第170話

『後継者争いを発端とする殺し合いがあった、雪音ちんはそう言っていたな』


結婚式からおよそ2ヶ月、最後の日が明日に迫ったその時は、人工的な明かりの他には無数の星以外何も見えない新月の丑三つ時であった。確かに天皇が外遊という名の下追い払われた状態につき清涼殿はもぬけの殻ではあるが、それにしたってあまりにも暗く、静かで。街灯はすべて消灯、照明が点いている建物は僅か3箇所だけで、それらにしても人のいる気配はしない。

眠っているから、ではないのだ。


『私が知っている過程は今話した通り、殺し合いなんか無い、あったのは一方的な殺しだ。たった1人による、皇族の皆殺し事件』


ついさっきまで多少は騒がしかった、事切れる前にかろうじて悲鳴を上げられた者も何人かいた。片端から襲撃を受けた居住区画、五舎七殿に住んでいた者達の中にもはや生きている人間は無く、いや、訂正する。1人を除いて全員が死に絶えた。


『さてここで疑問が生まれる、戦闘能力的に化け物揃いの連中を1人で襲撃し殺しきれる存在とは何だ。葛葉の言葉で言うなれば、この後の締めとなる”処分”を請け負うのは悠人だ、あいつは最後に残った掃除用具を片付けるだけ。では”掃除”は?誰が請け負う?』


「…………」


静寂が満ちるその内裏に忍び込む人影があった、闇に染められよく判別できないが非常に背が低く、頭には狐耳が乗り、今にも泣き出しそうな声を漏らしながらも、明かりのある建物のうちひとつに近付いていく。


『いかに九尾だ何だと言われた所で人としての縛りを私は抜け出す事ができん、縛りを解いた時点で人間じゃなくなるからだ。だが奴は、生まれた時から神の括りに体半分突っ込んで、およそ考え得る最高の血を引いている。あんな泣き虫つったってこの時既に身を守る術くらいは持ってたが……奇跡だな、私がまだ生きてるのは』


見たくないと純粋に思った、恐らくその先にあるのは彼女がこの場を異様なまでに嫌う理由、人死にを極端に忌避しながらも死体に対してあまり怯えない理由、地下室に隠れて死者蘇生の研究をしていた理由。やめておけ、この世界のこの瞬間に存在しているなら彼女はもうお前を知覚している。などと思っても日依らしき人影は止まらず、建物へ辿り着いて、障子をゆっくり、僅かに開いて。


「ひ……ッ…!」


中の有様を見た途端、大きく音を立てて尻餅をつき、そのまま数秒固まって、中でずぶりと、肉体から刃物を引き抜くような音がしてからようやく立ち直り、一目散に駆け出していく。


「何故……」


『喋るな、そのまま、指一本動かすなよ』


障子の隙間を広げ、中から現れたスズは血まみれだった。自身に傷は一切無く、他人の血だけで染められたその浴衣と刀からはぽたりぽたりと血液を滴らせ、虚ろな目で日依の去っていった方向を眺めていたが、やがて床を鳴らして追撃体勢を取った。

スタートを切ればその時点で日依の命運は尽きる、だがそれでは現在との辻褄が合わない、という事はスズは彼女を追わず、ここで止まるのだ。

実際、別方向から聞こえてきた足音によりスズの注意は逸れ、その場で刀を手放した。


「終わったか?」


「……はい」


「では着替えて眠れ」


暗闇から現れた銀色の狐にぽつりと嘘をついて、言われた通りに縁側から降り、藤壺へ向かう。葛葉はそれを見届ける事無く、たったそれだけ告げたのみでまた暗闇に消えてしまう。

後に残されたのは死体だけだ、斬られ、突かれ、血の海に沈むたくさんの死体だけ。


『…………何故殺したのか?単純に邪魔だったんじゃないか?現役天皇を御すのには成功したが、待望の自分の子供は女で生まれ、他の皇族はやかましい。このまま10年後も20年後も安定して主導権を握りたいなら、まぁ、女性天皇が今までいなかった事は無いが、予定の上ではこの後スズも処分するし、奴はリセットを選んだ訳だ』


「一体、どんな思考をしていればこんな事を……」


『わからん、奴だけは、マジで読めなかったんだ。心が死んでいる、そんな感覚』


『……もしかしたら』


『ん?なんだよ』


ニニギの呟きらしい声に日依は反応したが、『後で話そう』とだけ返して黙ってしまった。気にはなるもののとりあえず今はいい、目の前の光景だけでいっぱいいっぱいだ。


『じゃ、次。数時間後だが飛ばすぞ、見てたくないだろこれ』


「そうですね……いえ…あと数時間なら、そのままにして下さい。最後を迎える前に」


虐殺が行われていた間ずっと、ピクリとも動かず物陰で隠れていたアリシアは、すべてが終わってからようやく体を動かし。


「少し、行ってきます」


彼女を追いかけて藤壺へ向かう。

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