第218話
もし、私の最期が来たら長い葬式は要らない。その日、こう話してほしい。
マーティン・ルーサー・キングは生涯、人に仕えたと。
マーティン・ルーサー・キングは他者への愛に生きたと。
それ以外はつまらぬ事だ。私は金を残しては逝かない。しかし悔いのない人生だけは残していきたいのだ。
道の途中で、私の歌や言葉が、誰かを助け、元気づけ、正しき道へと導いた時、初めて、私の生に意義があったと言えるのだ。
-マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
広さや機材に違いはあれ、配置は隠れ家の戦闘指揮所と同じであった、扉がある面以外の壁に巨大モニターが設置され、パソコンが並び、中央にテーブルがある。爆破した瞬間、退出しようとしていた1人が後ろへ吹っ飛び、中央テーブルに一体化された機材、おそらく指令発信装置を操作していた男へと直撃した。軍人には見えない、明らかに政治家で、核ミサイル発射の権限を持っているなら彼が国家元首の職に就く者なのだろう。されど敬う余裕無し、室内左右にたくさんいる他の人間には目もくれずスズは室内を疾駆し、テーブルの右側。もつれて倒れる2人へと斬りかかる。
「ば…!その鍵外せぇぇ!!」
黎明期のパーソナルコンピューター、という風貌の装置だ。ゲームセンターの筐体ほどあるそれは男のいる側にモニターと操作盤があって、操作盤はキーボードと鍵穴で構成され、そして今シオンが抜いて外せと言った鍵が、”実行”と書かれた位置に刺さっている。だからだろうか、モニターの表示は非常に赤い、議会で承認されたかとか、何かと間違えてないかとか、赤く大きな文字で警告文が羅列されており、更に最後の安全装置として、一定時間の間ずっと鍵を刺し続けなければならないらしい、カウントダウンが中央で踊っていた。
5秒
「ッ…!な…!この…!」
左足で床を蹴り付け、テーブルを飛び越えた直後にシオンの絶叫、流石に空中で進路変更はできずそのまま国家元首へ飛びかかる。重なり倒れるもう1人の胸に切っ先を突き立て、胸骨、心臓、背骨、また胸骨と、2人まとめて串刺しにした後、急いで鍵に手を伸ばす。が、動きを最小限に留め過ぎた、いかに心臓を貫いたといっても2〜3秒の猶予は残されるのだから、頭にするか、胴体を分断するべきだった。あんまりにも興奮しすぎて痛みを感じていない、上に乗っている方の男はスズの左腕を掴み、鍵に触れず。鬼の形相で絶対に離さないそいつを睨みつつ咄嗟に右手で左腰のガバメントを掴む。
スズから見て右側はフェルトによって荒らされており、正面からはシオン、ライフルを投げ捨てテーブル左側の発信装置へ走ってくる。ガバメントの銃口をもっと左へ、シオンを止めようとする制服達を片端から撃ち抜いていく。7発しか入っていないので、すぐ尽きてしまったが。
その頃には腕を掴む男は事切れていた、残り2秒、右側はしっちゃかめっちゃかで気にせずともいいものの左側にもまだ人がいる。ようやく抜けた太刀を左手1本で振り上げ、どうするのが最適かなど考える間もなく、まだ生きている残りをまとめて一閃、脇目を振らないシオンを守り、
いや、まぁ、守れなかった訳だが。
「づ…!ぐぅ…ッ!」
「あ…!」
血が舞う、体が震える。
もはや気にもならないほど銃声など聞いてきたのに、その1発だけはやけに鼓膜へ響いた。斬り損ね即死しなかった1人の放ったライフル弾がとうとう彼女を捉えてしまって、感覚的にかなり遅れて突入してきたフェイからの射撃でそいつは仕留めたが、鍵に飛びつくシオンの脇腹からは真っ赤な血、減速できず勢い余ってスズに衝突する。
残敵4、うち2人は右側で、間もなくフェルトに首を裂かれる。右を制圧しきったフェルトと、出入り口付近のフェイが同時に狙う左の2人は既に手負いで、要するに45口径弾の当たりどころが良かった奴らである。双方共にハンドガンの銃口をこちらに向けており、うち片方はフェイに撃たれ倒れるも、いくらフェルトとて部屋の端から端では間に合わない。体当たりしてきたシオンに押し倒される中、弾切れのガバメントは手放して、今できる最大限のモーションをもって夢幻真改を振りかぶり、やぶれかぶれ気味に投げる。横回転を伴いつつ室内を飛んだ刀身は最後の1人へ意外ながら命中、胴体の半分まで斬り裂いた後停止し、そいつのハンドガンを発射させる事なく絶命させた。
「ああああああああぁぁッ!!」
これで終わり、血を噴きつつ苦痛に顔を歪めるシオンの手にはしっかり抜き取った鍵が握られている。だというのにこの叫び声は何だ、しかも背後から。
「貴様らがああぁぁぁぁ!!」
まずった心臓を外していた、と思ったのは直後である。重なり合った2人のうち上は死亡したものの、下にいた名も知らぬ国家元首は切っ先がズレてしまっていたか、もつれて倒れるスズとシオンに飛びかかり手を伸ばし、シオンの腰からハンドガンを掴み取る。
「ス…!」
フェイかフェルト、名前を呼びかけたのはどちらだったか。いずれにしろそれは立て続けに2発続いた銃声によりかき消されてしまって、次の言葉が発せられる事は無く、ただ弾丸が肉体を貫通する音と、血が飛び散る音、どちゃりと床に崩れる音がやけに響き渡った。
「は…は…!」
肉体運動的にはそんな大した事ではなかったが、焦りから来るものなのか、信じられない拍数で鼓動する心臓と連動して、酸素を取り込みたがる肺はスズに荒い息を強要する。眼前には両目を見開いたまま仰向けに倒れる男、それから微かに硝煙を吹く、スズが握るハンドガン。
小型で、突起物がやけに少ない、ポリマーフレームの護身用ハンドガンである。フリースジャケットの内ポケットから取り出してセイフティ解除し撃つなんて絶対間に合わないと思ったのだが、実際間に合ってしまって、飛び出た9mmパラベラム弾は彼の命を今度こそ奪い取った。
「ふ…ぅ……ごめん…自殺以外に使っちゃった……」
「いや…はは…そりゃいいんです…手放しで褒めますよ……謝るのはこっちの方で……」
あの時手渡されてからずっと持っていたものだ、正直数秒前まで忘れていた。もうピクリとも動かないのを確認してからハンドガンを降ろし、うつ伏せでスズにのしかかるシオンを慎重に転がす。それだけで手にも体にも血がべったり付いて、とにかく腹部の銃創を力一杯押さえつけ。
「間に合わなかった……」
そのまま発信装置へ目を移す、たった今フェイが取り付いてキーボードをガタガタ鳴らし始めたが、コンマ数秒の差で終わってしまっていたカウントダウンが戻る事は無い。警告文の内容は一転、すべての人間を地下に避難させろと、ただそれだけになってしまって、後はシークエンスの進行状況が淡々と並んでいるのみ。
あとたった半秒、どこでロスしただろうか。彼が発射を決断したのはきっと停電を起こした際だから……いや、そんな事はもはやどうでもいい。世界は崩壊する、既に逃れ得ない滅びの道にある。
「クソ……いくらなんだって肝臓は勘弁してくれよ……」
「血が…!誰か鎮痛剤!それから包帯と止血剤と…とにかく全部…!」
「いらんいらん…その程度じゃあどうにも……ああでも…鎮痛剤(モルヒネ)はください、5本、くらい…?」
撃ってきたのがライフルではなくハンドガンだったら、といっても急所に受けたなら対して変わりはなかろう。肺か消化器ならまだセーフ、それが無理ならまだ心臓に受けた方がマシである。肝臓だけはいけない、とんでもない勢いで出血するし、何より激痛を伴う。
「え……」
「フェイ…いや夕花中尉…エド少佐から指揮代行を頼まれてたので、代行の代行を……。ミサイルが放たれて、報復が始まって、ここに核が降ってくるまではまだあります…急いで戻ってください、生き残ったのをシェルターに……」
どうしたらいいかわからない、という表情に一瞬なったが、すぐにフェイは取り直し、無意味なキーボードタイピングをやめ、降ろしたリュックサックからメディカルバッグを出した。肝臓からの出血を止める能力をその袋は持っていない、しかしそのうちモルヒネは彼女の苦痛を止められる、それも完璧に。
純粋な麻薬をシレット何本分も体内に入れたらどうなるか、という話である。
「フェルトは先行…そんな時間経ってない、ヒナメルはまだ間に合うんで……」
「うん、じゃあ……先に…。……ごめんね」
「は…何に謝ってんだか……スズ、もういい…ソレはもう意味がない……」
真っ白だ、シオンの言っている事が理解できず、「だって…そうしたら……」と絞り出した程度。いくら押さえても噴き出てくる血液は数十分の内に致死量へ達する勢いで、こんな心臓に近い場所では縛って止める事もできない。彼女を救うには外科医が必要だ、必要な機材を完全に揃えた外科医が。そんなものがどこにある、ここは最後の拠点から30km先の彼方、退路も閉じて、味方ももうほとんどいない。
ここに辿り着くまでに失われた他のすべてと同じ事だ、別段何の違いもない。撃たれたら死ぬ、戦場において絶対かつ至極単純な話である。
「なんとかできないの…!?できるでしょ…!?」
『うん…………本人が望んでいない事は…できないよ』
挙句、ニニギからの応答もそんな感じ。それでもスズが傷口を押さえ続けている間にフェルトは口数そこそこに、言われた通り退室。5本取り出したモルヒネシレットのうち1本をフェイが打って、その後、米兵と中国兵とが戦闘を再開したらしき騒音を聞き、ライフルとリュックサックを拾って出入り口へ。
「私からは何も、……ただ敬意を」
簡単な敬礼と、迷わず走っていく足音。そうして2人残された、もういいと言っているのに離れようとしないスズに彼女は苦笑し、真っ赤な両手に自分の右手をで触れる。手を離せと、そういう意味を込めて指でつつきつつ、仰向けに寝転がった状態から上半身を引き起こし、テーブルにもたれかかって、溜息をひとつ。
「変な人ですね……信用できる要素が何一つ無いのに、顔を見てると安心する、大丈夫だって思ってしまう」
「……大丈夫じゃない、あなたを助ける事ができなかった…」
「いんや…助かってますよ、スズがいなけりゃ、たぶんもっと冷たい死に方をしてた。兵士を救うってのはそういうもんです、特にこういう時代においては。ほら」
言いながら、スズの手を傷口から離す。元より溢れていた血が途端にもっと溢れ出した。
「常に死が隣にある我々にとって、最も重要なのはどう死ぬか、何を残したか。大して変わらんでしょう?未来も」
「ん……わかんないけど、言われてみれば……ん…?あれ…?」
今
「うん?」
確かに
「なんで…」
未来と
「知って…」
「……え?」
言った?
「や……昔も今もって、続けたかったんすけど…え、マジ…?」
「へ……」
急速に顔を青くするシオンと顔を合わせて沈黙、『あーあ自分でばらして』などという声が聞こえた後、彼女は笑う、ふへっと。
「未来どんな感じ?」
「……たぶん酷い、海しかないし、まだ戦争してる…」
「そ…なるほど。ようやく納得できた、国名わかんねえとか、噴火知らねえとか。3ヶ国語ぺらっぺらなのは謎だけど」
まぁいい、人が生き延びてるならそれでいい、と、言いながらシオンは手を伸ばしてきた。今だけは抵抗せず狐耳をつつかれて、笑う彼女と対照的にスズは俯く。
「ごめん…ミサイルとか、ほんとはどうでもよかった。死んで欲しくなかったから……」
「でしょうなぁ…未来なんぞ知ってなくてもわかりきった結果だった」
「なんで…戦おうと思ったの…?これだけじゃなくて最初の時から」
「どうしてだっけか…スラムで餓死しかけてたとこに変なおっさんが話しかけてきただけだった気もする……強いて言えば、死にたくなかった、ストリートでショッピングとかしてみたかった。なんであんなに生きたかったのか、もう覚えてないけどさ…」
か細かったシオンの声が更に細くなっていく。もう床は真っ赤だ、1人の人間から流れ出てきたとは思えない程に。
「死にたくないって、なんで思ったんだろ……」
「そんなこと言わないで…助けようとしてたのに、みんなしてそういうこと言う……」
「あぁ…ごめんなさい……」
頭から手が離れる、ぴちゃりと床に落ちる。
「では…最後に…他の全員を代表して感謝を……」
笑ったままだ、こんなになっても、今までそうし続けたように笑って言って。
「ありがとうございます、結果を知ってるのに、ここまで付き合ってくれて……」
そうしてようやく、彼女は俯き
「さ…もう行ってください……これ以上そばにいられたら…みっともなく泣きわめいてしまいそうだ……」
喋るのをやめて、動かなくなった。
「…………」
立ち上がる、ガバメントと太刀を拾って出口へ向かう。
まだだ、世界は終わってしまったが、この戦いはまだ、終わっていないのだから。
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