている間に三笠は精一杯の全速走行へ移行、続航する第6艦隊ともども味方でなくなった西洋軍艦隊からの離脱を試みる。慌てた様子で『はい!聞こえています!』と返ってきて、ほぼ同時、戦艦4隻のうち2隻が三笠の風上へ照準を変えた。


「右に避けて!」


「了解面舵!」


「3水戦をそちらに付けます!CICと連携して前進!背後の艦隊を脅かしなさい!ああでも…その前にあれを喰らわないで!その艦が倒れれば万に一つの勝算も無くなるというのを念頭に置くように!」


『しょ…承知しました、長門は西洋軍艦隊本隊への攻撃を試みます』


長門の巨体が複数の水柱に覆い隠される。命中弾無し、だがそんな事は重要ではない。周囲一帯に毒を撒き散らした筈だ、雪音に詳しい事はわからないが、少なくとも体内に入れば死を招くレベルの。彼女の安否については祈るしかない、同じ攻撃を受けようとしている三笠が右急速旋回を始める中、まずは3水戦へ長門傘下に入るよう指示、その他にも自己防衛を最優先するよう通達し、最後に艦長から三笠乗組員へ、不用意に艦外には出ないよう伝えさせる。


『雪音、毒は何が使われたかわかりますか?』


「えー…砲弾にはVXって書かれてるわ、それとドクロのマーク」


『VX(ヴィーエックス)ガスですね、呼吸器経由はもちろん皮膚からも吸収されます。揮発性は低度、放出されるのは気体ではなく霧なので空気中に留まる時間は短いですが、その代わり非常にしつこい物質です。水で流した程度では落ちません、曝露したと思われる場所に素肌で触らないでください、絶対に』


「わかりました、その通りにします。…ああでも待って、もう1種類……この途切れた丸が3つ合わさってるマークは何…?」


『……バイオハザードマーク?』


アリシアと会話する間に戦艦群がまた発砲した、全搭載砲のうち半分を水柱から抜け出たばかりの長門に、もう半分を三笠に。


『他には?何か書かれていませんか?』


「えーえぬてぃー……Anthrax、何だかわかる?」


『炭疽菌(たんそきん)、生物兵器です』


ほどなくして三笠の周囲にも水柱が上がり、落ちた弾頭から琥珀色の霧が噴出していく。大した量ではない、ここが陸上だったならこうはいかなかったろうが、充填された毒の大部分は海中に沈んでしまっている。発射される前から回避行動を取っていた事もあり着弾点は遠く、僚艦にも被害は無い。そう多くの数を積んでいる訳でもなかろう、もう何回か避ければ通常弾に切り替える筈だ。


『毒ガスほどの即効性はありません、1日から7日の潜伏期間があり、その間にワクチンを投与すれば必ず助けられます。問題は、除染しない限り半永久的に環境汚染が継続するという点で』


水柱が消えればまた戦艦が火を噴く、右旋回していた三笠は舵を戻しまっすぐ風上へ。


『予定を変更してください、皇天大樹を射程に捉えさせてはいけません。今その場で、海上戦力のみによって、彼らを撃退する必要があります』


「不可能だわ……」


『私もそう思います。ですが…既に法も道義もへったくれも無いなら……少し探してみます、これだけガラクタまみれなのです、おそらく”ある”でしょう』


「アリシア…?何を探すつもり?」


『NBCのNの部分です。大内裏と繋がりました、後はそちらと』


ぷつりとアリシアからの交信は途切れ、代わりに大内裏からの電波が届く。大内裏からCICまでは有線、そこから三笠までは無線を使っているらしく、こちらの周波数はそのままだ。毒ガス弾が落ちてくる前に着弾点より風上に移動しつつ『陛下!話せます!』という下っ端の声を聞く。敵艦は通常の徹甲弾へ切り替えたようだ、風を気にする必要は無くなった、三笠を左旋回させる。


「陛下!?状況は把握していますか!?」


『概ねは、な。既に海軍には命を出し終えている、案ずるでない』


「へっ……」


例のアホオヤジが通信に出ると思っていたのに、聞こえてきたのは幼い男の声だった。予想外の話し相手に思考が止まってしまい、しかしそう経たず思い直す。嘉明は死んだ事になっていた、政権奪還に成功したといっても体制切り替えには時間がかかる。


『今上天皇、知明(かずあき)だ。切迫しているのだろう?驚くのは後にしてくれ』


「は…はい…失礼しました……。では陛下、海軍に命令したと仰いましたが、それはどのような?」


『難しい事ではない』


7歳の天皇は落ち着き払った声で言う。海軍全戦力は皇天大樹近海だ、この状況に備えて1隻残らずかき集められており、中には損傷の修復を終えていない金剛と榛名も含まれる。

それが一斉に北を向いた、のが視えた。


『情けない話ですまない、将官の中でまともに頭を回しているのは其方(そなた)だけなのだ。だから私は其方にこう命じねばならない』


言われて、その先を察して。もう一度艦艇群を視る。


『物見 雪音少将、現時点より第1艦隊から第6艦隊までの戦闘艦艇を含む海軍全権を委任する。あらゆる手段をもって敵を撃滅、ないし撃退せよ』


直後、三笠は旗艦となった。1艦隊の旗艦ではない、ひとつの軍をまとめ上げる総旗艦、連合艦隊旗艦である。返り咲いたと言うのが正しいだろうか、元々三笠はその地位にあったのだから。


『頼んだぞ』


大内裏との交信は切れる、もはや話す事は無し、驚く暇も無し。通信機の周波数をまた変える。


「全艦に告ぐ!これより我々は決戦を行う、可能な限り早急に戦域へ到達せよ!」

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