第186話
我々に武器を執らしめるものは、いつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。
ー芥川龍之介
『お気をつけて、まぁコイツがいれば大抵のことはどうにでもなるでしょう。…ただ個人的な意見……が、あまり深く関わらない方がいい、泣き叫ぶ気力すら失せたアラブ人をいたぶり続けるような外道です』
『やんなく…いいならやんねぇっすよぉ、しょうがないでしょう、1分早く話を聞き出せたら1分早く殺し合いが終わるんだから』
設定しておいたアラーム時刻に達するとムーンライトのコクピットは自動的に再起動した。目を閉じたまま右手を上げ、振り下ろし、ピーピー鳴るタブレットの画面に叩きつける。通信機から流れてきたシオンとなんか男性の会話を聞きつつフェイは呻き、倒し切った座席から背中を離して起床、寝ぼけ眼をこする。
重たい目蓋を開けると全方位モニターは真っ暗だった、雲の上からどうにか地上を照らしていた太陽は地球の反対側へ去っていってしまったらしく機体の外は既に夜間、正常に稼働しているはずのカメラはそのままだと何も映さず、ただ風が吹いているのか、機体に当たった空気がごうごうと音を立てていた。
『シス…ム再起動を確認、おはようございます、フェイさん」
「おやすみ……」
『待って』
とかなんとか言いつつも手足を伸ばして凝り固まった体をほぐし、座席をリクライニングさせる。いつの間にか着ている耐Gスーツが半脱ぎになってたので、とりあえず叩いたせいで落ちてったタブレットを拾って、正面コンソール中央のラックにそれを戻ししっかりと固定、その後スーツに袖を通す。
『少し前、第1ストライカー歩兵大隊が出…しました。ヒナさんからの報告によれば敵拠点、仮称キャンプ1に動きはまだ………せん。この吹雪で、おそらく察知できていないのでしょう』
コンソールの一部となったタブレットに指を触れ、カメラを高感度モードへ設定するもモニターの景色はそう変わらなかった、日の沈んだ暗闇の中、上空で滞留する塵を含んだ灰色の雪が吹き荒び、高輝度ライトを点灯させてもほとんどの光が遮られてしまう。サーマルビジョンでさえ似たようなもので、挙句レーダーもノイズまみれ、隠れ家に留まるアリエスからの通信は所々が途切れている。電波の波長を目一杯長くしてレーダー索敵範囲だけはどうにかしたが、波長変化による範囲増大と反応の詳細分析はトレードオフの関係にあるので、これでは”どの方向のどのくらいの距離に何かある”というのはわかっても”それが何なのかわからない”のだ。まぁそれは敵とて同じなので、焦って取り乱す事はない。
「ヒナ、ヒナ、大丈夫?」
『これで大丈夫だと思ってんならお前は脳の医者を訪ね…べきだ!!』
だよね、と思いながらおもむろに左のコントロールスティックを前へ。こびりついた氷を引き剥がしつつムーンライトは歩行前進、膝まで雪に埋まった脚を動かし始めた。スティックを戻し、今度はマニュアルコントローラーへ両手をはめて、腕の氷も簡単に落とす。最後に30mmガトリングもスピンさせて正常に稼働する事も確認でき、あらゆる目を失っているというだけで、ムーンライトは行動可能な状態にある。
『寒い寒…寒いぃぃぃぃ!穴掘ってツェルト被ったくらいじゃどうにもなんないぃぃぃぃ!!』
「もうすぐ迎えが来るから」
『今来て!!!!』
心の叫びだった。外気温を見る限りそれは冗談ではなく、タブレットをまた操作してヒナの現在位置をモニターに表示、全開で飛ばせば5分で辿り着ける。
アリエスに一言つけて行ってやろう、という前に通信機は別の識別信号からの声を捉えた、アメリカ軍だ。
『あー、こちらアメリカ陸軍ストライカー旅団戦闘団、日………第1戦闘団、感明を…れ。……日本軍最後の生き残り、聞こえるか』
「そんな重たい肩書き背負いたくないけど、途切れ途切れ聞こえてる」
『こっちも女かクソ……エド……ド………コール少佐だ、こちらは10分程度でキャンプ1へ到達、予報によれ…この吹雪が止むのは……直後になる。一足先に………この…で奇襲をかける……可能か?』
「かけるだけなら可能、でもその前にこちらの偵察員を回収したい」
面白い名前だなと思いながらシートベルト装着、スティックをまた倒し、アクセルペダルをゆっくり踏む。ブースターから噴き出した炎は背後の雪を一気に溶かし、湯気を上げながらムーンライトは加速していく。
『了……た、そちらを優先……くれ』
「じゃ、偵察員を回収、そのままキャンプ1へ攻撃をかける。健闘を、エドッコ少佐」
『おい待て貴様!!何だその粋っぽい勘違は…………』
吹雪が強まったか向こうが山の影に入ったか、一際大きなノイズを残して通信は切断された。何度か復旧を試みるも応答は無く、仕方なし、連携不十分ながら行動開始、まずはヒナを救出する。
「アリエス、周囲の地形データに積雪状況を加算して」
『…………』
「アリエス?」
ああしまった、こっちも通信途絶か、一時的なものだろうが困った事になった。オートモードで移動を続けつつキーボードを引き出してモニターの景色に周辺地形を乗算、縦横に走る線がぐにゃぐにゃ曲がる事で地形の凹凸を表現させる。だいたいこのくらいだろうと雪の積もり具合を付け足して、後は少しでも熱源反応があれば警告を発するように設定した。
「ヒナ、聞こえてるなら応答して、ヒナ」
『羊が1匹羊が2匹羊が3匹羊が4匹……』
「それは例のセリフ待ち?」
ふざける余裕があるならまだ大丈夫そうだ、雪山で寝たら死ぬというのは体力を消耗しきっている場合であり、ちょっと眠ったくらいじゃ寒さですぐ起きてしまう。なんてのを通信機越しに説明しつつ、とはいえ普通に凍死する可能性も考えられるので、もっと急ぐべくアクセルを全開まで踏み込む。やがてなだらかな斜面へさしかかり、吹雪で塞がった視界に枯れ木が映り始めた。ぶつかる前に察知する手段が無いので、力任せになぎ倒して尚も前進していく。
『ああ…雑なパイロットの雑な操縦による雑な移動音が聞こえてきた……』
「機体性能を把握した上で一番簡潔な方法を選択してるだけ」
この猛吹雪の中でもこれだけ近付けば聞こえるか、残り500mを切ったあたりでブースターを止め、後は二足歩行で距離を詰める。
「敵の動きは?」
『んあ…?100人近い人間と車失ってお通夜状態だったわよ、少なくとも30分前までは』
改めて言うが今のムーンライトは視力を失っている、ヒナに近付くという事は敵キャンプに近付くと同義であるが、フェイの視界には変わらず雪しか映らないので、地点登録はしてあるがどこに何があるかまったくわからない、せいぜい僅かな赤外線が飛んでくる程度である。やはりどこまでいっても人は自然には勝てないのだな、なんて妙なセンチメンタリズムを感じつつキャンプ方向の観察はやめ、本格的にヒナの姿を求める。縦穴か横穴か知らないが雪に埋もれているなら探しようがないので「出てこいや」と言ってみたところ、そのへんからぽこりと熱源が現れた。
『さささ寒寒寒さむぅ!!何これバカじゃないの人がいていい場所じゃないでしょ!!早く中入れて!助けて!』
言われなくとも、と思って座席下部のレバーに手を伸ばす。戦闘中間違っても誤操作してはいけないものであるため触りにくい、というかシートベルトを締めたままでは届かない場所にあり、やっぱ無理なので一度姿勢を戻しベルトに手をかけ
『あ…なんか来る…?』
「え?」
その前に、さっき設定した通り、熱源接近によるアラートをシステムが発した。
『エンジンの音と…このバタバタ言ってんのはキャタピラかしら?ひとつじゃない、2輌いる』
反応があったのはムーンライト真正面である。雪に遮られてはいるもののかなりの高熱を発していて、移動速度はかなり速く、かつこちらへまっすぐ向かってくる。あっという間にシルエットがはっきりわかる距離まで接近してきて、細かい直線を組み合わせる事で尖頭形の車体を構築し、その車体上部へ125mm砲を直付け、下部に4つもキャタピラを履いているそれは見間違えようもない、さんざんつきまとってきた挙句勝手に焦って1輌減ったあの連中。
『機動戦車!』
言った瞬間、ヒナがハッチ開放を待たず左の雪へ頭から飛び込み、次いで中国軍22式機動戦車がムーンライトに飛びかかってきた。
「づぅ……!!」
たぶんコイツはあの時105mm砲で打撃したパイロットだろう。ボコボコにした正面装甲は修理されていたが見ればわかる、何せ自慢の主砲を機体胸部、コクピットに衝突させてきたのだ。あまりの衝撃にムーンライトの巨体は地上とお別れを果たし、一瞬だけダウンしたモニターと操縦系統が復帰した時には落着を済ませていて、仰向けに倒れたまま斜面を滑り落ちていく。自動姿勢復帰機能により噴射されたブースターが間も無く機体を直立させたものの、体当たりしてきた敵戦車の姿はもうどこにもない。
『つめた…!フレアありったけバラまいて!』
左のスティックを右前へ、同時にアクセルペダルとジャンプペダルをまとめて踏み潰す。右のスティックにゴテゴテついてるボタンを連続操作する事でフレアを全弾放出すると、前後及び上方から飛び出した燃え盛るマグネシウムによってムーンライトの姿は赤外線的に覆い隠された。右前方に向かって跳躍する機体が熱のカーテンから抜け出た瞬間ブースターを切り、熱放出を抑えつつ後は惰性でその場を離れる。
『オーケー。フェイ、敵は今あんたを見失ってる。7時と9時、距離500m』
雪を撒き散らし盛大に着地するも、この状況下において視覚と聴覚に意味は無い、役に立つのは赤外線と電波のみである。ヒナからの報告に従ってレーダーパネルへ目を移し、確かにその位置になんか反応があるのを確認。普段なら指で押せばマーキングできるのだが周波数を思い切り引き伸ばし反射してきた電波を受け取るくらいしかできなくなっている現在のレーダーシステムにそんな芸当は出来ず、どうにか自分の目で追いながら進行方向への先回りを試みる。ただムーンライトが捕捉できて22式が見つけられない道理はないので、ノイズに紛れるようにゆっくり、二足歩行で。
というかヒナは、どうやって両方察知しているのか。
『そこで止まって。敵戦車減速中、1時方向200メートル、…150メートル……100切った!』
戦車の形をした熱源をカメラが捉えロックオン可能となり、可動部に氷を巻き込んだ左腕ガトリングガンがギャリギャリと音を立ててスピンを開始、発砲開始とブースター最大噴射を続けざまに行う。途端にそいつは再加速を始めたが、それより速く到達した30mm弾の雨が迅速な離脱を阻害した。可視光で姿を見れる距離まで詰めて、ただ闇雲に装甲を撃っても仕方ないので、選択した105mm砲を細かく動かしてキャタピラを狙う。
『残り1輌突っ込んでくる!3時方向50メートル!』
「こ…のぉッ!!」
しかし照準に時間をかけすぎた、間一髪のところでAPFSDS弾は雪へと埋もれたのみに終わり、次への対応のため視界外へ消えていく戦車をそのまま見送る。105mm砲の再装填を待つ暇もなく25mmチェーンガンを無照準で右へぶちまけ、機体の回転が終わり次第ガトリングガンも追加した。突撃を止められはしなかったものの照準はずれ、眼前を劣化ウランの杭が通り抜けていく。そっちの戦車も同じく視界から消えればふりだし、レーダー反応も見失ってしまった。
ああ、面倒だ。
『フェイ、西の方から吹雪が止み始めた。もう少し耐えて、そしたら後はいくらでも』
「いや……」
『ん?』
「稜線の向こうまで逃げて!こっち側に絶対いないように!」
105mm砲後端を腰に寄せ装着されているドラム型弾倉をパージ、ハードポイントに固定されたそれの代わりにもうひとつの予備弾倉めがけて砲を突っ込み装着、榴弾が薬室に投入される。
『何する気!?』
「雪崩ぇ!!」
『だから雑ゥゥゥゥ!!』
僅かな時間ながらムーンライトは飛翔でき、機動戦車は一切飛べない、これは絶対的なアドバンテージである。あさっての方向へ向けられた105mm砲は爆煙を噴き出してまず2発射撃し、また突っ込んできた戦車は適当にいなす。続けて3発撃ち込めば、斜面で轟音を鳴らしたそれらが積もりに積もった雪を裂き、地響きを起こし。
『……っと繋がった!?フェイさん大丈夫ですか!?パラメーター推移的に戦闘中だと思……へ…?』
一斉に押し寄せてくるそれはようやく通信復帰したアリエスをついでに呆けさせて。
『ばかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
ヒナの悲鳴をBGMに何もかも飲み込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます