第135話

「見送りはいらんよお母さん」


「起きているのですからこれくらいはしますよひよひよ」


「ふふふふふ……」


玄関のドアを開けると既に朝焼けは始まっていた、明るみ出しつつある空を見上げながら日依がまず外へ出て、次にアリシア、半開きの目をこする小毬と続く。

一晩通して風はゆっくりとしか吹かなかった、無数の枝葉は静寂を保っており、3人の足音がやけに響く。このままの状態が続けば今日の上層は快晴だろう、眼下には雲海が広がっていて、中層以下は恐らく曇りか雨。


「それで日依、あなたはすべてわかっているのですか?」


「いんや、私ができるのは相手の感情変化による波の上下から、もしくはその場にこびりついた魔力の残骸

から、相手が今どんな気分でいるかをなんとなーく感じる事だけだ、雪音千里眼(ゆきねレーダー)ほどの絶対的な状況掌握能力は無い」


「では何故?」


「経験則かな。あの場にいた”すべて”の人間の感情を比べてみて、ああこれは誰も幸せにならないなと、そう私は判断した」


家の前には馬車が1台、扉を開けた状態で待機している。この場所も、チャーター機のいる飛行場も枝端にあり、エレベーターを挟んで道のり10km、歩くには少し遠かろうと派遣されてきたのだ。

そこまで辿り着いた日依は乗車せずに立ち止まり、先に小毬を乗せる。乗った途端にごろんと転がって寝息を立て始めたのを見て苦笑、それからアリシアへと目を戻す。


「真実は時として人を殺す、今回の件はまさにそれだ。放っておいた方が被害が少ないとありゃ…その気になれば自分で革命を起こせるのに、人民を虐げながらスズを待ち続けた私は、今さらじーさん1人の為に手を出す訳にはいかん」


「過去を理由に意思を曲げるのはお勧めしません」


「それもそうだが、それでも私は根本的には冷たい女だ、助かる人数は多い方がいい。何もこじれず、他の誰も傷付かないなら、未解決なままでもいいんじゃないかと思うがね」


「……それは、真に幸せと呼べるものですか?」


「わからん、その問いに対する解答を今の私は持っていない」


じゃあ後は頼む、と言い残して彼女は馬車に乗った。自分が腰を下ろすスペースに小毬の足があるのを見て笑いながら無理くりどかし、扉を閉め、少なからず騒ぎながら彼女らは出発していった。この後航空機でひたすら移動、かつて壇ノ浦と呼ばれていた海域で雪音、及び第3水雷戦隊と合流、泉に落ちた斧を探すより遥かに難しいサルベージ作業を開始する。剣が戻れば準備は終わり、後は嘉明が一言かければ指導者と反逆者の立場は逆転、皇軍はそもそも天皇の兵隊であるので、葛葉の悪巧みが明るみに出てしまえば、もはや内戦も起きないレベルで勢力図は塗り替わる筈だ。当初の予定とはちょっと違うが、日依が無職になった段階で”静かに”という上策はあまり省みられなくなった。皇天大樹で大暴れもしてしまったし、再侵攻の機会を伺っている西洋軍のスパイが水蓮1人だけという訳もなかろう、中策、場合によっては下策に片足突っ込んででも早急に決着をつけるべき、だと冷たい女は言っていた。


「…………」


馬車が十分に小さくなった頃、アリシアはその場に立ったまま視線を少し右に移す。


「おはよう……」


寝巻代わりの短パンと、胸中央に横書きで”恐るべき教訓”、その右下に小さく”Valiant”と書かれた奇妙なシャツという出で立ちで義龍はアリシアの前に現れた。頼んでいたものを持ってきた、ようには見えず、バツの悪そうな表情から見て、眠れず朝日を見に出てきたら鉢合わせしてしまっただけだと思われる。

ならば丁度いい、おはようございますと返しつつ、彼の前へと歩いていく。


「聞いていない事がありました。あなたの祖父に異常が見られたのはいつからでしょうか」


「……急に元気がなくなり出したのは1ヶ月半前、ここより下で黒い霧が噴き出す騒ぎの少し後だ。明らかにおかしいと思ったのは……君らがいなくなってすぐ」


なるほど


「その間、他の樹の専門家を呼んでまで対処しようとしなかった理由はスズに好意があったから、でよろしいですね?」


「わざとじゃない、でも無意識に考えが偏ってた気はする……」


確かに誰も幸せになりそうにはない。


「本人には知らせない方がいいでしょう、これ以上ややこしくなるのは望ましくない」


「ごめん…俺は」


「起きてしまった事を気にしても仕方ありません」


そろそろ戻らないと、スズもかなりの寝ぼすけだがたぶん今日は間も無く起きる。


「こんなんじゃ駄目だな…釣り合ってない……」


「否定も肯定もできかねます、今の私には理解し難い。ですが確かに、彼女の背負っているものはあなたには重すぎる」


日の出はもう近い、軽くお辞儀をして、家へと体を向けた。


「休んでおいてください、今日は長い1日となります」


「……ああ…」


覚悟すべきだ、彼女はきっと諦めないのだから。

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