第116話

皇天大樹標高2500m地点

高級住宅街、武川邸

武川 忠吉(たけがわ ただきち)陸軍大佐




「失礼します!陛下を港まで送り届ける準備、完了致しました!」


「送り届けるんじゃねえ、見て見ぬふりすんだよ、そんなに反逆者んなりたいか」


「は……しかし、どちらかといえば陛下のいらっしゃるこちらに義があるのでは」


「その件について情報共有しなきゃならん事がある、そこに座れ。……なんで地べたに正座すんだよ!縁側があんだろ!」


言われてすぐさまL字となっている縁側の短い方に武川は腰掛け、L字の長い方に同じく座る嘉明(よしあき)と、その背後で柱を背もたれにしつつ、何か玉ころを転がして遊ぶ日依(ひより)へと向き直る。

その玉は赤い、尻尾のような尖りの付く勾玉(まがたま)の形をしたものだった、材質はおそらく瑪瑙(めのう)、そこらの川辺や海岸で簡単に採取できる鉱物であるが、自然のままで真っ赤に染まっているものは宝石扱いされるほど貴重な品だ。しかもそれは直径15cm近い巨大な代物。


「俺の見立てではあと2、3日以内に俺は死んだ事にされて、せがれの知明(かずあき)が即位する。俺が脱走してなきゃ先月にはもう済まされてただろう事だ」


「それはまぁ…予想がつきました」


そもそも既に1ヶ月の行方不明である、もうこの世にいないと十分に判断できる期間である上、スズらが天皇の身柄を確保した一連の騒ぎを受けて葛葉(くずは)も焦っていると思われる。となれば敵の手に、しかも自分の意思で落ちた現役天皇を律儀に奪い返す理由は無い、まだ7歳で、意思らしき意思も持たず、皇位継承権第一位の手駒がいるのだから。


「そうなりゃ俺はお払い箱、 今更名乗り出たところで”先代の名を語る不届き者”扱いだ。その結末を迎えた時点でもう手詰まり、鈴姫(すずひめ)を担ぎ上げて血みどろの内戦やるしか道はなくなる。そう陥らないために俺が打ってきた手がこれだ、おい」


「ほれ」


ごろんごろんと勾玉が転がってきた。


「天皇家に伝わる秘宝は知ってるな?」


「三種の神器ですね?」


「皇位継承の儀式はこれを引き継ぐ儀式でもあるってのも知ってるな?」


「もちろん、そうしないと正式な天皇となれない事も知っております」


「そのうちのひとつがこの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だ」


「……あ、なるほど!ひとつでもこちらの手にあれば正しく儀式を済ませられませんからな、向こうの正当性を否定する事ができ……おいちょっと待て」


まずそれが本物かどうかはただの軍人である武川にはわからない、だが本物の天皇が言うならそれは本物なのだろう。となるとどうしても、絶対に言わねばならない点がひとつ。


「あんたらはそんな大事なもんをさっきからごろごろごろごろ転がしまくってた訳か?」


「これは本物と証明するデモンストレーションみたいなもんだ、真に神の力が宿ってるなら擦り傷を付ける事すら困難を伴うからな、なんなら大砲に詰め込んで飛ばして見る?」


「やめましょう!」


こちらの反応を見てけらけら笑う日依に向かって溜息をつき、いつの間にか立ち上がっていたのでまた座る。

要するにこれから天皇は世代交代が行われるが、それは正しい手順を踏まない虚偽の即位であり、反撃を行う余地は十分に残される。なお三種の神器とは日本に数ある宝物の中で最も名高い”見たら死ぬ品物代表格”であり、例えば剣はまず盗み出した外国人が船で日本脱出を図るも嵐に見舞われ大陸まで辿り着けず、なんとか取り返した天武天皇も剣を正しい場所に戻さず宮内で保管したために病に倒れ、その後も移送の際にこっそり直視した神官5人、生き残ったのは1人である。勾玉にしても、発達障害とされる冷泉天皇が箱を開けようとしたら煙が吹き上がってきたという。

そういう言い伝えもあるためか、本来ならば天皇である嘉明ですら直視を許されないものだ。しかし彼らは平然と言う、俺らは生きてるから迷信って事だったんじゃね?


「何故それを持ち出してきたかは理解しました、でもそれならどうして3つすべて持ってこなかったのですか?」


「それには理由がふたつある。まずひとつは……邪魔だなクソ、おい」


「ほーい」


「投げないで!!三種の神器!!東洋最大の秘宝!!」


だから傷なんかつかねえって、なんて嘉明は言うものの凡人にしちゃ見てるだけで心臓が止まりそうになるので、どうにか丁重に扱って頂きたい。


「物理的に持ってこれなかった」


「ほ、ほお」


「剣は布で包んで、相応のサイズの丸太をくり抜いて収め、それを赤土を詰めた石の箱に詰めたものを、また赤土詰めた木の箱の中に埋め込んである、間違いなく100キロはあったぞ。丁寧に開封してやる時間もなかったし、試してすらいねえ。次に鏡だが、そもそも内裏には存在しない。伝承によると、天皇家が受け継いできた個体は大昔の火災で既に焼失していたらしいが、とにかく陸地が無くなった際に行方不明になった。元々皇位継承に絶対必要なのは剣璽(けんじ)でまとめられる他ふたつだけ、鏡は動かす必要の無いものでな、あるに越したことはないにせよ、”誰も見る権利が無いって事は実在を確認出来ないって事”だから、死にものぐるいで探そうともしなかったんだよ」


言う事はまったくのまともだった、日依がやっぱり勾玉をころころしているのでしっかり耳に入ってこないが。あれは狐の本能ってことにしておこう、狐はイヌ科だが、その前にネコ目である。


「それともうひとつ、この勾玉だけが本物だからだ。今言った鏡にしても失ったのは形代(レプリカ)で、本物は別の場所で保管されてる。だから最低限剣1本、どうにか俺達で都合できれば、唯一の本物である勾玉がある限り俺達のが正しいってこった」


「つまりこれから始まるのは神器争奪戦、という事ですか。では本物の在り処を突き止めて……」


「それには及ばん、それぞれ伊勢神宮と熱田神社に祀られてる(らしい)が、社に火つけてでも引き渡しを拒否するだろうし、皇位継承用として使うだけなら本物である必要は無いからだ。既に目星は付いてる、狸の言い分が正しければ壇ノ浦の……む?」


「失礼します」


ほぼ、というかまったくの無音で嘉明の背後にアリシアが現れた。あまり感情を見せたがらない顔は少し眉を寄せており、右手にはラジオデッキ、アメリカンヤンキーが担いでそうな巨大なものだ。


「何だ?お前も座るか?よしここに来い」


「焼き切り落としますよ」


自分の両足を開いてその間を叩く嘉明を一蹴、想像して青ざめる彼の横にラジオを置いた。

一体何だ、と思ったが。


『……繰り返す』


スイッチを入れた途端、聞こえてきたのは葛葉の声で。


『我らが愛する伊和天皇は謀殺された、これは逆賊を討つ弔い合戦である』


その瞬間、目を見開く嘉明の背後で日依は立ち上がり。


『心ある者は武器を取れ、一人たりとも生かして逃すな!』


ばさりと、黒のマントをたなびかせた。

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