第220話

世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。愛と共感を用いさせて下さい。平和は微笑みから始まります。あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう

-マザー・テレサ




















絶望、コレを動かしている原動力はそれだ。世界が終わってまた始まった瞬間、まず生まれたのがそんなものとは悲しい限りだが、仕方ない、この科学と効率が支配する世界に、実際にそれは生まれてしまった。

もう助からないという絶望、すべて失われるという諦め、それでも救ってほしいという願い、何億何十億と積み重なったあらゆる感情は意思を持ち、神と、悪魔と呼ばれる存在となった、今、この瞬間に。

だからここから先は自分の役目だ、もう何も変えられないかもしれない、微々たるものでしかないかもしれない、でもただそれだけの理由で、眼前の命を見捨てたくない。最初からそうだ、自分は世界を守ろうとなんてしていなかった、目の前の、たった数人を守る為に。


「づ…ぐぅ…!」


緑白色の翡翠で象られ、天叢雲(アマノムラクモ)と銘打たれた片刃刀を横薙ぎにした直後、視界内にいた人型黒塗りの怪物、そういえば咎人(とがびと)とか命名されてた連中は1体残らず消え失せた。木とかも消えた、地面も抉れた。斬撃自体に音は無く、数秒遅れて消えたものがとんでもない勢いでかっ飛んでいく轟音と、大重量の物体が高速移動した事に起因する爆風が周囲を揺らす。


『すまない、これが最低威力だ』


さすがは武力そのものを象徴する剣という事か、単にスズの技量不足か、とにかく細かい調整などできやしない。一網打尽にするなら申し分無いがここでは駄目だ、人同士の争いが終わった今、中国兵を一緒くたに殺していいなんて道理は通らないのだから。


「え、何それ、もろもろ突き抜けて笑けてきたんだけど」


「詰まる所スズちゃんはお化け絶対殺すウーマンだったの?」


「その江東区有明仕様にしか見えない服は一体どこで?」


「寒くない?絶対寒いよねぇ?無理してない?特に足」


「ふふふ……一体どこまで追い詰めればそのノリ崩せるのか甚だ疑問だわ……」


生きるか死ぬかの境目でさえふざけ続けるなら心臓が動いている間はこのままだろう、苦笑いしながらスズは武器を変える。裂け目のような謎の穴にアマノムラクモを突っ込んで消して、代わりにキンと夢幻真改を出現させた。その後「いや突っつくのはいいけど引っ張るのはやめて!」とか言いながら菱形水晶の4本尻尾に群がる彼女らを追い払い、更に玉も4つ浮かべる。


「どこに向かうつもり?」


「最寄りのシェルター?北西に9km」


「じゃあ、とりあえず移動手段を確保しよ。戦わなくていい、アレの相手はあたしの役目だから」


「大丈夫?あんなわけわかんないの」


「うん、こっちからしたら今までの銃砲撃戦の方がわけわかんなかったよ」


存在自体に脅威は感じない、戦場を真っ黒に染め上げるほどの数がいるのは少しだけ、本当に少しだけ不安であるが、とにかく逃す、救えるものはすべて救う。肩と裾に大きなスリットの入る緑の着物と黄色の帯、ボブカットの髪から伸びる狐耳を露出させたまま、スズは1歩前進、抉れた地面を踏みしめる。


「ごめん、頼んだ!」


柔らかい土や雪という足場は普通なら下駄が沈み込んで走れなどしないだろう、しかしその1歩目はまるでアスファルトでも踏んでいるかの如く表面で止まり、まったく沈まなかった。水面を走れるのに耕した土の上は走れないなんてスズにとってはありえない話であったが、極めて常識的に足を取られつつ「は?ずるい、ずるいってアレ」などと言ってる皆との距離は2歩、3歩と続ければ離れていき、こちらが走り始めればあっと言う間に声が届かなくなってしまう。アマノムラクモが吹き飛ばした部分を通り過ぎて雪上へ達し、最寄りの咎人を捕捉する。

展開していた中国軍部隊は既に壊滅済み、銃声はひとつも聞こえてこなかった。ただ悲鳴や絶叫は絶え間無く聞こえてきて、この黒い群れの中、まだ生きている人間が逃げ惑っているのだろう。


「結局こいつらはどうして人を襲うの?」


『さあ?何も持っていないから、助けて欲しいから、まだ生きている者が許せないから、憶測はできるけど確定する証拠はない。確実なのはソレが負の感情のみによって作られていて、他人を敬ったり助けたりなんで絶対にできないという事」


夢幻真改を両手で握り、切っ先を下段右脇へ。間合いに入れた瞬間振り抜き、特に何もせずふらついていただけの一団をまとめて撃破する。アマノムラクモほどの攻撃範囲はどうしても出ないが、それでもアリシア巫女カフェ事件以前よりは明らかに強力な衝撃波が盛大な鐘の音と共に投射され、30体ばかしが一度に消滅。その奥にいた人間、間も無く殺されるだろううずくまって泣き叫ぶ中国兵を視界に捉えた。振り抜いて上段左に移動した切っ先を真上へ、彼を刺し殺そうとする1体に密着し単純に刀身の刃を叩きつける。


「な…だぁ…!?」


仕留め終え、切り返し、まともに声も出せず震える彼の頭上を越える形で一閃を見舞う。この1人の為に群がっていた咎人達をまとめて両断、その後太刀を引き戻して、更に遠距離の連中を攻撃するべく水晶玉が散開していく。

今まで散々撃ち込んだ榴弾とは違い火炎を伴わない衝撃波がそこら中で発生し、その都度黒塗りの怪物が打ち上げられ、霧散した。やはり攻撃範囲も威力も連射速度も上がっており、一帯を月面みたく穴だらけにしながらも先程と同じく視界内の一掃を終える。彼以外に人間はいなかった、死体すらも黒い霧の仲間入りをしてしまって見当たらず、未だどこからかの悲鳴は響いているが、皆からあまり離れて探し回るわけにもいかない。顔をしかめながらもひとまず足元の中国兵の腕を掴んで起き上がらせ、次に近くの車両。無事そうな高機動車があった、既にフェイが運転席に入って足元をまさぐっている。


「こっち」


「え…!みみ…!なんで…!俺は敵じゃ…!」


「戦争なぞもう終わったのに敵も味方もあるかーーッ!!」


「ひぃっ!?」


まずいな、弱気になってる軍人に対するコレの手っ取り早さを覚えてしまったかもしれない、自重しないとまた鬼軍曹とか呼ばれる。混乱を収める代わりに萎縮してしまった中国兵の腕を引いて高機動車まで向かい、それの後部座席に彼を乗せる。別段誰も拒否しなかった、中国のシェルター入るんだから中国人連れてた方がいい、という考えかもしれないが、細かい事はどうでもよろしい。


「早く早く早く…!よし来た!動いた!」


「鍵無いのになんで動……あ、直結ってやつ?」


「どこで覚えたのそんな言葉、合ってるけど」


アリシアが前やってたからである、何をしたのか聞いても「良い子が知るべきものではありません」としか言ってくれなかったけれども。


「本隊と連絡取れる?」


「無線が錯綜しすぎてて会話はできない、でもとりあえず電波を発信できる人間はまだいるよ、ほとんどぜんぶ絶叫してるだけだけど」


「なら、ここでお別れだ。よくわかってはいないけどアレ走れないから、あんなのろっちいのにまさか追いつかれたりしないよねこの車」


途中見かけても無視すればいい、進路を塞いでいるなら轢いてしまえ。結局はにじり寄って腕を振り回すしか能の無い連中だ、多少耐久性が高かろうと文明の利器はそれをいくらでも凌ぐ。エンジンが始動した高機動車にスズは乗らず、地上ルートで司令部へまた向かうべくそちらの方へ目を向ける。


「あ、じゃあ…これ、向こうに停めてある……」


と、走り出す前に、ビビりきって挙動不振な中国兵が鍵を差し出してきた、車の鍵だ。


「えっ…えっ?」


スズは車を運転できない、まだ試してもいないがどうせアクセル踏んだ数秒後にフロントグリルが潰れるに決まっている。1km程度走ろうと思っていたのに、純粋な善意で余計な事を言いおって、慌ててどう断るかを考える。しかしスズが喋る前にその鍵はフェルトによってつまみ上げられ、流れるように彼女も高機動車から降りてしまう。


「……報酬はどこに振り込めばいい?」


「口座振り込みなんてできると思ってるの?もしそうなら笑うよ?あははは」


とか、呆気に取られている間に彼女はヒナとそんな会話をして、次いで「行こ」なんてスズの手を引く。「待って待って」とブレーキかけて、いつも通りふんわり笑うフェルトを見る。

座席に戻そうと思ったが、説得できる気がしないのでやめた。「生きて帰れない」と言ったら「知ってる」と返すだろうし、「長生きして欲しい」と言っても「どうせできない」と返ってくるだろう。何より引き止め続ける手段がない、いつの間にかついてきていつの間にか死んでいた、というのは避けたい。

であれば後は他の3人だ、ここで別れたらきっともう会えない。


「感動のお別れシーンとかないよ、知ってるでしょ?」


「わかってる、大丈夫。ありがとね、こんな生き地獄まで連れてきてくれて」


「いやいやこちらこそ、フェイちゃんがキミなんて拾ってこなかったらもうちょっと楽な死に方できた」


助手席、開放した窓の枠に両手と顎を乗せ、にやりと笑いながらメルは言う。同じくスズもにやりと返し、フェイとヒナもそれぞれ「人生最大の拾い物だった」「あのモフモフは忘れない」とだけ言って、後はひらひら手を振るだけの2人にも手を振り返した。


すべて済ませた、行かなければ。


「んじゃ、これで……いや、でも、いや……うーん、そうだね。特に意味はないし理由もないけど、奇跡が起きた時に備えて私はあえてここでこう言う。また会おう!」


メルが親指を立てる、エンジンが唸る、皆を乗せた車は加速していく。

離れいくそれに対し、やはりスズは笑ったまま、同じく左手親指を立て、見えるよう突き上げて、同じく言う。


「また会おう!!」

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